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52 ハズレならラッキーです

 その日の夜遅くに小さな揺れを感じた私は、ジョアンとエスメラルダの様子を覗きに行きました。
 焦るほどの大きさではありませんが、机の上に置いた鞄がカタカタと音を立てる程度には何度も揺れました。
 エスメラルダは起きて着替えを始めています。

「おはようっていうにはまだ早すぎるわね。眠れないの?」

「ううん、違うよ。ジョアンが起こした」

「ジョアンが?」

「逃げる準備」

 その言葉に弾かれた様にジョアンの部屋に駆け込むと、すでに準備を終えたジョアンが部屋の真ん中にいました。

「危ないの?」

「わからない」

「みんなを起こしてくるわ」

「あの子と居間にいる」

 私は頷いて自室に戻り、準備を整えてから各自の部屋をノックして回りました。
 騎士たちはものの数分で準備を整え、別館の副所長たちの元に向かいます。
 アンナお姉さまに子供たちを任せ、私も別館に走りました。

「住民を避難させましょう」

 私が叫ぶように言うと、昨日護衛についてくれた騎士さんがヤマーダさんの店に伝言に走ると言って飛び出して行きました。

「どこに誘導するのですか?」

「王城の前の公園を目指せと伝えてはありますが、避難経路が心配ですから私たちはそちらに行って安全な道に誘導しましょう」

「わかりました。すぐに行きましょう」

「いえ、ローゼリアお嬢様は子供たちと一緒に先に王城前に行ってください」

「人手は多い方が良いのでは?」

「天才児達の安全の確保を優先してください」

「わかりました」

 私はアンナお姉さまと子供たちの四人で、闇の中を王城に向かって走りました。
 なるべく大きな道を選び、建物の近くは通らないようにしたので、少し回り道になってしまいましたが、一時間ほどでなんとか到着することができました。

 ジョアンが私の手を引いて言いました。

「ジョン呼んで」

「えっ!どこにいるのかしら…」

「あれに伝えて。緊急事態だ」

 ジョアンが指をさす方を見ると、夜間警備の近衛兵でしょうか、二人で橋を渡ってこちらに向っています。
 私は意を決して駆け寄りました。

「すみません!私はワンド地質調査研究所の遣いのものです。大至急庶務課のジョン・スターク様にお伝えしなくてはならないことがあるのです。先ほどからの小さな揺れは大きな地震の前触れかも知れないのです!市民を避難させないと危ないです!」

 二人は怪訝そうな顔をしていましたが、私の真剣な顔に噓は無いと思ったのでしょう。
 一人が王城に駆けて行きました。

「お前の名前は?」

「私はマリー・ヤングと申します。ジョン・スターク様とは学友です。怪しいものではありません。昨日もスターク様とお会いしています」

「庶務課のジョン・スタークか…私は第三王子配下の近衛第三部隊に所属しているものだ。今日の当直が我々でよかった。第一か第二だったら即拘束されていたかもしれないぞ」

「そうですか、第三王子殿下の部下の方で助かりました。もうすぐ市民たちがここに避難にしてくるはずです。王城内でも避難を呼びかけた方が良いかもしれません」

「あの方の到着を待って指示を仰ごう。あそこにいる子供たちは?」

「私の仲間です。子供ですので先に避難させました」

 アンナお姉さまが二人の手を引いて近寄ってきました。
 ジョアンが王城から延びる橋に目をやると、着替えもそこそこに慌てて走るジョンの姿がありました。

「マリー!何事だ?地震?避難?詳しく説明してくれ」

「はい、昨夜から何度も発生している小さな地震は、大地震の前触れかもしれないので、市民たちをここに避難させた方が良いだろうと判断しました。研究所の者と私たちの護衛騎士たちは建物が崩壊する危険がある地域に行って、通行しないよう誘導しているはずです」

「本当に来るのか?はずれたらどうするつもりだ?」

 私は少しイラっとしました。

「はずれたらラッキーですよ!起こってから逃げたのでは遅いのです!」

 ジョン殿下は一瞬啞然とした顔をした後、私の肩をポンとたたきジョアンとエスメラルダの頭を順番に撫でました。

「言うとおりだ。私が間違っていた。せっかく早めに知らせてくれたのにすまなかった。すぐに近衛兵を向かわせよう。その危険地域というのはどのあたりなんだ?」

 エスメラルダが無表情のまま口を開きました。

「中央街の1番地からまっすぐに延びた道路は安全だ。しかしその道に繋がる細い道は危険だな。特にこの建物はいつ崩れてもおかしくないぞ。ああ、これはホテルだね、。歴史的な建物なのだろうが、補強ができていないから崩れた一気だな」

 副所長の言葉でしょうが、エスメラルダのような可憐な女の子の口から出るとぎょっとしてしまいます。

「ホテル?中央街の古いホテル…トレジャーズホテルか!うん、確かにあそこは歴史的建造物だ。しかもほぼ街の中心だな。そこに向わせて近寄らないようにすればいいのか?」

 ジョアンが何度も頷き、しゃがんで地面に簡単な地図を描き始めました。
 太い線が先ほど言った一番地からの大通りでしょうか。
 そこから横に数本の線を引き、バツ印を書き足します。

「ああ、なるほど。この道はダメなんだね?わかった」

 ジョン殿下は立ち上がると、待機していた近衛兵に指示を出しご自身も一度城に戻ると言いました。

「悲しいかな俺は王子らしい恰好をしていないと、その辺のお兄ちゃんにしか見えないんだ。着替えてくるよ。今日はレジスタンスリーダーではなく王族として行動した方がよさそうだし、一応兄上たちにも情報は入れてやらないとね。宰相達にはすぐに招集をかけさせる。君たちはあそこの柳の木の辺りにいてくれ」

 私の返事を聞くより早く、殿下は駆け戻って行きました。
 アンナお姉さまと一緒に指示された柳の木の下に向かいます。
 私は子供たちを抱き寄せて、持ってきた毛布の上に座りました。

 ぼつぼつと市民たちが避難して来る姿が見えはじめ、少しホッとしたときにそれは起こりました。
 突然大きな揺れを感じ、子供たちに覆いかぶさると、私の上にアンナお姉さまが覆いかぶさります。
 柳の木が揺れて不気味な音を立てています。
 人々が悲鳴をあげながら、なだれ込むように広場に集まってきました。

 物凄く大きな音がしたので、アンナお姉さまの腕の隙間から覗いた私は息を吞みました。
 街全体が波打っているのです。
 先ほどまで見えなかった後ろの建物の最上階が見えるほど大きな縦揺れでした。

 この揺れは数分続いて止みました。
 人々は抱き合いながら無事を確認し合っています。
 間に合ってよかった…とそう思った瞬間、今度は体が大きく横に持っていかれます。

 私は再び子供たちの上に覆いかぶさりましたが、私の体は左に引っ張られているのに、子供たちの体は右に持っていかれます。
 私は大声で頭だけでも守るように指示をして、力いっぱい子供たちを抱きしめました。

 地面に臥せっている私たちの口に、ホコリと砂が入ってきました。
 急いで子供たちを座らせて、ハンカチで口を覆ってやります。
 ジョアンは真っ青な顔をしながらも、街の方向を凝視していました。
 エスメラルダは今にも泣きそうな顔で、私しがみついてきます。

 アンナお姉さまが立ち上がって、街から走ってきた人たちを誘導していました。
 その横では先ほどの人たちと同じ制服を着た近衛兵が、怪我人を抱きかかえて走っています。
 横揺れは収まりましたが、今度は小さな振動を何度も感じます。
 親とはぐれた子供が泣き叫び、その子供を突き飛ばすように追い抜いていく大人の姿に、胸が張り裂けそうになった私は、ジョアンとエスメラルダに動かないように言ってから走り出してしまいました。

 押し寄せる人波に逆らうように進む私は、何度も突き飛ばされ転び、足や手を踏まれましたが、不思議と痛みはありませんでした。
 今にも踏みつぶされそうになっていた子供に手を延ばし抱き寄せました。

 兄妹でしょうか、泣きじゃくる妹をしっかりと抱きしめつつ、絶対に守ると誓うように歯を食いしばっている男の子は、逃げ惑う大人たちの誰よりも勇敢でした。

「お父さんやお母さんは?」

「ばあちゃんと来てるはずなんだけど分からない」

「後で一緒に探してあげるから、とりあえずこっちに来なさい。ここは危ないわ」

 妹を抱き上げようとしましたが、兄であろう男の子は離しませんでした。
 二人ともを抱えるのは無理だと判断した私は、自分の体を盾にして二人を柳の木の方へ連れて行きました。

 しかし、数歩行くだけでも大変な状況のなか、私は二人を励まそうと声を出しました。

「負けないで!頑張るのよ!」

 しっかり頷いた男の子の体がふっと視界から消えました。

「大丈夫か?酷いありさまだ。あそこに居ろと言っただろう?」

 ジョン殿下が兄妹を片手で抱き上げて、私に手を伸ばしていました。

「あ…殿下…この子たちをお願いします」

「任せておけ、君のことも抱き上げようか?」

「私は歩けますので」

「ではこの手を離さないようにしてくれ。君の護衛はあの子たちの側にいるよう指示してあるから安心しなさい」

「ありがとうございます」

 私は最後の力をふり絞って殿下の後を追いました。

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