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10 息苦しい日々(アランSide)

 それからというもの、僕たちは毎日抱きしめ合って口づけをした。
 常に付き従っている侍女も護衛も何も言わなかったが、その視線には嫌悪感があった。
 でもそんなの関係ないと思うほど、僕はマリアにのめり込んでいた。

 マリアの妖艶な唇がテラテラと光る度に、僕は自分の欲を必死で押えなくてはならなかったが、どんなにお互いを欲しても、最後の一線は越えなかった。
 毎日生身を割かれるようにして寮に帰り、勉強机の前に座るが考えるのはマリアのことばかりだ。
 僕は彼女と一緒にワイドル国に行きたいという思いと、親と婚約者を捨てることはできないという思いがせめぎ合っていた。

 ローゼリアを捨てることは恩を仇で返すことになってしまう。
 でもマリアを諦めたくない、マリアをこの手で抱きたい、思うさま彼女の体に溺れたいと思ってしまうのだ。

「ローゼリア…」

 僕は一瞬だけ、ローゼリアが消えてくれないかなと考えてしまった。
 もちろんそんな考えはすぐに打ち消し、ものすごい自己嫌悪に陥った。
 毎晩それを繰り返していた僕に、同室の友人が言った。

「お前の婚約者って子、今日もずっとお前と王女の姿を見てたよ。可哀想だろ?いい加減にしてやれよ。それともお前は婚約破棄して王女を追ってワイドルに行くのか?止めとけよ。王族なんて所詮政略結婚の駒としていいように嫁がされるんだ。お前には勝ち目はないよ。良く考えろ。俺にいわせりゃ、見るだけの宝石より、目の前のステーキだぜ」

 そいつの言葉は僕の心に突き刺さった。
 そうだ、ローゼリアはずっと僕だけを慕っているんだ。
 僕と結婚することだけを夢見ているんだ。

 僕は彼女と結婚するという義務がある。
 その責務を全うしなくては両親にも、恩あるワイド伯爵にも顔向けができない。
 僕はそう考えて涙を流した。

 幸い僕が継ぐ領地はワイドル国との交易窓口だ。
 ローゼリアと結婚しても、マリアの住む国に行く機会は多いはずだ。
 跡継ぎの子を成せば、交易拠点をワイドル国にも設けて、僕だけあちらに移住するという手もあるはずだ。

 そうすればまたマリアと会えるし、この崇高で永遠の愛を貫くことができる。
 僕は本気でそう思った。

 でも心のどこかでは絶対に間違っているとわかっていたんだと思う。
 夢みたいなことばかり考えながらも、毎日息苦しくて辛かった。
 ローゼリアの顔を見るたびに、一瞬でも彼女の死を願ってしまった自分を呪った。

 結婚して彼女の望みを叶えてやれば、あとは自由にできるという考えを払拭できない僕は、タダのクズになり下がっていた。

 卒業まであと二か月のある日、マリアといつものようにバラ園の奥に行った。
 いつもは侍女と護衛も来るが、今日に限ってマリアは彼らを遠ざけた。

 返事が欲しいというマリアに、僕は一緒には行けないと伝えた。
 ローゼリアと子を成したらすぐに追うと言いかけたが、少しでも彼女の気を引こうと思って、悲恋に苦しむ男を演じた。

 でもマリアがあまりにも悲しむので、可哀想になって僕の計画を最後まで伝えようとしたが、その前にマリアが僕に抱きついてきた。
 そしてそのままいつものように彼女の唇を堪能していたら、ローゼリアが現れたんだ。

 今までは護衛や侍女が、誰も近づけない様にしてくれていたのだろうに、今日に限って彼らを遠ざけたことが仇になった。

「だったら?そうね、別れる必要なんかないわ」

 僕たちは抱き合ったままゆっくりと声の主に目を向けた。

「ローゼリア?」
 
 ローゼリアがものすごい剣幕でまくし立てている。
 僕だけが義務だと思っていたわけではないだって?
 そんなバカなことがあるものか!

「ちょっと待ってくれローゼリア」

 ローゼリアの悪態は止まらない。
 彼女は僕たちが悲恋の主人公になり切って酔っていると言った。

「お黙りなさい!」

 マリアが怒りで震えながらローゼリアに言った。
 でもローゼリアは怯むことなく、王族に対する礼をした。
 僕はその姿をものすごく美しいと思ってしまった。

「これはこれはワイドル国第二王女マリア殿下。ご機嫌麗しゅうございます。既にご存じとは思いますが、私はそちらで不敬にも王女殿下にしがみついております、アラン・ハイドの婚約者であるローゼリア・ワンドと申します。誠に申し訳ございませんが、ただいま婚約者同士で一生にかかわるとても大切な話をしておりますので、今しばらくお待ちいただくか、御動座賜りたく存じます」

 マリアは凄く悔しそうに後ろに下がった。
 ここで王族の力を振りかざしてしまうと、僕はローゼリアを庇わなくてはならなくなるからだろう。

「どうって?そもそもなぜ君がここに居る?」

 僕はなんとも間抜けな質問を口にしていた。
 ローゼリアは僕を小ばかにしたような返事をしてきた。
 こんなの僕が知っているローゼリアじゃない。

「ローゼリア、そんな言い方するなよ。確かに僕の行為は君にとっては不貞だろう。でも僕はマリアを…もちろん君とは結婚するよ。だから今は見逃してくれないか?王女殿下の前だ。不敬だろう?」

 僕はローゼリアに自分の考えを伝えようとしたが、上手く言葉にできなかった。
 自分で言いながら、見逃せなんて虫が良すぎると思ったが口が止まらなかった。

 すると彼女は不敬だから断れなくてマリアと口づけをしたのかなんて言った。
 マリアを心から愛している僕は、この言葉に反応してしまった。

「違う!僕はマリアを愛している。彼女を傷つけることは許さない!」

「婚約者の私は傷つけてもいいの?」

 このローゼリアの言葉は、僕の心に突き刺さった。
 今まで自分の都合のいいように蓋をしてきた邪心を暴かれたのだ。
 もう僕には取り繕う余裕など無かった。

「じゃあどうすればいいんだ!君と結婚するって言ってるだろ!それで義務は果たす」

「冗談じゃないわよ!なんであんたなんかに責任取ってもらわなきゃいけないのよ!失礼にもほどがあるわ!あなたの責任て何よ」

「君の父上に受けた恩義を返す責任だよ」

「じゃあお父様に直接返しなさいよ。私は関係ないわ。そもそもあんたみたいな不貞野郎に貰っていただかなくちゃいけないほど落ちぶれちゃいないわよ!指一本触れられたくもない!あんたは運命に引き裂かれる悲運の主人公気取りだけど、私に言わせればタダの浮気者じゃない!最低よ!あんたみたいなクズ男はリボンでもつけて欲しい人に進呈するわ」

「ローゼリア!いい加減にしろ!」

 もう売り言葉に買い言葉だ。
 僕が一方的に悪いのに、ローゼリアを睨みつけてしまった。
 ローゼリアの顔には途轍もない悲しみが浮かんでいる。

 その時初めて、自分の都合だけで考えていた僕の計画が、ローゼリアの犠牲の上でしか成り立たないことに気づいた。
 僕は自分の身勝手さに呆然とした。

「良く言ったローゼリア、惚れなおしたよ」

 エヴァン様が数人の騎士と一緒にローゼリアの後ろから現れた。
 正直に言うと助かったと思った。
 エヴァン様は鬼のような形相で、僕より先にマリアに話しかけた。

「マリア王女、護衛を遠ざけて男と二人で森に入るなど、王族としては感心しませんな。おまけに婚約者のいる男と恋愛ごっこですか?どうかしているとしか思えない」

 エヴァン様の言葉に動揺したマリアの後ろに、騎士達が移動した。
 騎士たちが来てマリアの強きが戻ったのだろう。
 エヴァン様に言い返していたが、あっさり王女の名代だと言われ黙ってしまった。
 僕はその間、ずっとローゼリアを見ていた。
 彼女は真っ青な顔でふらふらしている。
 駆け寄って支えてやりたいと思ったが思いとどまった。

 もう彼女を心配する権利もないことはわかっていたが、それでも幼いころから言われ続けたローゼリアを幸せにするという義務は、僕の望みでもあったことを認識した。
 それほどまでに彼女は立っているのがやっとという酷い状態だったんだ。

「さて、アラン・ハイド子爵令息。君が一番罪が重いな。それで?これからどうするのかな?」

「僕はマリア王女殿下と別れて、婚約者であるローゼリアと結婚します」

「だそうだけど、ローゼリアはどうするの?」

「お断りです!絶対に嫌です!まっぴら御免被ります」

 ローゼリアは最後の力をふり絞るように、僕との婚約を断固として拒否した。
 僕が招いた当たり前の結果に、なぜか僕は絶望を感じた。

 その時の僕は、他ならぬ自分がローゼリアを傷つけたという事実に驚愕していた。

 ずっと酷いことをしてきたのに、なぜ今更これほどまでに辛いのだろう。
 そんなことを考えていたら、エヴァン様に殴られた。
 二回殴られたけど、本当はもっと殴ってほしかった。
 いっそ殺してほしかった。

 今ここで僕が死んでもローゼリアは僕を許さないだろう。
 当たり前だ。
 僕は何をしていたんだ。

 マリアのことを本当に愛していたのなら、きちんとローゼリアに言うべきだったんだ。
 ここでエヴァン様に殴られるより先に、父上に半殺しにされるべきだったんだ。

 どちらも捕ろうとした僕は、恐らくどちらも失うだろう。
 僕はローゼリアの言う通り、バカでクズで最低な不貞野郎だ。

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