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(元)婚約者様、番様は何処へ?②

 「頭を上げて下さい。そうしないと何も話が出来ないではないですか。謝罪よりも先に、お話をしましょうよ」

フォルティーネはほんの少し、溜息を交えて応じた。エリアスが帰宅に至った経緯や医師や神官からの診断は執事長を通して簡単に聞いてはいるが、本人の口から聞かねばなるまい。記憶がある部分の詳細は直接聞くべきだろう。例え記憶喪失だったとしても。先ずは顔を上げさせ、ソファに座るよう促した。フォルティーネが座るのを待ってから静かに腰を下ろすエリアス、このように律儀なところは相変わらずだ。

 「原因不明の記憶喪失、とは聞きましたわ。僅かに魔術の形跡があった事も」

こちらから切り出さない限り、気まずい沈黙が続くだろう事は容易に予測がついた。だからフォルティーネは座るなりすぐに言葉を紡いだ。言葉を止めてしまっては、訪れるのは沈黙だ、重苦しさに押しつぶされないようそのまま話続ける。

 「……それで、#殿下__・__#はどこまで覚えてらっしゃるのです? 全て、話して頂けませんか? 勿論、覚えている事だけで構いませんので」

敢えて、回り道をせずに話の焦点に照準を合わせる。名前ではなく『殿下』と呼ばれた事に、一瞬肩を強張らせその金色の双眸に悲しみの影が揺れるエリアスを見て、気を引き締め直した。

 (さっきは驚いて、思わず親しかった時の癖で名前で呼んでしまったけど。絆されるつもりは無いのだし、ここはしっかり線引きしておかないとね)

 彼は寂し気に口角を上げ、自嘲の笑みを浮かべながらコクリと頷いた。フォルティーネは不覚にも、彼の憂いを秘めた色気に時めいてしまう己を恥じた。エリアスは困惑したような面持ちで話始める。

 「気付いたら、あの帝国立植物公園の噴水前に一人で立っていたんだ。フォルティー……いや、その……貴女と仕立て屋に行った後に立ち寄ったあの場所に。内容は覚えていないけど、長い夢を見ていて目を覚ましたような、そんな感覚だった。それで、一緒にいる筈の貴女を探したんだ……でも、何処にも居ない。黙って居なくなるなんて何か事件に巻き込まれたのではないかと焦って探し始めた訳だが、何かがおかしい、変だ。何処か違和感を覚えた。何よりも最大におかしいのは、共に居る筈の貴女が居ないなんて絶対に変だと思った」

「違和感? それはどのような?」

 どうやら、本当に『魂の番』と出会った事すら覚えていないようだ。

「あぁ。先ずはスプリングコートを羽織っていたが汗をかくくらい気温が高い事。周りを行き交う人々の服装が夏仕様である事。次に、確かハニーサックルが満開で、チューリップやスイートピー等の春の花が咲き誇っていた筈なのに、芙蓉やハイビスカス、向日葵等の夏の花に切り替わっていた事だ。何か、飛んでもない事が起きている気がした。つまり、季節を考えれば自分が全く記憶していない事が凡そ三、四カ月あるという事。しかしいくら考えてみても、その空白の時期の記憶が思い出せない。そうしている間に、声をかけて来た若い男がいた」

「若い男性?」

「小公子だ。彼は形式上だけは丁寧に挨拶をして来た。『|永久《とこしえ》に咲き誇る豊なる花の国、エリアス・テオ・ハイドランジア大公にご挨拶申し上げます、オルゴナイト公爵の息子アルフォンス・コリンにございます』と」

「あら、小公子様が?」

 フォルティーネの認識では、『帝国の盾』という異名を持つ魔力に優れた一族で特に一人息子であるアルフォンスは天才と呼ばれ、その力は魔塔主を凌ぐとさえ言われている。炎のような朱の髪と瞳を持つ情熱的な感じのする美形だ。確か今年18歳になる。女性にモテるのは言わずもがなだが、常に周りに女性を侍らせいる印象だ。噂通り、実際に女性と浮名を流して遊んでいるかは不明だが、婚約者であるアンバー伯爵令嬢が気の毒だ……と感じてはいた、その程度だ。
 そんな彼が、『堅物高潔で有名だった大公が、魂の番に出会い仲睦まじい婚約者を捨てて愛の逃避行、行方不明』と各マスコミを賑わしたエリアスに何と話しかけたのか? 冷やかし、嘲りしか思い浮かばない。エリアスの口ぶりからしてもそう推測出来る。

 「彼は挨拶の後こう言った。『この度は「魂の番」に巡り合えたとの事、オメデトウゴザイマス。番殿と愛の逃避行で行方知れずとの事でしたが、いつお戻りに? 婚約者の御令嬢はお元気ですか?』と。嘲笑と共に。何を言われているのか咄嗟に理解出来なかった。無表情を貫くのに精一杯だった」

 フォルティーネは眉を顰め、不快感を露わにした。

「まぁ、なんて失礼な! 婉曲表現もせずにそんなあからさまに?」

 溜息をつきながら、(小公子って下品で浅慮な子供なのね。勿論、この事だけで判断は出来ないけど、無礼な人なのね。他人様のプライベートにズカズカ踏み込んで、仮にも大公に対してそんな態度を取るなんて)と感じた。

 「あぁ、だがお陰で、空白の時間に自分が#やらかした__・__#であろう事が明確になった。その場を『親しく話をした事もない小公子に応える義務はない』と一瞥して|瞬間移動《テレポート》する事でやり過ごした」

「テレポート先が、ここだった訳ね?」

「自邸の少し前にある森の小道だ。一先ず護衛騎士たちに悟られないように気配を消して、私に関する情報を調べた。幸いな事に、通信魔道具は懐に入っていたから。それで……私が信じられないほど愚かな事をしでかした事を知った。俄かには受け入れがたかったが、事実だと受け止めれば辻褄は合う。だから恥を忍んで邸に戻った。そこで、執事長や侍女長に事実確認を取った」

「番様の名前を聞いても何も感じなかったの?」

「あぁ、全く何も。姿を写真で見ても何の感情も湧かなかった。ただ貴女に……もう、言葉も無い、本当に、申し訳……」

 「だから、謝罪は良いわ。だって、番様の事を全く覚えてないなら仕方ないもの」

フォルティーネは首を横に振って話を進めた。

 「先ずは番様が今現在何処でどうして居るのか? 知る事が先よ。番様に再会したら、記憶が戻るかも知れないし」

(どうせまた、本能で惹き合うように抱き合って。そのまま「愛の逃避行」に行ってしまったりして。そうなる前に、婚約解消の手続きを済ませておかないと!)

 胸に微かな痛みを無視して、思考を現実的なものへとすり替える。困惑している様子のエリアスを真っすぐに見据えた。

 「そもそも番様の情報が少なくて困っているのよ」

そうなのだ、あの日あの時……帝国立植物公園で二人が出会った後、そのまま行方を晦ましてしまったのだから。リビアングラス侯爵家とハイドランジア大公家の全ての力を駆使して調べがついたのは、番の名前と境遇だけだった。

 エリアスの『魂の番』の相手は、フォルティーネの一つ年下で名前をアラベラ・スターシャ・アイビー。緑豊かな国、ベルデ王国の大商人の一人娘で兎系獣人族Ωの女性。事故で両親を亡くし、天涯孤独。あの日はたまたま商談で帝国を訪れていた。雪のように白い肌とサラサラと流れる美しい飴色の髪、澄み切ったリーフグリーンの瞳を持つ小柄で華奢な儚げな美人。

 情報はそれだけだった。

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