1 敷かれたレール
私、ローゼリア・ワンドには婚約者がいます。
アラン・ハイドという子爵令息ですが、今は亡き父とアランの父親が親友だったことから、私とアランが結婚してワンド伯爵家を継ぐという約束が為されたのです。
父が亡くなったのは私が八歳の時なので、今から七年前のことでアランは九歳、私は八歳でした。
ワンド伯爵領とハイド子爵領は隣り合っていたこともあり、互いの領地のことは概ね把握し、協力し合っていた仲でした。
私とアランもひとりっ子同士で仲の良い幼馴染として育ちました。
私が七歳の時、未曾有の台風がハイド子爵領を直撃し、港町を中心に成り立っていたハイド家は壊滅的な被害を受けたのです。
地質学者としても著名な研究者だった父は、原因不明の風土病に犯されており、ハイド子爵家が没落寸前の時には死の床に就いていました。
母も同じ地質学者でしたが、私を産んですぐに亡くなっています。
爵位返上の覚悟を決めたクライス・ハイド子爵を呼び寄せて父はこう言ったのです。
「なあクライスよ。私はもうだめだ。私が死ぬと一人娘のローゼリアは天涯孤独の身だ。どこからか親戚を名乗る輩が現れてワンド家は食いものにされるだろう。そこでお前に頼みがある。ローゼリアを守ってやってくれないか?お前が抱えている借金はワンド家の財産をつぎ込めば何とかなるだろう?ワンド伯爵位はローゼリアが成人するまでの間、お前が後見人になって守ってくれ」
「そんな気弱なことを言うな!もちろんローゼリアちゃんは全力で守るよ。私がどうなろうともね。私の借金の返済のためにローゼリアちゃんが受け継ぐはずの財産を使うことはできない」
「ローゼリアを守ってくれる謝礼だと思えばいい。お前が守ってくれなければハイエナたちが食い荒らすだけだ。お前が使ってくれた方が嬉しいよ。お前の領地は海沿いで、私の領地は山と農地だ。港の復旧まで時間も金もかかるだろう?幸いなことにあの台風でもワンド領は大した被害もなかったから、安定した収入も見込める。その収入を使って港を復旧すればローゼリアが成人するまでにはなんとかなるはずだ」
「わかった。命を賭してローゼリアちゃんを守ると誓う。本当にそれで良いのだな?」
「ああ、こちらこそ恩にきるよ。これで安心して死ねる。私としてはお前のところのアランとローゼリアを娶わせて、ワンド家とハイド家が合併して伯爵領となることがベストなんだがどう思う?」
「それは良いな。あの子たちは仲も良いし問題ない。ローゼリアちゃんもアランも喜ぶよ。ではそのように手続きを進めよう」
「ありがとうクライス。できれば独りぼっちになるローゼリアのために、お前たちがこちらに住んでくれないか?お前には負担をかけることになるが、どうだろうか」
「わかった。そうさせてもらおう。実は港町にある我が家は既に人手に渡っているから、その方が助かる」
親の心子知らずとは良く聞きますが、この場合は子の心親知らずです。
まあこの時点ではベストチョイスだったとは思います。
お陰で父の予想通り現れた、数多のハイエナどもはハイド子爵が二度と近寄れないほどに撃退してくれましたから。
アランとも仲良しでしたし、アランも私も婚約の何たるかを理解していませんでしたから、親に言われた通りに素直に了承の返事をしたのです。
そんな約束が為された三か月後、安心した父は静かに息を引き取りました。
約束通りハイド子爵は私に伯爵令嬢としてふさわしい生活と教育を施してくれました。
使用人たちも孤児となった私を気遣い、厳しくも優しく接してくれました。
我がイーリス王国の貴族子女は、居住地域によって国が定めた貴族学園のいずれかに入学しなくてはなりません。
就学年齢は十二歳で、六年間が義務教育です。
貴族学園は全寮制で、特別な事由が無い限り例え王都に住んでいようとも六年間は寮生活をするのです。
なんでも集団生活を経験し、同世代の連帯感を育成するためだそうです。
子供のころから何よりも私を優先し、将来のお嫁さんとして優しく接してくれていたアランは、私より一足早く王都にある学園に入学しました。
アランのいない一年間は寂しくて退屈で、私も早く入学したいと思っていました。
やっと入学式を迎え、入寮した私と同室になったのはドイル伯爵令嬢のララでした。
ちょっと内弁慶なところがあるララと私は、すぐに意気投合して生涯の友となりました。
ララの家は王都にありましたから、週末の連休帰宅時には私も誘われて、よく同行していました。
ララには四つ上のエヴァン様というお兄様と、六つ下のジョアン様という弟がいます。
エヴァン様は学生の中でも皇太子殿下と人気を二分するほどのモテっぷりでしたが、それを鼻にかけることもなく、ララと一緒に私のことも何かと面倒を見てくださいました。
エヴァン様は皇太子側近候補として生徒会に所属していて、とにかく優しくてかっこいい超ハイスペックな先輩でした。
アランは相変わらず私のことを心配して、暇さえあれば図書館に呼んで勉強を教えてくれたり、学食で一緒に食事をしていました。
エヴァン様が卒業なさるまでの二年間は、よく四人で行動していました。
私はエヴァン様のようなお兄様を持ったララが羨ましかったのですが、ララはアランのことを『理想の婚約者』だと言って羨ましがっていました。
そんな学園生活を送りつつ、私が四年生になった時、王太子の双子の弟であるルーカス殿下が隣国ワイドル王国の王配に決まりました。
ルーカス殿下は19歳で、結婚相手のワイドル国女王陛下は18歳なのだそうです。
カーティス皇太子殿下の側近となっていたエヴァン様が久しぶりに学園に来られ、お茶に誘ってくださいました。
その時に教えて下さったのですが、ルーカス王配の義理の妹となったワイドル国のマリア王女が来年留学してこられるそうです。
エヴァン様が言うには『めちゃ美人』だけど『ちょっと気が強い』方だそうで、歓迎のダンスパーティーが学園で開催されるとのことでした。
「お兄様がこのところ帰ってこられないのは、その件でお忙しかったの?」
「うん、ルーカス王配も一緒に来ることになっているからね。その間は私がルーカス王配に同行することになっている。カーティスが丸投げしやがった」
カーティスというのは我がイーリス国の皇太子殿下のことです。
「アランは生徒会に入ったんだってね?官僚を目指しているのかな?」
「ええ、できれば国政にかかわる仕事を経験したいと思っています」
「それは良い目標だ。国にかかわる仕事は命の危機を感じるほど忙しいけれど、やり甲斐があるからね。ところで先ほど話したマリア王女殿下はアランと同学年に編入されるんだけど、五年生の生徒会役員は何人いるの?」
「僕を含めて三人です」
「その中でワイドル語を習得しているのは?」
「おそらく僕だけだと思います」
「そうか、では君に声がかかるかもしれないな。王女のご学友を探しているんだ。それにしてもポピュラーな言語でもないワイドル語を取得してるって何か理由が?」
「ハイド領の港町に停泊するほとんどの船員がワイドル語を話すので、習得した方が良いと思ったのです」
「ああ、ハイド州の貿易港は君のところなんだね。納得したよ。マリア王女はイーリス語もお得意だが、やはり母国語がわかる友人がいた方が気が休まるだろう?私の方からも推薦しておくから、学園長から話があったらよろしく頼むね」
「光栄です。頑張ります」
私はその時、アランの今までの努力が報われると思って嬉しかったのです。
でもそれが私たちの人生を大きく変えることになりました。