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(30)ディロスへの褒美

 不穏分子の一掃を済ませた後、カイルは一週間の領内視察に出向いた。
 領主が出歩くには少数の二十数人の一行は、大きなトラブルもなく予定を消化し、翌日にはトルファン城に戻るばかりになる。

「視察に一週間かけましたけど、これだけではとても領内全域は無理ですよね」
 馬車内でカイルと向かい合っているディロスが、手元の書類を捲りながら溜め息まじりに告げた。それにカイルが、苦笑しながら応じる。

「ダレンの指示が細かくて、チェックする場所や項目を網羅するのに時間がかかったから仕方がない。それを見越して他の地域は、第二、第三の視察予定地に組み込まれていそうだな」
「それだけ外を出歩けるのは嬉しいですが……。ダレンさんを差し置いて、僕が視察に同行してしまって良かったんでしょうか?」
 ディロスが真顔で尋ねてきたことで、カイルは思わず失笑してしまった。

「今更だし、何事も経験って事だろう。二人で視察の報告をするように言われているし」
「そうですよね……。夜に宿舎で作るだけではなく、馬車に同乗してまとめる必要がある量の報告書って……。本当に厳しいよな」
「だがこれは私達が領内を回っている間、城に残っているダレンがしっかり政務を執り行っているからこそ、可能な事だから」
「それもそうですね。あの域にはなかなか到達できないと思いますけど、頑張ります」
 がっくりと項垂れたディロスだったが、カイルに宥められて気を取り直した。その様子を見たカイルは、微笑ましく思いながら告げる。

「そういう事だから、今日はこの一週間頑張ってくれたディロに喜んで貰えたら嬉しいな」
 その途端、ディロスが喜色満面で声を上げた。

「もうとっくに喜んでいますよ! デニスファの視察は終わりましたし、これから午後ずっと近隣の遺跡群の見学をさせていただけるなんて! それに明日の午前中も、遺跡に寄ってから帰城して貰えますし! ユーゼルド公国の遺跡群の他は何もない所で、伯爵様や他の皆さんは退屈だし暇を持て余すと思いますので、本当に申し訳ありません」
「構わないよ。この間色々緊張していたし、私も仕事を忘れてのんびりしたい気持ちだから」
(ディロスはこの一週間、本当に頑張ってくれたからな。私一人ではとてもダレンから指示された項目を全て調べ上げ、あの量の報告書を作成できなかった。年下の彼の方が仕事量が多かったというのは本当に悪かったし、これでこんなに喜んでもらえるなら申し訳ないくらいだ)
 喜びを抑えきれない様子で、馬車の窓から外の景色を眺めているディロスを見ながら、カイルは穏やかに微笑んでいた。

 二人が雑談をしているうちに目的地に到着し、静かに馬車が停まった。すると周囲の護衛達が馬車に近寄る前に勢いよく扉が開き、ディロスが嬉々として飛び出してくる。

「やった! 到着!」
 御者が乗降用のステップを出す間もなく地面に飛び降りたディロスを見て、馬車のすぐ後ろについていたロベルトは、馬から下りながら呆れ気味に苦言を呈した。

「おいおい、ディロス。お前の立場で伯爵と同乗してるってだけでも、礼儀に小うるさい奴が見たらネチネチ言われるのに決まってるのに、伯爵よりも先に降りるなよ」
「カイル様、すみません! 僕、先に行ってます!」
「あ、ちょっと待て! ……あいつ、全然聞いてないな」
 舌打ちせんばかりの表情になったロベルトを、カイルが苦笑しながら宥める。

「ロベルト。ディロスはここに来るのを凄く楽しみにしていたし、叱らないでやってくれないか?」
「叱りはしません。呆れているだけです」
 そこで馬車のすぐ前の位置を進んでいたアスランがやって来て、ディロスの背中を眺めながら感想を述べた。

「元気が良いのは褒められるべきだが、正直、八百年も昔に滅びた国の遺跡なんか見て、何が面白いのか全く分からないな」
「激しく同感だ」
「そう言わずに。ディロスがユーゼルド公国の歴史を解説してくれると言っていたから、私もちょっと行って来る」
「当然、お供しますよ」
「カビの生えた歴史なんぞを聞かされるのは真っ平ごめんなんだが、これも仕事のうちだな」
 ディロスの後を追って歩き始めたカイルに、ロベルトとアスランは肩を竦めて付き従う。他の者達は馬車や馬達の管理と、周囲の警戒に残る者とに分かれた。

「この一帯は基礎の大きさと、少しだけ残っている支柱部の彫刻で分かりますが、ユーゼルド公国が信仰していたジェスファ教の神殿群跡地ですね」
「さっきの説明では、公国が滅びた時に城は徹底的に破壊しつくされたと聞いたが、ここの神殿群は他と比べて比較的建物が残っているようだ。どうしてか分かるか?」
「公国は疫病が蔓延して疲弊した時、他国から攻め込まれてあっという間に滅亡しましたが、その時神殿内で疫病患者が保護されていたそうです。その疫病を恐れた侵略者達が、感染を回避するため神殿内に入らなかったとか。一説には、城と同じように火を放って破壊しようとした者が、神の怒りに触れて雷に打たれて即死して恐れおののいたという記録があります。どこまで本当か分かりませんが」
「なるほど。真偽のほどはともかく、傷病者に手を出そうとした段階で、天罰が下されるなり疫病に罹患するのは自明の理だ。同情はできないな」
「僕もそう思います」
 ディロスの解説にカイルは感心して頷きながら遺跡群の中を進み、奥まった場所の最も規模の大きい遺跡に到達した。そして珍しく残っている壁面の一部に目を向けたディロスの興奮が、最高潮に達する。

「ええと、これは……。うわぁ! まさか、これって建国の碑!? こんな、ほぼ完璧な状態で残っているなんて思ってなかった!」
「ディロス? ユーゼルド公国が建国した時の記録か?」
「はい! この国の加護保持者のように、神からこの地を統治するための特別な力を与えられた賢人五人が、手を携えてより良い国を作っていこうと誓い合う場面が建国記に記載されているんですが、その中の一人が主君となって他の四人が臣従の誓いを立てた時に作られた物です!」
 勢い込んで説明してくるディロスに、アスランとロベルトは懐疑的な声を発した。

「何百年前に作られた物なんだ? 本物かどうか分からないんじゃないか?」
「文字だって、全然分からんしな」
「仕方がありません。国が滅亡したとともに、ユーゼルド語の文献も離散して、現存する物がごく少数です。複写や複製本、翻訳本が殆どですが、でもその文化的成熟度が凄いんですよ! ある精神分析論の翻訳本を読んで、絶対にいつか原語を読んでやると誓いましたから! それで今も少しづつ、ユーゼルド語を勉強中です」
「それ……、実生活では全く役に立たないんじゃないか?」
 アスランが思わず正直な感想を口にすると、ディロスが真顔で言い聞かせてくる。

「アスランさん。実生活で役に立たないのは確かですが、人生には時間的な余裕と、物質的な充足と、精神的な潤いが必要です」
「……………」
「アスラン、もう何も言うな。こいつは勉強が精神的な潤いっていう、希少種の一人だ。俺達とは明らかに人種が違う。相互理解は不可能だ」
 一歩も後には引かない気配を醸し出しつつ、ディロスが断言する。それを聞いたアスランは無言になり、ロベルトは首を振った。

(ディロスは凄いな。十五歳とは思えない説得力だ。兄上が完全にやり込められるところなんて、始めて見た気がする。どうしよう、大声で笑いたい)
 ディロスの反論に、表情を消して黙りこくった兄を見て、カイルは笑いの発作を抑え込むのに難儀する事になった。



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