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神様は微笑んでくれるか?

1965年4月7日は、晴れていたが御仏様の事を警察に報告せねばならない村松医師は、久慈に対して「久慈さん、お姉ちゃんと双子の姉弟には3つ子と言う事にいたしますよ、警察には真実を告げますが、万が一恋愛感情が湧いてしまい困惑してはいけないので私が責任を持ってこの子達の育成に協力致しますので」久慈は、事の主さと災いを予見するかの様な父の言霊通りになった事を困惑しながらも事の重さに唾を飲み「分かりました、村松先生、佐藤看護師長、この事は一生秘密裏にお願いいたします、仮にこの事を突き止めようとしたならば村松先生、お願いしますね」村松医師は責任を感じると伴に、自身が開いてる教会の神父様でもあるので、久慈に対して「久慈さん、3人の子供は神様から久慈さんに命を託されました、裏に教会があるのですが、3人は神の子そして、ここ村松の産婦人科では妊婦さんや家庭事情を察した判断をしています、神様からご加護があります様祈りを捧げてみませんか?」と言うと、出産した久慈道子は「村松先生、ここが人生bankな場所だと噂では聞いてましたが、当人となると複雑な気持ちです」と道子は言うと、佐藤看護師長が、「久慈さんご出産おめでとうございます、3人のお母様ですね」と葉っぱを掛けると、佐藤看護師長が、久慈道子から3児の臍の緒を貰い、佐藤看護師長は、「この臍の緒は当院、そして私の管理で20年お預かり致します、私の20年後は70歳ですが私はその頃は認知症になって証拠隠滅になります。だから20年は何とか秘密を隠しましょう」久慈は、「この子達の過去を預かって頂きありがとうございます、安心してこの子達を預かる事が出来ます、おお、神よ複雑な姉弟妹関係に為らぬ様にご加護あれ」と聖母マリア像の前で膝末く久慈と3児の子供の育成が楽しみで仕方がない久慈道子は、深々と頭を下げた。1965年4月15日になると久慈道子の退院日であった、新たな命が待つ楽しみと、新婦としての責任が伴う身だが、主人の久慈の名前は敏夫と言う、久慈敏夫は3人の名前付けに悩むも、複雑な事にて少し離れた場所への移住を決意する。それは団地である、家賃3万円で済む夢の団地である家族分のスペースがあり頭もそんなに良くなかった敏夫は、運転手としてタクシードライバーをする身である、肝心の道子は、看護師であり精神科の主任をする中々敏腕な女性である、だから道子の希望で祖母の碧(あおい)が乳母の様に育てる事に為るのだが、肝心の長女の事を熟知する故に力を入れて教育してしまうのだが、新婦としてと言うより女性として当時未だ社会進出が可能ではなかった女性が生き延びる術として道子は頭脳明晰であるも看護師を選ぶ事になった。1965年4月15日○○不動産にて、道子は夢の団地への希望を出し指名入札を目指した、敏夫はタクシー運転手ながらも所得は先ず先ずだが、道子の収入も多い、精神科看護師は需要も多くもあり、私が支えなきゃと使命感に満ち溢れた道子は、3人の子供の名前に付いて敏夫に提案した。「ねえ、敏夫さん、長女は智恵、長男が孝弘、二女が由紀子はどうかしら?」と言うと、敏夫は、「分かったよ、道子の思う描く名前の構想を教えて下さいよ、主任🎵」と言うと道子と敏夫は笑顔になり、二人して、「運命の時来たる」と口を揃えてまた笑った。

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