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みんないつかはいなくなると思うと、

太陽が輝いている。とてつもなく瞬いていて、その太陽がなければ私たちは生きていけないのだ。そのことを本当に理解しているだろうか?どこか他人事のような感じがする。私たちの先祖を辿っていくと何処に繋がるのだろう。単細胞生物に行き着くのだろうか。でも正直に思うと単細胞生物から私たちのような高度な文明を築く高等な生物になるというのはとても飛躍しすぎていると思う。何も無いところからこうして人格を持った生物ができるのだろうか。本当に不思議としか言いようがない。私がこうして生きているというのは素晴らしいことだし、こうして存在しているだけでとても貴重なことだと思う。私は鏡で自分をじっくりと観察した。目の前にいる自分は当たり前のように呼吸をして何も変わらないと言うかのように平然としている。でもここに存在していることは神秘だし、いつの日か必ず死が訪れるということを知っているのに、でも無反応でもある。ほんと面白い生き物だ。自分ていう奴は。出版社の女子トイレでそんな自分を鏡で見つめていると、これからずっと音信が無かった作家にこれから会いに行くのだったと我に返った。さて、今頃彼女はどうしているのだろう。メールを打つと今、自宅にいるということだ。これからそのアパートに行くことになった。彼女はコンビニで働きながら作家として執筆をしている。深夜のアルバイトをしていて、昼間の時間、眠ったり小説を書いているという。でもここ最近、引きこもりのようになって、作家として定期的に出版には至ってはいない。どうやら燃料がきれたみたいだ。それでも久々に会うことができるので楽しみにしている。およそ一年近く会っていない。デパートで美味しそうな桃が売っていたので三つ買って彼女が待つアパートに向かった。タクシーを停めて乗り込むと、車内に桃の良い香りが充満して最高だった。タクシーの運転手は何も言わなかったけど、その香りに酔いしれているようにも思えた。10分ほど走ると彼女が住んでいる古びたアパートに着いた。木造の木肌が現れたアパートはいかにも小説家が住んでいるといった風で、ギリギリの生活を送っているような人たちが住んでいそうだ。料金を払い領収書をもらって車を降りると、アパートの一階の部屋のカーテンを開いて女性が私を見ていた。東城ちなつさんだ。遠くから不安な表情で私を見ている。私は手を振って挨拶をした。自然に笑みが溢れて彼女のことを思い出した。嬉しそうに弾むかのような小説を書くことに自信と喜びを抱いていたちなつさん。そのことを思い出して、またいつの日か昔と同じような元気な姿が見たい。アパートに向かうとドアが開いてちなつさんが不安な表情でじっと私のことを見つめていた。
「どうも、お久しぶりだね。元気でした?」私はできるだけ笑顔を作りながら言った。
「ごめんなさい。この頃調子が良くなくて。メールも電話もあまり出れなくてすいませんでした」
「ううん、それはいいんだよ。こうしてちなつさんの姿を見ることができて安心した」
「ここじゃなんですから家に上がってください」
「ありがとう。お邪魔するわ」私は彼女の後ろからアパートの玄関に入って靴を脱いだ。短い廊下を抜けて居間に入るとたくさんの書籍が(ほとんどが文庫本だった)床にぎっしりと積んであった。
「日本茶とコーヒーどちらがいいですか?」ちなつさんは台所から言った。
「日本茶がいいな」私は乱雑に積み重なった本を目を捕らわれていた。
「ソファーに座ってください。ちょっと散らかっているけど」
私はソファーの左右にも本がたくさん積んであることになぜだか嬉しくなった。まるで出版社のデスクのような状態だ。本がたくさんあると落ち着くし仕事がはかどるのだ。
そしてテーブルの上にちなつさんの書籍が置いてあった。この文庫本は確かちなつさんのデビュー作だったはずだ。私は懐かしさにとらわれてその当時の彼女のことを思い出した。大学生だった彼女は希望に溢れていた。一生懸命に小説の題材を探して図書館に通いつめて古代の歴史書や小説を貪るように読んでいた。貪欲なまでに自分の生活を切り詰めて作家として自身を打ち叩くかのような手練といったらいいのだろうか、修行僧のような生活を送っていた。だからその彼女が描く世界や描写は必然的にシビアなものとなり、何者をも近寄りがたい文体を築きあげるのだった。まだ若くありながら哲学者のような文章は年配の人たちを引き寄せていたのだけど若年層の受けは良くなかった。でも彼女はそんな人たちに迎合することなく己の道を進んでいくのだった。私はそのことが心配だった。読者あっての小説家だ。できるだけ多くの人たちを引き寄せるストーリーを作るべきだと何度も言ったのだけど、ちなつさんはそのことに関心は無いようでひたすら自分の道を切り開いていくのだった。でもあるときポツリと連絡が絶えて、二年ばかり小説を書くことから手を退いたのだった。私が何度連絡しても、そっとしておいてください、もう小説を書くことはできません。などと言った言葉で肩透かしを喰らうように拒絶されて、私も仕方ないよな、と思っていたのだけど、今日こうして久しぶりに会うことができて、とても心が晴れたような気持ちになっていた。
ちなつさんがお盆にお茶と和菓子をのせて持ってきた。
「お部屋に本がたくさんあるね。まるで古本屋みたい」
「ええ、やっぱり身の回りが本に囲まれていないと落ち着かないっていうか、これ職業病なのかもしれない」ちなつさんもソファーに座って周りを見渡して言った。
「そうよね、私もいつも何らかの本がないと落ち着かないっていうか、いつも物語に囲まれていないと不安なのよね」
「久しぶりにみつきさんにあえてよかった。今までごめんなさい。何度も連絡をくれたのに拒絶してしまって。ちょっと病んでいたんだ。自分でもどうしたらいいのか分からなくて小説を書く気にならなかった。もっぱら本を読んで過ごしていたの。そうすることで自分の心に点滴をしていたのだと思う。そうすることで体が徐々に健康を取り戻したっていうか、これからまた執筆できそうな気がする」ちなつさんの表情は自信に満ちていた。そんな姿を見て、私も心が踊るような感じがした。
「一緒に頑張っていこう。私応援してるから。どんなことでもいい、些細なことでもいいから相談してね。苦しいこと、不安に思うこと、そんなことでも私を頼って」
「ありがとう。この2年間はきっと休養をとらなければならなかったんだと思うの。今は気力も充実している。車イスから自分の足で立って歩むことができる。そんな気持ちかな。無理をしないでリハビリをしながら少しずつ、一歩一歩前に進んでいくわ」そう言うとちなつさんは風に吹かれたような微笑を浮かべた。その風ははるか遠くから、きっと地球を通り越して銀河中心から運ばれてきたのかもしれない。とても心地好い感覚が私を包んだ。私が今言えることって何だろう?応援するために彼女を後方支援しなければならない。でも私はそんなことよりもちなつさんの潔い姿に感銘を受けて、とても心踊る気持ちになった。これからどんな作品を書くのだろう。今の世界、オリジナリティーを出すのは難しいけれど、私も何らかの形で携わっていけたらと思う。
「みつきさんのことを思うと何だか頑張れそうな予感がする。他人任せのような感じもするけど、そういうことも大事だと思うんだ。部活の信頼できる先輩っていうか、どんなことも相談できるって言うか。彼氏に振られて、やっぱ持つべきものは友だなってみたいな」
「そうだよね。自分の気持ちをぶちまけることができる友を持つのって大切。ちなつさん、今もコンビニのバイトしてるの?」
「ええ、これだけがやりがいがあるって言うか、天職のような感じなの。いろんなお客さんが来るけど、突然告白されたことがあって驚いたわ。弁当をレンジで温めているときに、僕と付き合ってください、って。思わず嘘をついて、今付き合っている人がいるんですって言っちゃた」ちなつさんは少し照れたように言った。
「客商売って大変だよね。私には向いていないわ。いろいろ気遣うことがあるでしょ」
「ううん、そうでもないわよ。自分をしっかりともって人に自然な敬意を抱く。犬みたいに純粋な感じでやっていけばとても面白く働けるの」
「そっか、私も直接は読者と繋がっているわけじゃないけど、そう言った気持ちを抱くって大切なことだよね」ちなつさんの誠実な人柄が伝わってきてとても安心感を与えてくれる。
「みつきさんも大変だよね。いろんな個性のある作家を束ねていかなければならないんだから。お客さんを扱うのとはわけがちがう。私みたいな難しい人だっているんだから」
「作家はやっぱり普通の人と違うっていうのはたしかだけど、みんなそこんところはプロフェッショナルていうか小説を書くことに対しては、そこらじゅうの人とは特別だからね。でも私にとってあなたたちは自分の兄弟姉妹だと思っている。いや、それ以上の存在かもしれない。血肉を越えた自分の分身みたいなもの。いつもどこかで、電車に乗っているときもシャワーを浴びているときも、ふっと心に浮かぶことってあるのよね。今何をしているのだろう?今どんなことを思っているのだろうって。なんか恋人みたいだね。でも考えてみればそうとも言える。とっても大切な存在なのよね。その気持ちがなぜだか、だんだんと心に重くのし掛かってきて、重圧というより満たされた気分なんだ。そして私生きているって気持ちがして、これからも毎日を有意義に過ごそうって考えているの。幸せだなってね。ちなつさんもそんな時ってない?」私はちなつさんのちょっと眠そうな瞳を見ながら言った。彼女の目が輝きはじめて、それが私にも伝播した。
「人ってあまりにも多くのことを求めすぎているんだと思う。テレビを見ればどこかのレストランで美味しそうな食事をレポートしたり、ファッション雑誌にしたって高価な衣装を着たモデルたちが、ポーズをきめている。くだらない朝のトークだとか、今日火事で何人死んだとか、考えてみれば毎日人はたくさん死んでいて、その一人の死に対してあまりにも希薄すぎる悲しみしかおぼえない自分がいて、本当は一人の人の死っていうのはとても大変なことなのに感情移入できない自分がいる。ひとつの死ってとっても重大なことなのよね。それなのに私たちはそれを安価なものにしてしまっている。だから私の小説には人の死って出したくないの。それはあまりにも劇薬過ぎるから」
「そうなんだ。ちなつさんの気持ち初めて分かった。私もこの間父を亡くしてね、初めて死というものを真剣に考えたの。とても衝撃的だった。悲しみっていうよりは、体にぽっかりと風穴が空いたっていう感じ。なんかまだどこかに父がいて、あるときふっと私の前に現れそうな感じって言うのかな。その空洞に休むことなく風が当たっているの。肌寒さっていうか喉が渇くような感覚で目をつぶって神経を集中させることによってやり過ごすことができるんだけど、完全な解決策ではない。このまま一生そうやって苦しまなければならないのかと思うと不安だけど、でもひとつだけ、私今付き合っている人がいるんだ。その人に抱き締めてもらうとどんな苦しみも乗り越えることができる。悩みを帳消しにしてくれるっていうか、傷が全く無くなるみたいに痛さも疼きも感じなくなるの。お互いを愛するってことはこんなことを言うんだって理解したって言うか、あっ、そうなんだって納得するか悟ることができた。何て言ったらいいのかな、太陽が身体中に隙間無く照らされてそのエネルギーを受け止めたみたい。ちなつさんも恋をするといいよ。とっても強くなれる」私は恵太さんの暖かな笑顔を脳裏に焼き付けていた。それはどんな効用の利く薬よりも効果があると思った。
「恋かあ。私はそのことをとっくの昔に忘れ去っているな。学生時代にそんなこともあったなって思うけど、今から新たな恋愛なんて贅沢過ぎる気がする。それに恋愛対象の人って身近にいないもん。みつきさん誰かいい人知らない?」
「作家さん仲間で好い人がいるんだけど。対談がてら会って見る?」私は一人の作家を思い浮かべて言った。
「何て言う作家ですか?」
「石毛コウキさんって知ってる?」
「知ってる、知ってる。若い女の子に人気のある作家ですよね。対談楽しそうだな。私作家同士で語り合ったことって無いんだ。だからとても興味ある。文学論を話し合うのって実は凄く好き!」
「それじゃ、決まりだね。早速彼に連絡とるから」私はスマホを取り出して石毛コウキさんに連絡をした。彼は熱烈に小説を書いているところだった。今日は集中して書けているから明日だったら暇があるという。それで彼の家に明日、ちなつさんと行くことになった。
「作家さんと話し合うなんてほんと楽しみです。なんかお土産持っていったほうがいいですかね」
「彼、独り暮らしだからお菓子とか手軽に食べられるものがいいんじゃないかな。それか夕食を作ってあげるとか。以前豚汁を作ってあげたら凄く喜んでくれた。カレーとかいいかも」
「そうですね。私カレーならしょっちゅう作っているから、でも普通のカレーじゃなくてシーフードカレーなんてどうかな?」
「うん、私も食べてみたいな。ちなつさんと一緒に作りたいな」私はちなつさんが小説の執筆を休んで苦しんでいた状況から解放されたことに気づいてとても嬉しかった。これからは良い方向へと向かっていくことだろう。とても楽しそうに、さすが小説家だけあって、創造力を逞しくする力があるな。そう思った。
「みつきさんの彼氏ってどんな人なんですか?」
「少し前に北海道の小樽から上京してきたの。ピアニストでね、このあいだソロライブを行ってとても好評だった。これから自分で作曲してユーチューブにも投稿するつもりなんだって」
「ピアニストか、繊細な感覚が大切な職業だね。ある意味作家と似たところもある。ピアニストは鍵盤を打ち叩き、作家はキーボードをタイプする。自分の気持ちを込めて、全てを託して指先から魔法の力を伝える。演奏を披露するってどんな感じなんだろう。自分の文章が印刷されて書店に並んで多くの人の手に触れるのと同じ感動なのかな?私、初めて自分の小説が書店に並んだ時、こっそりその本の近くで立ち読みしている振りをして私の小説が読まれるのをじっと待った経験がある。とてもドキドキして期待に胸を膨らませていたの。その高まりのような感覚もあるのかな?」その時スマホが着信を告げた。編集長からだった。
「高瀬くん。テレビをつけてくれ。今、ニュースが流れているから」私は編集長がとても緊迫した声で話していることを意識した。そしてちなつさんにテレビをつけてもらうように言った。ちなつさんはすぐにテレビのリモコンを操作した。テレビにはコンクリート打ちっぱなしのマンションが写し出されていた。何台ものテレビクルーが写っている。一人の女性レポーターが深刻な感じで情況を話している。一人の女性アイドルが誘拐されたということだった。複数の男性に連れられたという。現場はパトカー、警察官、野次馬でごった返されていた。ちなつさんは言った。
「いつかこんな事件が起こるんじゃないかって思っていた」芸能人を狙った犯行は以前にも起きたことがあった。でも、有名なアイドルグループの一員が誘拐されたというのは初めてじゃないか。私はこの事件が引き起こす様々な情況を考えてみた。これからアイドルグループへの接触が制限されるのは確かなことだ。今まで行ってきたような握手会のようなイベントは控えられるだろう。これからこの事件がどんな方向へ向かうのか注視する。ある作家のことをなぜだか思い出した。普通の作家、箸にも棒にも引っ掛からない作家というものがいる。いみじくも文章を書籍として出版していながら、しかもある程度売れて流行作家としてテレビなどにも出演している人、その文章はなぜだか心の琴線に触れないどうしようもない人間がいるなか、ごく少数のファンしかおらず、そのファンの心を鷲掴みにするという稀有な作家もいて、私は以前その作家に話を聞いたことがある。生活保護を受給しながら一文字一文字を大切にしている人だった。私はその人のことを仙人と形容したことを思い出した。その人からは多くを学んだ。たくさんのベストセラーを書く作家がいるいっぽう、僅かなファンしかいなくても、その読者の心を癒して慰める作家というものがいるんだ。たとえ富や物質的な所有物が少なくてもその人は心を安らかにして生活を送れるのだろう。でも、しかしだ、そのような生活もあったとしても、やはりできるだけ多くの読者を引き寄せる、そういう努力もできたのでないだろうかとも思ったのも確かだ。作家のなかには何百年も読み続かれる人もいれば数年で忘れられる人もいる。どちらが良いのか、それは私には判断がつかない。たった一人の読者の心を救うような作家もいるだろう。そのいっぽうでベストセラーを産み出してたくさんのファンを獲得しながら、その後惰性でくだらない作品を延々と書くしかない作家もいる。どちらが幸せなのだろう。ちなつさんのように小説だけで生活できない人は大勢いる。でも好きな小説を書けるということだけでも偉大だ。必ずしも売れていないということが素晴らしいとは言えないけど不特定多数の人の心に訴えかけることができるし、今はネットを通して無料で人々に様々な小説を届けることができる。それは画期的なことだと思う。そのなかにはプロを目指している人がたくさんいると見込んでいるし私たち出版社側もそのような将来性のある人を精力的に探している。何よりも人の心を救う小説が将来ネット小説を通して誕生すると見越しているし、世界文学というか、大衆を導いていく物語がこの社会に広まっていくということを全ての人が期待している。世界を救うのは愛ではなく文学であると私たち出版社は考えているし、今まで愛を訴えかける人々の思いは必ず打ち砕かれていた。愛を叫べば叫ぶほど、それは癌のような作用を蔓延してきたし、その声が大きくなればなるほど反対勢力の増加を現してきたように感じる。今は世界の終わりに向かっていて、いろんな勢力からの狡猾な詐欺紛いの、人の持っている純粋さを打ち砕こうと活発に荒らしまくっている。でもそのような嵐のような人々が現れるにしたがって、それとは正反対の善や正義を唱える働きもいっそう多くなってくる。しかし、そんな一見すると正義をうたっている人々が実は自分の正しさを正当化するに過ぎないといったことが多く見られるし、互いに正しさの奪い合いのようなことが世界中で見られている。だからどの勢力が真の正義を掲げているのかを見極める必要がある。私はちなつさんがその些細な、そして繊細な子供みたいな表情を浮かべながら不思議そうに私を見つめていて微かに疑問を持ったように小首を傾げている姿に愛着を感じた。
翌日、私はちなつさんのアパートに向かった。清々しい天気だ。
「それじゃあコウキさんに会いにいこうか。なんか楽しみだね」私はちなつさんの弾んだように躍動感のある姿を見られてほっとした。大丈夫だ。彼女はこれから燃えるような熱意を抱いて久しぶりの執筆に励んでいくだろう。そのことを私は望んでいたし、これからコウキさんと出会って新たな構想とかイメージを得ることができるのではないか。
私たちは地下鉄に乗ってコウキさんのマンションの近くのスーパーで買い物をしてから彼の家に向かった。彼は玄関を開けて待っていた。
「どうもこんにちは。初めまして、ちなつさん」
「こちらこそお邪魔します」ちなつさんは少し照れたような笑顔を見せた。なんてチャーミングなんだろう。私には真似できないような仕草だ。
「コウキさん、今日の夕食はシーフードカレーだよ」
「わお!本当に?楽しみだなあ!カレーは大好きでしょっちゅうお店で食べるけど、シーフードカレーは初めてだなあ」コウキさんは目をつぶって天井を見上げて嬉しそうだ。
私たちは台所に向かって買い物袋から食材を取り出して早速調理にかかった。ホタテ、海老、イカやアサリなどの海産物は新鮮そのものでそれだけでも美味しそうだ。コウキさんも居間から私たちの作業を見ている。興味津々といった感じだ。
「その食材だけでも焼いたら美味しそうだなあ。ホタテと海老、僕、大好きなんだ」
「魚介のエキスがカレールーに溶けだして最高に美味しいと思うよ」私は新鮮な魚介を調理しなが言った。ちなつさんは米を磨ぎながら私の作業をじっと見ている。
「ちなつさん、お米を磨いだらソファーにでも座っていて。後は私が料理するから」
「うん、ありがとう」
「コーヒーでも淹れようか。これからいろんな話をすることができる。料理よりも重要なことだな。人はパンだけによらず、神の口から出るすべての言葉によって生きなければならない、だっけ?大切なことだよね。美味しいスコッチもあるからチビチビ飲みながら話そう。ちなつさんだよね。君の小説読んだことあるよ。とても真摯で丁寧な物語だと思った。でもいつも主人公は孤独だよね。それでいて前向きっていうか、利他的な自分の不幸や寂しさを感じさせない、とても華やかなんだから不思議だよな。まだ心の底にたくさんの言葉が詰まっていて語りだしたいという思いが溢れている。僕も目指しているところは同じだ。人はどうしようもなく孤独だけれどみんなが本当は繋がりたいという気持ちを抱いている。でもなかなか簡単にはいかないんだよね。コンサートとか映画館の聴衆が一体感を得られるように、小説にもそんな人と人を引き寄せるツールになればいいんだけどね」
「そうですよね。私の小説って素人剥き出しっていうか、こんなの小説なんかじゃないよ!ってファンレターっていうのかな、苦情が寄せられることがあるんです。でも私はそれを知って、ある意味とても嬉しいんです。人の心にナイフでぐさっと突き刺す感覚っていうのかな、すっごいすっきりするの。私って変わっているのかな」
「いいや、変わり者じゃないと小説家は勤まらないよ。ある意味僕たちは変態だからね。まともな人にはたぶん僕たちの性癖は理解できないんじゃないのかな。わざわざ根気強く文章を打ち込むなんて一般人にできることではないし、多くの人は自分とは関係ないことだと思っているんじゃないかな。いやー、変態で良かった。つくずく心が安らかになる」コウキさんは台所の横にある棚からコーヒー豆を取り出して、コーヒーミルで挽き始めた。微かに豆の心地よい香りが鼻孔をくすぐる。良い香りだ。
「コウキさんはなぜ小説家になろうと思ったんですか?」ちなつさんはコーヒーミルを回しているコウキさんに言った。
「うん、最初に興味をもったのは小学五年生頃のことなんだけど、ませているというか、もうその頃には大人が読むような小説を手にしていた。たしかサスペンスなんかを読んでいた。なぜ、そんなものに興味をひかれたのかは分からないんだけどね。それから六年生の時に図書委員長になっていろんな書籍に携わるようになった。昼休みなんか図書室に入り浸ってずっとたそがれていたなあ。ほんと懐かしいよ。久しぶりに子供の頃の思い出を回想した。ちなつさんはどんな子供だったの?」コウキさんはコーヒーを抽出しながらちなつさんに語りかけた。
「私も子供の頃から、まだ小さい頃に、これは両親の影響から本を読むことになった。二人とも小説を読むことが大好きで本棚が6つもあって、そのほとんどが中古品だったの。貧乏ってほどではないけど、新刊で買ったのは、マルセル・プルーストくらいかな。あとはほとんど一冊110円のものが多かった。だから学校が終わってから不思議の世界にはまるのには時間はかからなかった。なぜか本に囲まれていると落ち着いたし、中古本のあの甘い香りが大好きだった。いまでも私の生活のなかには中心に小説が鎮座している。人が生きていくうえで欠かせない酸素のように私の心の中には物語が供給されなければ生きていけないの」
「そうだよね。僕も小説を書いている時間以外はほとんど小説を読んでいる。それも何回も同じものを繰り返し読むことが多いんだ。主食の米やパンみたくじっくりと味わうように取り入れている。何故だか飽きるということがない。読み返すたびに得るものがあって、充足感を抱いて心が安らかになるっていうか、満ち足りた気分になる。そうだ、羊羮食べる?」コウキさんは突然話を変えた。
「はい、私、羊羮大好きです」ちなつさんはそう言うと私の顔を見つめて笑った。
「コウキさんってユニークな人ですね」彼女は満足したような表情を浮かべて言った。
「そうだね。作家さんってほんと飽きない人種っていうか、心の奥底にある鉱脈からはダイヤモンドや金以上の価値のある鉱物が溢れ出てくる」私たちは調理途中でいったんコーヒーを飲むために小休止した。リビングに移りコウキさんの向かえのソファーにちなつさんと座った。
「コウキさん、小説の方はどうなの?」
「うん、佳境に入っているって感じかな。こんこんと清水のように感情が沸き上がってくる。物語が立ち上がって情景が鮮明に頭に浮かぶ感じっていうのかな。なかなか難しいこともあるけど、でも産みの苦しみっていうのか、それが心地よいことでもあるんだ。たくさん言葉が溢れてきて、その中からちょうど良い言葉を文章にするのって楽しみでもある。昔、書いていた頃の甘酸っぱい感覚が時には甦ってきて、こんなこともあったよなーって新鮮な感情に浸ることもあって最高の気分になるんだ。回想したりして子供時代の楽しかったことや辛かったことなどを思い返してはときには目頭が熱くなることだってある。過去を思い返すってまるで映画館で映画を見る感じっていうのかな。これから頑張っていこう、誠実に、それでいて破天荒に生きていこうって前向きな姿勢になるんだ。でもときには停滞することもある。だけどそれは自分のことを振り返る良い機会だと思うようにしているんだ。そう人生良いようには進まないからね。じっくりと腰を落ち着けて前向きな姿勢を忘れないようにする。煮詰まったら外に出て散歩をしながら興奮を抑えるように外気にあたって、それから喫茶店に入って温かいコーヒーを飲みながら推敲を重ねる。それからタブレットで文章をタイプするんだ。とても安らかな気分だよ。生きていて最高に幸せな感じでおもわず嘆息のため息が出ちゃう。喫茶店というのは本当に良いよね。自分の内面を見つめ直すのにとっても役立つ。ヨーロッパでもサロンが人々の意見を交わし合うのに重要な役割を果たしていたんだよね。お互いに交流をもって、様々な意見を戦わせたり広めたりして知識が増し加わっていく。今、必要なのはそれぞれが新鮮な考えをもってそれらを披露する場所がないということだ。一方的に自分の考えをしゃべるだけで相手の意見を受容するということが無いんじゃないかな。やっぱり双方向の意見の交流がないといけないんじゃないだろうか。それは作家にも当てはまる。作家は一方的に語っていると思われがちだけど、相手の思いや考えを汲んでそれを主人公や脇役の語りを通して話すんだ。だから自分の考えだけを述べている作家って暴力的な人が多いんじゃないだろうか。でもそんな作家が大衆に受け入られることは無いし、そんな作家が、何かの勘違いで有名になることもあるけど長続きはしないんじゃないのかな。だから僕らは自己中心的な人種なのかもしれないけど、芸術の真髄を知る自己中心的な人であるべきなんだ。でも、けっこう嫌われたり嫉妬されたりすることがあるかもしれないけど。でもそんなときには心の底から沸き上がるように笑うことさ。そしてファンが自分のことを応援してくれる、そう思うことで前に進むことができる」
料理が出来上がって私たちは早速シーフードカレーを食べることにした。コウキさんは物珍しそうにじっと皿に盛られたカレーを見ている。
「うわー、美味しそうだな。こんな輝いてるカレー初めてだ。とっても良い香りがする」
「魚介のエキスが出てるからね。たくさん食べて」私も久し振りにカレーを作ったけど及第点を取れそうな出来だと思った。私の隣に座っているちなつさんも羨望の目でカレーを見ている。
「それじゃ、いただきます」コウキさんはスプーンでカレーをすくって口の中へ運ぶ。
「すっごく美味しいよ。それにしても贅沢なカレーだなあ。エビにホタテにイカにアサリ、ほんと魚介のエキスが染みわたっている。今までに食べたもののなかでもベストスリーに入るよ」
「そのベストワンが知りたいな」私はコウキさんの喜ぶ顔を見て言った。
「やっぱり築地のお寿司が一番だな。本マグロの大とろを食べたとき、感激のあまり涙が出たんだ。心から感動した」
「そっか、お寿司には敵わないか」
「でも、このシーフードカレーは板前さん以上の愛情が注がれていると思うんだ。家庭の味って言うのかな。その点、築地のお寿司を越えてるな。この大きなホタテ、最高だな」
コウキさんは二回おかわりをした。それから私たちは後片付けをしてからソファーに座って対談をすることにした。私が司会役になって二人の会話をリードすることになった。
「コウキさんが小説を書くきっかけとなったのはなんですか」私は最初の質問をした。
「そうだな、たしか小学校五年生の時、初恋って言うのかな、ある女の子を好きになった。それでその熱烈な気持ちが抑えられなくて彼女に意地悪をした。よくあることだよな。ちょっかいをかけて気を引こうとしたんだ。でもあまり良い反応は無かった。それでこの鬱屈とした気持ちを原稿用紙に書くことにしたんだ。もちろん彼女を主人公にしてね。物語の世界で僕と彼女が仲良く生活をするという主題の元、休日をつかって書き始めた。物凄い集中力でたしか30枚は書いたかな。自分でも不思議に思ったんだ。これだけのエネルギーを費やして書くほどの情熱をもっていたことに。それでその物語を彼女に見せることにした。凄く積極的だったと思うよ。学校の休憩時間の時にその物語を彼女に渡すととても真剣に読んでくれた。そしてとっても感動して誉めてくれたんだ。凄い、コウキくんて物語を書く才能があるよ、ってね。とても嬉しかったな。それで有頂天になって学校を終えるとひた向きに小説を書くようになったんだ」
「そっか、書く原動力は恋か」ちなつさんは幸せそうな表情を浮かべて言った。
「ちなつさんはどうして小説を書くことになったの」コウキさんは尋ねた。
「私は中学生の時、たしか二年生かな、その当時小説を書くことがうちのクラスで流行ったの。それでみんな物語を作って見せあっこして楽しんでいた訳。それが国語の先生に知れ渡って正式に授業の宿題で小説を書くことになったの。そのことがきっかけとなって定期的に小説を書くことが習慣になって学校の勉強よりも熱心になった。それが私の契機かな」
「初めて書いた小説のストーリーを覚えている?」私は言った。
「うん、その当時女の子としては珍しくサイエンスフィクションに興味があって、レイブラッドベリとか、ハインラインとかを読んでいたんだ。それで月に住んでいる人を題材にした小説を書いたの。でもほとんどは地球に生活している人と変わらない感じで、最後の最後でこの話は月での出来事でしたって披露して終局に向かう感じだった。そのラストで種明かしみたいになったのがけっこうみんなに評判になったことを覚えている。だから私の小説ってどこか地球外のような感じがみなぎっているのかもしれない」
「確かにそうだよね。。ちなつさんの小説ってどこか宙に浮いている感じがして、登場人物も不思議な感覚の人が多いよね。今、異世界物が流行しているけど、ちなつさんの描く世界はそれとは違ってごく日常の平凡な、些細な出来事を丹念に描写している。そのなかにあって少しずつ空間が歪むみたいに物語が進展していく。なにも事件が起こらないように見えて静かに、冷静な筆致で世界が回っていることを知らせてくれるって言うのかな、奇想天外なことは無いけどその1滴がポツンと水面に広がるように全体に波及していく。とても心が浄化していく感覚があって、読後に清涼感を兼ね備えた感覚に包まれる。その体験を繰り返したくてちなつさんの小説を読みたくなってくるんじゃないのかな」
「そんなふうに捉えられてたんだ。私はあまり意識していなかった。でも、いろんな人たちの心を動かすように努力していたのは確か。なんか人間って面白いよね。いろんな性格の人がいて。動物はみんな同じ表情をしているのに人間だけは様々な形をしている。ほんと不思議だよね。なぜ、人間だけが個性を持っているんだろう。他の動物には見られない。でも言えることは全ての人が笑うととっても美しく、爽やかさを与えるということ。たとえ外面的に醜かったとしても笑顔はそれに反比例して崇高で貴く、どんな人でも輝きを周りに広げるんだ。凄いと思う。純粋な笑顔をしていると他人にまでその表情が伝播する。私も絶対に小説を読んでくれる人に美しい心を宿してほしいと思うんだ。心に訴えかける小説をこれからも書いていきたい。今日、久し振りにみつきさんとコウキさんと会ってとても嬉しかった。今まで自分の殻に閉じこもって苦しんでいたけど、もう大丈夫。やっぱり人って一人では生きられないんだね。いろんな人と繋がって支えあって、お互いに議論しあったり、時には憎しみあったりして、お互いの持っている感情を交流して成長していくんだね。自分の間違いを指摘されてがっかりすることもあるけど、それを受け入れてどんどんエネルギーが増していく。なんか生きているだけで凄いと思うんだ」ちなつさんの饒舌はとても心地好い。まるで新鮮なレモンを食べているようだ。心の内を打ち明けてくれて私は爽やかな気持ちになった。
「ちなつさんの話を聞いていると、とても清々しい気持ちになるな。私も同じ思いを抱いていて、それこそ世界中にいるいろんな人の苦しみとか悲しみを斟酌(しんしゃく)して癒したいと心の底から思う。この世には誰にも言えないような悩みを抱えていて、それでいて助けを求めたい人が大勢いる。そんな人たちの心を救う文学があってもいいと思うんだ。今の潮流としてただ単に面白い小説、エンタメ小説とか、文学賞を受けた小説ってなかなか人の気持ちを汲み取るものって今、あまり無いと思うんだ。人の心に訴えかける文学が今の世の中必要なんじゃないか、そう感じている。この時代、人と人が繋がるってことが容易になってきて、それでいて本当にお互いを引き寄せるエネルギーが欠落しているような、だからこそ、人々に真に必要とされる物語を造り出すことって大切なんだと思う。ちなつさんもコウキさんも是非ともそういう小説を書いて欲しい」私は二人が静かに、深く沈むように聞いてくれたことを嬉しく思った。彼らはそれだけ文学に対して真摯な姿勢で前を向いている。二人とも書く姿勢というものが真面目でひたむきさを感じさせる。
「みつきさんもちなつさんも静かに、そしてとても熱心に人の話を聞いてくれる。お互いを引き寄せる力みたいなものを感じさせるな。なんだか同類に会ったみたいで嬉しいよ。久し振りにボルテージが上がってきた。こうしていつも一人でいてパソコンに向かって書いていると、時々無性に寂しくなることがある。とてもそれは暴力的で熱狂的でさえある。人を求めるっていう気持ちがオーバーヒートして叫びたくなるんだ。もちろん、隣近所の手前できないけどね。だから冷静になれるように深呼吸をして自分を落ち着かせようとする。必要な時に話す相手がいなくて時には辛くなることだってある。でもそんな自分を叱咤して気持ちを上げることも大事だと思うんだ。こんな機会ができてとても嬉しいよ。自分は一人ではない、そうは心の底では信じていたけど、なかなか共感できる人を見出だすことは難しいんだ。でもこうして二人と今日会えてほんと最高に嬉しいよ」コウキさんは私たちの後方を見つめるように言った。
「それにこのシーフードカレー最高に美味しかったよ。こんなに魚介のエキスが滲み出たカレー今までに食べたことがなかった。また作って欲しいよ」
「ありがとう。喜んでもらって嬉しい。ビールとウイスキーとおつまみも買ってきたから、これからは文学談義に花を咲かせようよ」ちなつさんは買い物袋からお酒を出してテーブルの上に置いた。
「シーバスリーガルか。ちなつさんはウイスキーに詳しいんだ」
「うん。シングルモルトのグレンモーレンジが好き。あとブレンンデッドを飲むことが多くて、ジョニーウォーカー、ホワイトホース、バランタインの12年ものをよく飲んでいる」
「でも最近人気が爆発的で高くなったよなー。昔は三千円台で買えたのに」コウキさんはシーバスのボトルを開けて私とちなつさんのコップに注いでくれた。
「ありがとう。コウキさんは今、どんな小説を書いているの?」私はコウキさんのすぐ側にノートとペンが置いてあることを見逃さなかった。いつもアイデアが浮かんだらそのノートに書きつけているのだろう。作家の鏡だ。
「今、ファンタジー要素の含まれたものを書いている。近未来で、でもどの時代でも人が行ってきたことって変わらない。人は人に惹き付けられていて、男は女を求め、女は男を求める。近未来では、厳密に言うならこの世界では人類はお互い同士憎しみ合うといったことが無くなって平和を享受しているんだ。戦争も無し、犯罪も無し。みんな仲良く利他的な愛を示しあっている。人は永遠に生きるようにできていて、最高の幸せを得ているんだ。地には穀物が無尽蔵といえるほど咲き誇っていて、様々な果樹が植わっている。教育が全てそのような世界を創ることに成功したんだ。その教育を確立した集団は全世界をまるで楽園のようにして人々の心にお互いを慈しむという心を根づかせた。搾取や憎しみ、暴力や貧困といったものは消え失せて人類は画期的ともいうべき政治体制を造り上げることに成功した。その指導的立場にいた人はとても謙遜で自分をできるだけ目立たないようにした。もっとも謙虚で人を愛し、人が本当の意味で心を満足させるものを与える人だった。彼の仲間も同じような人たちで、根っからの漫才師のような人格を持つ人たちだった。彼らが代表として人類を感化させる教育を幼い頃から施してそれらは成功を修めてその教育プログラムは人々の心に浸透していった。実はここからが核心に至るところなんだ。これが小説の、物語の胆なんだけど、その世界を牛耳っているのは小説家の集団なんだ。それを構築したのが一人の作家で彼が描く小説を実際に現実化する集団が彼の下にいる。物語が展開されて多くの読者がその指示に従う。例えば小説のなかで主人公が赤い帽子を被ったとする。すると読者は同じように赤い帽子を被るんだ。そのようにして物語が絶対的な力を持つようになる。主人公が餃子を食べるなら、読者である民衆も餃子を食べて喜びに浸る。でも、言ってみれば、今の時代だって同じなんだよな。テレビで取り上げられたもの、有名人が食べたり買ったりしたものが人々に影響を与えているんだから。それが無意識的なものであるのか、それとも自然発生的なものであるのか。未来も、今の時代も、多数がものをいう時代だ。最初は一滴だったものが波紋をもたらすように広がって凄まじい影響を与えることがある。でもたった一人の人の行動が数少ない人の心にも静かなビブラードを与えることだったあるはずだ。たとえ表面に浮き上がることがなくてもその微かな疼きのような伝導は確実に隣の人に影響を与えるものとなる。確実に」コウキさんは息をつくようにシーバスで口を湿らした。深く考えるように沈み込み、目を閉じて静かに呼吸した。深い満足感を得たように両手を合わせて握り、その手をじっと見つめる。
「興味深い物語だね。今度は私が話す番。私がコンビニでバイトをしながら仕事をしていて頭の中で妄想を膨らませていることって、断片的になってしまうんだ。ひとつのイメージとして脳裏に瞬間的にフラッシュバックのように浮かぶこともあるし、ひとつの記憶から展開していくこともある。お客さんの表情から、この人は今なんだか悲しそうだとか、なんか嬉しいことがあったのかとか、そんなことから主人公の背景を作っていくこともある。結局小説って人が主人公なんだよね。たまに動物や物体が主人公になるものもあるけど。でもそれだって裏を返してみれば人間的なものであることがわかる。私が今、構想の段階だけど、ある一人の女性がコンビニで働いている。実はその女性はお客の人たちと性的な関係を結んでいるんだ。仕事をしていてなぜだかその女性は人目を引く。男性から携帯番号を書いた紙を渡されて、仕事が終わった後にその携帯に電話をする。そのようにしていろんな人と関係を持っておこずかいも貰い、けっこうな金額になる。でも彼女は物質的なものに興味が無くて銀行に預金して、その通帳を眺めることだけが唯一の慰めとなる。でもあるとき純金の美しさに目覚めて預金全てをその純金に変えることにした。毎日家に帰っては、テーブルの上に置かれた純金を手にとって眺める毎日だった。昔から純金は人々の心を魅了してきた。様々な遺物に金が用いられいたし、多くの人はその黄金色をした装飾品を身に付けて満足している。彼女はその純金だけが私の心の全てを満足させるものだと思っていた。でもそれ以上のものに出会ってしまった。それこそが小説だった。あるとき彼女は何気なく書店に立ち寄って文庫コーナーで一冊の小説を手に取った。その小説はまるで彼女の人生を体現していたかのような小説だったのだ。それから彼女は様々な小説を読んで、その自分が経験したことのないような体験をすることができることに惹き付けられて、自分でも小説を書くことに目覚めたのだった。もともと文章を書くことには抵抗が無くて自然に言葉を置換することができて、それが満足感を与えるものであることを知ってますますはまりこんでいった。彼女は自分の体験を綴った。また、想像のなかで自分が感じていること、欲求、飢えに等しいものを抱いて書いた。ときに自分の過去のことを思い出して涙が出そうになった。そのときは正直に自分の心と照らし合わせて静かに泣く。亡くなった全ての人のためにも、こうして今、苦しんでいる人のことを思って心が縮まるような気持ちで。たくさんの人を救う為に決意を固めて燃える闘志が沸き上がってくる」
ちなつさんは目を閉じて自分の内面にある滴るしずくを汲み取るように、そして静かに大きく息を吸い込んで、まるで自らの体に世界中の人々のエネルギーを吸収するようにじっと自省に耽(ふけ)っている。そこにはナルシスト特有の甘えは無くて戦う姿勢のようなものが含まれている。小説を武器にして、平和の秩序を乱す人を寄せ付けない気持ちのようなものを感じさせる。一見するとちなつさんの外観からは貧弱な、繊細な弱さのようなものが思い浮かんだのだけど、実はそれは覆いのようなもので内に熱い情熱を宿しているのだった。私は今この瞬間にそんないわば同士のような人を発見できたことに感動している。どこからそんな燃えるような闘志が生まれるのだろう。そんな精神は必ず原点があるはずだ。
「ちなつさんの過去の人生について教えて欲しいな」コウキさんは私が訊ねてみたいことを言った。
「私は恵まれた家庭に育ったの。でもそれは小学校6年生くらいまでのこと。両親は私が成長期になって自我が芽生え始めると私に関心を示さなくなった。だから大体学校が終わると自分の部屋に引きこもったみたいに本を読んだりネットで動画を見たりして過ごした。でも今思うとそれも良い思い出なの。今では両親に感謝している。だって私を生んで育ててくれたんだもん。考えてみれば人が人生を歩むうえで一番影響力があるのは父と母だよね。でも生きるうえでの教育は学校任せだった。何が良くて何が悪いのか、その事を学んだ記憶が無いの。その意味では友達との関係がとても重要なものだった。とくに高校生の時は一番の友人といつも一緒につるんでいて、バカな話や今ぞっこんの俳優のことなどを話合ったな。とても懐かしいな。今頃その友人は何をしているんだろう。卒業してから疎通が無くなって連絡が途絶えているんだ。でも何故か、きっと順調に歩んでいるような気がする。クラスメートの中にはあまり付き合いのなかった人もいて、私が作家として頑張っていることに関心を示して出版社宛に手紙を書いてきた人もいた。とても勇気をもらえる小説だったって気持ちを伝えてくれた人も何人もいる。私の場合、ファンレターをいただくことがけっこう多くて、全ての人に返事を書くことはないけど全部の手紙は読むようにしているの。励ましのある内容で読むたびに作家になって良かったなあって実感する。それが生きるうえで、そして作家として順調な時期もつい最近までのように停滞している時も生きるうえでどんな食事よりも力をもらったような気がする。コウキさんもファンレターを貰うことってあるでしょ?」
「うん、ファンからの励ましの言葉ってほんと嬉しいよ。みんな小説が大好きで早く次の小説を出してくれって催促するような内容も多くて焦りと喜びがない交ぜになった感情で複雑な気持ちになることってあるよね。でもそれも良い薬みたいなものでこれから読者の期待を裏切らない物語を書いていこうと前向きになる。そしてこれからもどんな苦しい時も産みの苦しみに喘ぐ時も頑張っていく為の原動力になるんだ。でも小説家として文学賞を取る為にというより、そんな喜びとは違う、一読者からの評価のほうが嬉しいんだよね。ファンが心を込めて手書きで書いてくれた関心は美味しいフルコースを食べた時のような満足感というか充足感がある。時にはその一読者の為に書いていることだってあるんだ。その方が万人の為に書くよりも内容が濃いこともある。たくさん小説を読んで深層のところで感化されてそれを還元していく。宇宙と繋がっていると感じることがあるんだ。そして他人との繋がり。貴重な体験だと思うんだ。世界には確かにお互いを引き付けるようなツールがあって、でもそれによって実際に心の結び付きがあるのかといったら疑問だ。もちろんそんなSNSによって素晴らしいと思う出会いもあると思うよ。でも肝心なところで結局自分を満足させるような、そんな事態が多いんじゃないかと感じる。でも世界って不思議だよな。こうして生きていることが当たり前のようで、それでいてこの命が本当はとても崇高なもので、これらのものが自然に発生したとはとても思えないんだ。そう思わない?人体にしても他の動物も進化によって生きているとは到底考えられない。こんなことを言うと可笑しいと思うかもしれないけど、神様っていると、そう俺の本能が答えを出しているんだ」コウキさんは真剣な面もちで言った。
「日本で神を信じている人って少ないよね。そのくせ神社に行ってお参りに行ったりお願いをしたりする。不思議な民族だよね。世界を見回してみれば多くの人は神を信じている。それが当たり前なんだよね。日本人ってとても不思議な民族だと思う」私自体、神の存在を信じていないけどこの人間という素晴らしくできている命はとてもくすしくて精巧であると感じる。
「でもその一方で、この日本には宗教組織に入っている人も大勢いて、とても熱心に帰依している人もいる。なにか神秘的な、心を浄化する為に崇拝している人もいるし、信仰がファッションみたいに飾り付けることが、なにかカッコ良いと思っている人だっているんだから」ちなつさんの洞察力の鋭さが光る。
「確かにそうだ。自分が熱烈な信仰を持っていることに酔っているし、頂点に立つ教祖を崇拝することに、そして信者を獲得することに全精力を傾けている。もちろん信教の自由は認められなくてはいけない。ひとつの思想だけが認められている世界は危険だからね。でも宗教を隠れ蓑にして信者から金をまきあげる宗教だってある。でも究極的に言えば騙される方も悪い。それにたかだかお金だ。お金がいくら有ったって命を伸ばすことはできないんだからね。せめて旨い食事をしたり高級な家や車に乗ったりするくらいだ。お金持ちもホームレスも同じ土俵に立っている。一番重要なのは今生きているということだ。むしろそのことを知らない金持ちのほうが哀れだと思う」コウキさんも私と同じ考えをもっていることに、そして作家として当たり前ともいえる思想体型を抱いていることに安心もした。きっとほとんど多くの民衆も同じ思いをもっているのだろう。
「そのなかでやっぱり一番重要なのは自由な、何者にも邪魔されない考えで満たされることだと思うの。それを可能にしているのは物語だと私は自信をもって言える。だから作家の役割はとても重要だわ。真に大空を羽ばたいて飛翔するみたいに読者はその物語を通してどんな世界をも体験できる。女王様にもプロテニスプレイヤーにも白鳥にもなれる。凄いことだよね」私は改めて編集者という職業に就けて幸せだ。私自身変身願望があるわけでは無いけど、作家という職種の人たちにはそういう今の自分では無い何かになりたがっているような気がする。私の目の前にいる2人の作家は純粋に物語を書くことに喜びを見いだしている。
「コウキさんが初めて作家を目指そうとしたきっかけって何ですか?」ちなつさんが問いかけた。
「さっきも似たようなことを言ったけど、子供の頃から本を読むのが大好きで学校の図書室や、それとすぐ家の近くに図書館があったんだ。だからいろんな本を読んできたし学校が終わってからすぐ直行していたな。何故か難しい本を読むことが大好きで、もちろん理解なんかできなかったけど、哲学書とか宗教関係の本を読みあさっていた。小学校6年の時に将来何になりたいか、その項目に初めて作家、という記念すべきことを表明した。まさか本当に作家になれるなんて思ってもいなかった。産みの苦しみって言うことがよく言われているけど、色々と悩むことってあるよね。でもファンレターにいつも励ましの言葉が綴られて、頑張ろうって気持ちになる。ほんと作家として生活をできて、もちろん贅沢なんかできないけど良かったと思う。高瀬さんのような有能な編集者にも恵まれてとても仕事がやりやすいしね。いつもいろんな角度から物語の仕組みを見ることの大切さを教えてくれる。思ってもみなかったことを発見したり、観察できたりする。まるで自分のお母さんだったり、姉だったり、親友を持ったみたいだよ。いつも励ましを与えてくれてなにか問題や悩みがあった時には躊躇せず相談できる。教祖様って本来そうあるべきだと思うよ。何でも解決してくれるしいつでも相談できる。自分の心のしこりをほぐしてくれて、抱き締めて欲しい時に抱き締めてくれる。もちろん自分で解決しなければならないことだってあるけれど、いつでも悩み抱えている時には親身になってくれる」
「そうだよね。みつきさんはいつも作家のことを第一にしている。それが当たり前かもしれないけど、忠実にその職務をこなすことってなかなかできないよね。でも私が小説を書かなくなってからも遠くで見守ってくれて必要な助けを与えてくれる。私が回復することを期待して、それでいて焦らさないようにしてくれて、いつも期待しながらも暖かい気持ちを忘れないでいる。話したくない気分でいる時はメールで心配していることを伝えてくれたり、私が返信しなくても諦めずに辛抱強く、無理しなくて良いんだよって気持ちを理解してくれた。そのことでどれだけ救われたことか。高瀬さんにはほんと感謝している」
「当然のことをしているだけだよ。私にとって、コウキさんもちなつさんも大切な同胞だからね。いつも電波が受信機に影響を与えるように私の心は作家さんに繋がっている。そのことはとても幸せでもあるんだ。自分の家にいるときもみんなのことが気になるし、いつでも相談にのりたいと思う。だから私の都合なんて気にしないでいつでも連絡ちょうだいね。どんなことだっていい。仕事のことに限らず恋の悩みだとか風邪をひいて辛いとか。それにいつでも私の家に遊びに来て。たいしたものは出せないけど歓迎する。今一緒に住んでいる恵太さんがいるけど彼にとっても良い励みになると思うんだ。彼、ピアニストでこの間初めて東京で演奏を行ったの。小説家と知り合うことで曲作りにもとっても感化を与えるものになるし、きっとコウキさんとちなつさんにも、心を柔軟にして構想を広げる役割を果たすことができると思う。なんか恵太さんを見ていて、小説家と似ているところがあるなと感じるんだ。頭の中でイメージを膨らませてピアニストは指で鍵盤をなぜる。小説家も物語を頭の中で構築して指でキーボードをタイプする。お互いに使うところは共通している。きっと気が合うはず。今度遊びに来てね」私は二人の楽しそうな笑顔を見れてとても嬉しい。
「面白そうね。そっか、ピアニストと作家の相通じるところか。とても興味がある。確かに鍵盤を叩くのとキーボードをタイプするのって似たところがある。自分の頭に浮かんだイメージを叩く時って流れに身を任せているようなことってあるよね。まるで演奏をしているような心地よくて思いが溢れて感動を覚えることもある。そんな時って生きていることの幸せを感じる瞬間でもあるんだ。そしてどこか世界の中心があって、私たちはそこに向かって絆を結んで共通の意識を共有することができるんだと認識して、まるで全ての束縛を打ち破ってお互いに鮮明な解放感を味わうことができる。コンサートで客同士が一体となるように」ちなつさんはその一体感を今目の前に見ているような様子で語った。
「そうだよね。みんな心の奥底では共通の思いを抱いていて、お互いに結び合いたいと願って、でも日常ではそれが不可能でコンサートとか、映画館やお祭りなどでしか、その思いを満たすことができない。でも小説って個人的なことで一見すると共感することとは隔たっているように見えて、でも奥深くで互いを強く、吸引力がとても強力なツールだと思うんだ。世界には何故かお互いを結びつける糸を切断するようなシステムがあるように感じるんだ。言ってみれば覚醒を妨げている。それが世界の秩序を乱すかのように恐れていると言ったほうがいいかもしれない。それが今の世の体制にとってとても危険で害を成すものとして捉えられている。でもそれは間違いで、これから先、遠からず、人々の目を覚ませる出来事が順を追って表面化していくように私には思うんだ。今はその前段階の前触れのような気がする」私は自分が語ったことを吟味するように二人の様子を探った。彼らの心の中にゆっくりとジワジワと伝導するようにその熱が浸透することを期待していた。と言うより、そもそもの始めからお互いに共通の考えであることは分かっていたのだけど。二人の表情は眠気から目覚めたような爽やかな、いや、それ以上の新鮮さを兼ね備えていた。まるで太陽がそのまま二人の体に乗り移ったような感じと言えばいいだろうか。考えてもみれば私たちは太陽よりも崇高な存在だともいえる。こうして意識を持っていて思考力を抱いているのだから。もちろん私たちは太陽がなければ生きていくことはできない。いわゆるお互いに依存関係にあるとでも言うべきか。核心的なことはこれから人々は共通の認識をもって結び合わされるということだ。それだけは確かだ。それはどんな迫害や苦難も乗り越えていけるということは私には分かっている。いや、今もこうしているときにもその数は増えていくことだろう。これからが楽しみだ。いわば覚醒の時代。静かに、それでいて炭火のように暖かな火が世界に燃え上がる日を楽しみにしながら私たちは夜遅くまで語り合った。コウキさんの家から出て私たちはまだ物足りないような気分を感じたので、ちなつさんと二次会をすることにした。駅前のファミレスに入ってコーヒーとフルーツパフェを頼んで食べた。店内には客はあまりいなかった。私たちはパフェを食べながら静かに流れる空間に耳を澄ましてお互いの気持ちを伝えあった。ちなつさんの今、考えていること、不安などを聞けて少しでも役立てるように耳を傾けた。別れる時、ちなつさんはにっこりと笑って私の右手をつかんで、ぎゅっと握った。その力には確信が込められていて、もう大丈夫と言っているようだ。別れてからもちなつさんの体温は温かく私の手に残っていた。

朝の五時半に雀の鳴き声で目が覚めた。空気が静かに、それでいて何かを訴えかけるように私の体を包む。とても気持ちの良い朝だ。テレビをつけるとちょうどニュース番組がやっていた。アイドルが誘拐されて暴行を受けたあと、残念ながら殺害され、犯人はその後捕まった。その犯人が述べたところ、死刑になっても、大好きなアイドルと肉体関係を結ぶことができて悔いはないということだった。この世の中にはいろんな人がいて様々な考え方、物事の捉え方をする人がいる。そのなかで作家は柔軟な思考をもっていて、読者が望みながらも到底達成できない事柄を代わって代行するという役割をもっている。例えば犯罪者になったり、地位のある著名人になったりして、自分の叶うことができなかった人物としてあらゆるものになることができる。そしてそれは本当に現実を凌駕した体験を与えることができて、人は創造力を駆使してその世界を楽しみ満喫して自分の心を解放する。まるで神になったかの如く世界を上空から観察することができて、願いながら達成することが困難なことを体感して心を満たして充足する。書籍というものは現実的に経験することが難しい事柄を人に見させることができるし、書物を通して今までに経験したことがないようなことを見させることができる。こんなに素晴らしい職業はないのではないだろうか。テレビのドラマにしても映画にしても原作というものがあって、その中心には原作者というものが存在する。いわば作者の心に涌き出た想像の源泉が世界を形作っているともいえる。書店に行くとそれこそ想像を絶する書籍があって圧倒するほどの物語で溢れている。そのなかには大衆が理解できないような書籍もあるし、専門的なもの、哲学書や何千年前に書かれたものもあって、こんな書物が売れるのだろうかと作者のことを心配してしまうことだってある。書籍を通して、専門的なことを体得して、それを実際の生活に活かせるものもあれば、一種のトランキライザーとしての役割しか得られないものだってあるだろう。私が編集者として作家に求めているものは、読者の心を満たすことのできる感動であったり、楽しみだったり、自分が生きてこんな物語を読むことができて最高に幸せだったと思えるような小説を世界に広めることが目的でもある。そのなかには自分の今の現状に満足できなかったり、心に葛藤を覚えていて、自らを許せないでいる人、いろんな病を得ていて、自分の居所が見つけられない人だっているだろう。そういった人たちを救うことができたらどんなに幸せだろう。今の世の中、真の友を見出だすことは難しい。多くの人は心から信頼できる人がいればと思っているだろう。SNSやインターネットを通してそんな人を見いだそうとしている人はたくさんいる。自分のことを理解して欲しい、自分の心のわだかまりを知って欲しい、そう言った人の声で世間は満ちている。そんな世界にあって小説はとても個人的な体験ではあるにもかかわらず共感を得ることのできるツールであり、一見すると人と人を結びつけるものとはかけ離れているように思えて深層では見えない糸のように互いを、それこそ何千万人という人々を連結させるような役割を果たしているように思えてならない。人が本来もっている簡単に言えば仲間意識、共存や好意を示すこと。信頼し合い、自分の大切にしている思いを伝えることといった真の愛を広げる行為を成し遂げたいという強力な考え、それこそが人が本質的に願い求めていることではないだろうか。でも世界は破滅的なほど分断されており、隣にいる人とさえわかり会うことができないでいる。今私はひとつの言葉がなぜだか頭に浮かんだ。それは共存共栄という言葉だ。今その言葉がもっとも適切というか、不思議だと感じたのだけど、ある意味その考えが世界に、人々に達することができたらどんなにか心を救うことができるのだろうかと察したのだった。その役割として小説や歴史書が負うところは大きいと思う。過去の歴史を通して人が本来もっている思想を知ることができるし、いわば過去から現代に至るまで人が抱いている考えとは本質的に変わらないということが分かるのではないか。そこから見えてくるのは戦いの歴史であり、人と人の間に見られる憎しみの連鎖、そして互いを理解し合おうとする試みではないのか。その頂点に立とうとする人はその事を第一にするべきであり、人の考えを理解し、心の奥深くまで見通していることが求められている。そのような究極的に言えば渦が中心に向かって流動していくように、人類全体もその中心に集められるのではないのだろうか。私はそう思う。それがどんな組織なのかはわからない。でも必ずこの世界には一点に集中するような存在があるように思われるし、その中心的な人物がいて、せっせとひた向きに人々を幸せにするべく働いているのだ。その中心を見つけること、それが私たちの使命だ。そしてその集団がどこかにあるだろうし、その結集した人々は互いに強力し合ってせっせと利他的な行為でその力を蓄えて価値ある博愛の情を培っているだろう。そしてその頂点には一冊の書物があるはずだ。もっとも崇高で人に感化を与える書籍、それはいったい何だろう?私はこれからそれを探さなければならない。あらゆる書物を読み漁って造詣を深めなくては。それは宗教書かもしれないし、哲学書かもしれない。若しくは一般大衆が読む小説かも。それはまだ書かれて間もないもの、まだ一般には広がっていなかったり流通していないものだとか、ネット小説のように人々の目に留まるのを待っているものだったりするだろう。その渦の中心にいる人を発掘することは相当な労力がいるに違いない。でも私は情熱的に探す必要がある。
部屋の中にはピアノを演奏した後のような静かな静寂が漂っていた。恵太さんと暮らすようになってから私はクラシック音楽を聴くようになった。まるで詩を読んでいるような感覚と言ったらいいのだろうか。心を揺さぶるような感覚を味わってとても自分の生活に欠かせない存在となっている。通勤途中の電車の中でもよく聴くようになり、大海原に体を浮かせているような感覚だ。その音楽の世界は私たちを自由にして、まるで新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだようでもある。今の私にはちょうど喉が渇いて水を欲するように音楽が重要な要素となっているのだ。季節は暑い夏を通り越して初秋の温暖な気候となって人々は自分の必要とするたくさんの大事な思いを様々に思い返し、内面に浮かんでは消え去るものを記憶に留めようと必死になる。大切で自らを益する思い、思想、人との繋がりを求めようとする気持ちをひたすら抱きながら、この忙しい時代を日々歩んでいる。自分が見つけ探そうとする幸福に向けて二つしかない手でもって日ごとキーボードをタイプする作家の顔が浮かんできた。私の受け持っている人たちは今も真剣に、それでいて退廃的とさえ言える芸術的感覚を駆使してどんな能力をもっているエリート的官僚的な思考を越えるような情報処理を用いてひたすら創造力を働かせているだろう。そういう光景が鮮明に浮かんできて、私は頭の中がクリスタルガラスで満たされるような感覚がした。つまり、最高!っていう気分。色々な情報が脳を占めて、それでいて綺麗に棚に種別ごとに整理されて取り出したい時にそれが見つかる感じ、まるでルービックキューブの六面が一瞬にして同じ色に染まるかのような、そんな気分がして、これから行う仕事が自分の描いている通りに、完全に記憶にインプットされるようだ。
私はコーヒー豆を挽いて、その行為が祈りに似たようで、除夜の鐘を突くような、そんな神聖な行為のような気がした。神聖な行為と言えばセックスのことだけど、この行為ほど世界に蔓延していて、当たり前のようでありながら、隠さなければならないことはないだろう。まるで陰と陽、表裏一体とも言える事柄、小説の世界では命題のようでもあり、麻薬のような中毒性がありながらそれを忌避する人もいるほどだ。俗界を歩みながらその考えを閉め出して己を神に近づける状態にもっていこうとする人もいるし、様々な快楽的な生活を経験して、それらがいかに自らを堕落させていわば地獄への道を突き進むことになるのかを体験して、清い生き方こそが唯一の歩み方であるのかを知った人も世の中には大勢いるだろう。今までに満たされない思いを抱いて様々な思想、哲学、宗教を取り入れて真理を見いだそうとしながら、行き着くところ、それは実は自らの側に転がっていたということが分かるのかもしれない。それは人を喜ばすことであるということだ。あらゆるツールから学べることだけど、テレビや新聞、映画やインターネットなどで情報が提供されて、人が本来もっている知的好奇心を満足させるものには潜在的に人を喜ばせようとする、そういう役割があって、それこそが、たったそのひとことが本質的に人にとって重要なものだと分かるのだった。その長い思索でありながら一瞬のようなコーヒー豆を挽くという行為の間に、永遠に解決をすることができない、でも何かのショックを与えることによって、その刺激があらゆる人を揺さぶって新しくありながら全身に心地良いジェルを塗りつけられたような真の幸福感を得させるような気がして仕方がない。
恵太さんがコーヒーの香りに促されて起きてきて、私の頬にキスをした。
「おはよう。良い香りだね。大草原の中を静かに流れるように香る草木のようだ。遠くから伝わってくる人の考えも、そうやっていつの日か人々に影響を与えるのだろうか?」恵太さんは私が渡したコーヒーカップを鼻に近づけて言った。
「一滴の水滴が水面に広がって波紋のように影響を及ぼすように、どんな思想であってもそれは良かれ悪しかれ必ず人に伝播すると思う。感受性の鋭い人はたくさんの人たちから栄養のように慈養分を受け取って、それを活用しながら肥大化していく。私もたまにファンレターをもらうんだ。作家に届くなら分かるけど、編集者宛にも感謝の手紙が送られてくる。とっても嬉しいんだ。やっぱりメールみたいな電子的な文章より、手書きで書かれたもののほうが心に訴えかけてくる。これが実際に対面して話し合うことができたらいかに凄いことか、そう思うこともある。私が今考えていることは作家との座談会なんだ。たまに行われるけど、もっとその頻度を増やしたいと思う。文章を通じて語ることも大切で何百万もの人に伝達できるけど、数百人の人と対面して意見の交換を図ることも必要だと感じる。旅行ガイドを眺めることで世界中を旅して回ったり、食事動画を見て満足することができるけど、やっぱり実際にその情景を経験することが最大の楽しみだよね。そして今現在のような作家が出版社から守られているような形態というのはもはや時代遅れだと思うんだ。今インターネット上にはいろんな人たちが投稿している。現役の作家もそれらのネット小説作家のように自分の文章を大衆に披露しなければならない。もう出版社に属している作家という生き物は淘汰されなければいけない。そして今から作家を目指している人はがむしゃらにネットを荒らすかのようにひた向きに前に進んでいかなければならない。これからは出版社の力ではなく自分自身の力で這い上がっていかなければいけない。この世界は企業の力ではなく個人の力がものをいうのだ。実力の世界、自分を信じて本当の仲間を見つけて前を向いて、過去のことなんてどうでも良い、罪を犯したとか失敗したとかホームレスとか貧乏だとか、私たちは何度も言うが全ての人は同じ土俵に立っているのだ」
私は恵太さんの電子ピアノに近づいた。そっと鍵盤をなぞるとまるで生き物のように深い息づかいが聴こえてきそうだった。後ろから恵太さんに抱きしめられて首筋に口づけされた。とても唇は温かくその伝導が心を揺さぶった。その感触が指先に伝わって音にならないような、それでいてまるで生き物の感嘆な声のようにささやいた。静かに、世界は鼓動しているように、そっと赤子を抱くような、そんな神々しい感触が満ちているようだった。
私の日常は様々な要素が影響しあって良い方向へと前に進んでいる。仲間の編集者、恵太さん、担当する作家たち、それから潤子(うるこ)。みんなが一体となって今の私の生活は活気に満ちてとてもやりがいのあるものとなっていた。彼らは私がふとした、例えば電車に乗っていて車窓を流れる風景を眺めているときに静かに現れることがある。そっと耳元で囁くような、そんな優しい、声をひそめて自分の抱いている思いを独白するみたいな一瞬の出来事が心に巣くうことがある。私は周りの人たちの様子を俯瞰しながら彼らの意見を吟味し受け入れる。人は自分以外の人たちの人生を理解できないように、だからこそひた向きになって、他人を知ることができるように秘密の穴に潜り、その世界を把握することを自らの使命として奮闘するのだ。必ず閉ざしている扉を開く鍵はあると信じて。この世は破滅的なほど悲惨な状態だけど私たちは文章の力をもって人々の心に安らぎをもたらすことができると信じている。世界中のアーティストたちは孤独な人たちを互いに繋ぎ合わせることを、共感し、結束して、潜在的に結んでいくことが自分に託されたことだと理解しているだろう。ジグソーパズルがひとつひとつ合わさっていくように、世界は完成に向けて歩を進めている。これから時間が経過するたびに一致へ向けていろんなわだかまりが解消されて統一へと、終局的に他者との乖離を霧散させていくだろう。
仕事場へ向かう為に軽く化粧をして家を出た。太陽が眩しくて、それでいてとても嬉しくて思わずほころんでしまう。こうして一日を始めることがこんなに爽やかで尊いものだと感じることが気持ち良かった。国道沿いを歩きながら、私と同じように職場や学校へと向かう人たちを意識して、みんな毎日を一生懸命に生きているんだと共感にも似た感情を抱いて、今生きている人たちへの深い関心が心に沸き上がってくる。全ての人にはそれぞれ誕生があって、青春や友との交流、愛する恋人との出会い、結婚や出産、育児に大切な人との死別、そして自らの死といった人間として経過しなければいけないことを通過していく。そのことを思うと他人が他人ではなくて、自分の生き写しであるかのような気持ちがして、大好きな曲を聴いて口ずさんでいるときのような感情が浮かんできた。私が受け持っている小説とは突き詰めていけば他者との交流であり、人はみんな底流では繋がっていて、同じ感情を抱いているということ。そのことを知ってもらうことなのだ。これだけネットが普及していながら、多くの人はいまだにお互いを理解していないというのは驚きだけど、私はこの世界の教育制度に疑問を抱いている。勉強が主体となっているこの教育にはなにか欠陥があることを悟っている人は、とくに子供を学校に通わせている親は理解していないのだろうか。思春期に達した子供は何よりも親の愛、仲間からの純粋な関心が必要だ。単純なことかもしれないけど、最も大切なこととして、深い愛情を示すことで、子供は何にも妨げられることなく成長をしていくのではないだろうか。でも多くの人は何故だか分からないけどその親の愛といった一番重要なものを受けずに育っているような感じがする。生まれたばかりの時、赤子は全く両親に依存している。優しく抱き、乳を飲ませ、まるで貴重で繊細なガラス細工のように大切にする。でも、成長していくにしたがって、その繊細さが失われていくような気がしてならないのだ。私は幼い時から人の心の状態を把握する為に生きてきたような気がする。まだ小学生の頃、親しい友達がいて、お人形遊びや公園で遊んだ記憶はあるけど人生の深奥について話したことはもちろん小さかったこともあるけど全く無かった。いつのことだろう?人が人として生涯をかけて人生の航路を見極めていかなければならないということを知ったのは。それは多分、自分が独りぼっちであることに気づいた時のこと、仲間と一緒にいても、自分は孤独であることを理解した、中学生の頃ではないか。孤独こそ、自らの内面を見据えて、流れる川を泳いで対岸へと達する為に必死に探りながら、そして様々な書物からエネルギーを、糧を得て、眩(まばゆ)い光へと向かっていくことができたのではないか。そう、私はたくさんの書物から、成長期に貪るように吸収して、心の飢えを凌いでいた。きっと満たされていたら本なんて読まなかっただろう。渇望こそが幸福へと導くものだったのだと今では思う。書物には作家が経験したことが書かれていて、その抽出された液体を飲むことができる。それはとても貴重な経験を享受し、体験をして今までに自分が得たことがないような世界を垣間見れる。まるで博物館で、その展示物からインスピレーションや感嘆、喜びを得るようなものだ。私たちは自分が今までに見たことが無いもの、例えば洋服や日用雑貨などの品を目にする時、心が満たされるようにできている。毎日生きるということは、常に新鮮なものを見て、好奇心を満足させるということでもあるのだ。その最も人の心の探求を満たすことができるものがテレビであったりインターネットだろう。そしてドラマや物語は人の心を癒すことで成り立っている。感情移入することによって、アクターたちは人の心の内面に沈着することで影響を与えて、まるで自分が体験してきたような感覚を産む。私は今までの記憶している過去の出来事を振り返ってみた。さざ波のように静かに緩やかにそれは訪れてとても温かく体を包んだ。まるで何処か遠くに旅をしたみたいにたそがれて何時しか太古の昔に潜り込んだように感じられたのだった。
駅に着くとたくさんの出社する人たちで溢れかえっていて、自分一人ではないという感情が沸き上がってくる。電車がホームに着いて車内に人々が入ると、香水の匂い、タバコの微かな香りがして、なんとも言えぬ安心感を抱く。このまわりにいる人たちは皆、いろんな過去と現在を併せ持っていて私と同じように感情を押し隠しながら、そして心に様々な思いを抱いて生きている。なぜか、人の温かさというものを、この見知らぬ人たちを見て感じる。それらその人たちの幼い時代を覗いて見る。きっと、親や友達との深い愛情や苦しかったことなど様々な感情をもっているだろう。この混雑した電車内にいて、見知らぬ人たちのことを考えると、とても心が温かくなって満足感からか吐息が漏れた。そして私はなんて幸せなのだろうと深い実感というか安らぎを抱いて、考えてみればこの瞬間にも人は死に、自分がかかえている病気に侵されて辛い気持ちでいる人もたくさんいて、問題を解決できないでいる。でも私たちはそんな難しい社会を生き抜いていかなくてはならない。毎日いろんな辛いできごとがあるかもしれないけどきっとそれだけではなくて自分を元気づけることだってあるはずだ。世の中、世知辛いことって多いけれど、ちょっとした瞬間に人の温かさを感じる時もある。静かに私は自分の呼吸に意識を向けた。すると心が穏やかになって安心感からか意識が鮮明に周りの乗客たちの心を覗き見ることができた。私はこれからもひたむきな姿勢を保って毎日を過ごしていくだろう。でも、また明日も生きているという保証は無いのではないか。今日1日を大切に生きること。その事を胆に銘じていこう。

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