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間に合った者と間に合わなかったモノ


 ◇◆◇◆◇◆◇◆

『ようやく片付いたな。実に手こずらせてくれたものだ』

 その言葉と共に、予定を台無しにした者への報復を済ませたと見たのか、建物の陰から仮面の男は姿を現す。辺りにはまだ毒霧が漂っているが、仮面のおかげか苦しむ様子はない。

「グルアアアッ!」

 そこに今まで影の膜に覆い被さられていた鬼凶魔達が、影を振り払ってやってきた。それらは新たに見つけた獲物(仮面の男)に対して本能的に腕を振り上げる。

 だが鬼凶魔達はその直前、何かに気づいたように仮面の男から距離をとる。その顔は何かに怯えるような、それでいて手を出そうにも出せない歯がゆさというか、そういう複雑さが見て取れた。

『この状態でも凶魔避けの道具は有効と。やはり本能のみで動く凶魔は扱いやすい。狙う矛先さえ変えられれば……戦力として運用も可能か』

 男はそうポツリと漏らし、何か思いついたようにセプトの方に向き直る。見ればセプトは凶魔化の直前といった様子だったが、その姿は仮面の男がこれまで何度も()()で見てきたものとはやや異なっていた。

「あああアアァっ!? トキヒ……サ……アアアァ」

 セプトの身体は幾重にも自身の影のような黒い何かに覆われていた。それはまるで自らを守るべく影を纏ったような、或いは虫が成長して羽化するための()のような。そんな何かだった。

 その様子をもし時久が見ていたら、以前のセプトの魔力暴走を思い出していたかもしれない。幾つかの違いはあれど、今の状態はそれに酷似していた。

『ほう!? これは興味深い。凶魔化の進行が遅いのも妙だったが、その過程と結果にも差異があるとは。胸に付けていた器具の影響か、それとも素体そのものが特異なのか?』

 本来ならヒトの凶魔化は、魔石によって肉体そのものを強化、膨張から変質させるのが基本だ。それはこれまでに凶魔化した者達が、どれも筋肉が膨張して鎧と化したことから明らかだろう。

 だが今のセプトはどうしたことか、それとは少し違う変質を成そうとしていた。

『ふむ。動きを止めたか。始末する予定だったが、このままであれば持ち帰ることも視野に入れるべきか?』

 これは思わぬ希少な素体が手に入るかもしれない。仮面の男がそう思案していると、先ほどの鬼凶魔達が時久に向けて歩いていくのが見えた。

 倒れてこそいるが、まだその身体は僅かに動いている。息がある証拠だ。

 このままなら自分が手を下すまでもなく、凶魔達がそのまま止めを刺すだろう。もう()()と判断したのか、鬼凶魔達はセプトの方には軽く視線を向けるだけで横をすり抜け、時久の所に辿り着く。

 あとはまともに身動きできない目の前の獲物を潰すのみ。示し合わせるでもなく、二体はほぼ同じように腕を振り上げる。その時、


「……“風壁(ウィンドウォール)”。“強風(ハイウィンド)”」


 一陣の風が吹いた。


 時久が叩き潰される直前、鬼凶魔達の腕が角度を変えて目標の手前に振り下ろされ、それと同時に猛烈に吹き荒れる風に押されて時久がゴロゴロと転がる。

 そして転がった先に立っていたのは、一人のフードを目深に被った少女。

「……まったく。私が居ない間無茶をしないように言っておいたのに。念のため先にこちらに来て正解だったようね」
『何者だね?』

 仮面の男は油断することなく後ろ手に土属性の準備をする。

 こんな所に通りすがりがこの時間に来るという可能性は非常に少ない。なら目の前の相手は邪魔者だと判断し、溜めの時間を稼ぐために話しかける。

 鬼凶魔達も、自分達の獲物をかっさらっていった別の獲物にグルルと唸り声を上げる。

「……別にアナタに名乗る必要はないわ。ただの傭兵よ。……だけど」

 少女は一度チラリと倒れたままの時久の傷口を見て、何か分かったように安堵の笑みを浮かべると、次の瞬間明らかな怒りの表情を浮かべて目の前の敵を睨みつける。

 少女の静かな怒りに呼応するように、その周囲に風が吹き荒れ紫の毒霧を吹き飛ばす。

 霧が晴れ、丁度空を覆っていた雲が流れて三つ並んだ月が顔を出した。そして月明かりが少女を照らし出す。

「私の雇い主に手を出したこと……たっぷりと後悔してもらいましょうか」

 少女……エプリもまた()()()()()()()()()()静かに溜め込んでいた魔力を解き放とうとし、

「……っ!? 強風っ!」

 咄嗟に何かに気づいて身を翻すと同時に、倒れていた時久を強風で浮かせて自分の後ろへと飛ばす。

 次の瞬間、さっきまでエプリと時久が居た所を猛烈な勢いで火炎と氷雪が蹂躙した。

「ガアアっ! オレハ、コレデ、エイユウニ」
「何が英雄だっ! 良いからさっさとその剣を手放せっ!」

 続いてその場に現れたのは、既に赤い魔剣だけでなく青い魔剣にも侵蝕を受け、顔の一部を残してほぼ全身が赤黒い外殻に覆われつつあるネーダと、それを追って駆けるヒース。さらに、

「おいボウズっ! まだ死んでねぇだろうなっ!」
「ちょっち待ってよボンボーンさんっ! まだ解毒と腕の応急処置しか……ってトッキー大丈夫っ!? 生きてるっ?」

 申し訳程度の応急処置を終えたボンボーンと、時久を見て顔を青くするシーメ。

「……ふっ。騒がしくなったものね」

 エプリはこの様子を見て、まだ警戒は解かないまでも風向きが良くなったことを感じていた。

 それは仮面の男も分かったのだろう。表情こそ仮面で見えないものの、僅かに焦った様子で一歩退く。

 そしてほんの少しの硬直状態の後、最初に飛び出したのは二体の鬼凶魔だった。知性の大半を喪失し、ほとんど本能のみで動く凶魔として、二体は最も近くに居たボンボーンに襲い掛かる。

 ボンボーンはそのまま拳を握って迎え撃とうとし、

「へっ! しゃらくせ……何っ!?」

 突然ハッとした様子で大きく後ろへ飛びずさる。そしてそのまま追撃しようとした鬼凶魔達は…………()()()()()

 鬼凶魔達の四肢を貫き、まるで磔のように空中に縫い留めた物。それは()だった。

 その影は先ほどのネーダの攻撃の残り火で伸び、未だ影の膜で覆われているセプトまで届いていた。……いや、セプト()()繋がっていた。

 そして影の膜はハラリハラリと一枚ずつ解かれていき、遂に中に居るセプトの姿を露わにする。だが、

「…………セプト? アナタ……本当にセプトなの?」

 そこから出てきたのは一つの異形。濃い青色だった髪は長く伸びて漆黒に染まり、やや細身ではあるがその背丈は明らかに普段より大きい。身体の線も女性らしくやや凹凸が見られる。

 その姿はまるで影のドレスを身に着けた様。僅かにだが確実に常時ブレており、見るとそのドレスの裾に当たる所が地面に不自然に繋がっている。

 見た目だけで言えば他の凶魔に比べて明らかにヒトらしい。だが、その表情はベールのような薄い影に覆われて定かではない。

 そしてその何かはエプリの呼びかけに対し、




「アアアアAaaaar」

 もはや意味のあるかどうかも分からない。それでも、どこか悲し気なただの咆哮で応えた。






 エプリは内心困惑していた。

 目の前の何かがセプトであることは見つけた時の状況からしてまず間違いない。だが、あの奴隷の少女と目の前の異形とがどうにも結びつかない。

 凶魔化したからと言えばそれまでなのだろうが、何かそれとは別の違和感を感じていた。まがりなりにもそれなりの時間を共に過ごした者として。

「……っ!? おい見ろっ!」

 ボンボーンが指差す先、そこに居るのは先ほど磔にされた鬼凶魔達。新たに地面の影から生成された刃がそれぞれの鬼凶魔に向けて伸びると、なんとそのまま幾重にも細かく枝分かれして胸元に食い込んだ。

「「グガアアァっ!?」」

 鬼凶魔達は苦悶の叫びを上げるが、刃は止まる筈もなく、ズブズブと音を立てながら潜り込んでいく。そして、

「「アアアァ…………あぁ」」

 ぐちゅりと嫌な音を立てて何かを身体から引きずり出したかと思うと、突如興味が無くなったかのように鬼凶魔達をその場に放り出す。

 鬼凶魔達は崩れ落ちるとそのまま痙攣し、みるみる縮んで元のヒトの姿に戻っていく。しかしその顔色は明らかに悪くあちこち傷だらけだ。

 抜き取られたのは凶魔の核となっていた魔石だった。魔石は妖し気な光を放ちながら脈動している。

「魔石を……抜き取っただと? いや、そもそもどうして()()()()()()()()!?」

 ヒースは驚きの表情を見せる。それもそのはず凶魔はヒトを襲う。モンスターも襲う。だが()()()()()()()()()()()()。敵対行動をとった場合は別だが、それが凶魔という現象であり常識だ。

 いきなり常識からズレた行動をとる新たに現れた凶魔……影凶魔に警戒を露わにする一同だが、この後の影凶魔の行動によってさらなる驚愕を味わうことになった。

 影凶魔は魔石を影で包み、そのまま()()()()()()()()()()()()()()のだ。

『……そうか! なるほどそういう事か! フハハハハ。これは実に珍しい!』
「……へぇ。そこのアナタ。何か知っているみたいね」
『ああ知っているとも。まさかとは思ったが……これは()()()()だ』

 仮面の男がつい抑えきれずという感じで肩を震わせて笑い出したのに対し、エプリがダメ元で尋ねてみる。どうせ答えは無いと思っていたが、意外にも仮面の男は普通に答えた。

 声を僅かに弾ませ、まるで喜びを隠しきれないように。

『凶魔の中でも数少ない変種。ヒトのみならず他の凶魔をも襲い、その魔石を取り込むことで成長する生きた現象……いや、いずれ()()にも成り得るモノ。実験では未だ数少ない偶然でしか産み出せていないモノが、まさかこんな所で見つかるとは! 素晴らしいっ!』

 仮面の男はゆっくりとした足取りでセプト……影凶魔の方に近づいていく。

『さあもっとよく見せてくれたまえ。君は貴重な検体だ。何故通常の凶魔化ではなく凶魔喰いとなったのか? それが素体に何か意味があるのかそれとも身に着けていた器具に原因があるのか、はたまた別の要因か? それが君を調べることで解き明かされるかもしれないのだ。さあ早く私の元に…………おや』

 どこか狂気を感じさせる勢いでまくし立てる仮面の男だったが、ふと起きた衝撃に自分の胸を見る。

 そこには、影凶魔から伸びた影が槍のように何本も束ねられて突き刺さっていた。そのワンシーンはまるで、自らが時久に対して行ったことへの意趣返しのようで。

『……ほぉ。これは驚いた。まさか凶魔避けをものともしないとは。一瞬()()()()()反応が遅れてしまった。……素晴らしい! 君は実に素晴らしい検体だとも! ますます欲しくなっ…………ゴハッ!?』

 話している途中だったが、仮面の男の言葉はそこで途切れた。なにせ身体の内部から影の槍がばらけ、そのまま()()に向けて一斉に突き出されたのだから。

 仮面の男は身体の内部から幾本もの影の槍に貫かれ、そのまま一度大きくビクッと跳ねると動かなくなった。

「Aaaaarっ!」

 影凶魔は先ほどよりもぞんざいに仮面の男の身体を放り捨て、そこへさらに追撃とばかりに一抱えもある影の大槌がひとりでに振り上げられる。

 以前のハリセンのような非殺傷武器ではなく、完全に殺意を込めた一撃。それがぐしゃりと仮面の男の身体を叩き潰した。



 ◇◆◇◆◇◆

 という訳で、エプリ達合流及びセプト凶魔化事件発生です。ただ仮面の男が推察したように、普通の凶魔化とは少し異なっています。

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