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第2話『はじめての登下校』

「あー、頭が痛い」

 ランドセルを背負い、フラフラと通学路を進む。
 頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 たしかに俺は死んだはず。
 自我も間違いなく、男だ。

 しかし、元の名前も出身地もよく思い出せない。
 ほかにもいろいろと記憶が抜け落ちている。

 一方で女の子として生きてきた記憶は簡単に思い出せた。
 実感はこれっぽっちも伴わないのに……。

「長い夢でも見ていた気分だ。いや、それにしてはむしろ、現実(こっち)のほうが夢っぽいというか」

 なんでこんな状態になっているのか、原因はさっぱり。
 俺は死んだあと幽霊になって、この女の子に憑依でもしてしまったのだろうか?
 それとも、たんに思い出した(・・・・・)だけか?

「けどまぁ、そんなのは些細な問題だな! うん!」

 ワイヤレスイヤホンを装着し、ジャンジャカと音楽を流す。
 VTuberの歌配信だ。

「あぁ、幸せ! もう一度、VTuberの配信が見られるなんて! 聞けるなんて! これさえあれば毎朝の満員電車も深夜の残業も……今のわけわかんねー状況もどうでもいいや!」

 手元のスマートフォンを操作しながら歩く。
 イマドキと言えばいいのか、小学生でもスマートフォンを持っていた。

 しかも、記憶を探るに『親との連絡用』という名目で学校への持ち込みも許可されているようだ。

「俺としちゃ、ありがたいかぎり……チッ、くそっ、このっ。もう見た動画ばっかりオススメに表示されやがる! 整理が大変――うわあぁあああ!? ヒィイイイ!? 広告? 広告だって!? プレミアムじゃないなんて人間じゃない!」

 俺は悲鳴を上げながら動画共有サービス”MyTube”のスマートフォン用アプリを操作していた。
 前世で使っていたアカウント名を思い出せないのだ。

 そのせいで、いちから(・・・・)登録しなおすハメになっていた。
 色々(・・)と大変だ。

 仕方ない、改めてプレミアム登録して人権を取り戻そう。
 って、クレジットカードがない!

 おサイフの中は……うん、そうだよね。小学生だもんね。
 母親に頼んでお年玉を引き出してもらうしかないか。

「あぁ、もうっ……思い出せたらそれだけで全部、解決するのに」

 どうしてあれこれ記憶が抜け落ちているのだろうか。
 俺が死んだときのこともあいまいにしか思い出せない……。
 こういうのも解離性健忘と呼ぶのだろうか。

 そんな思考をぐるぐると回しながら、指だけは高速で動かす。
 MyTubeのチャンネル登録やお気に入り、おすすめ――サジェストを整理しまくる。
 と、遠くから声が聞こえてきた。

「イーローハーちゃーん、おはよ~! って、あぁ〜っ!? いけないんだぁ〜っ! 歩きスマホは危ないんだよぉ~!」

 言いながらランドセルを背負った女の子が駆け寄ってくる。
 トイプードルを思わせるもふもふとした茶髪が一歩ごとに揺れている。

「えーっと? あっ。おはよう、マイちゃん」

「ちょっと待って、今の『あっ』ってなにぃ~!? もしかして今、マイのこと忘れてたのぉ~!?」

「覚えてる覚えてる。たしか、後方抱え込み2回宙返り2回ひねりが得意技のマイちゃんだよね?」

「ちがうよぉ~! そんな、こうほー……なんちゃらなんてできないよぉ~! 幼なじみのマイだよぉ〜! 忘れないでぇ~!」

 間延びした話しかたをする、どことなく不憫そうな空気をまとった女の子。
 マイはへにゃりと情けない表情ですがりついてくる。

 俺は思わずドキリとした。
 中身が成人男性だから、反射的に事案にならないかと心配になる。
 女の子との距離感は成人男性が抱える永遠の難題だ。

「いつもどおりマイって呼び捨てにしてよぉ~!」

「あぁ、ごめんごめんマイ」

「もうっ。じゃあ早く登校しよぉ~。もうみんな揃ってるよぉ~?」

 言われてマイの後方を覗き込んだ。
 そこには彼女よりさらに小さな子どもたちが、ひのふのみ……。

 そうだった。
 ここは登下校の集合場所だ。

「あれぇ~? 横断旗はどうしたのぉ~? 今日はイロハちゃんが当番じゃなかったっけぇ~?」

「旗?」

「そんなキョトンとした顔されてもぉ~!? マイたちももう6年生だよぉ~? 一番の年長なんだよぉ~? しっかりしないとぉ〜!」

「あー、旗ってアレかー」

 記憶を探り、納得する。
 うわっ、懐かしっ!

 そういえばこんなのあったあった。
 上級生が黄色い旗を持って、下級生を誘導しながら集団登校するやつ。

「『あー』じゃないよぉ~!?」

「忘れちゃったものはしょうがない。よし、出発」

「ふぇぇ〜!? で、でもイロハちゃん、このままじゃ先生に怒られちゃうよぉ〜!?」

「大丈夫、大丈夫」

 マイはまるでとんでもない大罪でも犯したかのように、戦々恐々としながらついてくる。
 それを微笑ましく見る。

 わかるわかる。子どものころは小さな失敗でもとんでもないミスに感じたりするもんだ。
 その線引きが自分でできるようになることが、大人の第一歩だと思う。

 そして、やがて気づくのだ。
 意外なほど世の中に、取り返しのつかないミスなんて少ないということに。
 それこそ人の生き死にくらいだ。

「……」

「どうしたの、考え込んで。なんだか今日のイロハちゃん変だよ。もしかして――」

 いぶかしむ視線。
 ドキリと今度はべつの意味で心臓が跳ねた。

 子どもは妙なところで鋭い。
 大人なら『精神が別人』なんて突拍子もない発想は切り捨てるものだが。

 マイが俺の耳元に口を寄せてささやいた。

「もしかして――便秘? うちのお姉ちゃんもトイレ出ないとき、そんな顔してるもん」

「……」

「ツラかったらいつでも言ってねぇ~。マイも協力するからぁ~っ!」

 いや、やっぱり子どもはアホだわ。

   *  *  *

 さすがに小学校の授業は簡単だった。
 なんなら体育が一番しんどく、給食が一番楽しかった。

 ……あれ? これって、普通の小学生とほとんど同じ感想なのでは?
 いやいや、まさかそこまで精神が成長していない、なんてはずは。

「あれ? そういえば、まだ帰らないのか?」

「まだ帰りの会してないでしょぉ~? けど先生、遅いねぇ~。どうしたんだろぉ~?」

 なんて話からしばらく経って、ようやく担任教師が姿を現す。
 生徒たちの「おそーい」というヤジを無視して教師が告げる。

「今日は集団下校に変わりました。みなさん、部団ごとに校庭に並んでください。不審者がいるとのことなので、くれぐれもひとりでは帰らないように」

 どうやら、そういうことらしい。
 物騒な世の中になったもんだ。イヤになる。

   *  *  *

 明日は2本とも持ってきて、片方は返却するように。
 そんな言葉とともに貸してもらった横断旗を手に、帰路を行く。

「大丈夫かなぁ~。悪い人出ないよねぇ~?」

「気にしすぎだって。そのときはブザー引いて、悲鳴あげれば大丈夫だから。みんなも安心しろー。いざとなったらマイがやっつけてくれるからー」

「マイはそんな強くないよぉ〜!?」

 まぁ、実際に不審者に遭遇する確率なんて低いだろう。
 警察官もパトロールしてくれているらしい、見つけるならそちらが先に決まっている。

 なんてことを思いながら歩いていたそのときだった。
 唐突に、世界に影が落ちた。

《お嬢さんがた、ちょっといいかな? よければ電話を貸しては貰えないだろうか? えーっと、電話。携帯電話ってわかるかい?》

《!?!?》

 俺はその人物を見上げていた。
 うわ、でっか!? と思わず声が出そうになる。

 逆光で顔が見えないほどの巨体。
 輪郭だけでもわかるほどイカつい外見の男が、すぐ目の前に立っていた。

 思わず警戒してしまうが、その声音を聞いて気が変わる。どうにも本当に困っている様子。
 俺はおそるおそる声をかけた。

《えっと、どうかしたんですか?》

《っ! お、お嬢さんわかるのかい!? その、電話だよ!?》

《え? そりゃ、まぁ……電話ですよね? それよりどうしたんですか?》

《あ、あぁ。じつは友人とはぐれた上、スマートフォンを落としてしまったんだ。しかも、探し回っていたら、なにも悪いことをしていないのに警察官に捕われかけて……思わず逃げてきてしまった》

《それで友人に連絡を取りたい、と》

《あぁ、そのとおりだ》

《わかりました。それじゃあ一緒に交番へ行って、そこで電話を貸してもらいましょう。どのみち誤解を解かないといけません。大丈夫、わたしも説明に協力します》

《本当かい!? ありがとう! キミはボクの天使だ!》

 にしても警察に捕まりかけるとは、ずいぶんと人に誤解を与えやすいタチだな。
 そんなことを思いつつ通学路から進路をわずかにズラした。

 この距離なら110番より直接に交番へ行ったほうが早い。
 しかし、歩き出そうとしたとき服の裾を引かれる。

 振り返ると、そこにはガチガチと歯を鳴らすマイの姿。
 手には今にもヒモが抜けそうな防犯ブザー。えっ、なんで!?

「イロハちゃん、大丈夫なのぉ〜? 不審者じゃないのぉ〜!?」

「いやいや、言ってたじゃん! ちがうんだって。困ってるみたいだし、とりあえず交番まで送るよ。さすがに、自分からよろこんで交番に案内される犯罪者はいないでしょ」

「そう、なのぉ〜? 本当に不審者じゃないのぉ〜? というかイロハちゃん、どうしてこの人の言ってることがわかるのぉ〜?」

「へ? さすがに電話くらい知ってるって」

 もしかしてイマドキの子はスマホと言わないと通じないのか?
 この男性のリアクションも変だった。

「そうじゃなくて! だってこの人――外国人だよぉ〜!?」

「え?」

 解決の兆しが見えた安堵からか、男性が俯いていた顔を上げていた。
 そこにあったのは紛れもない欧米顔。

《ん? どうかしたかい?》

《なんでもないよ》

 なんでもなくなぁあああああああああい!?
 俺はなぜか、日本語を話すかのごとく自然に、英語を理解し、話せるようになっていた。

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