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エピローグ



 ガラガラと走っていた馬車が、とある屋敷の前でピタリと止まる。中から降りて来たのは、長い赤髪に白い花の髪飾りを付けた、黒い瞳の少女。
 いつもは高価なドレスに身を包んでいる彼女だが、今日は仕事だったのだろう。彼女は故郷にいた時のような、動きやすそうな服に身を包んでいた。
「ロージィー……?」
「ひっ?」
 しかし馬車から降りたその瞬間、その場に待ち構えていた人物の低い声に、ロジィは思わず引き攣った悲鳴を上げてしまう。
 そこにいたのはウィード。この屋敷の主の息子であり、将来は国王の側近となる予定の、とても偉い人物である。
「た、ただいま、ウィード……」
「お帰り、ロジィ。とりあえずは元気そうで何よりだな」
「……」
 取り敢えずロジィが帰宅の挨拶をすれば、ウィードが不機嫌を露わに彼女を見下ろす。
 しかしロジィとて、別に悪い事をしていたわけではない。仕事をしていただけなのだから。
 それなのにそんな目で見下ろされる筋合いはないと、彼女もまた不機嫌そうにウィードを見上げた。
「ねぇ、いい加減にしてくれない? この前も、その前も! そんなに不機嫌になられたらヒレスト国に行きにくいじゃない!」
「別にヒレスト国に行く事を反対しているわけじゃない。お前が危険な任務に行くのが反対なだけだ」
「仕方ないでしょ。だってこれ、ライジニア王子のご命令だもの。断るわけにもいかないじゃない」
 ロジィがいないと、リリィが危険に晒されるから困る、というロイからの要望があったため、ロジィはその任務だけは引き続き受けるようにと、ライジニアに命じられていた。だからマシュール王国に来た後も、ロイからの要請があればヒレスト国に帰り、リリィの影武者としての仕事をしているのだが……どうもウィードは、それが気に入らないらしい。彼は頭を抱えると、苛立ったように溜め息を吐いた。
「何で未だにロジィがリリィ姫の囮役をやらなくちゃいけないんだ。ロジィはもう一般女子じゃないんだぞ。オレの婚約者であり、特殊な治癒能力の持ち主なんだ。リリィ姫じゃなくて、ロジィが狙われる可能性だって十分にあり得るだろう? それなのにこんな危険な任務に向かわせるとは、王子は一体何を考えているんだっ!」
「……」
 心配するこっちの身にもなってくれと、ウィードはここにはいない主に対する文句を連ねる。
 そう、彼は何も意地悪で不機嫌になっているわけじゃない。ロジィを心配しているからこそ、いつも不機嫌になっているのである。
「あの……ごめんね?」
「……」
 そんなウィードの気持ちを知っているからこそ、ロジィは素直に謝罪の言葉を口にする。
 申し訳なさそうに眉を寄せ、上目遣いで見上げられた時のその破壊力を、彼女自身は知らないのだろう。申し訳なさそうなロジィの黒い瞳をしばらく見つめていたウィードであったが、その後、彼は参ったと言わんばかりに溜め息を吐いた。
「そう思うのなら、オレの目の届かないところで、危険な事をするのは止めてくれ」
 はあ、ともう一度溜め息を吐いてから。ウィードはロジィの髪に手を伸ばす。
 サラリと、彼女の赤い髪が彼の指に絡められた。
「髪、赤だったんだな」
「え? あ、うん、そうだけど……」
 ここに来てから、ロジィは髪の色を元の赤色に戻した。彼女が髪の色を変えていたのは、自身の正体を回りに知られないためだ。しかしその正体を沢山の人達に知られ、しかも別の国にいるのであれば、髪の色を偽る必要はない。
 だから今、ロジィの髪は黒ではなく、地毛である赤へと戻っているのである。
「い、今更どうしたの? もしかして黒い方が好きだった?」
「違う、そうじゃない。お前の地毛がどっちなのかも、分からなかった自分を恥じているんだ」
「そ、そんなのどっちでもよくない?」
「よくない」
「あ、あのね、ウィード。それよりもそろそろ放して欲しいんだけれど……」
 指に髪を絡めて弄り続けるウィードに、ロジィは恥ずかしさに顔を赤く染めながら、彼の指から逃れようとする。
 しかしそんなロジィの願いなど無視すると、ウィードは、指に絡めたロジィの髪にキスを落とした。
「ウ、ウィードっ! ちょ、ちょっと待って、ここ外……きゃあっ!」
 そんなロジィの制止の声など聞き入れるわけもなく、ウィードはそのまま優しく彼女の頬を撫でると、そっと顎を捕える。
 そしてクイッと上を向かせると、彼は彼女の唇にそれを重ね……、
「おい、やるんなら、せめて屋敷内でやってくれ」
「っ!」
 重ねようとした時、呆れを含んだ第三者の声が聞こえ、ウィードは勢いよく顔を上げる。
 見ればロジィを送って来たらしいシンガが、馬車の中から顔を出し、げんなりとした眼差しを自分へと向けていた。
「お、お前まだいたのか! 早く帰れ!」
「おいおい、お前の大事な彼女、仕事で動けないお前の代わりに送迎の護衛をしてやったのは、一体誰だと思ってんだよ?」
「煩い! ロジィならお前なんかに頼らずとも、自分の身くらい自分で守れる。だから礼は言わない、早く帰れ!」
「はいはい、分かりましたよっと。じゃあなー」
 恨みと妬みを含んだ溜め息をその場に残してから。シンガはようやく馬車とともに、その場から立ち去って行った。
「まったく、とんだ邪魔が入ったものだ。じゃあロジィ、続きを……」
「しない! 絶対にしない!」
 もう一度顎を捕えようとするウィードの手を、ロジィは必死に払い除ける。
 そんな恥ずかしがり屋の彼女の動作に、ウィードはフッと小さな笑みを浮かべた。
「お前とリリィ姫を見分けるもう一つの方法があるんだが。教えてやろうか?」
「え?」
 必死に抵抗する彼女の手を押さえながら、ウィードはそう口にする。
 コンタクトレンズ以外にも何かあったのだろうか。
 キョトンと丸くなったロジィの黒い瞳を、ウィードは真っ直ぐに見つめ直した。
「お前、男慣れしていないだろう」
「なっ? な、何それ! 失礼な! 私だって……」
「事実だろう」
「ぐ……っ!」
 何とも失礼な言い方ではあるが。
 でも確かに事実なので何も言い返せなかった。
「ちょっと触るくらいですぐ赤くなる。目を真っ直ぐに見つめれば恥ずかしそうに逸らしてしまう。リリィ姫は少し近づいたくらいじゃ全く動じないぞ。お前よりは男に耐性があるからな」
「う……っ、ぐ……っ!」
「だから、」
 悔しそうに言葉を詰まらせているロジィの隙を突き、ウィードは掴んでいた彼女の腕を自分の方へと引き寄せる。
 そして倒れ込んで来た彼女の体を、しっかりとその腕に抱き締めた。
「こうやって触れて、可愛い反応をした方がロジィだ」
「ちょ、ウ、ウィードっ、放し……っ、」
 突然何するんだと、文句を口にしようとしたロジィの唇に、ウィードは今度こそ自分のそれを重ねる。
 そうやって無理矢理彼女を黙らせると、ウィードはロジィにだけ見せる柔らかな微笑みを、そっと彼女へと向けた。
「好きだ、ロジィ」
「……。私だって好きじゃなかったら、もっと本気で抵抗している」
「素直じゃないヤツ」
 やっぱり赤くなっているロジィの、これまた赤い髪に手を伸ばす。
 そして指に絡めたその髪にキスを落とすと、ウィードは満足そうに微笑んだ。
 
 サラリと流れる赤い髪。それが黒に戻る事は、二度とない。

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