バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第1話 婚約破棄され、裏切られて


 これはどういうことだろうか、シェリルには現状が理解できなかった。目の前で自分を睨んでいる婚約者であるマーカスがもう一度、言葉を告げる。


「わたしはお前との婚約を破棄する!」


 シェリルの綺麗にカールされた長いミルクティー色の髪がはらりと落ち、青い瞳を見開かせてマーカスを見つめた。

 シェリル・アルカードーレは今、まさに婚約破棄の真っ最中だった。公爵家の娘であるシェリルはエイルーン国第三王子のマーカス・リッツ・エイルルと婚約を結んでいた、今日までは。

 それはマーカスが個人的に開いたパーティーでのことだった。シェリルは婚約者である彼に呼ばれてやってきたのだが挨拶もそこそこに告げられたのだ、お前との婚約を破棄すると。

 煌びやかなパーティー会場はしんと静まりかえった。パーティーに呼ばれた令息令嬢たちが皆、シェリルとマーカスを注視している。


「お前はマチルダに散々嫌がらせをしたらしいじゃないか!」


 怒声。短い金髪を揺らしいてマーカスは怒鳴った。その言葉にシェリルは「はぁっ?」と声を上げたくなる。

 嫌がらせ、確かに嫌味なことは言った。何せ、マチルダは男に猫撫で声で甘えるのだ。婚約者がいる相手であってそうするのだから、嫌味も言いたくなるものではないだろうか。そんなことはいい、嫌がらせとは何だとシェリルには身に覚えがなかった。

 嫌味なことは言ったけれど嫌がらせ行為などした覚えはない。シェリルが「なんのことでしょうか」と問えば、マーカスは「しらっばくれるな!」とまた怒鳴る。


「お前がマチルダを雇った男に襲わせようとしたということは知っているぞ!」


 シェリルは何を言っているのだろうかと目を丸くさせる。それだけではないぞとマーカスはつらつらとシェリルがやったとされる行いを挙げていく。

 わざと転ばせたなど大小様々な嫌がらせをしていたと言われたけれど、それらの事には全く身に覚えがなかった。


「そんなことしていません!」


 シェリルは否定した。やっていないのだからそう言うしかないのだが、マーカスは信じてはくれなかった。


「嘘をつくのか、シェリル!」


 マーカスの美麗な顔が怒りに染まって台無しになっている。本当にやっていないのだから嘘などつくわけもないと主張するのだが彼は聞き入れてはくれなかった。

 傍に立っていたマチルダが泣き始め、顔を覆って俯けば艶のある長い黒髪が流れた。そんな彼女の肩を抱いてマーカスは落ち着かせようとしている。

 ひそひそと話し声が聞こえる。なんて酷いことを、そんなことをするだなんて。責めくる言葉が耳に嫌でも入り、誰もが疑ってなどいなかった。

 あぁ、敵わない。これはもう駄目だとシェリルは諦めた、だって誰も信じてくれないのだ。周囲の人間たちは皆が皆、白い目を向けている。そんな状態でどうやって主張すればいいのか、無実を訴えればいいのか。

 何を言っても相手はそれを嘘とするのだからそんなものに敵うわけがない。シェリルは唇を噛む、悔しくて歯痒くて。けれど、口には出さずに一つ息を吐いた。


「信じてくださらないのならもういいです。婚約破棄の件、承知しました」


 だから、婚約破棄を受け入れた。それしかもう道は残されていなかった。シェリルの言葉にマーカスは当然だろうといったふうに睨む。お前には拒否権などない、そう言いたいようだ。

 マーカスが何か言おうとするのをシェリルは止めることなく背を向けて歩き出した。こんなところになどもういられない。背後から罵声が聞こえるけれどそんなものは知らないとシェリルは何も言わずに会場を出た。

 外に出ると結っていた髪留めを取る。ミルクティ色の長い髪がはらりと風に靡いた。カールされた髪の毛が崩れるのなど気にも留めない。地面を擦らないようにドレスの裾を上げながら階段を降りていく。

 外はすっかりと日が沈み暗くなっていた。ぼんやりと月が覗いているのを見てシェリルは苦笑する。明日から私は笑い者だろうな、そんなことを考えて。

 王子に婚約破棄された悪女として笑い者にされて、軽蔑され、蔑まれるのだ。見下されることは分かりきったことだった。両親にもこのことは知らされているのできっと怒られるだろう。

 シェリルは深い溜息をつく、せめて両親にだけでも無実を信じてもらいたいと。本当に自分は何もやっていないのだということを。

 明日のことを考えながら待っているだろう馬車の元へと向かう時にだった。ふと、建物の影に人が立っているのが見えたのでなんとなしに耳を傾ける。


「王子も悪い人だ。マチルダ嬢を妻にしたいがために嘘までつくとは」


 その言葉に足を止めた。ちらりと見遣れば男二人が建物の隅でひそひそと話している。彼らはまだ気づかれていない様子だったので、シェリルはそっと物陰に隠れて会話に聞き耳を立てた。


「マチルダ嬢を妻にしたいからといって、やることが酷い酷い」
「あれだろ、男を襲わせたってやつ」
「そうそう。あれ、王子の仕業なんだぜ?」


 彼の言葉にシェリルは衝撃を受けた。マチルダに男を襲わせたのは王子の仕業だと、そう言ったのだ。

 どうやら、マチルダを男に襲わせて、そこへ颯爽と助けに来るヒーローを演じたらしい。自身のアピールに使い、その演技は成功してマチルダは彼に落ちたのだという。あとは悪役を仕立てれば完成で、それに選ばれたのがシェリルだった。


「シェリル様がやったことにすれば、婚約破棄もしやすいからな」
「やることが酷いねぇ」


 なんだそれはとシェリルは眉を寄せた。全部、マーカスが仕組んでいたことではないか。自身は悪役に仕立て上げられただけではないかとふつふつと怒りが湧いてくる。

 婚約破棄したいのなら言ってくれればよかっただろう。そんな手の込んだことをしなくともマチルダならばすぐに手に入ったはずだというのに、どうして悪役を仕立てる必要があったのだ。

 シェリルはぎゅっとドレスの裾を握りしめる。


「噂じゃシェリル様はあのロリアード卿の妻にさせるとか」

「あー、シェリル様は可愛らしい容姿をしてらっしゃるからなぁ。あのロリアード卿が好きそうだ」


 はぁっと声を上げそうになって口元を押さえた。

 フィランダー・ロリアード、公爵家の男だ。前妻に先立たれてから女遊びを繰り返し、特に若い女が好物の男だ。そんな彼にいい噂などあるわけがない。髭面のいい歳したおじさん、そんな男の妻になるのか、自身がとシェリルの背に悪寒が走る。


「ロリアード卿と組んでやったことらしい」
「可哀想になぁ、シェリル様。ロリアード卿に目をつけられるとは」


 あの方の妻になるのは避けれないだろうと彼らはそう言って同情していた。フィランダーは公爵家でも発言力が強く、彼が動けば婚約させられる可能性はあった。

 嫌だ、あの男と結婚するだなんて嫌だ。シェリルは駆け出していた。


しおり