バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

プロローグ



 大型の魔物だった。猿のような柔らかい体毛で覆われた、二足歩行をする獣。
 そいつらが森にある街道を塞ぎ、そこを行き来する商人達を襲っているから討伐して欲しい。
 それが、ロジィ達が受けた、町の市民からの依頼であった。
 なるほど、確かにそれは自分よりも遥かに大きな魔物だった。その大きな手に捕まれば、そのまま握り潰されるだろうし、その鋭い牙に触れれば、骨ごと噛み砕かれるだろう。もしくは小さな虫の如く、ブチッと踏み潰されてしまうかもしれない。
「そうやって、一体どれくらいの人間が犠牲になったんだろうね」
 正面から対峙すれば、この身を握り潰そうとその獣が掴み掛かって来る。当然だ。だってそうしなければこの獣は死んでしまうのだから。こんなちっぽけな人間に殺されるなんて、魔物だって御免だろうから。
 しかしそれはロジィとて同じ事だ。こんな毛むくじゃらの獣に殺されるのは嫌だし、物資を運んでくれる商人達がこれ以上犠牲になるのも嫌だ。だからこの魔物は殺す。情けは掛けない。
 振り下ろされた腕を、ロジィは軽やかに躱した。この身を守り、生き抜くために身に付けた高い戦闘能力。それを惜しみなく魔物に披露してやる。女だと思って舐めてもらっては困る。こんな図体だけデカイ魔物に殺されてやる程、甘っちょろい育ち方はしていない。
「燃えろ!」
 高く跳躍しながら、炎を発するための呪文を唱える。そして唱えた言葉によって具現化された炎の塊を魔物にぶつけてやれば、それは断末魔を上げてその場に崩れ落ちた。
「よし、終わり!」
 冷酷の色を宿した漆黒の瞳で、魔物が動かなくなった事を確認すると、ロジィは安堵から来る笑みを浮かべた。これでこっちは終わった。他の場所に向かった仲間達は大丈夫だろうか。
 しかし、ロジィが仲間達の身を案じた時であった。突然ロジィの背後に、今倒したばかりの魔物と同じ大型の魔物が現れたのは。
(しまった!)
 群れで攻撃して来ない魔物だと聞き、一体倒したからと油断していた。まさかもう一体潜んでいたなんて。
 振り下ろされた腕を間一髪のところで避けたものの、その爪が左腕を掠める。走る痛みに表情を歪めるが、今はそれに蹲っている場合ではない。早くコイツを何とかしなければ、今度は左腕だけでは済まされない。蹲って悲鳴を上げれば誰かが助けてくれる程、この世は甘い世界ではないのだから。
 痛みを堪えて剣を引き抜くと、ロジィは再度振り下ろされた腕を飛び避け、今度は逆にその腕を斬り落としてやった。
「この……っ!」
 それによって魔物が悲鳴を上げるが、これでは致命傷にはならない。この大きな魔物を倒すには、あと何太刀も……いや、急所を突いた方が早いか。
 瞬時にそう判断すると、ロジィは魔物が悲鳴を上げている隙に飛び掛かり、その首を思いっ切り掻っ捌いてやる。
 すると先程の魔物と同様に、二体目の魔物もその場に崩れ落ち、そして動かなくなった。
「はあ、最悪……」
 黒い髪に付着した魔物の血を拭い取りながら、ロジィは周囲の様子を確認する。
 見たところ、魔物の姿はない。今度こそ大丈夫だろう。
 それを確認すると、ロジィは剣を鞘へと戻した。
「うっわ、血ぃ出てる。くそっ、魔物のクセに」
 大きな怪我でないのは幸いであったが、それでも油断して怪我を負わされてしまうなんて何たる不覚。これがリーダーにバレたら怒られる上に反省文だ。バレる前に自分で治してしまおう。
「……誰も、見てないよね?」
 周囲を確認し、怪我を負った左腕に右手を添える。
 しかし右手から現れた光が、そっと左腕を包み込もうとした時だった。
 後ろの叢から突然、仲間の少年が姿を現したのは。
「ロジィ、そっちは片付いた?」
「ラッ、ラッセルッ?」
 突然現れたニコニコ笑顔の彼に勢いよく振り向くと、ロジィは右手を左腕から離し、両手を慌てて後ろへと隠す。
 そうしてから、彼女はムッとした目をその少年へと向けた。
「ビックリした。突然出て来ないでよ」
「ごめん、ごめん。で、どう? 終わった?」
「終わったけど。でもこっちは二体もいたからちょっと大変だった」
「マジで? 良かったー、オレ、こっちじゃなくって」
「おい」
 良かったって何だ、良かったって。
「ロジィちゃん、ラッセル君! 良かった、ここにいたんだ!」
「シフォン? どうしたの?」
 ホッと胸を撫で下ろすラッセルに、ロジィが不機嫌そうに眉を顰めたその時、今度は叢を掻き分けて、シフォンと呼ばれた少女が飛び出して来る。
 血相を変えてやって来た彼女は、その焦りの表情を二人へと向けた。
「お願い、すぐに来て! こっち、獣型の魔物が二体も現れて、ナジュちゃんが怪我を!」
「何だってっ?」
「今、サーシス君がナジュちゃんを庇いながら戦っているけど、危険な状況なの! お願い、すぐに来て!」
「何だよ、群れで攻撃して来ないんじゃねぇのかよ! くそっ、ロジィ、すぐに行くぞ!」
「分かった」
 仲間のピンチを知り、シフォンの後を追って現場へと急ぐ。
 そしてそこへと向かいながら、ラッセルは二人に指示を飛ばした。
「ロジィ、お前は敵の目を引きつけてくれ。ヤツらがお前に気を取られている隙にまずは一体、オレが背後から仕留める。残り一体となりゃ後は余裕だろう。シフォンはオレから離れるな。そしてヤツらを倒した後、サーシスとナジュの手当てを頼む!」
「うん、分かった」
「了解」
 強く頷くシフォンに倣うようにして、ロジィもまたラッセルの作戦にコクリと頷く。
 つまりロジィは囮役だ。確かにロジィはラッセルよりも足が速い。だから敵を翻弄し、ヤツらの気を引きつけるのは、ラッセルよりもロジィの方が適任だろう。
 ラッセルの作戦は最善。それは分かっている。だけど……。
「ロジィ」
「な、何?」
 自分の名を呼ぶ仲間の声に、ロジィはハッと我に返る。
 隣を走る彼へと視線を向ければ、彼は自分を真っ直ぐに見つめていた。
「囮作戦が失敗した時は、とにかく二人で敵を叩く。その時のオレの背中はお前に任せた」
「もちろん。ラッセルも私の背中、よろしくね」
 ロジィの返事に満足そうに微笑んでから、ラッセルは再び前だけを見据え、シフォンの後を追って行く。
 ラッセルがロジィに向けてくれるモノ。それは信頼だった。ロジィの腕を認め、信頼しているからこそ、彼は危険な囮役も彼女に任せるし、簡単に自分の背中も任せてくれる。
 もちろん、それは彼だけではない。ともに戦う仲間達、みんながそうだった。この広い森で人を襲う危険な魔物。それを少人数で討伐しなければならないため、ロジィは一人であの場所を任された。他の女性陣が男性陣とチームを組まされる中、ロジィは女子で一人だけ、単独での討伐を任されたのだ。
 もちろん、それはみんなが彼女を信頼してくれているからだ。意地悪でやっているわけではない。当然、ロジィだってそれは分かっている。だからみんなが向けてくれる信頼や、力を認め、頼りにしてくれている事はとっても嬉しい。その事に不満なんてあるわけがない。自分はみんなの信頼に応えるべく、期待以上の仕事をするだけ……の、ハズなのに。
(どうして他の女の子を、羨ましく思ってしまうのだろう)
 一人では危険だからと、他のメンバーとチームを組んでいる他の女子。怪我をして蹲れば守ってもらえるナジュに、安全が確認されるまで守ってもらえるシフォン。
 自分はそれ以上のモノを貰っているハズなのに。それなのに何故、他の女の子達が羨ましく見えてしまうのだろうか。
(私も守ってもらいたいって、女の子扱いして欲しいって、何でそう思ってしまうんだろう)
 そんな女々しい自分の心に、ロジィは自分で呆れたように溜め息を吐く。
 誰も守ってくれない、助けてくれない。自分を守れるのは自分だけ。この世界はそういう世界だって、とっくの昔に知ったクセに。それなのに今更何を求めているのだろうか。
(私に流れる血が平民じゃなくて、義妹と同じモノだったら良かったのに)
 しかしそう考えたところで、ロジィは慌ててその考えを打ち消す。ここは戦場に近い場所なのだ。『もしも』だなんて、くだらない妄想に浸っている場合ではない。
 偶に頭を過る甘えた願望を打ち消すと、ロジィは仲間を襲っている魔物を倒すべく、それに向かって思いっきり跳躍した。

しおり