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8 怪しい声の洞窟へ

「怪しい声のする洞窟の調査……」

 聞くだけでも怪しさ満点な依頼なのがわかって、私は正直二の足を踏んでいた。
 これまで、教会に依頼されるがまま、そこそこ難しいモンスターとも戦ってきた。しかし、それらはすべて詳細な情報があったからやれたことだと思っている。
 この依頼は、洞窟の中にいるのがどんなものなのか、誰も何も知らない状態のスタートということだ。むしろ、それを知りに行くのが内容なのである。
 かなり危険度が高い任務なのは、このざっくりした説明でも理解できた。
 しかし、恐ろしいという思いも当然あるものの、その奥からムクリと好奇心が顔を覗かせてもいる。
 強いものがいるのだとしたら、遭遇してみたいという気持ちが湧いてきてしまっているのだ。
 婚約破棄されるときにエーリク様に言われた「きみは強いからひとりでも平気だよね」という言葉が、時々私を戦いへと駆り立てるのである。
 というより、己の強さを試し、証明しなくてはならない気分になるのだ。
 そんな私の戦士(ファイター)魂が、この依頼を受けたいといっている。怖いと思う気持ちも当然あるけれど。
 でも、ディータはどうだろうかと、私は隣に立つ彼の顔を盗み見た。

「声の主を確認するだけというが、逆に倒してしまった場合や傷つけたときは依頼は失敗、もしくは報酬が減額になるのか?」
「いえ、そんなことはありません。この依頼は二段階に別れていて、まずディータさんたちにやってもらおうと思っているのが、〝洞窟の声の主の確認〟です。それが無事済めば、ほかの方たちに〝洞窟の声の主の排除もしくは討伐〟を頼もうと思っておりましたので」
「ということは、俺たちが二つ目の任務を達成してしまってもいいってことだよな? その場合、二つ目の依頼の報酬も当然もらえるよな?」
「……そうなりますね」

 職員とディータとのやりとりを見ていて、彼が考え込んでいる様子はこれが理由だったのかと合点がいった。
 おそらく、ディータもこの依頼の内容が何となく気になり、どんな〝落とし穴〟があるのか考えたのだろう。

「……これ、ディータさんがもし尋ねなかったらひとつの依頼で二つ片付けようとしてましたよね? 報酬をケチって」

 私がコソッと確認すると、ディータは困った顔で頷いた。
 ギルドの職員は、確認すれば答えてくれるけれど、それをしなければこうしてしれっと黙っているということだ。
 何というか……まるまる信用してはいけないのだなと、今のやりとりで理解させられた。
 こういった意味でも、冒険者生活は甘くないのだ。

「じゃあ、無理な場合はひとつめの依頼だけこなして撤退するが、できれば二つめの依頼である〝排除もしくは討伐〟もこなしてこようと思う。で、それぞれの報酬はいくらなんだ?」

 ディータは知っておくべきことをあらかた聞いておこうと、職員に確認している。そんな様子を見て、彼と組んでもらえてよかったなと感じていた。
 きっと私ひとりなら、職員にいいように使われていただろう。
 確認すれば教えてくれるから、まるっきり悪なのではない。けれど、親切かといわれればそうではないし、善とはいえないと感じる。
 貴族社会にいたときも、腹の探り合いは常だった。だから、どこへいっても呑気ではいられないという話なのだけれど、私はそれをどこかで失念していたのだ。

「えっと、最初の依頼の報酬が一万ゼニー、そして排除なり討伐なりをする二つめの依頼の報酬が四万ゼニーほどの予定でした……」
「なるほど。それを伝えずに俺たちに行かせて、あわよくば二つめの報酬である四万ゼニーを浮かせられたらって思ってたんだな。んじゃ、無事に帰ってきたら五万ゼニーもらうからな」
「え、あ、はい……それでいいです」

 ディータに冷静に確認され、職員は渋々頷くしかなかった。おそらく、この眼鏡の職員はギルドの阿漕なやり方をこなすには善良すぎるのだ。うまくやる人間は、たぶんもっとうまくやる。
 とはいえ、こちらも商売だ。騙されたり当然もらえるものを掠め取られたりするのは、避けたいことだ。

「じゃあ、イリメル行こうか。無事にやりとげて、五万ゼニーもらおうな」
「はい!」

 出発ゲートに向かいながら、ディータは爽やかな笑顔で言う。
 きっと、私がずっとお金のことを気にしていたから、彼もそれを気にかけてくれていたのだろう。
 彼がそれを恩に着せないのはわかっていても、私が負い目に感じたくないのだ。
 借りがある状態でなくなれば、ディータといるのはきっともっと楽しくなる。そう感じているから、早く身軽になりたい。

「ここは……森?」

 出発ゲートの中でまばゆい光に包まれ、次に目を開けたときには緑豊かな場所に立っていた。
 洞窟と聞いていたから、もっと石や岩の多いところかと思っていたのに。
 そしてあたりを見回してみても、問題の洞窟らしいものは見当たらない。

「まだ不確定要素の多い依頼だから、少し離れたところに飛ばされたんだろうな。とりあえず、問題の洞窟が見つかるまでこのあたりを散策してみようか」
「はい」

 まず動いてみなければどうにもならないというわけで、私たちはあたりを歩いてみることにした。
 こんなこともあろうかと、私は大きめのカバンで来ていたのだ。今は、少しでも多くお金がほしい。だから、視界に入ったお金になりそうな草や石やキノコは、何でも採取して帰ることにしている。

「イリメル、今度|手袋(グローブ)買おうか。じゃないと、きみの手が汚れてしまうし、怪我しちゃいけないから」

 私がせっせと草を引っこ抜いていると、ディータが呆れたような、心配するような様子で言った。
 ディータは時々、私をこんなふうに過保護に扱おうとする。それが何だかくすぐったい気持ちになる反面、ちょっぴり不満だ。

「大丈夫ですよ、ディータさん。私、家を飛び出してからはずっと、教会に身を寄せながらも草や魚を食べて生活してたんですからね」

 頼りないお嬢さんではないのだということを言いたかったのだけれど、それを聞いたディータはますます困った顔をした。

「飛び出してきたってことは、帰れる家があるし、いつか帰らなくてはならないかもしれないってことだろ……いや、何でもない」

 私のことを心配しているのに、なぜか彼はつらそうな顔をした。もしかしたら、何か思い出させたくないことを思い出させてしまったのかもしれない。
 これまでディータのことを、ひとりで勇敢に戦う、強くて優しい冒険者だと思っていた。でも、よく考えたら彼がこれまでどのように生きてきたのかも、なぜずっとソロだったのかも、まるで何も知らないのだ。
 とはいえ、それを今聞くつもりはない。私だって自分のことを、婚約破棄されて〝己の強さ〟を確かめるために家を飛び出してきた侯爵令嬢だなんて、言えるわけがないのだから。

「ディータさん、たくさん精算アイテム集めましょう! そしたら、帰ってからの食事、豪華にするってことで!」

 少し妙な感じになってしまった空気を払拭するために努めて明るく言うと、それに応えるみたいにディータも笑ってくれた。
 それから私たちは草やキノコを集めながら道を進んでいき、問題の洞窟が見えるところまでやってきた。
 それは、蔦に覆われた岩壁にぽっかりと口を開けていた。

「洞窟って、たぶんこれですよね……? 遠くから見たら緑だったから、てっきり木々だと思ったのに」
「緑に包まれた岩山、だな。そしてその中に空洞ができていて、洞窟になっているようだ」

 私たちは洞窟の中を伺うように、じっと耳を澄ませた。
 しかし、そんなタイミングであろうことか、私のお腹の虫が大きな声で鳴いた。

「す、すみません……」
「いや、いいよ。お腹が空くのは当たり前のことだし」
「……うぅ」

 ディータが爽やかに笑い、それでさらに私が羞恥に震えていると、また大きな音が鳴り響いた。
 ディータはそれを聞いてハッとした顔をしたが、今度は私のお腹ではない。慌てて首を振ると、彼は耳を澄ませるよう身振りで示した。

「この音? 声? とにかく、よく聞いてみてほしいんだ」

 ディータに言われ、私は先ほどより集中して耳を洞窟へ向けてみた。すると、地を這うような低い音が聞こえてくる。
 ぐぐぐぐぐううぅぅぅ〜……というような、聞いているとその音の発生源に吸い込まれてしまいそうな、ひどい音だ。
 これがおそらく、依頼の内容にあった〝怪しげな声〟なのだろう。
 これから私たちは、この恐ろしげな音の発生源を突き止めにいかなければならない。
 洞窟の中を探索するのであれば、まず灯りは必須だろう。それに、いきなり攻撃されたときに備え、バリアも張っておきたい。もしものときのために、私にもディータにも身体強化の加護をつけておいたほうがいいかもしれない。
 そんなふうに今後の計画を頭の中で立てていたのに、ディータが洞窟に視線をやったまま、怪訝そうに首を傾げていた。
 やばいモンスターがいるかもしれないと身構えている私とは、少し温度差があるように感じる。

「ディータさん、どうしました?」
「あ、いや……この音、何かに似てるなって考えてたんだ。そしたらさ、イリメルのお腹の音じゃないかなって」
「……へ?」

 何かを考え込む様子で一体どんなことを話すのかと思っていたのに、ディータはそんな間の抜けたことを言う。
 私はそれを聞いて怒るべきか恥じらうべきか考えたのだが、彼はいたって真剣な顔をしている。
 そしてさらに、怖いことを言った。

「つまりさ、これはモンスターの鳴き声ではなく、腹の音ってことなんじゃないか? 洞窟の中には、腹を空かせたモンスターがいるかもしれないってことだ」

 ディータの発言によって、私の頭の中にはお腹を空かせて涎ダラダラの恐ろしいモンスターの姿が浮かんだ。
 そんなやつのいるところに行ったら、私たちはまんまと餌にされてしまうのではないか。
 考えただけで、とても怖い。
 それなのに、ディータは落ち着いている。

「――よし。それなら、何か肉を獲りにいって焼くか。イリメルもお腹を空かせていることだしな」




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