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(22)断絶

「殿下は、今回の交渉結果にご不満のようですが、その理由をお伺いしても宜しいですか?」
「卑屈な謝罪と自分に対する美辞麗句と、ある程度まとまった貢物で国王陛下は気を良くしましたし、領地を荒らされた領主の持ち出し分は十分補填できたと思いますが、実際に戦場になった地域住民への補償と復興に十分な資金が投じられるか微妙です」
「そうですか? そう判断された根拠は?」
「……それは、既にあなたも良くご存じの筈です」
 カイルは、国内の貴族よりもグレンドル国の内情に精通していると思われる凄腕の大使相手に、わざわざ自国の恥部を口にしたくはなかった。そんな彼の心情は分かっていたらしく、ハリーは独り言のように続ける。

「確かに。あそこの領主のマイリー伯爵は税の取り立てが厳しく、常に民が疲弊しておりますな。王家に納めるべき税額も誤魔化して、贅沢三昧の噂もあるくらいですから。確実に被害地域を回復させるつもりなら、マイリー伯爵家には余分に渡さず王家が多めに賠償金を確保して、王家の責任で原状回復を目指すのが妥当でしょう。……マイリー伯爵に適当に丸め込まれている陛下に、そんな芸当ができる筈ありませんが。宰相のご苦労をお察しします」
 あからさまに一国の君主をけなす発言をしたハリーに、カイルは一応警告してみた。

「ユーリス伯。ここは王城のど真ん中だが。軽々しくそんな事を口にして良いのか?」
「何か問題がありますか? 私は話の相手を選んでおります」
「……そうですね」
 全く恐れ入る様子がないハリーを心底羨ましく思いつつ、いよいよ精神的に疲れてきたカイルは会話を切り上げようとした。しかしさすがに相手は、一筋縄ではいかなかった。

「それでは、交流に忙しい大使のお邪魔をしては申し訳ないので、私はそろそろ」
「そう言えば、我が国との物品の取り引きについて、カイル殿下のご意見をお伺いしたい事があるのですが」
「あ、いえ、その……。政治向きのことであれば、宰相や大臣達にお尋ねしていただければ宜しいかと……」
「いえいえ、若い王族の方の、忌憚のないご意見をお伺いしたいので是非!」
「はぁ……」
(本当に勘弁してくれ。変な言質を取られるわけにはいかないし、周囲の目もあるのに)
 カイルがさりげなく周囲の様子を伺うと、かなりの人数の者達が自分達を遠巻きにして取り囲んでいるのが分かった。

(あんた達! 大使と話がしたければ、さっさと遠慮せずに割り込んでこいよ!!)
 カイルはともかくハリーはバルザック帝国大使であり、この機会に交流や情報収集を目論む人間は多く、当然と言えば当然の結果である。そんな礼儀正しい者達に内心で八つ当たりをしながら、カイルは神経をすり減らすハリーとの会話を続けていった。

「カイル殿下。長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。おかげで予想外に、楽しいひと時を過ごせました」
「そう言っていただけるのなら、私もうれしいです」
 ハリーがそう口にしたことで、やっと解放されるとの思いから、カイルは心からの笑顔で言葉を返した。しかし次の瞬間、彼の顔から表情が抜け落ちる。

「ところで……。殿下は近々臣籍降下され、数十年前に断絶したフェロール伯爵家を継承されるそうですね」
「え? それはアスラン兄上が賜る家名です。失礼ですが、何か思い違いをされているのではありませんか?」
「急遽、差し替えられたそうですな。遠からず公表されると思いますが」
「…………」
 飄々と端的に告げられた内容に、カイルは口を閉ざした。抜け目のない狡猾な大使が、不確定な情報や自分相手に嘘を吐く理由がないことから、彼が口にしたことが真実であるとカイルは瞬時に悟る。

「ユーニス伯……。それは、誰からお聞きになりましたか?」
 さすがに平静を装えず、低く唸るようにカイルが確認を入れた。しかしハリーは僅かに視線を逸らしながら、平然と惚ける。

「さあ……、誰からだったでしょうか? 歳ですかな? 耄碌はしたくありませんなぁ」
「耄碌などはしておられないでしょう。ところで、兄上が賜る家名と領地はどこになるのか、そこまでご存知であれば教えていただきたいのですが」
 舌打ちしたいのを堪えながら、カイルは問いを重ねた。しかし返ってきた答えは最悪だった。

「アスラン殿下に関しては、貴族の家名も領地も与えられないようですよ? いやはや、あのような立派なご子息をお持ちなのにそれを誇りに思うどころか、全く価値を認められないとは。我が国の皇帝陛下があんなお方だったとしたらと考えると、ぞっとしますね」
(まさか父上は、本気でアスラン兄上を平民扱いにする気か!? 公の場であの恥知らずを叩きのめしたのが、そんなに気に入らなかったと⁉︎)
 本気でそう思っているらしく、ハリーはうんざりした表情で深い溜め息を吐いた。それを目の当たりにしたカイルは、恥ずかしさと怒りと無力感に襲われ、小さく歯軋りする。それに気がつかないふりをしながら、ハリーが自分の反応を観察していると察したカイルは、理性を総動員して苦笑混じりに告げた。

「こんな自身に関わる重大事を、他国の者から教えてもらう王子など前代未聞ですね。少なくてもバルザック帝国では、あり得ないでしょう」
「まあ、ここはある意味、周辺国から乖離した浮世離れした所ですからな。それほどおかしくもありますまい。それでは私はこれで、失礼いたします」
「ああ、楽しんでいってください」
 ハリーは薄く笑ったのみで、大人しくその場を離れた。その途端、待ち構えていた者達がハリーを囲み、人だかりが遠ざかっていく。

(彼があんな風に口にするからには、出まかせではなく真実。そして城内の奥深くまで、バルザック帝国の密偵が入り込んでいるということ。それを敢えて、俺に暴露した。そんな手の内の一部を晒したのは、俺の反応を見るためか)
 ハリーの後ろ姿を眺めながら、カイルは冷静に考えを巡らせた。そして苦々しい思いで、貴族達に囲まれている父親に目を向ける。
 追従しか口にしない者達に囲まれてご満悦な様子のヘレイスの視線が、人垣越しにカイルのそれと合った。しかし彼はすぐに面白くなさそうに視線を逸らし、笑いながら周囲との会話を続ける。

「それほど……、自分の面子が大事ですか、陛下」
 それは、視線の先にいる男が自分の父親であるとの認識を、カイルが完全に拒否した瞬間だった。






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