72章 アイドルの素顔
時計を確認すると、11時30分を回っていた。アヤメの店内貸し切りは、30分後に終了する。
「ミサキちゃん、握手をしたい」
アヤメが手を差し出したので、ミサキはがっちりとつかんだ。
「ミサキちゃんの掌からは、おかあさんらしさを感じるよ」
結婚はおろか、交際相手もいなかった。おかあさんという言葉は、ピンとこなかった。
「ミサキちゃんは、最高のおかあさんになりそう」
まともにご飯を与えられないまま、あの世に旅立っていった。あの苦しみを感じさせないためにも、子供にはしっかりとご飯を与えていきたい。
アヤメの掌の力が、ちょっぴり強くなった。
「アイドルを引退したら、いろいろな異性とお付き合いしたい」
「アイドルは恋愛禁止なの?」
アイドルのイメージを大切にするために、恋愛を禁止するケースが多い。アヤメの世界も、同じようになっているのだろうか。
「そういうわけではないけど、時間を取れないよ。テレビ出演、写真撮影、ファン交流会、体力づくりなどで、90パーセントくらいの時間がなくなる」
恋愛を犠牲にして、アイドル活動に没頭する。トップアイドルにとって、宿命といえる。
「休みをもらえたときは、体のメンテナンスにあてるの。体を休ませておかないと、活動についていけなくなる」
休暇を休養にあてる。アイドルは大変な職業だ。
アヤメは思いもよらない言葉を口にする。
「ミサキちゃん、膝枕をしてほしいです」
「ひ、ひざ、まくら・・・・・・」
アヤメは小刻みに頷く。
「うん。膝枕」
握手、サインはいいけど、膝枕はためらいがあった。話し合いで解決できるなら、膝枕をしないほうに持っていきたい。
「ミサキちゃんの膝枕は、リラクゼーション効果があるよ」
シノブの一言によって、アヤメのハートに火がついた。
「ミサキちゃん、膝枕をしてください」
ミサキが戸惑っていると、シノブが口を開いた。
「アヤメさんの希望をかなえてください」
ミサキは深呼吸を繰り返したあと、膝を差し出す。アヤメはすぐさま、頭を預けてきた。
「とっても気持ちいいニャー。最高の気分だニャー」
猫の言葉を後ろにつけるトップアイドル。テレビに出ているときは、明らかに別人である。テレビ関係者が見たら、どのように思うだろうか。
「ミサキちゃんの太腿をさすりたいニャー」
「ちょっとだけならいいよ」
アヤメは掌を上下させる。
「私の太腿よりも、ずっとずっと細いね」
「そんなこと・・・・・・」
「そんなことあるよ。ミサキさんの足、私の足を交換したい」
「アヤメさん・・・・・・」
「ミサキさんがアイドルをしていたら、私よりも確実に売れていた」
「私にアイドルの素質はないよ」
スタイルがいい=アイドルで成功とはならない。アイドルでやっていくためには、いろいろなスキルを要求される。
「ミサキちゃんの膝枕で、少しだけ眠ってもいい?」
「うん。いいよ」
アヤメは目を瞑った。ミサキはその様子を、母親みたいに見守っていた。