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のほほんキツネは重役キツネ

 ダストンは白目をむいて完全に意識を失っている。石造りの床なので一瞬心配したが、呼吸はしっかりしているし大丈夫そうだ。

「……今のはビースタリアでよく使われる柔術ね。以前使い手と戦ったけど、対策なしだと懐に入られた時点でやられる厄介な技だったわ。……それにわざわざ加減して致命傷にならないようにしている。相当やるわね」

 エプリはそうポツリと呟くと、ネッツさんに対して僅かに警戒するような仕草をする。

 今の柔術と言い以前のヌッタ子爵の言い回しと言い、どうやら獣人の国はどこか日本に似ているらしい。或いは日本がそちらに似ているのかもしれないが。

「さあてと。……ああ。これはいけませんね。こんな所でのびていては、列に並ぶ方々に踏んづけられても文句は言えませんよ」

 自分でやったくせにそんな事を言いながら、ネッツさんはパンパンと軽く手を打ち鳴らす。すると職員らしき人が何人も出てきて、床でのびているダストンを運んで行った。……どこへ連れて行かれるのかは知らないが、あんまり良い所ではなさそうだ。

「さあさあ皆々様。お騒がせいたしました。どうぞ商談をお続けになってください」

 ネッツさんがゆっくりと頭を下げると、周囲の張り詰めた空気も大分緩和されて再び列が動き始めた。

 そうして大体の流れが落ち着いたのを見届けると、ネッツさんは最初にダストンに絡まれていた若い男の所に歩いていく。

 彼は突き飛ばされて少しふらついていたが、ネッツさんが近づいてきたのを見ると無理やり背筋を伸ばして迎える。どこか緊張しているように見えるけど何だろうか?

「貴方は確か……ロイさんでしたか。災難でしたねぇ。大丈夫ですか?」
「い、いえ。これくらい商人にとってはよくある事ですから。全然平気ですっ! それと、俺みたいな駆け出しの名前をネッツさんみたいな方が憶えててくれるなんて感激です!」

 この人はロイと言うのか。しかしこの口ぶりだと、ネッツさんってどうやら相当な有名人みたいだな。

「そりゃあ憶えますよぅ。このギルドで登録したり商談したヒトは、全員顔と名前と簡単な情報くらいは憶えるようにしています。誰がいつお得意様になるか分かりませんからね」

 ネッツさん今サラッと言ったけど、それって大分凄い事なんじゃないか? 記憶力が悪くてテストにヒイヒイ言ってる俺からしたら何とも羨ましい。

 なおも目を輝かせるロイさんに対し、ネッツさんは一言二言何かを囁く。そのままポンポンと肩を叩くと、ロイさんはネッツさんとジューネやエプリにぺこぺこと礼を言いながら建物の外へ出ていった。

 それを見送ると、今度こそネッツさんはこちらの方に歩いてきた。

「お待たせしましたジューネさん。後ろの方々は……護衛ですか?」

 ネッツさんは俺達の事を聞く時に一瞬だけ逡巡したように見えた。まあその気持ちは分かる。

 顔をフードで隠した人物と、よく見たら胸の所に何か変な物をくっつけている少女。そしてあまり強そうじゃない男。このメンツを護衛と見抜けるだけで凄い。

「護衛であり取引相手でもあります。アシュが急用で来られなくなったので代理だと思ってください」
「アシュさんの代理とは恐ろしい。お手柔らかにお願いしますよぅ」

 ネッツさんは帽子を取って胸に当てると、俺達の方に向けて軽く一礼する。俺達もそれぞれ返すのだが、やはりエプリは完全には警戒を緩めない。

 失礼に思われたかと相手をチラリと見るが、あまり気にしていないようだった。ドレファス都市長と言いヌッタ子爵と言い、この町の人は度量が広い人が多い気がする。




「では皆様。こちらへどうぞ。奥でお話を伺いましょう」

 そう言って歩き出すネッツさんに俺達も続く。……そうだ。気になったから今の内に聞いておくか。

「なあジューネ。聞いてた話と大分違うんだけど」
「何がですか?」
「さっきの説明だとネッツさんは物の仕入れを担当する職員の一人って感じだったけど……見ろよ」

 途中何度か職員らしき人とすれ違うのだが、皆してネッツさんにしっかりとした一礼をしていく。

 中には尊敬の眼差しで見ている人もいるのだ。まあネッツさんの方も気楽な調子で一人一人にちゃんと一礼しているのだが。

「さっきのロイさんの口ぶりと言い、ただの職員にしてはなんか変じゃないか?」
「別に変じゃありませんよ。()()()()()()()()()に敬意を払っているだけです」
「……ちょい待ち。商人ギルドの仕入れのトップって……それ相当偉くないか?」

 商人ギルドと言えば物と金の流れに強い影響力がある。そこの仕入れのトップと言うのはかなり重要な役職だと思うのだが。

「大体ですが、このノービス支部ではギルドマスターの次の次くらいに偉いらしいですよ」
「それ普通に会社で言ったら重役級じゃないかっ!」

 今度の商談も一筋縄ではいかなさそうだ。



「物資の補充ですか? 構いませんよ」
「交渉成立ですね」
「……えっ!?」

 俺がつい声を漏らしてしまったのは責められないと思う。だって交渉に入ってからまだ五分も経っていないんだぞ。

 この商談用に設えられた部屋の一つに入り、ジューネが簡単な近況報告をし、それから本題である物資の補充について切り出した瞬間にこれだよ! ヌッタ子爵との商談とはえらい違いだ。

「早く物資の交渉が終わったのが不思議ですか?」
「まあな。ヌッタ子爵みたくこう丁丁発止の交渉が展開されるのかと気合を入れてたんだけど」
「物資については昨日の内にリストを送っておきましたから。必要な物とその値段、用意してほしい予定の期日や金額の支払い方法などもね。後は実際に会って細かなすり合わせをするだけという訳です」

 そう言えば昨日アンリエッタが言ってたな。ジューネが手紙を何通か送っていたって。先に交渉の内容を知らせておいて時間の短縮を図ったって事か。

 ヌッタ子爵の場合は実際に見てみないと分からない品物が多かったからあんまり意味はなかったようだけど、こっちの方はバッチリ効いているみたいだ。

「それにしても何も変更がなかったというのは驚きました。私が言うのもなんですが、リストのままで良かったんですか? ネッツさん」
「構いませんよ。物資は十分に用意できる物でしたし、納品の期限も無理のないものでした。多少適正価格より値切ってありましたが……まあこれは最初から商談の中で私が引き上げると予測してでしょうかね。このくらいならここは一つ、()()()()()()()()という事でお受けしましょうか」

 これにはジューネもちょっと苦笑い。本来なら値段の競り合いをする予定だったのだろうが、先にOKを出されては交渉しようがない。それに向こうは全て分かった上で譲歩してくれた感じだしな。

 ジューネにとっては金が儲かった分代わりに、借りを一つ作ってしまった形になる。こういう目に見えない貸し借りは結構後々に効くんだ。素直に適正価格にしておけば良かったかもな。




「ほうほう。あの町でそんな事が」
「そうなんですよ。アシュが居なかったらどうなっていたか。……まあ居なければそもそも関わらなかったんですけどね」

 速攻で交渉が終わり、次の商談までは少し余裕が有るので軽く世間話に興じる事に。と言っても商人からすれば、世間話こそが大事な情報源なのだが。

 ジューネの話はどうやら俺達と会う前の事が主なようで、俺達もビックリする話も多かった。ジューネとアシュさんはこのノービスを拠点に幾つかの交易都市を回っていたらしい。

 旅路は安穏としたものばかりではなく、時には道に迷ってモンスターに襲われ、またある時は人同士のいざこざに巻き込まれた。

 その度にジューネの交渉術やアシュさんの力技で乗り切っていく様子は、子供の頃に読んだ冒険譚そのままだ。ワイバーンの群れに襲われた所なんか手に汗握ったもんな。一緒に居た商人や冒険者と協力して切り抜けたりとか。

 それをジューネが臨場感たっぷりに語るもんだから尚凄い。ネッツさんも驚きながら聞き入っていた。

「そう言えばネッツさん。最近魔石の値段が高騰等していませんか?」
「……? いえ。特にそういった情報は来ていませんが。この所値段も安定しています。……何かありましたか?」

 ジューネはその言葉を聞いて、こちらの方にチラリと視線を向ける。

 魔石と聞いて思いつくのは二つ。俺の持っている鼠凶魔の魔石と、昨日このノービスに入ってすぐの事故で、積み荷の中に有った大量の魔石の事だ。

 俺の魔石だったら交渉は全部任せるつもりだったので別に良い。事故の方はややきな臭い感じがするが、目の前のネッツさんは商人ギルドの重役だ。物流から何か分かるかもしれない。

 この場合、唯一の懸念は目の前の相手がその件に最初から噛んでいる場合だが……俺より付き合いが長く商人として勘も鋭いジューネが話そうとしているんだ。多分問題はないだろう。

 念の為エプリともアイコンタクトを取るが、エプリは我関せずの態度だ。セプトもそういう所にはノータッチだし、ここはジューネの意思を尊重しよう。

 俺がそのまま静かに頷くと、ジューネも分かったというかのように軽く頷き、ネッツさんに昨日の出来事を話し始めた。

 荷車の横転。積み荷の中の大量の魔石。貴重な物を運ぶ割に護衛もなく、人気のない所での横転がきな臭いという事もだ。ネッツさんは話を聞いている内に少しずつ難しい顔になっていく。

「……という事があったんです。ネッツさんの耳には何か届いていないかと思いまして」
「ふ~む。期待に沿えなくて申し訳ありませんが、特に情報は来ていません」
「そうですか」
「いえ。寧ろこれで良かったのかもしれませんよ」

 少しがっかりした顔をするジューネだが、ネッツさんの言葉にどういう事ですかと首を傾げる。

「私の耳に入らなかったという事は、完全に非正規の流れの物である場合か、かなりの力を持つ誰かが隠そうとしている場合です。どちらにせよ下手に探れば手痛いしっぺ返しを食う可能性があります。安全を取るなら関わらないのが一番ですよ」

 ネッツさんは諭すように、そしてジューネの身を案じるようにそう語った。その意見には俺も賛成だ。

 別に法に触れている訳でもないし、荷物はベンさん達衛兵に没収された。御者のラッドさんも医療施設に送られたらしいし、これ以上わざわざ掘り返す事もない。

 ジューネはどこか釈然としない風だったが、これ以上の詮索は難しいと判断したのか素直に頷いた。

「それにしても、久しぶりにこちらに来たと思ったらクラウドシープに乗ってくるとは、流石はジューネさんですね。やはり私のヒトを見る目はそれなりにあったようですねぇ」
「褒めても何も出ませんよネッツさん。色々ありまして少し都市長様と繋がりが出来ただけです。ネッツさんも個人的に繋がりがあるでしょうに」

 話題を変えてきたネッツさんの言葉を、ジューネは何でもないようにさらりと返す。やはり町の偉い人同士だと繋がりがあって当然か。都市長としては町の物流に一枚噛んでいる方が自然だしな。

「いえいえ。私はギルドという組織としての繋がりに過ぎません。ジューネさんのように個人としての繋がりを持てるヒトはとても珍しいんですよ。これからも是非良き取引相手として、ご贔屓にしていただければ幸いです」
「それはこちらこそお願いしたいところです。これからもよろしくお願いします」

 ネッツさんが言葉と共に差し出した手を、ジューネはしっかりと握り返す。これがこの商談の終了を知らせるものとなった。

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