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その②

 東方人街を出て屋敷へ戻る途中、どこかで着替えなければとジャックは辺りを見回しながら歩いていた。
 どれだけ人がゴミゴミしている場所でも、必ず人がいない場所がある。人の目が向かない場所というか、人の意識が向かない場所というものが。
 貴族の屋敷や上品な店が建ち並ぶ二番街に入る前に着替えなくてはと手近な路地に入ろうとしたとき、ジャックはそこから勢いよく飛び出してきた何者かとぶつかった。
「いてっ……って、ピーか!?」
「どいてくれ! 逃げないと!」
 ぶつかってきたのは、全身黒ずくめの背の高い男――ピーだった。いつも飄々として掴みどころがない彼が、ペストマスク越しにでも焦っているのがわかる。路地裏を自在に移動する彼が、こんなに慌てて表に飛び出してくるなんて、尋常ではない。
 神経を研ぎ澄ますと、近づいてくる複数の足音が聞こえてきた。だからジャックはピーの肩に手を回し半分担ぐ格好になり、駆け出した。
「……すまない。五秒間だけ目を瞑ったまま走ってくれ。それと、若干ピリッとする」
「わかった」
 駆けていると、ピーがゴソゴソと懐から何かを取り出した。言われた通り目を瞑ると、ピーが取り出したものを放る気配がした。その直後軽い破裂音して、刺激的な匂いが匂いが鼻をついた。
「煙幕か!」
 五秒経った頃、走りながらジャックが後ろを振り返ると、背後が真っ白な煙に包まれて見えなくなっていた。逃げるにしても、相手がこちらを追いにくくしようということらしい。ピーを担いでいてはいつもの速度は出ないため、この対処は非常に助かった。
「で、一体、何に追われてたんだ?」
 一番街まで無事に逃げ込んで、間もなくサジュマン家の屋敷が見えてくるというときになって、やっとジャックは尋ねることができた。
 半端に市街地だと逃げるのも大変だったが、貴族のお屋敷街に入ると夕暮れ時は人目がほとんどなくていい。それに、追手もここまでは来られなかったようで、ひとまず落ち着くことができた。
 辺りを見回して安心できたのか、ピーもようやく口を開いた。
「僕の薬が邪魔だって言って、いきなり攻撃を受けたんだ。……大体、どんなやつらなのか見当はついてるけど」
「ピーの薬が邪魔って、まさか……」
 本来、薬売りのピーはガーデナー相手にだけ商売をしていた。ひっそりと路地に隠れて、神出鬼没に商いをしていた。
 それを表に引っ張り出したのは、ロランヌとジャックだ。クインガーデナーにかかれないような貧しい人が、せめて薬を買って病を防げればいいと。冥界の花樹に寄生する得体の知れない植物にはピーの薬が効くとわかったから、一般人にも売ってやるよう無理に頼んだのだ。
「とにかく、一旦サジュマン家まで来てくれ。手当てをしたいし、お嬢様にも報告したい」
「本当は嫌だけど……今から自分のねぐらに帰るのもしんどいしね。わかったよ」
 フレールからの情報でわかったことが、ピーの話に繋がった。そのことを丁寧に整理するにも、落ち着ける場所に行く必要がある。
 ジャックはまたピーに肩を貸し、すっかり日が落ちた道を屋敷まで急いだ。
「帰りが遅いとまた叱らなければならないのかと思っていたら……その姿、薬売りの方ですか」
 使用人用のドアから屋敷の中に入ると、待ち構えていたバローがジャックとピーの姿を見て面食らった顔をした。姿を見て薬売りだとすぐにわかったということは、ロランヌの父母や誰かから聞かされていたのだろう。
「怪我してるんだ。だから、手当てしてやりたい」
 これだけ言えば伝わるだろうと手短に用件を伝えると、バローは頷きひとつでピーを支えるのを手伝ってくれた。長身なぶん、細身でもジャックだけでは運ぶのが大変だったのだ。
「客間へお連れするか?」
「いや、自分なんか倉庫か何かにでもぶち込んでおいてください。貴族じゃないのに客間になんて通されたらいたたまれなくて傷が悪化する……」
 バローは丁重にもてなそうとしたのだろうが、それをピーが激しく嫌がった。
「じゃあ、空いてる使用人部屋に。掃除はしてあってきれいだ」
 手当てしたいのに居心地悪くさせるのは本末転倒だと、手近な使用人部屋に連れて行くことにした。
「何か必要なものはあるか? 食事や傷薬を持って来るか?」
「薬は自前で間に合ってるんで……それより、お嬢さんを呼んでもらえますか。夕食時でしょうから、終わってからでいいので」
「わかった」
 寝台の上までピーを連れて行くと、バローはすぐに部屋を出ていった。
 ピーが自分からロランヌを呼んでくれと言ったことに、ジャックは事態の深刻さを悟った。
「ピー、もしかして冥界の花樹を傷つけられたのか?」
「まあ、かすっただけど。だが、つまりそれは相手は同族ということになるな。ガーデナーか薬売りか、ランバージャックか」
「……同族?」
 冥界の花樹は、普通の人間には見ることができない。だからそれを見て触れることができるということは、ガーデナーもランバージャックも近しい能力を持っているということになるのだろう。だが、冥界の庭を安定させ人々の命と健康を守ることができるガーデナーと、冥界の花樹を傷つけることで命を刈り取ることができるランバージャックが、同族だと考えたことは一度もなかった。
「そっか。君もお嬢さんも知るわけがないんだな。教えてくれる人たちがみんな死んじゃったから……まあ、今は別々の能力になっちゃったし待遇も違うから理解できないだろうけど、元々は同じ能力なんだ」
 溜め息をつくみたいに言ってから、ピーはおもむろにペストマスクを外した。マスクの下から現れたのは、黒髪に黒目の、ジャックがどことなく親近感を覚える容姿の男だった。
「ピーも、もしかして……」
「そう。僕もジャックと同じ、東方人の血が混じってるのさ。というより、冥界の花樹を見ることができるのは東方由来の力だと思って間違いない。東方の国には得体の知れない能力を使って病気と戦ったり魔を祓ったりする人たちがいるんだけど、冥界の花樹の手入れもそのひとつの能力らしい」
「へ、へえ……」
 突然のことに驚いて、ジャックはうまく反応することができなかった。ピーが自分と同じで東方人の混血だということも、ガーデナーを始めとした冥界の花樹を見て触れることができるのが東方由来の力だということも、にわかには信じがたい。
「たぶんだけど、この国というかこの地域に、似たような能力持ちは元々いたんだ。それがたぶん、お嬢さんのような生粋のガーデナーだな。そこに東方の血が入り込んで、薬売りやランバージャックのような亜種が生まれたんじゃないかっていうのが、僕の説。僕の一族はいち早く表から姿を消すことを選んだし、出自や由来になんて興味ないから、これは誰かが教えてくれたとかではないんだけど」
 詳しく説明されればされるほど、ジャックの頭は混乱してきた。いろいろ知れば自分のこともいつかわかると思っていたのに、新しくもたらされた情報は、何ひとつ事態を前に進めてはくれなかった。
「まあとにかく、僕を追ってた相手の中に同族がいるってことだな。貧しい人に薬をばらまいて、それによって冥界の花樹に変な植物を寄生させ、その花を採取してまた薬を作って……ってしてる連中だ。だから、治療薬を作れる僕が邪魔だったんだ」
「それ、どっかの宗教団体らしい。救貧院を運営して、貧しい人を取り込んでるって話だ」
「ジャックも追ってる情報か。それにしても、下衆だね」
 情報交換したところで、ドアがノックされた。ドアが開くより先にピーは再びペストマスクを装着し、寝台の上に体を起こした。
「まあ、ピー! 怪我をしているんですってね! 大変だわ」
「いやあ、いきなり冥界の樹をブチッとやられてしまいまして……体はピンピンしてるんですけど」
「なんてこと……! すぐに見るわね」
 呼ばれた意図を理解したロランヌは、ピーのそばへ行ってすかさず目をすがめた。隣でジャックも、その様子を見守る。
「……よかった。小枝をむしられただけね。幹は傷ついていない」
 ピーの冥界の庭に散らばった数本の枝を拾い上げると、ロランヌはそれを丁寧に幹に接いでいった。ロランヌのガーデナーとしての能力は、この接ぎ木にこそある。鋏を出現させるのが不得手なのもあるだろうが、接ぎ木でこれまでたくさんの人の庭の状況をよくしてきたのだ。
「ピーのメグスリノキは丈夫で立派で、素敵ね。……よし、大丈夫よ。全部接げた」
 ひとしきり接いだ枝を引っ張ったり撫でたりしてから、ロランヌは納得したように頷いた。その額にはうっすらと汗が浮かんでいる。こともなくやってのけるが実際は、相当に神経を使う作業なのだとわかる。 
「ありがとうございます。やっぱりお嬢さんはすごいや」
「それにしても、誰がこんなこと……」
 冥界の庭の平穏を取り戻したことで元気になった様子のピーに対し、ロランヌの顔は曇っている。冥界の様子を見れば、これがどういった者の手による犯行なのか、うっすらとわかったのだろう。
 だが、ピーはロランヌにそのことを語るつもりはないらしい。
「世の中には悪いやつも物騒なやつもいるってことです。でも僕は、お嬢さんの味方の薬売りですからね」
「そう……ありがとう」
 ピーが一線引くと決めていることを、ロランヌも尊重することにしたようだ。もしかすると、一般人にも薬を売ってほしいと頼んだあとで今回のことが起きたため、責任を感じているのかもしれない。
「さて、どうするかな……」
 ロランヌが部屋を出ていってから、ピーは低い声で言った。その指先には、何か植物の種を握っている。
「それ何だ? てか、『どうするかな』って何する気? 怪我してんだから、少しの間は安静にしてろよ」
 ピーが何事かを念じれば、種からシュルシュルと蔓が伸びていく。そのどことなく物々しい感じから、ピーがこれから休むつもりなどないことがわかる。
「これさ、同じ植物の種と引き合うんだ。僕を襲撃した奴らにもおんなじ種を仕込んどいた。だから、この蔓が伸びていくほうに近づいていけば、敵のアジトには辿り着けるはず」
「そんなすごいことが……それって、薬売りの能力なのか?」
「……まぁ、そんなとこ。昔から、植物を育てるのが異常にうまいというか、意のままに操れるというか、そういう能力持ちがいたんだよ。僕もご先祖にいたんだろうね。冥界の花樹を見る力とはまた別のものだよ」
 ピーがそんなふうに力の説明をしている最中も、種から出た蔓はスルスルと伸び続けている。
「心配して同情してくれるなら、敵討ちを手伝ってくれよ。保護よりそっちのほうが助かる。変な薬をばら撒いてる連中をこれ以上のさばらせておくわけにもいかないしさ」
「……味方するのはやぶさかじゃないけど、今からか?」
 すっかり夜になっていた。くだらない質問だとわかりつつも、ジャックはつい尋ねてしまう。
 謹慎が解けたばかりで、今後は心配をかけないようやっていこうと決めたばかりのことだ。バローやロランヌの顔がつい浮かんだ。
「今からだよ。何もこっそり抜け出せなんて言わない。僕だってちゃんとお嬢さんに挨拶してから帰りたいし。だから、ひと声かけてから行こう」
「え、あ、うん」
 ジャックの憂いをすぐに見抜いたらしいピーはそう言ってから、ジャックの手を引いて歩きだした。ここに運び込むまで自力で歩行できなかったとは思えないほど、今は元気に動いている。改めてロランヌの接ぎ木の才能のすごさを思うとともに、冥界の花樹が人体に与える影響の大きさに気付かされてしまう。
「お嬢さんはこの時間、何してる?」
「お部屋でくつろいでるはずだけど」
 ジャックの答えを聞くと、ピーは二階へ上がろうとした。すると、そわそわした様子のロランヌが階段を降りてきているところだった。
「ロール様、どうされましたか?」
「ピーのことが心配で、何か欲しいものや必要なものはないか尋ねようと……動けるようになったのね。よかった」
 ロランヌはピーの姿を見るとほっとした顔をしたが、ジャックと並んで二階へ上がってこようとしていたことに気づいて怪訝そうにしている。
「もしかして、二人はこれからどこかへ行くの?」
「そうなんです。薬作りにどうしても必要なことがあるので、少しジャックをお借りしますね」
「そうなの? わかったわ」
 ピーの言葉に不安そうにしたロランヌだったが、ジャックが微笑んで頷いてみせると納得したように頷き返してきた。本当はまだ、聞きたいこともあっただろう。それを飲み込んで納得したふりをしてくれたのはわかったが、ジャックもそれに甘えておくことにする。
「それじゃあ、いってきます」
「気をつけてね」
 手を振って、再び階段を下って行こうとすると、不意に袖口を引っ張られた。振り返るとロランヌが、ジャックとピーを引き留めようとしていた。
「……朝には帰ってくるのよ? ピーも、朝食をごちそうするから一緒に戻ってきてね」
 不安で揺れる瞳を隠して、ロランヌは必死に微笑んで言った。本当はもっと言いたいことがあったのだろう。それをぐっと堪えているのが伝わってきた。 
「ええ、ぜひ。なるべく早めに用事を済ませて戻りますから。お嬢さんは安心してお休みになっててください」
 ピーは小さな子供にやるみたいに、ロランヌの頭をくしゃくしゃと撫でた。そんなことをされるのに慣れていないロランヌは面食らっていた。その隙に、ピーは今度こそ階下へ向かう。ジャックもそれに続いた。
「出かけるのか」
 先ほどのやりとりを聞いていたのか、階段下の通路でバローが待ち構えていた。
「後始末をしてきます。先延ばしにすればそれだけ、いつも通りの日々が戻ってくるのが遅くなりますから」
 ピーの言葉を聞きながら、バローはじっとジャックを見つめていた。お前は何をしに行くのかと尋ねているのだろう。
「ずっと追ってた事件とピーを襲った連中が繋がったので、倒してくる。……貧しい人たちが被害に遭って、お嬢様がずっと心を痛めてるし。それに、悪いやつらは放っておくともっと悪いことをするようになると思うんで」
「お前が自分の好奇心だけで動く人間ではないとは思っていたが、そういうことだったのか……確かにあの惨劇の前にも、まるで試すかのように人が殺される事件が続いた。小さなことでも放置はできないな」
 ジャックの言葉少なな説明でも、バローはどうやら理解してくれたようだ。やはり、ジャックのことを野放しにしているわけではなく、見ているところは見ていたということなのだろう。
「どんなやつらが相手になるのかわからんからな。持っていけ」
「え……いいのか?」
 バローが懐から取り出したのは、大ぶりのナイフだ。当然投げることもできるが、短剣のように使うこともできるくらいの刃渡りがある。
「これは二本でひと揃いのうち一本だ。今回は特別に貸してやる。お前が立派になったら、ひと揃い譲ってやるさ」
「……ありがとうございます」
 その二本でひと揃いのナイフがバローの大切な武器であることは、ジャックも幼い頃から知っていた。そのうち一本であっても貸してくれるということは少しは認めてくれたのだろうかと、面映い気分になった。
「いってきます」
 受け取ったナイフをお仕着せのジャケットの内ポケットに隠してから、ジャックはピーと共に歩きだした。  
 使用人用のドアから出てすぐ、ピーは種を発動させる。さまようように宙に蔓を伸ばす種がより強く反応するほうへ向かえばいいから、二人は走る。
「みんなが安心してこの国で生きていくためにさ、こんな悪はのさばらせてちゃだめなんだよ」
 走りながらピーは言う。その声音から、ペストマスク越しの横顔から、ただの仇討ちではない強い意志を感じる。
「僕たち薬売りがもっと、自分たちも力のある者としての自覚を持って生きていたら、抑止力になり得たんじゃないかなって思うんだ。だから、僕はクインガーデナーであるお嬢さんの味方だし、今回の悪事の当事者たちは倒す」
「……ピー以外の薬売りは、クインガーデナーの味方じゃないのか?」
 決意のこもったピーの口調に、ジャックは疑問に思う。ピーしか薬売りを知らなかったが、この言い方ではピーは他にもいる薬売りたちの中で異端ということになる。
「ガーデナーが女王に重用されるようになってからは、手を貸さないことに決めた薬売りが多かったらしい。あの惨劇のあと、女王がランバージャックを粛清してからはさらにだ。自分たちもいつ難癖をつけて消されるかわかんないって、みんな裏に隠れたんだ。でも僕は、小さなお嬢さんがたったひとりでクインガーデナーとしてやっていこうとしている姿を見て、力になろうって決めたんだ」
 そんな決意があったのかと、ジャックは納得した。だから、本当は表に出るのが嫌なのに、ロランヌのお願いを聞いてクインガーデナーを頼れない貧しい人々に薬を売ってくれたのだろう。
「――ここだ」
 三番街と四番街の狭間にある、通称教会地区でピーは足を止めた。彼が手に持つ種から伸びる蔓は、ある建物に向かっている。
「ここに僕を襲ったやつがいるのは間違いない。それに、薬のにおいもする」
 言うや否や、ピーは目の前の建物の木製のドアを蹴破った。忍ぶつもりも潜むつもりもないらしい。狭い室内で乱闘になることも覚悟して、ジャックは武器を構えた。
「何だてめぇら!?」
「うるさい」
「ぐぇっ」
 飛びかかってきた敵に、ピーは懐から取り出した種を放った。直後、その種が破裂音をさせて爆ぜる。
「ピー、何だそれ?」
 ピーの種を逃れた者を斬り伏せながらジャックは尋ねた。種の爆発によって倒れた者は、その部分が抉れている。多くの者が胸のあたりだ。
「発芽するときに熱と衝撃を伴う種。発芽しろって命じてるだけ」
「お、おう……」
 ピーの答えを聞いて、間違っても流れ弾を食らわないようにとジャックは気を引き締めて進む。
 進めども進めども先々で阻むように敵が現れる。大抵のものはピーの爆破種によって倒れるが、逃れてジャックに向かってくる者もいる。
 ジャックはそれらにナイフを投げ、足を止める。そして一歩で距離を詰め、後ろに回り込んで首筋を一閃する。
 ジャックたちの侵入に気づきあとからやってくる者たちは斧や棒などの武器になるものを携行しているが、そんなものは無意味だ。だが、いかんせん数が多い。
「これじゃ俺を襲ったやつを取り逃がす! 一気に畳むよ」
 ピーが言ってジャックが返事をするより前に、彼は突然立ち止まって床に手をつけた。その直後、ドンッという音と共に床板をぶち破ってたくさんの植物が生えてきた。生えた植物は瞬く間に成長し、ジャックたちに襲いかかろうとしてきた敵を片っ端から枝に絡めとっていく。
 いつまで湧いて出続けてくるかわからない敵をすべて倒すのは無意味と考えたらしく、ピーは相手の動きを止めることにしたようだ。
 まずいと思って引き返そうとする敵も伸びた枝がまとめて絡め取り、ジャックとピーの他に動く者のいなくなった廊下を二人は駆けていった。
「いた! 動くな!」
 廊下を進んでいくと、建物の裏口についた。そこには、荷物をまとめて逃げ出そうとする数人の男たちの姿がある。ここにくるまでの間ピーが握りしめていた種から伸びる蔓が、そのうちのひとりを絡めとって雁字搦めにした。
「逃がすかよ!」
 捕まった仲間を見捨て逃げようとする他の奴らも、ジャックが投げナイフを放ってドアに縫い止めた。そのあと、手刀で意識を奪う。誰ひとり逃げられなくしてから、ピーは雁字搦めにした敵の襟首を掴んで締め上げる。
「この組織の親玉は誰だ? なぜこんなことをする!?」
 日頃の飄々として掴みどころがないピーの姿からは想像もできないほど、怒気を孕んだ声だった。貧しい人々のために薬を売っていただけなのに命を狙われたのだ。怒るのは当然のことと言える。だが、怒りをぶつけられ体を拘束されても、相手の男は怯むことはなかった。
 ピーの顔を正面から見つめ返し、不敵に笑う。
「キング様の大いなる計画の妨げになるから、排除しようとしたまでだ。この生ぬるく腐った国で目覚めないまま死んでいくお前のような者には、あの方の計画は理解できまいが」
「キング様? 計画? お前は何言ってるんだ? 貧しい人に怪しげな薬を与えて冥界の庭に寄生植物生やして昏睡にするのが大いなる計画だっていうなら、ずいぶんと崇高な計画だな」
「この国を生まれ変わらせるための贄となるのだから、路地裏で野垂れ死ぬより有意義だろ。キング様は無意味な者の生にも意義を与えてくださる」
「ふざけるなよ!」
 男の言い分に腹を立てたピーが、声を荒らげた。それに呼応するように、男を締め上げる蔓にさらに力が入る。ゴキグキッと嫌な音がして、男の顔が苦痛に歪んだ。
「俺を締め上げたところで何も変わらない。薬は作られ続けるし、貧しい者は夢を見続ける。こんな現実で生き続けるよりも、朦朧とした意識の中で束の間幸せな夢を見たほうがマシというものだからな」
「他に薬を作る場所があるってことか!?」
「そもそも、俺たち自体が陽動だったとも気がつかんのか?」
 苦痛に耐えながらも、男は勝ち誇った笑みを浮かべていた。不吉に思い、ジャックは〝目〟を開いた。
「ピー、危ない!」
 ジャックがピーの冥界の庭を覗くと、何者かの手が伸びてきてメグスリノキを害そうとしていた。身動きが取れないはずの、目の前の敵の手だ。こいつが能力を使ってピーの冥界の庭に攻撃をしようとしているとわかって、ジャックは咄嗟にナイフを投げた。
「ぐわっ」
 ピーが男から距離を取り、飛んできたナイフはぐるぐる巻きついた蔓越しに男の胸を貫いた。胸に血がにじみ、男は口から血の混じった泡を吹く。
「……今頃キング様は、大望を叶える足がかりを得ているはずだ。お前たちが、こんなところで無駄足を踏んでいる間にな」
 血の泡を吹きながら、男はなおも勝ち誇ったように言う。その言葉や態度から、ジャックは自分たちがここにいるのは間違いだと気がついた。
 遅かれ早かれここへ来るよう誘導されていたのだと理解した途端、背中に嫌な汗が走る。
「キング様は、必ずあの女狐を蹴落とし、明るい世界を……開いてくださる。ガーデナーばかりが優遇される腐った世界ではなく、ランバージャックこそが……」 
 最後まで言い終えることなく、男は脱力して動かなくなった。
「……くそっ」
 自分たちがまんまと敵の策に嵌っていたことがわかり、ジャックは苛立った。
 嫌な予感がしながらも、その正体をまだ掴めていない。だから、これまで集めた情報を精査するしかない。
「キングってなんなんだ……女狐ってのは、女王の悪口だろう?」
 ピーの呟きに、ジャックはひらめきを得た。
「女王の悪口……わかった! 女王への反逆を企てる者たちだから親玉が〝キング〟なんて名乗ってて、時計塔をシンボルマークになんて使ってるんだ!」
 この国には、時計塔より高い建物は存在しない。なぜなら、女王がおわす飛空城に近づく行為は不敬に当たるから。そのため、女王への敬意が強い国民は時計塔にすら登らないほどだ。
 女王へ敬意を抱いていないからこそ、こいつらは時計塔をシンボルマークにしているということだ。
「てことは、今回の事件を起こしたやつらは、女王へ反逆を企てるランバージャックの残党や能力を持った者たちってことになる。さっき、大望を叶える足がかりを得てるはずだって言ってたけど……」
 ランバージャックがすべて粛清されたわけではなく生き残りがいたこと。不遇の者たちを集めて女王への反逆を企てていること。今回の薬の件が計画の一端に過ぎないこと。
 これらのことが繋がった瞬間、ジャックの嫌な予感が突然形をとった。
「やばい、ピー! 屋敷に戻らないと!」
「どうした?」
 裏口から飛び出て走り出したジャックを追いながら、ピーが問う。説明するのももどかしいが、これからの局面は人手が少しでもいることがわかっていた。だから、ジャックは口を開く。
「ロール様が危ない! ランバージャックが女王への反逆として狙うなら、クインガーデナーしかいない!」
「そうか……!」
 口にした途端、さらにその不安は濃密なものとなった。それはピーにも伝わったらしく、隣を走る彼も焦っているのがわかる。
 どうか間に合ってくれ、杞憂であってくれ――そう願いつつ、ジャックは夜の道を屋敷へ向かってひた走った。
 


 

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