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第30話【最終話】嵐の冬

「おじゃまします。」

大学1年生の6月。

俺は部活の帰りに、隼と雨宮が二人で住んでいるというアパートの一室に招かれた。

「狭い部屋でごめんね!今飲み物出すから、そこのソファに座ってて」

隼は俺にそう指示を出して、俺の座るソファからすぐ見える位置にあるキッチンへと向かった。

「すごく片付いてる部屋じゃないか。物の配置の仕方も、よく考えられている」

「そうかな?引っ越してきたばっかりの頃は、二人で相当悩みながらインテリアとか揃えたからね〜」

隼はそう言いながら2つのコップを載せたトレーを運んでくる。

俺が思わず口に出した通りこの部屋は、見ているだけで2人の仲の良さや生活がキチンとしていることを感じさせる。

隅々まで掃除された部屋。

多すぎず少なすぎない物の数。

所々にセンスよく置かれる装飾品。

日用品も、洒落た箱や引き出しなどで小分けに収納されている。


「いい部屋だ……」

俺は部屋を見回しながらそう呟く。

俺は元々部屋の構造や物の配置を見るのが好きだ。

それは小学生の頃からで、家に入ってくる新築のチラシを眺めて喜んでいるような子供だった。

そんな俺の趣味を周りの奴らは笑ったが、隼は一切笑わなかった。

テニスの帰り、たまたまコートの近くに落ちていた新築アパートのチラシをガン見していた俺にも引かず、むしろその趣味を凄いと褒めてくれた。


「優は相変わらず部屋を見るのが好きだね」

隼は俺の様子を見て、優しくそう微笑んだ。


俺も隼も、大学生になっても何も変わらなかった。

出会った時のまま、2人は成長し、時が過ぎた。

しかし体の関係を持つことは、進学後は一度も無かった。

隼は今この家に彼女と同棲している。

俺が入り込む余地など無かったのだ。


ふと寝室から覗くベッドを見る。

大きなダブルベッドには、フワフワしてそうな毛布がキレイに敷かれていた。


一つのベッドで二人で寝ているのだ。

していないわけがない………


隼の家に招かれてから覚悟はしていた。

しかし、いざそれを見せつけられると、俺の気持ちはやはり沈むことを止められなかった。


「ところで隼。今日は本当に泊まってもいいのか?」

俺はそんな自分の気持ちを打ち消すように、俺の隣に座り冷たい麦茶を飲む隼に聞いた。

「いいよ!今日は梨々も帰ってこないし」

「そうか。」

雨宮は今日、実家での法事があるために帰省しているようだ。

「あと、この課題についてちょっとアドバイスがほしくて………」


隼はテーブルの横に置いてあったファイルを漁り、中からレポートの要項が書かれてあるA4の紙を取り出した。

「経済の授業か?」

「いや……どちらかというと金融の話かな。経済なら何となく得意なんだけど、金融ってなると優のほうが詳しいかなと思って…」

「貸してみろ」

俺は隼からプリントを受け取る。

「……まあ、この講義は俺も来年受ける予定だ。金融は複雑だがわかると面白いぞ」

「まだ面白いとか思えたことないよ……早くその域まで達したい」

「雨宮には聞かなかったのか?」

「梨々もこういうのは苦手なんだって。数字に強いのに不思議だよね」

「数学や化学の数字と金融や経済の数字は恐らくまた性質が違うからな。」

「やっぱりそうなのかー……」

「まあ、俺もそこまで詳しくはないが、この内容ならアドバイスくらいは出来そうだ。」

「本当!?ありがとう!」

俺の言葉に心底嬉しそうに目を輝かせて礼を言う隼。

雨宮がいなくて、行き詰まっている課題がある……

だから隼は、今日俺を呼んでくれたのだ。

喜んでいいのか悲しむべきなのか分からないこの状況に俺は何も言えないまま、隼と一緒にそのレポートを片付けた。


「んあー!やっと終わった!」

時計を見ると午後11時。

俺と隼は、約4時間もレポートに向き合っていたことになる。

パソコンからプリンタへの印刷のボタンを押した途端、隼は達成感を隠さないで大きく伸びながらそう言った。

「ほんとにありがとね優!助かったよ!」

隼はプリンタから出てきたA4用紙5枚分のレポートを確認し、俺に礼を言う。

「役に立てて良かった。」

俺はそう答え、心底安心している隼の様子を眺めていた。

「ねえ優!お礼させてよ!」

嬉しそうな隼を眺める俺の目を見て、隼はそう言った。

「何だかんだレポートやってたせいでご飯も食べてないし……ほんとごめんね、お腹空いたよね?」

「まあ確かに…言われてみれば腹が減ったな」

「じゃあご飯食べに行こ!この時間でもやってるお店探そうよ」

「俺はデリバリーでもいいぞ」

「あ、そっかその手もあった!」


隼は俺の言葉を聞いて、スマホでこの時間に対応しているデリバリーのお店を探している。

「優!こんなのがあるけどどうかな?」

隼は俺にスマホの画面を見せる。

「うーん……何だかどれも胃がもたれそうなものばかりだな…」

「まあこの時間だとそうなっちゃうよねー…」

「なんなら俺はコンビニの物でも良い。確かこのアパートの目の前にコンビニがあっただろう?そこで軽く何かを買ってしまえばよくないか」

「それでいいの?」

「ああ。あと何となく炭酸が飲みたい」


俺の目を覗き込んで聞いてくる隼に俺は答える。

「炭酸かー…確かにうちには無いな…じゃあコンビニに行こっか」

隼は俺の希望通り、コンビニに行くことを承諾してくれた。






その後二人でコンビニへ行き、残っていたおにぎりやサラダ、惣菜パン、ちょっとしたおかずのようなものを買った。

俺は初めて見る珍しいパッケージをした缶の炭酸を買い、隼もそれと同じシリーズの別の味のものを買っていた。


隼の部屋に戻り、2人はダラダラと会話しながらそれらのものを消費した。

夜中にこんなに物を食うのは、厳重な体調管理や体重管理をされていた高校の頃までは考えられないことで、何だかとても大学生をしている気分になった。



空腹に突然炭水化物や甘い炭酸を入れたからであろうか。

隼は段々と眠たそうな動きをする。


「隼、眠いか?」

俺は隣で目を細めモゾモゾと動く隼にそう聞く。

隼はトロンとした目を向けて、「大丈夫…」などと言う。


なんだろう……

この、久しぶりに感じる胸のざわめきは。


俺はそんな自分の違和感を抑えつつ、隼が飲み切った缶を何気なく手に取った。


「……え、これノンアルコールじゃないか」


俺は驚きの余り、つい口に出した。

なんと俺と隼が飲んでいたジュースのようなものは、ノンアルコール飲料だったのだ。

「そーなの……?でも、ノンアルなら…お酒入ってないんじゃないの?」

まだ眠そうにしながらふわふわとした声で隼が聞いてくる。

「いや…確かにほぼゼロだが、ほんの数%は入っているはずだ」

「そうなんだあ……」


もしかしてこいつ……

「隼、お前ノンアルで酔ってるのか?」


とにかくフワフワ。もうフワフワだ。

そんな形容しかできない様子の隼が隣にいる。


信じ難いが……隼はきっと、このノンアルを飲んで酔っているのだろう。

「お前、相当酒が弱い体なようだな」

フワフワしている隼が可愛くて、思わず揶揄うように言ってみる。

「うーん……たしかに俺のかぞく、みんなおさけよわいね……」

「そうか。まあアルコール耐性は遺伝すると言うからな」

「うんー………」

「しっかりしろ隼。まだ歯も磨いてないし着替えもしてないだろう」

「だあいじょうぶだってばー…ちゃんとするから」

「大丈夫なわけあるか。ほら、ちゃんと立て」

フラフラしながらソファから立ち上がろうとした隼を見て、俺も咄嗟に立ち上がり支えようとした。

その時…………




ガタガタッッ!!!


一瞬の出来事に、俺は何が起こったか分からなかった。


「おい……隼………?」


気が付くと俺は、隼に手を引っ張られ、ソファの上で隼に跨られていた。

「おい隼。何してるんだ……」


俺の焦る声を聞き、隼はトロンとした目を細めたまま、厚くてふっくらした唇に弧を描いた。

その悩殺的な悪魔のような微笑は、間違いなく俺と隼が何度も体を重ねていたときに見てきたものだった。


「ねえ優………久しぶりに、しよ?」


隼は俺の上からそう囁く。


「しようってお前………ここは雨宮と住んでる部屋だろ?」

「そうだよ……だけど、ソファでなら、だいじょうぶ」

「どういうことだ……」

そう言いながらも俺は途中で気づいた。

やはり隼と雨宮は、あの大きなベッドでは既に体を重ねているのだ。


「隼……お前もう、雨宮としたのか?」

ずっと聞きたかったけど聞けなかったこと。

それをこの場の勢いに任せて聞いてみた。


「……うん……したよ……」

再び俺に向けられる妖艶な流し目。

その下にある唇から出たその言葉は、本来であればショックを受ける言葉のはずなのに、この状況で発せられると、なぜだが異常な色気を感じさせた。


「そうか。……よかったか?」

俺も止まらず、気になることを聞き出していた。

「うんー……よかったよーきもちよかったー」


隼は相変わらずフワフワとした意識のまま、俺の質問に答える。


「でもね、優………なんで俺が今日、部屋に呼んだか、まだわかってないの……?」



今見たら、終わりだ。

これまでの理性の糸も完全に切れる。


脳内ではそう瞬時に判断ができた。

しかし、俺は怖いもの見たさのような感覚で、隼の目を見てしまった。


(………来る………!)

そう確信した途端、やはり隼はあの吸い込むような目で俺を捉え、一瞬にして俺の唇を奪った。


ふっくらしていてまるで吸い寄せるような隼の唇は、少し湿っていた。


隼は自分の手で俺の顔を包み、俺に何度もキスをした。

舌を入れてくるかと思えば入れずに、ただ俺の唇を艶っぽく舐めるだけだった。


「……隼………いいのか?お前……」


俺の脳は、もう溶けかけていた。

辛うじて維持してきた倫理観と世間体という理性を繋ぐ糸は、もう擦り切れかけていた。


「……今更だよ優。そんなこと気にするなら……もう俺ら、とっくに終わってる……」


もはや、完全に欲に駆られた妖美な悪魔だった。

隼は一度こうなると、倫理観も世間体も常識も、何もかもが吹っ飛ぶようだ………

隼は俺の上で、欲情した甘美な笑みを浮かべている。




「……んんっ!!!」


俺も堪らず、下から隼の顔を包んで唇を奪った。

「んーっ……はぁっ……」

突然の俺のキスに、隼は懸命に息を継ぐ。


「……確かにお前の言う通りだな隼。俺達、もうとっくに感覚がぶっ壊れてる……理性や常識なんて、あったもんか…………」


俺のその言葉に、隼は満足そうにまた微笑み、俺の唇を受け入れた。

隼がわざと眠いふりをして俺を誘ったのか、それとも本当に眠いからこそ普段抑えていた欲望を全開にしたのか、本当の所は分からない。

しかし久しぶりの隼の体温に、俺はそこから思考が途絶えた。

最後に記憶しているのは、何気なく見つめた隼と雨宮のダブルベッドだった。



















ある冬のある日。

土砂降りの空が落とす大きな雨は、窓を強く叩きつける。


こんな嵐の冬が来ると、俺はいつもあの日を思い出す。



そしてそれは、奴も同じなのだろうか……



ピンポーン


一人暮らしの俺の部屋のインターホンが鳴る。


ドアを開けると、そこには次の春、大学を卒業したら雨宮と結婚することが決まっている隼が立っていた。


濡れた体が外の嵐のような感情と渦巻く欲情を帯びている。

隼を招き入れた俺は、ふと窓の方を見る。

(そう、あの夜も、こんな嵐だった…)


初めて体を重ねたあの夜のことを、俺は思い出していた。

2人の行き場のない熱の疼きを互いに受け入れることに、ついに終わりは来なかったのである。

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