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4 玉生ホーム探検隊





 そろそろ昼休憩も充分だろうと、彼らは再び生け垣を通って玄関ホールに戻る事にした。

「いよいよ本殿に突入かー、ワクワクするよな」

 玉生がスニーカーを履いている間に、スキップでもしそうな足取りで駆が先を行く。
寿尚はちいたまを乗せた茶トラに「わかってると思うけど、ちいたま落とさないでね」と念を押しながら抱き上げていて、緑を愛する翠星は生け垣に気を取られているらしく足取りがやや重い。
詠はマイペースに辺りを観察しているが、玉生のすぐ後ろに続いている気配があり、時々「この材質? 謎……」という呟きが聞こえてくる。

 
 温室側の扉を抜けた玉生が玄関まで戻ると、駆はそこから先へ一人では進まずにキョロキョロと辺りを見回していた。
彼らが来たのに気付くと、「居間までの土足部分を広く取ってるが、一応ここに近道っぽいのがあるぞ」と彼の目の前の壁を指差す。
玉生が改めて見てみると、辺りが全て白一色で指摘されるまで気付かなかったが壁の一部に扉の形に窪んだ箇所があり、覗き込んでみると壁一枚に隠れた上り階段になっていた。
ただしそこからは土足厳禁らしくその堺が上がり框になっていて、膝から肩の高さのスイングドアが付いている。
その内側にスリッパが何足か置かれていたので、それを見た玉生は内心で安堵した。
入り口に靴箱も上がり込む様な段差も無いので自然と土足で入り込んでいたのだが、途中で靴を脱ぐべきだったのかと思い至ってずっと気になっていたのだ。
 そこでホッとして余裕ができたからかほかの部分にも目がいき、それで気になったのが天井と壁との間に開きがある事で、玉生の目線を追った駆が「一階のこの辺は吹き抜けで、反対側はロフトかなんかになってるんじゃないかな」と玉生にその推測を披露した。
 そんな玄関付近の壁にはあちらこちらに点々と、玉生の頭より高い位置から膝の位置まで大小様々なデザインでいくつかフックが取り付けられていて、鞄やコート類を掛けるのに重宝しそうだ。

「温室も部屋の中も思ったより温かいし、コートはここに掛けておいてもいいな」

 駆はそう言ってピーコートを脱ぐと、さっさと目の前のフックに引っ掛けた。
言われてみれば、昼下がりに家の中でコートを着ているのは少し暑いかもと玉生も思った。
翠星も「たしかに家の中では、コートいらんすね」とモッズコートをフックに掛けているので、玉生も地味なグレーのダッフルコートを脱ぐ事にした。
このコートは院で悪目立ちしないようにあえて地味な色を選んだのだが、日尾野の家で扱っている型落ちの上に地味な色だからと予算内で売ってもらえた一品で、着心地も良くて温かい玉生のお気に入りなのだ。
そのコートの下は動きやすい様にと長袖のTシャツに薄手のセーターしか着ていなかったが、家の中は断熱もしっかりしているのかコートを脱いでも特に寒くはない。
それを見て詠も「結構これが重い」と言って脱いだインバネスコートを、自分の頭の高さにあった二股のフックに掛けるとマフラーも畳んで鞄に仕舞う。
寿尚はダウンがお猫様のクッションになっているのでそのままでいるが、みんながシャツやセーターに防寒度を下げた中でも、自律神経が頑健なので涼しい顔をしているのだった。
そんな暑さにも寒さにも強い彼は、飼っている猫の方に部屋の温度を合わせるのも当たり前にやっている。


 身軽になって改めて、玄関正面の壁から温室とは逆の右方向を見ると、白い石が敷き詰められた土間と言うにはオシャレな長い廊下が突き当たりにまで続いていた。
基本的に外壁と一緒で屋内の壁も白が多く使われ、その中に木目調の窓枠や家具とアイボリーホワイトのカーテン、照明や取っ手などのワンポイントに黒などと、色の傾向で統一感を持たせたといった印象の家だ。
その右側の壁沿いに蛇口が三つ並んだ学校の設備のような長い手洗い場と、腰高の窓の邪魔にならない高さで格子に組まれた棚が段々に積まれていて、軽く叩いて強度を確認した駆が言うには「しっかりしてるから、上に座って一休みできるぞ」らしい。
手洗い場のシンクは膝から腰の高さの白いタイルで、シンク下のパイプ棚には何足かのサンダルが並んでいたりもする。
そのサンダルも汚れ一つ無い未使用の物に見えるので、縁側があり和室もある事から土間と部屋との行き来を考えて、家の備品として用意された物かもしれない。
その洗い場と棚との間には、前後に籠の付いた自転三輪が停められていて、タイヤの空気やブレーキのチェックを手早く済ませた駆に「やったな、マオマオ! 買い出しとかに便利だぞ」と言われるまで、それも自分に贈られた物だと思いもしなかった玉生であった。
ちなみに前二輪で籠も大き目なのでそれなりに幅を取っているが、それが邪魔にならないくらいに棚の奥行きには余裕があり、そんな棚などがあっても全く邪魔にならない広さがその廊下にはあったりするのだ。
そして壁には等間隔で大き目の窓が配置され部分部分で天窓もあり、外から見た時の記憶からするとこの先の壁も同じだけの採光が望めるだろう明るい家である。

「外から帰ったら、手洗いうがい」

 詠がぼそりと呟いてレバーハンドル式の蛇口を押し下げ言葉通りに手を水で清めたのを見て、玉生もその隣で同じく蛇口に手を掛けながら溜め息を吐く。

「この先に進むのが怖い……っていうか、本当に僕が住んでもいいのかなぁ?」

 すぐに追い付いて来ていた、ぐっすり眠ったちいたまを抱き込んで一同を観察する目付きの茶トラを抱えた寿尚の耳に、玉生のその完全にひるんだ声が聞こえた。
それに対して「わざわざ指名していたという事は、たまが相続しないと叔父さんにとって不本意な結果になるという考えもあるよね?」と直球で聞いたのは、どう見ても玉生の性格上「得した」で貰える限界を明らかに超えていると確信したからだ。
「辞退する方が……」などと思い詰めて言い出す前に、受け取らない方が譲った方の意思としては不本意な結果になるだろうと、その要らぬ心配を潰しておくべきだろう。
 寿尚には玉生の叔父である倉持宝氏本人との直接の面識はないが、代理人という男から「親の遺産も子供を引き取る補助金も私物化し、まともに食事すら与えなかった縁故筋に自分の資産は一切渡すつもりはないので、甥の玉生に話が行った場合はご助力願う」という言葉を言伝てという形で託されている。


 玉生と知り合って割と早いうちに、珍しい物を扱う宝と家業の事で縁ができ取引相手として評価はしていたが、玉生の親しい友人としては当初思うところがあった。
しかし玉生が日尾野の家に出入りを許されていると、どこかから聞きつけた顔さえまともに知らない様な関係の親族が、孤児院で放置している子供を口実に縁をつなごうと目論む図々しさと、その時に子の母親とその弟の一方的な見解での事情をペラペラと聞かされた経験を経ては、宝が直接関わらず裏で手を回すのも無理はないと納得したので今はもう根には持っていない。
ましてや不当に搾取する輩と玉生との関わりを持たせない方針には、当然ながら協力しないはずがないのだ。
 だから素直に叔父から甥への贈り物の受け渡しを後押しもする。

「引っ越すからには多少の事は知っておきたいから、たまの後見人と連絡を取って少しこの家の事を聞けたけど、宝さんがいつか譲渡するからとたまのために買った物も多数あるそうだよ」

 それを聞いた玉生が、言葉にはできないながらも感激しているのは見るからに伝わってきた。
これは寿尚が実際に傍野という男から聞いた話で、その時になんとなく宝は姿を隠す必要があるだけで実際はどこかで生存しているとそれとなく匂わせる口振りでもあったので、思った以上に単純ではない理由があるのだろうと悟ってそれを含めて協力する気になったのだ。

「マオマオも好意を受け入れる決意をした事だし、奥へ進むぞ〜」

 空気を読んだのがむしろ壊したのか、手を洗うついでに洗顔までしてスッキリした駆が弾む足取りで、突き当たりの角を曲がり「おっ」と声を上げた。
続いて玉生も角の向こう側をドキドキしながら覗き込むと、ここまでより空間的に幅広いがまだ廊下の続きのようなそこに、落ち着いたグレーのL字形ソファーを中心にした応接セットが設置されていた。
玉生が窓から目撃したのは位置的に見て、おそらくこの壁際にテーブルを配したL字ソファーの背の長い部分だ。
壁の上部から三連のスポットライトも覗いていて、暗くなってからでも不自由なく利用できるようになっている。
 個人宅だと思うと変わっているが、壁や柱に沿わせて座席を設置するのはパブリックな場所のエントランスやラウンジでならそう珍しくもない配置だろう。
そう考えていた詠だが、ふとそれでここまでの通路に既視感を覚えていた理由に気付いた。

「美術館の回廊か……」

 その呟きに、ほかのみんなも似た様な既視感を覚えていたらしく、「それだ!」「ああ、確かに」と納得の声が上がる。

「窓があって明るいからピンとこなかったけど、夜にカーテン引いてる状態だったら完全にイメージ一致するかもな」
 
 それに同意しながらも、ソファーの素材に気を取られその座面を手のひらで何度か押していた駆が「汚れに強そうな分、布地の柔らかさはイマイチだけど、クッションはすごく効いてるな」と感心すると、手がふさがっている寿尚は覗き込んで「加工品かな?」と興味深げに首をかしげた。

「そういうのは後にして、とりあえずあの和室まではさっさと踏破すべき」

 気になる事が解決してスッキリした詠のもっともな言葉に「そうだな」「おー、ワルイワルイ」と寿尚も駆もソファーから離れた。
玉生はすごいクッションの具合というのに興味を惹かれて、横を通る時に触れてみた感触に「わ~、これならここで寝てもいいかも」などと嬉し気な声を上げて、「いや、普通に寝床で寝ろ」と全員に止められるのだった。
そんな魅惑のソファーセットを越えると、今度はそこの突き当たりの角にやや事務的なデザインのテーブルがあり、その上にお洒落なライトスタンドと卓上電話機が鎮座しているのを発見した。

「え? 電話機まであるけど、解約とかの手続きしないと駄目なんじゃ……」

 狼狽える玉生に受話器を耳に当てた駆が「発信音はあるぞ」と言うと、テーブルの上のメモ帳に書かれたメッセージに詠が気が付いて「玉生」、と指で叩いて教えた。

「[番号を変えて 倉持玉生 で登録済み。番号は――]って、え!? い、いいのかなぁ……」
「電話が家にあって俺たちも使わせてもらえれば助かるし、水道光熱費とかはまとめて引き落としの手続きはできているそうだから、細かい事は後で報告書を見れば分かるよ。念のため先に引越し先の調査という事で確認はしたから、そういうのが気になるなら余裕ができた頃にでも後見人か担当弁護士にでも聞くといい」

 あれば便利なのは分かっているので嬉しい気持ちと、いきなりの事での困惑と後で困った事にならないかという不安でオロオロしてしまう玉生に、その辺りは前もって傍野に確認を取っていた寿尚が大雑把に説明した。
おそらく自分たちがいなければ、その辺りを説明しながら傍野がもう少し深入りしていたのだろうが、いきなりあまり面識のない大人に今まで縁のなかった難しい話をされても困惑するだけではと、こちらに状況を事前に伝える事で遠回しにフォローを任せてきたのだろうと思われるのでその役目は果たすつもりだ。

「たまの事だから遺産には怖くて手を付けられないだろうから、引き落とされた分と諸経費を考えてそこを人数で割って家賃として入れるから、それは自由に使うといいよ。あ、多分進学は弁護士に報告したら学費も遺産から振り込むだろうから――って一度キチンと話を聞きに行くなら付き添うから、まあそういう心配はないって覚えておくといいよ」
「う、うん。その……ちょっと考えてみるね。うん」

 家の事は話が大きすぎて未だに夢の中のようなふわふわした気持ちが抜けないのだが、家に個人の電話機があるという状況は玉生にとっては分かりやすい余裕のある生活の象徴なので、ある意味では現実的なレベルで「貰ってしまった」という動揺に襲われたのである。

「使用料は家賃として込みにするから、連絡には使わせてもらえると助かるからよろしくね」
「うん。それはもちろん。みんなも必要なら、使ってくれていいし」

 心なしか一緒に使うという事にホッとしたような玉生に、微笑ましいようななんとも言えない気持ちになったが、友人たちとしても便利なのは間違いないので「うん、必要な時はよろしく」と素直に好意を受け取るのだった。


 そして玄関からずっと続いていた壁の端、電話のあった突き当りの壁沿いに回り込んだ先にあるのが裏玄関なのは、窓からプールが見えた事で確認できた。
電話機の置かれたテーブル側には部屋一つ分はある広めの土間があり、階段状の床と表現したくなる様な僅かな段差が白い自然石と木目のフローリングの居間とを分かりやすく区切っている。
そのフローリングの床を見て、玉生はやっと家の中にいるという実感が湧いた気がするのだった。
 しかしフローリング部分で普通の家っぽい、と思ったのは茶色の木目が目に入った一瞬だけで、その造りは再び玉生の口をあんぐりと開けさせた。


「なんて言うか、随分とハイセンスなデザインだな」

 その場所は玉生だけではなく、芸術家の感性でも一般の家として見ると風変わりという判断だったらしく、顎に手を当てた駆が感嘆の声を上げる。
一言で言うと“豪華な造りの舞台セット”といったイメージで壁の仕切りが極端に少なく、あえて分かりやすく言うならば“こちら側一面に壁が無い”のだ。
 そのせいで、手前側にはダイニングテーブルが置かれその奥にカウンターを挟んでキッチンが、ダイニングのスペースの隣にはチェストを挟んで大きなモニターに向いたロータイプのソファーの背などが目視できてしまうのだ。
とはいえキッチンは普通に壁で囲まれている様で、カウンター周辺から覗ける内部は他よりも薄暗い。
 ちなみにダイニング側の上部は天窓なのでその真下は室内内部でも昼下がりの陽光で眩しい程に明るく、キッチンやリビングが明かり無しでも見通せるのはその光のおかげだ。
さらに天窓の光から離れ、ダイニングのモニター向こうにチェストが並んでいるのも薄暗いながら認められる。
おそらく、感覚的にはその近くに例の縁側付きの和室があるのではないかと思われるのだが、どこでつながるかはここからではまだ予想がつかない。
 とにかく目の前のダイニングテーブルはともかく、大きく取られた面積の中に余裕を持って配置された家具類が、直視を阻む様に上手い具合に目隠しになっているのだ。
 さらに裏玄関の向かいに距離を置いて、オープンな一階の中で島状態に四方を覆われた部屋と思しき部分があり、その部屋と壁との間がやはり廊下になっている。
こちらの廊下の部分にも壁収納の棚などはあるが、余裕を持って人がすれ違える幅が取られていて特に狭苦しくは感じない。
 この部屋の壁が仕切りの役目を果たして、裏玄関を開けてすぐに室内の大部分を見通せるという状態も防がれているのだ。
 そして廊下はその先にも何かある様なので駆が少し進んでみると、さらに地下へと続く階段があったという。
 せっかく落ち着きかけていた玉生が再び顔を引き攣らせるのに、友人たちは目で合図しあい「まずは住空間の確認が先だろう」という事にして、そこは「後で改めて」と今は素通りする事にした。


 さて、彼らの国においての住空間とは、ほぼ土足ではない床の上という定義に異論のある国民はそうはいないだろう。
玉生も当然そう認識しているし、諸外国では靴を履いたままで寝室を歩き回り、時には土足のままでベッドに横にもなるのが通常という習慣があると知った時は本当に驚いたものだ。
しかし今靴を履いたままでいるここも家の中で、これが当たり前の生活なら床の上で眠る状況の方が異常に感じたりもするのかもしれない。
そうも思うが、やはり靴を履いたまま“生活する”というのには違和感を感じるばかりで、これに慣れる日が来るのだろうかと玉生は改めて家の中を見回してみた。
 そんな中でも特に目立つのは、ダイニングスペース上の吹き抜け部分を利用した体育館のギャラリーの様な中二階であろう。
手前の壁沿いとダイニングとリビングの堺との二箇所、中二階へ上り下りする階段が空間を横切り、これも目隠しの役目を兼ねているのだがそんな家の中の様子にやっぱり慣れるなんて無理では?と真剣に悩む玉生なのだった。

 
 そこでようやく玉生の思う家――つまり土足ではないフローリングの床に上がろうという事になったので、まずは土間と居間の境目に置かれた靴箱で靴とスリッパを履き替える。
 腰高で横に幅のある靴箱はフローリングの端に沿って切り替わった床と、裏側の廊下の壁をつなぐように直角に置かれていて、こちらも土間と居間を仕切る役目を兼ねていた。
当然だが履き物は土間で脱いで、階段の一段目部分に何足か色違いで揃え並べられていたスリッパを各自の好きな色で選ぶ。
駆はわかりやすく青で翠星は植物の色なので緑、詠の選んだ黄色は彼のラッキーカラーというものらしい。
寿尚の場合は色の選択となると無難という事で黒、それが駄目なら白と決めているそうで今回も当然のように黒だ。
ちなみにたまは、赤の好きな母親が息子にも自分の好きな物を選んで与えていた影響から彼自身もそれは落ち着く色となっていて、着るには派手でも小物は赤を選びがちなので今回も自然にそれを選んでいる。
各自そうやって靴からスリッパに履き替えて、二段だけの階段を上ってフローリングに立ったのだった。
 このダイニング部分の壁はフローリングと似た色調の木材の資材で、真っ白だった廊下部分に比べて落ち着く感じが少し玉生をホッとさせた。


 まずそこにあるのは大きな長方形のテーブルで、その短い一辺をカウンターと直角のT字になるように置かれている。
そこにもとは六脚の椅子が付いてセットだったのが、そのテーブルの長い辺に二脚ずつカウンターの正面に一脚の椅子が置かれ、残る六脚目の椅子はカウンターで塞がれた位置が定位置だったため、今ではテーブルから離れてカウンターの席となっているのだった。

「ここがダイニングでそこがカウンターなら、やっぱこの奥はキッチンか」

 スリッパをパタパタさせた駆が、その言葉と共にカウンターから内側へ足を踏み込むと、自然に照明が点灯した。

「おっ、センサー付きかぁ。鍋・食器・ボウルと揃って――調味料も充実してるぞ。お、コーヒーサイフォンなんて物まである」

 大食らいの上にどうせなら自分の舌に美味しい物を食べたいと料理も嗜む駆が、キッチンの設備を確認しようと複数人が余裕で作業ができる広さのキッチンを見回している。
壁沿いに奥行きの揃った冷蔵庫と食器棚、その引き出しを開けてみればカトラリー類も余裕を持ってセットで揃えてある。
壁に設置された吊戸棚やキッチンラックには、色々な種類とサイズの鍋などと共に大きい薬缶やお洒落なケトルに保温ポットまであった。
調理台の下にはオーブン広くて幅のある調理台にはオーブントースター、カウンターの上にはポップアップトースターがあり「使い分けに便利だし、人数分トーストするにも助かるな」とふんふん頷きながら見て回っていた駆が、「こっちは――ああ、レンジか。探せば鉄板プレートとかタコ焼き機があっても驚かないぞ」と首筋に手をやってやれやれといった風に首を振った。
表に出ているだけでもこれだけの物が揃えられているのに、引き出しにカトラリーがあったところを見るとまだ何か収納されている可能性もあるのだ。

「いや、でもここまで揃えられていると正直たまが何か買い足す必要もなくていいだろう?」

 駆の横から覗いていた寿尚が「まあ、レンジがあるのは、俺や詠みたいに料理しない人間にしてもありがたいしね」と、感心にやや呆れの混ざった表情になってそんな当たり障りのない感想を言う横で、玉生はおどおどキョロキョロとするばかりだ。
 その間に翠星が、靴箱のすぐそこにある階段から「ちょっと見て来ていいすか?」と中二階に上って行って、往復する程度の時間ですぐに戻って来た。
その後ろから、彼が頭上の空間を往復する様子を見ていたらしい詠もキッチンの方へとやってくる。
 翠星はすぐに戻ったにしては結構詳しく見ていて、「この居間のすぐ上のコの字形が、一階部分を見下ろせる中二階のギャラリーになっていた」「それとオープンカフェっぽい椅子とテーブルが置かれても広さは余裕」で、「玄関側にあった窪みに隠れた階段がそこにつながっていて、上から玄関ホールも見下ろせた」と報告してきた。
 そしてキッチンの上には壁とおまけに扉があって開いたままだったので、そこに短い上り階段が見えたがまだ和室に辿り着いてないので、一階部分が未踏破な今回はそのまま通過したらしい。


「おそらく個室があるなら、その扉の先の二階部分になるんだろうね」
「そういや裏玄関の方にも外階段もあったすね」
「この家、廊下にこだわりが見られる。その外階段は二階の外廊下につながっているのかも」

 寿尚たちが推測する屋敷の未確認部分についての見解を聞いて、孤児院という大勢で暮らす場所をよく知っている分も余計に、自分が受け取った物の大きさに怯んでしまう玉生である。
「まあ、同居を勧めるくらいだ。個室はあるんだろうし、あるならやっぱりこの上辺りから向こうだよな」と、駆もキッチンのチェックをしながらもみんなの話を聞いていたらしく和室があるだろう方向に指を振った。

「傍野さんと話した感じでは、人数分の個室はありそうだったけど」
「和室が管理人室と仮定したら四部屋とか、そんなもんじゃないっすか?」
「ある程度、玉生の交友関係くらいは調べているだろうに特に注意なしで同居を勧めているから、個室は五部屋はあると思う」

 うんうんとみんなの意見に頷きながら、オーブンやレンジなども一通り中を覗いて「汚れも無いし、すぐ使えるな」と順番に見ていた駆が、「お! 冷蔵庫あるから水冷やしていいか?」とダイニング側に出て椅子の一つに掛けていた鞄からミネラルウォーターのボトルを取り出す。

「あ、じゃあ自分のココアもついでに頼んます。ホットもいいけど、アイスで飲むのが美味いんすよね」

 そう言って翠星もカウンターの上に鞄のポケットから出したココアを置くと、駆のように椅子の背に引っ掛けた。
そのついでに、横にいくつか積まれていた籠の中から適当なサイズを抜き出して、持ったままだった蜜柑を入れる。

「ふーん、綺麗にしているけど自炊していたのかな? 冷蔵庫に電気は入っている――っていうより、ついでに冷蔵庫の中の物は大丈夫かチェックしなよ」
「ゴミ箱が空だ。本人が几帳面だったか片付けるモノがいる」

 猫を抱いている時は戦力外の寿尚が、家を長く空けた後に冷蔵庫の中が悲惨になる状態に思い至って注意を促すと、その言葉で気になったらしい詠がキチンと袋が掛けられていたゴミ箱を覗き込むと安堵した声音で報告した。
 その間も玉生は頭の中がふわふわしているので誰かの後ろからひょこひょこと付いて歩いていて、今も駆と一緒になって、「冷蔵庫、大きい……」と呟きながらその中を覗き込んだりしている。
幸いにも電源のはいった両開きの冷蔵庫の中には玉子や牛乳パック、ハム・チーズなどの加工品にトマトやレタスの野菜などの使い勝手のよさそうな物が揃っているようで、賞味期限の日付けを確認してもまだ余裕がある物ばかりだった。
 そして、冷凍室には真空パックの肉とメーカー品のアイスクリームのカップが、これでもかと積まれ仕舞われている。

「……」

 なかなかに広い冷凍庫の半分をギッシリと占めるアイスに、どう反応したらいいのか困っている玉生そっちのけで「叔父さんはマオマオと一緒で甘党だったのかな」とマイペースに水のボトルと翠星に渡されたココアの缶をしまった駆が、ふと足元の取っ手に気付いた。

「見ろマオマオ、床下収納らしき物があるぞ。開けてみたらどうだ?」

 プレゼントの箱を開けるのを急かすノリの駆が声を掛けると、「え!? あ、ホントだ」と心なしかワクワクした様子の玉生が取っ手に手を掛けた。
パクンと軽い音を立てて開いた蓋の下にある物を、玉生の頭上から眺めているらしい駆の声が「卓上コンロとボンベ・七輪に網、色々入っているな。で、笊と土鍋――」と呼び上げていくが、一瞬の間を置いて「……本当に鉄板とタコ焼き機があるぞ」と少し驚いた声を上げ、「驚かないんじゃなかったのか?」と寿尚に突っ込みをくらっている。
駆の声に合わせて目線が動いていた玉生も確かに、鉄板のプレートが区切られた枠の一つに何枚か重なっているのを発見して目をパチクリとさせたのだった。

「それとこっちには、人参、馬鈴薯、玉葱……カレーのルーもあるっすね」

 膝を突いて覗き込んだ玉生には戸の陰になっていたカレーセットが目に入らなかったが、ちょうど反対側にいた翠星からはよく見えた様で少し首を捻り気味に中にある物を確認している。

「使わないと傷む。今晩はカレー」

 詠がカレールーの箱を手に取り、裏書きの[作り方・材料]に目を通しているが、活字に興味が惹かれただけで別に自ら率先してカレーを作ろうと思っているわけではない。
カレーの方は、「くらタマ、冷凍庫にあった肉も入れていいか?」と確認した翠星が、水切棚から大きめの寸胴鍋を下ろして作業をはじめている。

「炊飯器があるから、お米もあるかもね」

 お猫様至上の寿尚は、猫が自分から動きたがる素振りがなくその手の中で大人しくしている間は口だけの男になるので、今も当然のように見てるだけ状態継続中だ。
とはいえ、もとより使用人のいる家の生まれ育ちなのでカレー作りには戦力外ではあるが。
 それで当然の様に、田舎から出て一人暮らしをして自炊もこなす翠星が、自然とカレー作りを引き受けている。
ちなみに通常なら率先して料理係を買って出そうな駆は、今は料理より家の探検の方に気がいっているのは明らかなので、ほかにも収納がありそうだとそちらの方に気を取られている。
体育会系一辺倒の性格に見えて伝統的な工芸一家の出で、実は本人も芸術家肌なところのある好奇心の塊なので、一度夢中になるとなかなか通常モードに戻らないのだ。

「ダイニング側に取っ手があったのが臭わないか? というわけで行くぞ、マオマオ」

 駆に誘われてダイニングに戻って確かめてみると、彼の見立て通り玄関から続く壁のこちら側に、押せばクルリと回転して取っ手部分になる窪みが現れる金属の板が見付かったのであった。
こちら側の壁はフローリングに合わせた色調で縦に並んだ板目をそういうデザインだと思っていたのだが、それが扉の細工だったらしい。

「取っ手とか、全然見てなかった……」
「オレは造形とか気になって、つい見る習慣があってだな。あ、これはカーテンみたいに横に引くんだぞ」

 促された緊張しながらスライドさせた戸は蛇腹にパタパタと開いていき、それに驚き固まる玉生に代わり途中からは駆が開ききった壁一面の戸棚の中には、穀物・乾物・缶詰めに至るまで日持ちする食料品が詰め込まれた食料庫が存在していた。
ポカンとする玉生に「当たりだぞ、やったな!」と声を掛けた駆は、その背中を叩いてお宝の発見を祝福したのだった。


 そうしているうちにカレーは手早く完成して後は食べる寸前まで寝かせようとなり、炊飯器のスイッチも忘れないうちにタイマーをセットすると、後はその間に寝床を探すべしとリビングに進んで探検を再開する事になった。

「ここにもソファーか。でもこっちはテレビ受信機付きのモニターと録画機器に立体音響装置まであるし、絨毯とか敷かれてクッションとかごろ寝しろと言わんばかり――あっちは来客向けで、こっちは身内用のリビングだな」

 好奇心のまま真っ先に進む駆は電気機器も一通りチェックして、「ここのラックには色々なジャンルの作品があるぞ。画面も大きいから見応えあるだろうし、娯楽作品も多いし後で見ような」とご機嫌に玉生を誘った。
映画は玉生にとって贅沢な出費になるので友人たちは当然のように奢りで誘うのだが、前売り券だと申し訳なさそうにするので、実は手を回して「タダで貰ったから」と招待券を手に入れて誘う様にしている。
しかし『これは玉生が好きそうだ』という作品が続くと、「一人で映画館というのも」という口実ではさすがに本人も不審に思うだろうし、趣味でもない作品では時間を拘束するだけという結果になってしまうので、その匙加減が難しいのだ。
その点、録画機器で見るなら途中で席を立つのも自由なので、例えハズレ映画でも仲間内でワイワイと突っ込みを入れながら鑑賞するという楽しみ方もありだろう。


 そんなアメニティのために用意されたと思しきリビングは、家具を一つの部屋の中に配置して土間との間にある靴箱が直線的な視線を遮っているだけの大きな空間の一部でもある。
おまけにダイニングの床との境目すらも曖昧で、強いて言うなら間にあるキャビネットがその役割に当たるだろう。
そして、箪笥の背側が壁代わりに並んだ向こうにもさらに部屋は続いて、もう一つの部屋という形に近い空間があるのだ。
ただし部屋とはいっても、リビングとの間を壁として仕切っているのが天井までの高さがあるとはいえ収納系の家具なので、正確には広いリビングの中間に屏風か衝立のように家具を配置して、その隅っこを個室っぽくレイアウトしているだけとも言えるのだが。
それに広さでごまかされてしまいそうだが、ソファーのあるリビング部分までの中二階がある場所の天井は高いが、このベッドのある仮の個室はせいぜい二m三十cmあるかどうかというところなのだ。
つまり、中二階からつながる二階はこの上にあると推測できるのである。

「まあ、この部屋で生活するのはアレだけど、具合いが悪い時にはいいかもね」

 お腹に乗せたちいたまが熟睡しているからか大人しい茶トラをいい事に、ずっと連れて歩いている寿尚が達観したように言うと、「ああ、保健室的な。昼寝が捗るな」と駆が妙に納得している。

「……水の気配がするから、多分こっちに浴室と手洗いがあるはずだぜ」

 屋内の壁の造りを見回していた翠星がそう言ってベッドのある方向とは逆の壁側に向かって進むと、短い廊下の両側に扉があった。
裏玄関と居室の間にある"きちんと囲まれた”部屋であり、廊下と隔てる壁になっているのはこの場所だ。
“日”か“B”の文字の形に当て嵌めて、三本線の真ん中を廊下に見立てると分かりやすいだろうか。
翠星はその右側の扉を開いて足を踏み入れると、「洗濯機もあって結構広い浴室だ。洗面所と脱衣場も湯船と分かれてるから出掛ける時間が被る時とかいいな」とタイルに反響する声で知らせて来た。
そして、トコトコとやって来た詠は左側の扉を覗くと「厠だった」と言ってパタリと閉じた。

「お? こっちの廊下進むと左の扉はキッチンとつながってるんだが……あ~、さっきは全く気付かなかったぞ」

 リビングの右側を確認に行った翠星とは反対の、モニターと壁代わりの箪笥の間を進んで行った駆が声を上げて知らせてきた。
水場に気を取られていた玉生たちがそちらへ向かうとその先は普通の廊下で、位置的に向こうはキッチンだろうという左の壁に、二つ並んだ窪みの中にそれぞれ扉があった。
この辺りには天窓は無いが、足元のセンサーライトと角の向こうからカーテン越しのぼんやりとした光がかろうじて届くので、照明を灯さないでも歩くのに不自由はない。
ちなみに扉部分が窪んでいるのは、扉が手前側に開くので通行人とぶつかるのを防ぐ対策と、すれ違う時の安全地帯なのだと後に生活するようになってから玉生は気付いたのだった。
 閑話休題。


 まず駆が手前の扉を開けるとさっきのキッチンの奥に出たらしいのだが、こちら側では窪んでいる分はあちら側では飛び出して、戸棚などとキレイな並びになっていたので周囲の壁に馴染んでいたため気が付かなかった様だ。

「こっちはタイルで、スリッパと洗面台にまた扉――って」

もう一つの扉を開き、薄暗い中でタイルの床をそこにあるゴム素材のスリッパを引っ掛けて覗き込んだ駆が「ああ、御手洗」と拍子抜けした様子でアナウンスしつつ今度は見逃しのない様に辺りを確認する。
その時パチンと音がして明るくなり、目をシパシパさせる駆に向かって「電気点ければいいだろ」と呆れた目付きで詠が壁のスイッチに指を掛けていた。
それに苦笑して、「だな。なんか気分は山川口探検隊の秘境探検になってたかもしれん」とゴムでハーフアップにしていたうねる天然の髪を一つに括り、気を取り直してから駆は探検を再開した。
そしてふと何気なく右手で壁に触れるとレバーの取っ手に当たり、偶然にもさっきは気付かなかった玄関のホール側に続く扉があるのを発見したのだった。
位置関係で考えれば、おそらくこのお手洗いの向こうは壁を隔てて、中二階への階段部分になるだろう。

「そこが玄関につながっているなら、その先は温室の縁側になるはずだね」

 寿尚の指摘に「うん、ぐる〜って回って来たから……」と記憶を思い出すように、玉生が空中に指で通り道を辿ってみると、たしかにそんな構造になると思われた。

「そうするとこの廊下を進めば、さっきの縁側のあった和室の廊下になるよね」

 その予想通りに、右へ曲がるとたしかに見覚えのあるカウチソファーの置かれた廊下に出た。


 一同はようやく目的の、少し開いた障子の隙間から覗く畳の部屋と、それに続く温室の縁側に戻って来たのだった。



「ほら、くらタマ。早く開いてみようぜ」

 縁側のカーテンをシャッと勢い良く引いた駆が、薄暗かった室内に光を取り込んで障子に向かって指を振る。
促された玉生が、やや戸惑いながら和室と思しき部屋の障子をそっと引くと――

「わあっ」

 思わずそんな声が出た。
そこは、部屋の手前寄りに長方形の大きな炬燵が据えられたみんなで余裕を持って雑魚寝できる程に広さのある畳部屋で、和箪笥や衝立などの古式ゆかしい物で家具を揃えられたまさに和の部屋だった。

「なかなか趣味の良い部屋だね」
「炬燵でアイスを食べろと言わんばかりで、これぞ贅沢の極みってヤツか。至れり尽くせりだなぁ」

 その手の素養がない玉生でも品が良いとわかる部屋に、思い切って相続人としての立場を受け入れた気持ちが怖気づく。
そして「いいのかな? いいのかな?」と再び腰が引けてしまうのに、「たま以外には譲りたくなかったという事で納得したらいいよ」と寿尚が諭すように言ってきた。

「なぜかこういう時だけ駆け付けて来る親類縁者がいるから、いざという時の手続きをしていたという可能性が高い」

 物事を語る言葉がストレートな詠が核心を突き、母親の葬儀ではじめてまともに顔を合わせた親戚という人たちを思い浮かべた玉生は、彼らに対してまったく好意を抱けなかったのを改めて思い出す。

『玉子の代わりにアンタに宝からの援助が来たら、すぐにこっちに報せるのよ!』
『どうせ母親と一緒で、お前が持ってても無駄になるだけだからな。まったく宝の奴は恩知らずで、これだから――』

 まともにお悔やみの言葉もなく、そんな事ばかりクドクドと玉生に言うばかりの知らない人たちだった。
ずっと母や叔父にもあんな態度で、それで叔父が自分を選んでくれたのなら、と考え玉生は自分を励ます様に大きく頷いた。

「うん、叔父さんが僕に残してくれた物を、無駄にしちゃいけないんだよね」

 変に頑固なところがあるのでそこを心配していた友人たちは、そう頷いた玉生にようやく安心し、詠ですら珍しくその顔に柔らかな笑みを浮かべた。

「そう、感謝と共に受け取るが孝行。遠慮してもいい事はない」
「それにね、最初はちょっと分けてくれとか控え目でも、最終的には全部寄越せとか言い出したりする輩もいるから調子にのせたら――」

 そこでちいたまがごそごそと動き出し、茶トラに突かれてそれに気付いた寿尚が「おっと、ミルクの時間だ。これから三十分休憩ね」と当然のようにそれを要求したのは言うまでなく、しばらくそこで休憩となった。

「あ、じゃあちょっとそこ見てきていいっすか?」

 ずっと温室のジャングルが気になっていたらしい翠星がそう尋ねると、駆も目の前にして探検気分が刺激されたらしく「あんまり奥でウロウロしないで、時間には注意しなよね」とお許しが出た途端に立ち上がる。
鞄を置いて身軽になったので余計に浮かれているようで、注意も半分は聞こえていない様子で競うように早足で玄関に向かって行った。
それでも決して駆け出さないのは、この二人は過去に屋内で走って「同行者に恥をかかせるんじゃないよ」とすでに教育的指導をされ懲りていたからだというのは余談である。

「そこには庭用の下駄かサンダルでも置くといいかもね。でも奥に行くには足元が不用心かな?」

 畳の上でアグラをかいてちいたまのミルクを作っていた寿尚が縁側に目をやると、カウチソファーに腰を下ろしていた詠が持ち歩いていた鞄から箱を取り出し、その中から新品の靴を取り出した。

「家の状態がわからないから念の為、持って来た」

 そう言って縁側にそっと置いた靴は、辛子色に茶色の糸で幾何学模様の刺繍がされた一見スリッパのような作りで、踵部分がペタリと平らに潰された皮製品の様だった。

「おや、お洒落だね。たしか摩洛哥のバブーシュとかいう伝統的な履物だったと思うけど」
「僕が靴の踵を潰して履いていたのを思い出して、見掛けた時にちょうどいいと思って買ったらしい。貰った箱のまま放置して忘れていた」

 二人の会話を聞くとはなしに耳に入れながら部屋の中を見渡していた玉生は、和箪笥の上にオブジェの様に置かれた急須と湯呑に気付き、食料庫にお茶らしき物があったのを思い出した。
それで「お茶、入れてくるね」と一度洗ってしまおうと、お盆に載ったままの急須と湯呑を持って台所へと向かう。
スポンジも洗剤もあったので軽く洗いながら、ふと『お水はそのまま使っても大丈夫かな?』と考えて手で掬って口を付けてみたが、むしろミネラルウォーターと変わらない味のように思う。
傍野がすぐに使えると言っていたのは、そこまで確認済みという事だったのだろうと玉生は納得した。
四つ口もあるガス焜炉に乗ったままだった空のケトルをザッと洗って湯を沸かす間に、食料庫でお茶とできればお茶請けになりそうな物をと探した中から茶筒と共に、日尾野家で見た覚えのあるクッキーの缶を見付けて手に取る。
これはアソートで「飲み物に合わせて、自分の好みに組み合わせるのがコンセプトでね」と寿尚に聞いた事があるので、缶ごと出せばまず外れはないだろう。
そこでふと、口の肥えた寿尚や出された物は残さないが実は評価が厳しい詠に、玉生が急須で美味しいお茶を入れられるのかが気になって手にした茶筒を戻してしまう。
玉生にとってのお茶とは、大きな薬缶にお茶のパックを適当に放り込むという院での飲み方のイメージが強い。

「……紅茶なら、お店で入れ方とか習ったし」


「そんなわけで紅茶にしたんだ?」

 湯呑に口を付けて動きが止まった詠に何事かと思えば「思っていたのと違う味だった」と珍しく呆然と呟いた姿に、ミルクを飲ませたちいたまを茶トラに渡した寿尚は笑ってしまった。

「クッキーと一緒なら、いいかなあと思って……日本茶は院では大きな薬缶で適当に入れていたから、紅茶の方が入れ方教わっただけ美味しくできるはずだし」
「うんうん、美味しく入れられているよ。でもカレーがあるから、クッキーは控えめにしないとね」
「では、せっかくなのでこのバタークッキーを一枚だけ貰おう」

 そう言って缶を開いた詠が一枚取って囓ると、続いてナッツ入りの物を手に取った寿尚に「たまは、チョコレートチップが入っているのが好きだよね」と微笑まれ、玉生もえへっと照れくさく笑いながらそれを美味しくいただいた。


「ところで猫男としては、ちいたまを新参に任せていていいのか?」 

 詠の言葉に釣られて見ると、さっきセットして置いてあった猫用のトイレから、ちいたまの首の後ろを咥えた茶トラがリードに気を付けながらこちらの方へ連れ帰って来るところだった。

「そのまま縁側にいないで連れて戻って来ただろう? ちいたまには、まだまだこちらの保護が必要だとわかってる賢い子だから、自発的に構う分には任せた方がいいんだよ」
「……なるほど、生き物は感情だけで育ててはいけないというやつか」

 寿尚はそれに微妙な顔で「しばらくは付きっきりで可愛がれると思ってたんだけどねー」と溜め息を吐いて続けた。

「俺の場合どうしても多頭飼いになるし猫はヤキモチ焼きも多いから、相性がいい子たち同士は必要以上に干渉しないで眺めて愛でるとか割り切らないと、その時の気分なんてお猫様には関係ないから贔屓すると後で修羅場になるよ」
「なるほど、猫が女に例えられるのはこれか。日尾野の付き合いの極意が、軽佻浮薄な男の言い訳と被る」

 この二人で会話をすると大体がこの調子で進むのだが、本人たちは別に仲が悪いわけではなく、むしろこのやり取りを楽しんでいるらしい。
初めてその場面に遭遇してオロオロする玉生に「大丈夫」と言い切った駆に言わせると、「あの二人はあれだ。同族嫌悪じゃなくて、あ〜……同族友好?」で問題ないそうだ。
そんな人間は知った事ではないというように、今は電源の入っていない炬燵布団の端で、もう夢の中にいるちいたまを抱き込んだ茶トラは悠々と寝転んでいる。

「彼らがここがいいなら無理に連れ歩くコトはないさ。ちいたまは、まだ人が多いと落ち着かないだろうしね」

 それに大きい子が小さい子にご執心の時は人間が構うのも嫌がったりするので、人に慣れて向こうから関心を持って寄って来るまで、こちらは餌を貢ぐ役に徹するぐらいが日尾野式なのだという。

「……それにしても、まだ戻って来ない奴らは何やってるんだろうね?」



 玉生を呼ぶ駆の声がしたのは「そろそろアイツら呼び戻すか」とちょうど話していた時だった。

「何か見つけたのか? 呼ぶって事は危険性はないんだろうけど」

 ホントあいつら何やってるのと言いた気な寿尚の肩を、「ちょっと行ってくるね」とすれ違いざまにポンと叩いて玄関に向かおうとすると「玄関から回らないで、僕の靴を履けばいい」とそこに出したままだった詠のバブーシュを貸してもらった。
 こういうやり取りに友達っぽさを感じているのを分かっていて、友人たちはそういう質でもないのに、時々こういう風に玉生を嬉しくさせてくれるのだ。




 足元が玉砂利から芝へと変わり樹木の生え際に近付いても、奥には行くなと釘を刺されていたはずの駆と翠星の姿が見当たらない。
キョロキョロと振り返りながら先へ進んでいると、思いがけずに頭上から玉生を呼ぶ声がした。
見上げてみるとガラスを通して眩しい光が降り、枝葉の影に沈んだ巨体が「こっちこっち」と手を振っている。

「ここの木って果樹が結構あるみたいだから、もいでもいいかな?」

 駆が伸ばした指先で摘んでみせたのは赤い小さなサクランボで、意識して見ると逆光になった葉の陰にいくつもの赤い実が覗いている。

「で、あっちの方にな、多分スモモと桃の木じゃないかと言って翠星が見に行ってる」

想像していなかったオプションに玉生が反射で「うん、うん」と頷くが、そうやって流されているようでしっかり状況確認をしているのはいつもの事なので、許可は取ったとして近くの木から適当に実をもいでいく駆である。

「美味しかったらまた取りに来よーぜ?」

 服の裾を使って持てるだけ手当たり次第に狩っていた駆は、思わぬ収穫にご機嫌だ。

「うん、甘いのがイマイチでもジャムにできるから、うん」

 有無を言わさず収穫した実を「マオマオんちのだがら」と服の裾に移動させられた玉生は、サクランボの存在に実はドキドキしている。
まだ母親といる時の学校行事で苺狩りがあったが、当然の様に参加はできずその後も縁がなかったので、今となっては「ちょっと贅沢して食べられる分だけ果物屋で買えばいいし」と自分を納得させても消えない憧れになっていたのだ。
これが寿尚や詠なら玉生の生い立ちから欠乏している要素を察して、カタルシスを狙った結果この状況になる事はあるだろうが、駆の場合は間違いなく天然でやっているに違いない。
ちなみに翠星なら「フルーツのお菓子作って食べてたよな? 好きなんじゃね?」と理解した上で、駆と似たような事をするだろう。
もっとも駆本人からしたら、『普通のお菓子を買うお金で粉から始まり少しずつ材料を揃え、時価で手頃なフルーツを質より量で手に入れて、フレーバーをケチらないで仕上げて大事に食べながら、半分以上「いつものお礼」で配るという玉生の習性から、フルーツへの拘り憧憬まで推測し最終的に苺狩りの思い出まで聞き出す奴らって……なあ?』という感想になるのだが。
その話し声が聞こえたのか、「くらタマいるのか? ちょっとこっち来てくんねぇ?」と翠星が木の向こう側から顔を覗かせた。

「そこに、美味そうな桃とスモモが成っててな、白葡萄も食べ頃なんだ」


 そして戻った駆たちへの出迎えの声は、当然ながら「遅いよ」とひんやりしていたのはいうまでもない。
それに対して、素直に「実が成っているのを見たら、つい。お待たせしてすみませんっす」と謝罪した翠星は「以後、気を付けるように」と許されたが、駆の方はというと「いや、でもな。問題なく手に取れる果物がワッサと木に成ってるなら、とりあえずゲットするだろ?」とまったく懲りないのであった。
十分承知の上で釘を刺す寿尚に、詠の方は「今さらだろう。そういう奴だと分かってた」と心なしか悟り顔だった。

「これだけあったら試作もできるから、きっと美味しいお菓子に……なるといいんだけど」

 人類生き残りゲームでも始まれば野生の勘で世界最後の男になれるだろうと常々思っている駆はともかく、このちびっこたち(当然ちいたま含む)といる時は猪突猛進モードは禁止だというのに、時々「駆けない猪は、ボタン鍋だ」とかいう妙な勢いで冒険したがるのだ。
過保護とも言われそうだが、駆という人間を知ってる者ならば一緒に止めてくれるだろう。

「この危機感のなさからして、この家の僕らに対する悪意はおそらく皆無」

 予防が大事とばかりに釘を刺す寿尚に比べ、心配するだけ無駄な事と詠は達観した眼差しであった。

「三見塚は炭鉱の金糸雀も同然。頑丈だし進む方向は安全だし、一人で進みすぎてもどうせ戻ってくるし、放置推奨」
「おう、いざという時は担いで走ってもマオマオが自分で走るより速いから、任せてくれて大丈夫だ」

 縁側から上がって来た駆はそう言って玉生の入れておいた紅茶を飲んだが、美味しければ紅茶と湯呑のミスマッチやすっかり冷めている事はまったく気にならないらしい。
駆によって、両腕で抱えて持てるだけの果実を積まれていた翠星とサクランボを持たされた玉生はお茶どころではなく、とりあえず冷やすなりなんなりしようとキッチンへと向かった。


 桃は食べるちょっと前に冷やすとかスモモはまだ硬いなら酸味抜きが必要だとか、葡萄はサクランボと一緒で冷蔵庫で冷やして〜などと、植物を愛する翠星は喜々として玉生に解説しながら二人で収穫物を片付ける。

「外の方も蜜柑以外の木がありそうだったし、何か見つけたら調べて報告するからな」
「うん、時間が合ったら一緒に行くね。今日も色々な果物が取れたけど、美味しいといいねぇ」

 ふにゃんとした顔の玉生に、少し考えた様子の翠星は「じゃあ、ちょっと味見しようぜ」と蜜柑を一つ手に取って、返事も聞かずにさっさと半分に割ってしまった。
別に悪い事ではないのに受け取った半分の蜜柑の皮をむきながら、ついキョロキョロとする姿に苦笑して、「くらタマの家で取れた物の初食いは、やっぱりくらタマがと思ったけど自分が先に毒味するか?」とわざとらしく翠星に言われて、慌てて一房口に入れて噛んだ瞬間の甘酸っぱさに玉生はキュッと目を瞑った。

「自分の見立てでは割と甘味もあると思ったけど、酸っぱいのか?」

 尋ねる声に「あのね、甘くて酸っぱくて、口の中がきゅうってなるんだよ」と口角を上げた玉生が満足気に唇をすぼめると翠星も「甘酸っぱい蜜柑、大当たりだな。これはほかの収穫物も期待ができるぞ」と満足気に頷いた。

「乾燥フルーツとかできるかなぁ?」

 なんとなく玉生憧れの品であるそれに、「夢が広がるな」と言われた方も乗り気だ。

「おーい、そろそろ探検の続きの時間だ。廊下の先に登り階段があるから、次は二階だぞー」

 開いたままでいた扉のすぐ向こうの廊下から駆に呼ばれ、二人は残りの蜜柑を急いで食べて和室に戻った。
そこで近くに立ってクスッと笑った寿尚に「炬燵に蜜柑というのも、お約束なんだよ」と言われた玉生は、密かに『後で蜜柑取って来て、台所で見付けた籠に入れておかなきゃ!』と使命感に燃えるのであった。




 この家は窓が大きい上に天窓からも光が入るので、基本的に日中は照明が無くてもそう不自由はしないようだ。
しかもこの二階へ上る階段も、キッチンの廊下と同じようにセンサー式で点灯するので、足元の暗さの心配はない。

「向こうは吹き抜けの中二階で、こちらは二階か。ちょっと面白い造りだな」

 突き当りの階段を先頭切って上りながら、感心したように駆があちこちに視線を向けている。
まっすぐ上った突き当りの踊り場はやや広めで、窓枠が大きい腰高の出窓なので椅子の代わりにもなりそうだ。
見下ろすと一面に森のような木々が見える窓辺は、クッションでも置けばなかなかいい読書ポイントになるだろう。
そこをさらに逆方向に折り返し、思ったよりも長い階段を進む。
行ったり来たりする階段は、その勾配を緩くする代わりに距離が延びているのは仕方がない。

「余裕がある階段なのはいいけど、それでもちいたまには危ないねえ」

 今は和室で茶トラと一緒にいる愛猫を思うと、今から心配な寿尚である。

「二階には上げなければ問題ない。一階で飼う事だ」
「あの茶トラなら首根っこ咥えて、上げ下げするんじゃないか?」
「猫飼うなら縁側のイメージすよね」
「ちいたま一段目にも登れないと思うから、和室と縁側――あ、人がいないと縁側も危ないよねぇ」

 みんなの忌憚のない意見に寿尚は改めて思う。
たしかに実家の猫たちが自由に出入りできる場所は人が跨げる程度の柵で仕切っているので、脱走するのは身のこなしが軽い子たちで、チビのうちはチビ部屋に軟禁しているから問題は事前で防げていたのだと。
実際にちいたまを実家で飼うのなら、寿尚が付きっきりの時以外はまだまだチビ部屋で隔離されていたに違いない。

「……一生のお願い。ちいたま用の柵を設置する許可」

 特に反対意見も出なかったので、詳しくは部屋割りが確定してからという事で全員が納得したのだった。



 そんなこんなで二階に着くと、そこにはフローリングの廊下が一直線に延びていた。
こちらには吹き抜け側の様な天窓は見当たらず、その代わりに頭上に埋め込まれたダウンライトがセンサーで点灯して視界が確保されて、廊下を挟んで両方の壁に並んでいる色違いの扉を確認できた。
左の壁には等間隔に並んだ三つの扉があり、右にはその間に空間がある二つの扉で、その空間の部分はT字の通路になっている。
それぞれの部屋の扉はスモーキーの落ち着いたトーンで、青・緑・白・黄・赤の五色の扉だ。
そして、なんの躊躇もない駆が「全部普通に個室なら、わかりやすくていいな。ちなみにオレは、青が好きだぞ」とノンキな発言と共にまず一番手前、左の白い扉を開いた。

「あー、白黒ツートンでロースタイル。これはスナさん向けだなー」

 予想通りに白い扉の中には掃き出し窓があって、リビング並みに広い部屋でも日中は十分に明るさを得られる様だ。
その大きな窓は壁のほぼ一面の引き違いで、上下二枠の下側に嵌っているのが玄関ホールと温室の間と同じ不透明なガラスなので、今はカーテンが両側でまとめられているそこから見えるのは空の色一色だけだった。
その自然光で明るい部屋では、白を中心とした低い家具を中心としたインテリアの要所に黒を配置してアクセントとしている。
そんな壁際には一面を使って、横に長い四角の棚が一つ二つと段々に増えて天井付近から逆に一段づつ減る様に積まれている。
階段状のそれは寿尚の部屋になるとすればキャットウォークのための造形としか思えないのだった。

「うん、キープだね。ほかも見て、みんなにも納得する部屋があれば遠慮なく決定って事で」

 寿尚本人も気に入った様で、彼の部屋はほぼここで決まりだろう。


「緑の部屋は、やっぱりタバタんの趣味――おお、中も見事にグリーンだなー」

 次も勢いよく開けた緑の部屋はこれも日の入る大きな窓で、観葉植物が邪魔にならないギリギリに部屋中を飾り壁の角どころかベッドの周りにも点在する癒し特化の部屋で、「はー、これは……凄く好きだ」と翠星は珍しく恍惚としていたのだった。


「ところで、この赤と黄の間にある廊下の先の扉は――もしかしたら翠星がチェックしたギャラリーの短い階段部屋か?」
「え? ああ、位置的に多分そーっすね」

 緑の部屋のトリップから早々と戻った翠星が、そう言ってスタスタと近付くとそのレバーハンドルの取っ手を引く。
するとそこは予想もしなかった明るさで、反射的に振り仰いだ視線の先の天窓がその光源なのだった。
おそらくここは西日の入る天窓の下にあって、それが今眩しく空から覗いているのだと思われる。
位置関係に納得して改めて下り階段の先をみれば、たしかにさっき見たギャラリーと同じでフローリングに敷かれたグレーのカーペットがチラリと見えた。
念のため短い階段を下りてそこから顔を出してみると、オープンカフェにあるようなテーブルと椅子が置かれているのも同じだった。
さっき確認した玄関も同じ場所から見下ろせて、やはりそこはリビング上の中二階で間違いなかった。

 そこで戻ろうと振り返った翠星は踊り場だと思っていたのは実は通路で、裏玄関の方角に向かって右に長く伸びているのに気付いた。
左にもすぐ行き止まりになるスペースがあるが、こちらは小さなキャビネットとその上におそらく一階にある電話機の子機であろう物が電気スタンドと共に置いてある。
さっきは天窓に気を取られたせいで、明るさに目を眩まされてどちらにいも全く気付かずにいた様だ。
位置関係がハッキリしたので「ここの扉から出たら、すぐ下の階と会話できそうす。ついでにこの中、通路が向こうに続いてて、後、多分電話機の子機らしいのもあったっす」と戻ってから報告したのだった。

「こちらに連絡があった時に、急いで下の電話機まで行かなくてもいいのはありがたい。それに、いちいち行き止まりで引き返す造りよりは気が利いているけど、娯楽施設に住む気分だよ」

 「やれやれ」と呆れたような寿尚に対して、詠の方は「絡繰屋敷のようだ」と案外面白がっている様だ。
駆などは「部屋割りできたら、次はそっちだな」と探検気分で、もはや楽しんでいたりする。

 そんな中、これが自分の家だと思うとオタオタするばかりの玉生なのであった。



 さて、そんな翠星が戻る前の彼らが何をしていたかというと、手遊びに詠が目の前にあった青い部屋を覗いて「肋木……間違いなく三見塚向け」と呟いたのに、「マジかー!?」と部屋へ駆け込んだ駆が「おーっ、これは良い物だ!」という歓喜の声を上げたりしていた。

「あと大きい作業台にすぐ転がれる簀の子ベッド。君のための部屋としか思えないよね」
「それな! 確かにこの部屋はオレ向きだとしか思えんな。この作業台ならマオマオも一緒に図画工作できるぞ」
「う、うん。えと、もっと寒くなる前にセーターとかマフラーとか編みたくて……」
「ああ、そんな時期だったかぁ……うん、今年はカーディガンとか編むのもいいな」

 時々時間が空いてぼんやりしてしまう玉生に、友人たちが色々と“せっかくだから一緒に”という形で、遊びやそれに学習を兼ねた物事に誘っていて、編み物もその中の一つなのだ。
友人たち同士はクセが強過ぎてそれぞれの趣味嗜好が強く出る時はあえて誘い合わないのだが、玉生は割と何でも楽しんでいるのが分かるので、休日などに彼の時間が空いている時に声を掛けてくる。
ちなみにミルクホールなど国家主導で行われている孤児のアルバイトは、衣食住は施設で保障されているので健全な育成に休日は必要だと、労働は基本的に平日の数時間のみとされているのだ。
ものを作るのはなんでも楽しんでこなす駆が、寒くなると編み物をするのを見た玉生が「自分にもできるかな?」と興味を持ち、それ以来余裕をみて夏の終わり頃から一緒に編み物をはじめる。
そして大体クリスマス頃に仕上げ、それが玉生から友人たちへの贈り物となるのであった。
今年は進路のほうに気を取られたせいで気が回らずまだ手を付けていないが、いつもならもうとっくに編みはじめている頃である。
幼少期の“何もしない”状態に慣れているせいか単調な細かい作業は苦にならない玉生なので、最初の贈り物はマフラーが精一杯だったのが、今ではそれに靴下と手袋を色や柄で揃えたセットとして揃えるまでに成長していて、その作業も嫌いではない。
そして自分の分は、正月に下ろしたての服として身に着けるのが玉生の冬の恒例行事だ。
 余談だが、取り替えた前年の服は孤児院にそのまま寄贈して、ほかの子供にお下がりとして回るに任せている。
院ではバイトで貯めたお金で毛糸を手に入れて、玉生に編み方を教わりに来るようなオシャレな子たちも中にはいて、今は不器用な子は毛糸を手に入れて来て器用な方が編み物を担当するという形になっている様だ。
 閑話休題。


 それはさておき、そんな一連の会話をちょうど戻って来た翠星が耳にして「ろくぼく……ってなんだ?」と詠に聞くと、「体育館の壁によくある、木の梯子に似た器具だ」との答えに「ああ、あのなんかよく分からないアレ……」とすぐに思い当たったようだ。
そこで詠が「それより、ちゃんと向こう側のギャラリーとつながってたんだろ? ほかに何か?」と尋ねた事で、翠星は新たな廊下の発見を報告して、一部の玉生ホーム探検隊を喜ばせたのだった。
そしてすぐに「GO!」しようとした駆の巨体を、「こっちの確認が先だろ」と襟首を捕まえて物理で停止させた寿尚を見て、友人たちの一部は『ゴリラ……』と改めて思った。


 廊下を戻りかけていたのを引き戻された駆は、改めて向き直った青い扉と黄色い扉の部屋の間のにある壁を平手でペシペシと叩き、「廊下はここが突き当たりだな。じゃ、次はこっちの黄色い部屋行くぜ」と黄色い扉を開いて覗いた。

「ほう? 壁一面が棚になっている中心に机と椅子のスペースを嵌め込んで――お、こっちもスゴイ。天蓋ベッドだ」
「この棚はどう見ても書棚だろう? うん、これは詠だね」

 寿尚に断言された詠は、窓の反対側のベッドまで歩み寄って天蓋から下がるカーテンに触れてから大きく頷き、「いかにも僕向き」と満足気に頷いてから戻って来た。
こちら側は反対側の3人の部屋と比べて横長だが、見たところ広さ自体はどの部屋もみんな同サイズだろう。
 ちなみに下の階も含めてどの窓もカーテンを開いて両脇にまとめ、色も全てオフホワイトで統一されていた。

 そして、赤い扉。

「せっかくだから、ここはマオマオが開けてみたらどうだ?」

 駆がそう言うとほかの三人も、玉生と扉の間から脇へ避ける。

「う、うん。じゃあ、開けてみる……」

 少し臆した様子ながら、玉生はドアノブに手を掛けて内側へと押し開けた。
そこにあったのは――

「ロフトベッドか。うむ、マオマオっぽい」

 そんな風に、駆が入り口に立っている玉生の頭の上から覗いてきた。
そして「ほら、せっかくだからもっと近くで見たらどうだ?」と玉生の背中を押しながら、部屋へと足を踏み入れる。
近くで見ると、木製のロフトベッドは統一されたデザインの机と椅子に加え収納家具が下部に配置されて、梯子ではなく階段が付属していて落ちないようにサイドガードがぐるりと囲んでいる構造は、なんとなく児童公園にある滑り台を思わせるフォルムだ。
ただしロフトベッドと言ってもおそらくそのイメージより一回りも二回りも大きなサイズで、マットレスの部分はクイーンサイズ位はあるだろう。
下半分もさすがに駆などは腰を屈めないと入り込めないが、玉生や詠なら普通に利用できる空間になっている。
なおベッド部分は座っても手を伸ばせば天井に触れてしまうが、移動にだけ気を付ければ頭をぶつける事はなさそうだ。
そしてスタンドに張られたハンモックと、その横には見るからに触り心地の良さそうなオフホワイトのラグが敷かれ、その上には人が寝転がれる位に大きな赤いマカロンの様な形のクッションと、大小いくつものカラフルなクッションが散らばっている。
そして、天井から吊り下げられたハンモックチェアとその横の丸テーブル。


しかしある程度の住環境が揃っているほかの部屋に比べてなんとなく、ガランとしたフローリングの床が広がっている印象の部屋なのだった。

「後は自分の好きなように、って感じかな? まあ、はじめての自分の城みたいなものでもあるしね」

 一見ほかの部屋より適当に見えて、この赤い扉の部屋はロフトベッドを付属品で揃えたセットにしたり、ラグも最高品質の物が選ばれている。
それに改めて見れば、天井にオシャレなシーリングファンまで付いていたりもするのだ。

「ここのベランダは、縁側の上辺りか?」

 ふと見た窓の外に木のてっぺんがあるが目に入り、温室の内側にこの部屋のベランダがあるらしいのに気付いた詠の言葉に、「そうだな」と掃き出し窓を開いて身を乗り出した翠星が、ふと横手を見て「くらタマ、ちょっとこっち来い」と玉生を手招いた。
首を傾げてベランダに顔を出すと、そこにはウッドパネルが敷かれたベランダの一角を占める、二人が並んでも余裕のありそうなカウチソファーが鎮座していた。
寄り掛かれば上半身がずっしりと埋まりそうな質感のそれは、柔らかそうなシーツに覆われた上にクッションとブランケットが置かれ、逆側の床には樽に載せた天板をテーブルにして大き目なランプがオブジェのように載せられている。
全体的に濃淡様々なレンガ色の系統で揃えられたそれは誰かが使ってクタクタになった感じでもなく、ディスプレイのように汚れ一つないのだ。

「玉生の趣味がまだ確定してないから未完成で、取り敢えずあっちこっちでゴロゴロ仕様。やはり玉生のために用意された部屋だな」

 その後ベランダから部屋に戻っても、玉生は胸がいっぱいで思いが言葉にならない状態だった。
これまで暮らしてきた孤児院では部屋を広く使うため、子供の寝床は二段ベッドと決まっていて、それは六人部屋からはじまり一定の年齢になると四人部屋に、そして最終的には二人部屋になる。
子供は非日常な視点に魅力を感じるのか基本的に上の段を望んだので、物事を譲りがちな玉生はずっと下の段になり、二段ベッドの上の段には密かな憧れがあったのだ。
どうしてこうまでしてくれる叔父に会えなかったのだろうと考えて、あの遠い親族たちに叔父から資産を引き出す窓口にされる可能性を示唆した、傍野の言葉を思い出した。
しんみりする玉生に近付くと、その肩に腕を回した駆があえて空気を読まないといった調子で部屋の外へ向かう。

「まだ地下とかも残ってるけど、新発見の廊下も最後まで見ていないだろう? すぐ突き当たりかもしれないがな、一応は確認しておこうぜ」
「……うん、そうだよね。それに、みんな好きな部屋が選べそうで良かった」
「それな! あの部屋なら作業も捗りそうだ。気が向いたら編み物以外の図画工作もしような」

 そうやって廊下を進む二人に続く仲間たちは、駆が良くも悪くも空気を一掃してしまうのは一種の才能だなと呆れ混じりに感心するのだった。


 中二階と個室側の二階をつなぐ階段部屋改め分岐点の通路を進み、短い階段状の突き当りの直角を右に曲がれば――下の階の物よりもコンパクトなお手洗いと洗顔所・風呂場と並んで、その隣はウォークインの倉庫があった。

「ああ、なるほど。二階にもトイレと風呂があるのはいいな」

 嬉し気な駆の言葉に頷きながら、廊下に並ぶ窓から外を見た翠星の「あ」と何かに気付いたらしい声にみんなが注目すると「そこってとみヨの部屋だよな? あれもベランダなんすかね?」と指差した先に出っ張りが見えた。
「いや、この窓の下にもつながっているから、僕の部屋のそれはおそらく外廊下。多分、裏にあった外階段からも上がれる」
「ほーお? それならオレたちの部屋も、グルリとつながっていそうだな」
 詠の指摘にニカリと笑った駆が「鬼ごっこやったら、盛り上がりそうな家だよな」と唆すような事を言ったが、相手になりそうな翠星には「やんないっすからね」と即お断りされたのだった。
なお、ほかの三人は「捕まえたらボッコボコにしてやんよ?」「……面倒……」「もう少し小さい頃なら隠れんぼしたら楽しかったかも」との返事ではあったが、「気持ちは分からないでもない」との事である。


「とりあえず部屋は全員希望の所で、問題ないね? たまも、そういう事でいいかい?」

 玉生がコクコクと頷くと、「じゃあ、一度ここで解散ね。ちなみに俺はそろそろ、ちいたまにミルク上げる時間だから和室にいる。あ、駆はちょっと来な」そう呼び寄せた寿尚は、駆と二〜三ボソボソと話すと「頼んだよ」と告げてそそくさと来た路を逆に戻って行った。

「オレはちょっと外で買いたい物があるから」

 一人でも家を探検しそうだった駆は寿尚にお使いでも頼まれたのか、はじめは「ちぇっ」と口を尖らせていたのが、温室から玄関に出た所で自転三輪を見て、玉生に断りを入れると一転してご機嫌でそれに跨って出掛けて行った。

 玉生は次の行動に迷ったが、翠星の「そろそろカレーも味が落ち着いた頃」の声に「ご飯なら手伝うね」とカウンターに鞄を置いて、そちらに参加する事にした。
今すぐ自室に行くには、まだ心の準備が足りなかったのである。
 考えてみれば玉生はもう長い間、人が一日中周りにいる生活をしていたので“自分の部屋”という響きにワクワクする気持ちはあるが、それ以前の幼少期は夜中に目覚めて誰もいない状況が日常だったのだ。
それが一人である事の慣れより、周りに人がいる状態を知ってしまったがゆえの漠然とした不安として孤独感が甦ったのかもしれない。

「寝具もあったし、今日はみんな自分の部屋で寝るのかな?」

 マカロニサラダに入れるハムと野菜の下準備を済ませて、マカロニを茹でている時ふと玉生が呟いた。
カレーを温め直していた翠星の耳にそれが届いたらしく「そうだな……いや、自分とかは気にしないけどスナ先とかとみヨは、使う前に干す派って気もするからどうかね?」と答えた後「あ、でも」と続けた。

「新しい家に慣れるまで、リビングか畳部屋でゴロ寝とかありだと思うぜ? 録画映画見て夜ふかしするのもありだし、土日休みの時でよかったな」
「うん。あ、でもその前に、家の中に何があるかも調べないと。足りない物は買って来ないと駄目だし」

 翠星との会話で少し心に余裕ができると、消耗品の予備がしまわれた二階の倉庫を思い出し、あちこちにあった収納家具の中も気にかかってしまう。
最低限の必需品……と考えてみてもトイレットペーパーしか浮かばずに、『……みんなに聞いてみよう』と思う。
国の施設である孤児院は、規模の大きさからその管理のため生活用品をはじめ必要な物は一律で国が購入して配り、家事に当たる雑事も職員の仕事であったため院生は学ぶのが本分とされ、学校の延長の様な環境で育った世間知らずの玉生なのである。
その上、無ければ無いでどうにかなるという原体験のせいもあって、世間一般のいう最低限が分かっていないのだ。



 そろそろご飯ができたが出掛けた駆を待つのかどうかと、五つ目の深皿を持って炊飯器の前で玉生が悩んでいると、扉の開く音がして「ただいま〜」の声と共に思ったよりも早く本人が戻って来た。

「ミミ先輩? 晩メシできてるんで〜、ってそんなん買いに行ってたんすか。お疲れ様っす」

 台所から廊下に出て、玄関ホール側の扉から迎えの声をかけた翠星は、「お、ちょうどいい。タバタん、こっち持ってって」とガサガサと荷物を渡された様だ。

「オレ向こうから回るから、それはリビングのソファーにでも置いてていーからな」

 その声が聞こえたのか寿尚も和室から出て来て、「手を洗ってからすぐ行くよ」と駆に入れた分のカレーを持って、そちらの方を気にして見ている玉生に声をかけた。
手渡されたらしい衣類の袋を持った翠星も、「ほら、くらタマ。ダイニングに移動してカレー食うぞ」と玉生を急かしたのだった。


 玉生がカウンターから出ると、ちょうど駆がリビングに上がって何か電化製品の入った箱を置いたところだった。
逆の手に持っていた大きな袋も並べて置いている。

「そろそろ冷めちまうんで早く食ってほしいんす」

 翠星に急かされ、大雑把なところはあるが決して粗野ではない駆は「おお、すまん。ちょっとレジが混んでてな。手を洗って来るから、先に食ってていいぞ」と洗面所へとスタスタ歩いて行った。
入れ替わりにこちらへと来る寿尚とすれ違う時に、「どうやら、ちゃんと買えたようだね。ご苦労」と声をかけられた彼は、「とりあえずパネルの方選んだから、今日は全員リビングでまったり夜ふかしな」ともう予定を決めてしまっているようだ。
もとよりちいたまのミルクタイムがあるので、子猫が用意された物を自分で飲めるようになるまでは和室に居座るつもりだった寿尚は、「俺は構わないけど、録画映画を見るつもりならあまりキワモノはやめなよね」と問題はないようだ。
いち早く食卓に着いていた詠は、隅っこ好きらしくカウンターとテーブルで直角になっている席を選んでいて、寿尚はさっさとその隣の席に座ってしまった。
誕生日席を指差した詠に「玉生はそこ」と言われた玉生は、それぞれの椅子の背に鞄が掛けられていたのを見てやや躊躇いがちにそこに腰を下ろす。
一度沸騰させたお湯を氷で冷やしたピッチャーの水をみんなに配ってから『どこに座ろう?』という顔をしていた姿に詠が気付いたらしいが、玉生としてはそこは特別な席の印象があって腰が引けていたのだ。
寿尚の方に『いいのかな?』と言いた気な表情を向けてきたので、ニッコリ笑って頷いてみせた。
翠星が詠の向かいの席に着くと詠がスプーンを手にしながら、「洗面台の鏡の裏に、未開封の洗顔用品やストック、ヘアドライヤーなどがあった」と報告をはじめた。

「うちの収納がそうだから確認したら、あの辺りの壁は収納棚で洗顔用のタオル・トイレットペーパーもあった」

 ちいたまのミルクタイムの間に、詠は詠で気になるポイントをチェックしていたようだ。

「ああ、風呂場にも必要な物は揃っていてたね。タオルも洗濯機側の棚に積まれて柔軟剤の匂いがしたから、多分そのまま使っても問題はなさそうだったよ」

 寿尚の方もさっき洗面所に手を洗いに行って、気になるところは見て来たらしい。
詠の方は長く家に務める家政婦がいて家の雑事などは全部任せているので洗濯の方にまでは気が回らなかったが、寿尚の家は商売をしているのでその育ちから商品の流行をチェックする癖があり、そういうところに目がいくのだ。

「あ、じゃあ、そこのソファーの袋にジャージあるから、風呂に入る奴はそれに着替えるといいぞ。ちなみに替えの下着もあるけど選ぶの面倒だから黒ボクサーで揃えたからサイズ間違わないようにな」

 手だけ洗ってすぐに戻って来た駆は、さっさとスプーンを手に取り「いただきます」とカレーを食べはじめた。

「少し落ち着いて食べなよ」

 呆れた顔の寿尚も続いて「いただきます」とこちらはマカロニサラダから口にした。
ここでマイペースな詠も「いただきます」と食事をはじめる。
一通り給仕を済ませた翠星は、「お代わりは各自でよろしくっす」そこまで言ってから指で何かの動きをしてからようやく食べはじめたが、彼は動きは優雅に見えるのにやたらと食事が早いのだった。
周りを見て食べはじめる癖がついている玉生は、そこでやっと手を合わせて「いただきます」と唱えた。

「あー、デザートはせっかくだから、風呂入ってゆっくり録画映画見ながら食べないか?」

 カレーのお代わりに立ちながら駆が言うと、「そっすね、自分はいいと思うすけど」と翠星は返事をしながらマカロニサラダの追加をテーブルの真ん中に置かれたサラダボウルから山盛りに取り分ける。
こちらもカレーのお代わりに立った詠は、「とみヨは、自分でご飯の給仕できたっけか?」と翠星に聞かれたが、以前に玉生を誘うついでに「ヨーミんも行った事ないだろう?」と駆に好きな物を選んで食べるインペリアル・バイキングへと連れて行かれた際に、セルフサービスは経験済みなので問題ないのである。
立食パーティーのようなものだと思っていたら似て非なるもので、実は内心カルチャーショックを受けた詠だったのだが、おかげで今「問題ない」と自分でカレーのお代わりもできて、面倒でも勘に従い断らなかった己の判断力に満足するのであった。
ちなみに、朝に食べる主義の寿尚は夕飯は軽く食べるのが基本であり、食器が空になるイコール「ごちそうさま」になる玉生に及んでは言わずもがなである。


 そんなわけでマカロニサラダを食らい尽くした翠星が、「じゃあ自分、上で風呂入って来ますんで、食器とか置いといてもらっていいっすから」とソファーの袋から、自分の分だろうと目星をつけた黒地に緑ラインのジャージとLサイズの下着を持ってギャラリーの階段を上って行った。
一階では出された分を食べ終わった寿尚が、「こちらは俺が先でいいかな? 人数いるからさっさと済ませないと」と着替えを片手に風呂場へ向かう。
寿尚の心情的には主の玉生を先にと思いはしたが、そうすると彼の事だから待っている者の事が気になって、ろくに時間もかけずに急いで済まして出ようとするのが目に見えている。
先に「30分で出るから」と予告しておけば、その間に家の中を見るなりなんなりしているだろう。


「一応は毛布とブランケット、適当に買って来たからリビングで夜ふかし今晩決行するぞ。そこにある映画も希望があるなら受け付けてるからな」

 そう言って駆がパネルヒーターを靴箱の裏からソファーとラグの辺りに向けて設置すると、大きな袋から椅子型のクッションを取り出した。
寿尚の部屋にある物よりは小振りで、色も落ち着いたアイボリーとは違って明るい赤だが同タイプの品だろう。

「お猫様同居分の家主さんへのご挨拶って事でスナさんからなんだけど、この色だとこのサイズまでしか無かったんだよなー」

 ホイと渡された玉生が「わ」の形に口が開いたままで固まっているうちに、「そろそろタバタんと、風呂交代してもらってくるかな」と青いラインの黒ジャージを持って和室側の廊下へと向かって行った。

「そういえば、この裏のタワーチェストには何が入っているのか気にならないか?」

 ふと、リビングのベッドを区切る家具が目についたのだろう、手持ち無沙汰もあって詠が今の持ち主である玉生にそう言った。
そう人に言われなければなんとなく気が咎めて、いつまでたっても玉生にはそのチェストの中を引き出したり開いたりはできないかもしれない。
そう考えるといい機会なので、「そうだね。うん、気になるよね」とラグの上にクッションを置いて、その誘いに乗せてもらう事にした。


「この引き出しはタオル。ここは枕カバーとシーツ、こっちはエプロンに作業着と色違いのTシャツ、作業用の手袋と地下足袋? どれも、フリーサイズだよ。あ、エプロン」
「作業着にツナギとオーバーオールでやたらとサイズと色の種類があるのは、屋敷の維持に励めという?」
「こっちはジーンズとパーカーと……キャップがいっぱい」
「米利堅カジュアル風だが、無難といえば無難、なのか?」
「後は……なんだか西洋の童話にでもでてきそうな……?」
「民族衣装というものかもしれない」

「え〜と、こっちのワードローブは白いYシャツに黒いYシャツ。それと白い手袋と黒い手袋」
「従僕の制服……?」
「扉側のハンガーには、スラックスとジャケットが並んでるよ。戸の裏にはネクタイがいっぱい」
「スラックスがアジャスター付き……なるほどその場で調整するのか」

「君たちすっかり夢中だけど、俺はもうとっくに出てるからね。お風呂の中は広いし、さっさと一緒に入ってきなよ」

 寿尚どころか駆まで戻っていて、台所で雑事を済ませたらしい翠星と録画映画を手に取りながら、どれを見るかと相談しながらジャージ姿で寛いでいる。
どちらかが二階の浴室を使ってもいいが、すぐそこの浴室が広いというなら一緒に使って構うまいと、揃って着替えを持って風呂場へと向かう玉生と詠であった。


 あれらの服はやはり屋敷の管理に従僕を雇うための制服なのでは、とか服飾デザインに興味があったのかも、作りが実用的に見えたがもしやコスチューム・プレイが趣味なのでは、つまり仮装用の衣装だったりしないか、などと二人はいつも読書の感想を語り合う時の様に過ごし風呂を済ませた。
孤児院ではドライヤーなどせいぜい髪の長い女子が優先して使うくらいで、玉生などは当然に自然乾燥が当たり前なので、今日も大雑把に水分をタオルで拭くだけだ。
ここにいるのが寿尚なら、ササッとドライヤーを当てついでにその必要性を説いたのだろうし、駆や翠星なら自分のついでにそれで乾かしてくれただろうが、詠の場合はもともとが世話を焼かれる側の人間なので自分の事を自分でするだけでも上出来の部類なのだ。
そんな詠は澄ました顔でドライヤーを使っていて、眼鏡がないと視界に問題があるがという話だったのにも関わらず、いつもの黒縁眼鏡を外している今、特に困っている様には見えないのだった。
玉生は単純に『身だしなみくらいは見ないでも平気なんだな』としか思わないが、それにしても動きに迷いがない。


 詠がドライヤーのスイッチを切ったので、自分もこんなもんでいいかとタオルドライを切り上げた玉生が、使用したタオルを洗濯槽に入れようとしてジャージに着替える前の服に気付いて少し悩んだ。
脱衣所に正方形で縦三横三に組まれた空の棚があり、今は寿尚の着替える前の服で一枠だけ使用されている。

「洗濯……」

 呟いた玉生に、「初日から張り切り過ぎ」とドライヤーを片付けながら、詠がキッパリと言った。

「同じ服着るのが嫌ならこの格好で買い物に出てもいい、電話で取り寄せもできる。チェスト一杯の服の中から選ぶ手もある」

 そう言って詠が玉生の背中を押しながらみんなのいるリビングへ戻ると、背もたれに両腕を掛けていた駆が「ほら、グズグズしてるとすぐ夜中になるぞ」と手招きした。
そういえばもう窓の外は暗くて、気付けばリビングの照明が点灯している。
録画テープを漁っていた時に、テレビ受信機や音響機器、空調なども含めたリモートコントローラーがまとめて置かれているのを発見し、一通り確認してみたらしい。
そのついでに歩き回っているうちに、どうやらこの家の廊下はある程度の明るさをセンサーが判断した上で、人が通る時に一定の時間だけ点灯するというのが分かったそうだ。
部屋の部分はセンサー式とは別で、先程は足元のライトに気を取られて気付かなかったが廊下の壁にスイッチのパネルがあったらしい。
そのパネルがリモートコントローラーとは別に、ダイニング部分に下がっているペンダントライトやギャラリーの枠を利用して設置されたスポットライトや、リビングの天井のシーリングライトのスイッチになっていたそうだ。
しかし今リビングの方は、あえて円形の土台に棒を立てたようなデザインの独立した間接照明で、映画館の雰囲気を演出している。
スモールライトと似ている様で違う、祭りの夜の提灯を思い出す明かりが部屋の中にあるのがなんだか不思議だと、玉生はぼんやりと思うのだった。

「夜ふかしならコーヒーの方がいいだろうけど、自分はフルーツは紅茶と合わせる派なんだよなー」

 空調のスイッチは入れて夜の空気は緩和されたが、この寒くなる季節にお風呂上がりという要素が加わったので、これから夜中に向けて冷たい物は非推奨との翠星ジャッジで今日収穫したフルーツは明日に持ち越しとなった様だ。
サクランボ・桃・葡萄など、今日のフルーツは身体を冷やすわけではないらしいのだが、気持ち的にコーヒーのお供に生フルーツは違うらしい。
そう決めた彼の動きは早く、「コーヒー飲めない人はいないすよね? ホットミルクで割りたいとか、あるっすか?」と希望を聞いてキッチンへと作業に向かう。
それならお茶請けをと考えた玉生が「チョコレートが棚にあったから、ビスケットと出すね」と、壁収納の食料庫からさっき目に付いたアソートのチョコレートを取り出す。
興味を持って一緒に付いて来た寿尚と詠も、その横から食料庫の中を覗き込んで「あ、凄い。このメーカーのお茶はなかなか出回らないんだよ」「このお茶もすぐ在庫が切れる」と評しているが、この二人がこれだけ手放しに評価するのは大変に珍しい。

「え、と。そんなにいいお茶だと味がわからないから。え〜と、譲ってもいいよ?」

 ここで「上げる」などと言っては彼らに叱られてしまうので、玉生は「譲る」という言葉を使った。
譲られる物に価値があると分かっている場合、それで対価を払う意志のある者とは親しさに関わらず互いに付き合いに値する相手となり得るが、そうでない場合相手の所有物を強請れば貰えると誤認する性質の人間が少なからず存在する。
ましてや無償で上げるとなると、搾取可能な相手だと認識されかねない――と、利益を掠め取ろうと集る者が現れがちな環境に属する寿尚や詠は考えていて、それは額の大小に関わらず成立するというのも理解している。
そのような人間に目を付けられるのは、玉生のような環境の人間にとっては死活問題になりかねないだろう。
それで彼らは普段から玉生には、「相手の狡い心を育てる事もあるから、なるべくなら“上げる”という言葉は使わないように」と言い聞かせているのだ。
以前からそういうタイプに多少の心当たりがあって、その理屈を最近の相続関係で会った親族の姿で納得したので、最近は玉生も意識して実行するようにしている。

「じゃあ、後日うちの接待部に話を持っていくので、定価でよろしくね」

 寿尚の家での取引時、舌が肥えていて迂闊な物はお出しできない御方を相手取る場合には、この手のアピールしやすい要素は重要である。

「うちはこのお茶を家に。僕の荷物を運ばせる時、侍従と取り引きを頼む」

 詠の家は煩わされずに研究に没頭するため表向きの華族の位を返上したのだが、時々家の方にそれを口実に押し掛けて来る者がいて、それに対しては隙を見せないでいる必要があるため、お茶の一つにも気が抜けないのだ。

「うん。高等予科に行こうかと思っているから、その費用にするね」
「たまが自力で頑張らなくても、必要経費は遺産から振り込まれると思うけど。後見人か遺産管理している弁護士から、どうするつもりか連絡あるんじゃないかな」
「どうせなら僕と高等学校にまで行けばいい」

 思い切って宣言した玉生に対してなんでもない事のように返されたが、今の状況をまだ理解できていない彼にとっては、言ってはみたが実際にそれが実現可能かどうか本当に期待していいものかどうか、どうしてもそんな気持ちが抜けてはいないのだった。
そんな玉生をよそに、自分たちの思い込みだけで玉生の進路にお節介にも口を挟んでいるのではないと分かった上に、『言質は取った』ので後はどうとでも言い包められると、策士な友人たちは実は心中でひっそりと満足していたのであった。


 そうしているうちに、キッチンからコーヒーの匂いが漂って来た。

「あっ、んと、鞄からビスケット取ってくるね」

 そう言ってカウンターに向かった玉生は、そこに置いていた鞄から市販の定番と言われるビスケットを取り出す。

「お、丸ビスケか、菓子鉢があるけどいるか? あとベッドトレイがあったからテーブル代わりにな」

 そう言って翠星は菓子鉢と菓子の取り皿を軽く洗うと水分を拭き取って玉生にヒョイと渡し、ついでに小脇に抱えられる小さな折り畳みテーブルをカウンター下の収納スペースから取り上げて台の上に載せた。
それから改めてサイフォンで淹れたてのコーヒーを、調理台に置かれた色違いのマグカップに注いでいく。
いくつかミルクの混ざった色の中でも、ほぼミルクコーヒーと言いたくなるほどに明るい茶色は玉生の分だろう。
チョコレートもあるという事でみんな砂糖はいらないそうで玉生もミルクだけ加えるのを希望したのだが、出された物は残さないが苦い物も辛い物も実は得意ではないのは承知しているので、翠星が気を利かせた結果に違いない。
カップの色も赤で「くらタマのはこれな」とトレイに載せる時に、少し玉生にかざして見せた。
玉生もビスケットを菓子鉢にカラカラと移しながら、「ありがとう」と礼を言う。


「おーい、そろそろはじめちゃうぞ〜」l

 駆に急かされた二人は慌ててトレイを持って、ソファーへと向かったのだった。

 このリビングにあるソファーは柔らかいオレンジで、その前面に向けて敷かれたラグはベージュなので、フローリングの床や全体的に木目調の家具とで色調に統一感があって落ち着く空間になっている。 
そのリビングのソファーにはセットになるテーブルが無く“コ”の形の凹みを座席部分に押し込む形になるサイドテーブルが直角部分に一つずつ、そして両端にキャスター付きのサイドワゴンが置かれていたのでコーヒーを置く場所に困らないのは幸いだった。
そのテーブルやワゴンをそれぞれの手元に移動させ、ビスケットとチョコレートを取り分けられた小皿とコーヒーをその上に配り、菓子鉢はチョコレートの大袋と共にサイドワゴンに乗せられた。
ラグの上に座ってソファーに背をあずければ、ちょうど座面が肘置きになる位のローソファーで、テーブルをずらして空いている左角に腰を下ろした寿尚はモニターに顔を向けてソファーの背で頬杖を突いている。
台所に近い右側には翠星が、こちらは片足を膝に乗せ、ソファーのその背で肘を枕に頭を乗せてリラックス状態だ。
モニター正面には詠がソファーに深く腰掛け、その少しずれた床には赤いクッションに埋もれた玉生が足を前に抱えている。
モニターのスタンドは「みんな画面はちゃんと見えてるな?」と確認した駆の手で高くセットされ、彼と玉生のコーヒーセットを置かれたベッドテーブルをよけクッションを抱えてラグに転がった彼は、「じゃあ、スタート」とリモートコントローラーのボタンを押した。




 流れる画面は、物語の中で知る古の西洋に似た架空の世界の様で、登場人物たちは物語の中の魔法を当たり前に使っていた。
しかも紀行という形でその世界を旅して紹介するというシリーズらしく、今回の”辺境の村"という舞台を選んでそれらしく演出をするのも大変だっただろうと、駆などは「これどうやって作ったんだ?」と内容よりなによりそちらに感心している。

「あんな背景の小物まで、作り物に見えないリアルさなんだけど」

 感心というより呆れた風な寿尚に、何か気になるらしく時々「うん?」と首を傾げている詠。
翠星は背景として流れる植生の方に注目している様だ。
そんな中、玉生は魔法を使っている場面になると、自分の内側から何かが引きずり出される様な感覚に困惑していた。
強いて言うなら、高い所で地上を見下ろした時に足の裏から何かが這い上がってくるような、表現しにくいものだ。
さり気ない部分にまでリアルな映像にみんなも驚いている様で、自分が圧倒されているのも『多分、これが感情を揺さぶられるという事なのだろう』と玉生は納得した。
浮遊する光の中の生物などどれ一つをとっても違和感なく、多くの場面に映り込む様に作るのは技術的な事が分からないので単純にすごいという言葉しか出てこないのだが、玉生の目に映る姿は本当に生きているとしか思えないのだった。


 その後も、港の町・山間の村・大木の家と一定のクオリティーを保ち続けるシリーズをつい夢中で見入ってしまったが、テープを入れ替えるタイミングでちいたまのところに向かう寿尚が、「そろそろ、たまが限界みたいだ。今日はこの辺にしときなよ」と目をショボショボさせる玉生に気付いたため、続きはまた後日という事になった。
このシリーズは、タイトルだけの真っ白なパッケージがかえって目を引き今日の観賞用に選ばれていて、現在は”石の要塞・地下都市・砂の中のオアシス・海上都市"などが未見で控えているが、探せばまだあるのかもしれない。


 どうにか歯だけ磨いた後は記憶があやふやな玉生は、赤いクッションに乗り上げて抱き着いた様な気はするが、そのまま柔らかいラグの上でぐっすりと眠ってしまったらしい。

 

 そして、映画の世界を彷彿させるファンタジックな夢を見たが、その内容はテープの中の世界を旅する続きだった。



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