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 Ⅸ  だから、そばにいさせて





 ――四年後。





「忍、3番テーブルさん、ホット二つとクラブハウスサンド」



「オーダーOK」



「カウンター片したら、中手伝うな」



「おう。コーヒーセットしてくれ。俺はサンド作るからよろしく」



「了解」



 カチャカチャと帰った客のコーヒーカップとケーキ皿を下げながら、龍樹がカウンターの上を布巾で拭いた。



 そのまま中へ入り、サイフォン式コーヒーのフラスコとアルコールランプをセットして、龍樹は食器を洗い始めた。



「できたら、俺が出すよ」



「OK」



 手際よくクラブハウスサンドを作り始めた忍を見て、龍樹がほほ笑んだ。



「いつ見ても手際よくてカッコイイな、忍」



「惚れ直したか」



「毎日思ってるって」



「マジかよ」



 サンドを作る手を止めて、忍は自分より高い目線の龍樹にちょいちょいと指でしゃがむようにジェスチャーをした。



「ん、一回だけな」



 カウンターの下にしゃがんで、ちょん、と唇を重ねて、ふふっと笑い合った。



 お互いの首には揃いの指輪が通された、皮ひものネックレス。



「幸せだよ、龍樹」



「俺もだ、忍」



 …ねえ、だから、そばにいさせて…?



 そんなことを思って、はっと、忍の双眸が見開かれる。いつかのデジャ・ヴ。龍樹と初めて眠りに落ちた日に見た、予知夢。その再現。



「忍…どうしたんだ!?」



 その双眸からはらはらとこぼれ落ちた涙に、龍樹が驚いて声を上げた。



「龍樹、いま、やっと、予知夢に、追いついた…」



 手の甲で涙を拭いながら、忍が顔をくしゃくしゃにしながら笑った。



「よかった…ちゃんと、実現、した…龍樹と、一緒に…」



「あああもう、泣くなよ。イイ男が台無しだぞ?昔言ってた予知夢が、実現したんだな?」



 何度も頷く忍の頬の涙を拭いながら、龍樹が困惑する。忍の泣き顔など、未だかつて遭遇したことなどないからだ。



 仕事中でなければ、今すぐ抱きしめて、キスの嵐をお見舞いしてやりたいところだ。



「俺、段々超能力が使えなくなっていって、龍樹の言う通り、不便にもなったし、不安にもなった。予知夢もみなくなったし、そもそも予知夢だったのかもわからなくなった。でも、今ちゃんと、叶ったって、わかった」



 大学時代後半には、ほとんど使えなくなっていた忍の超能力。大人になるとなくなるかもしれないんじゃないか?と杞憂した忍の言葉は、真の通りになった。



 特別普段から楽をして生きていたわけではないが、いざという時に使えなくなってしまったのは、やはり不安らしい。それはそばにいる龍樹もよくわかっていた。



 それでも株式投資ははじめこそ予知夢の能力を頼りにしていたが、勉強して培っていたもので着実に資産は増やしていたようだ。



 大学を卒業するころには「趣味のカフェ」を開店する資金はしっかりと用意していたのだ。もちろん、龍樹を店員として雇うつもりでだ。



 「Cafe Be There」は開店して四か月の新店舗だが、若いマスターとウェイターのふたりでまわしているとコーヒーが評判の店だ。それが忍と龍樹だ。



「忍、大丈夫。超能力がなくなっても、俺は変わらないから。忍の存在価値はそこじゃねえから。ほら、オーダー作んなきゃ」



 くしゃくしゃと忍の髪を撫ぜて、龍樹が立ち上がった。フラスコではいい具合に湯が沸いていた。



「コーヒー、忍が淹れないと味が決まらねえだろ?」



「そうだな。いいかげん、龍樹も覚えろよ」



 ぐすっと鼻をすすって、忍が立ち上がった。どこか不安げだった顔は、すっきりとしていた。自分の中に存在価値を見つけたのだろう。



「忍の見て、そのうち覚えるよ。だから、店つぶすなよ」



「縁起でもないこと言うな、阿呆」



「冗談だって。怒るなよ」



 龍樹が忍の腰を抱き、右頬に口接けた。テーブルにいた女性客から、キャッと驚きの声が上がる。



「おい、龍樹っ!!」



 驚いた忍が、頬を押さえて龍樹を凝視した。 



「べつに、隠さなくても、いいんじゃね?」



「…え?」



「幸せなんだろ?もう学生でもないんだし、気にすることないだろ」



 自営業なんだしさ、と龍樹が付け加える。他人の目を気にして隠していた学生時代とは違う。



「俺は、忍が好きだって、隠したくない」



「龍樹っ、俺は…っ」



 立ち尽くした忍の目から、再びぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちた。嗚咽が漏れないように、キュッと唇をかみしめる。



「あああもうっ!忍、今日涙腺緩んでるな。もう店じまいするからな!ちょっと待ってろよ!」



 がしがしと忍の頭を撫ぜて、龍樹はアルコールランプを消してカウンターを出、オーダーを待つテーブル客に謝りに行った。



「すみません。さっきからお見苦しいところ見せて。次回サービスするんで、今日店じまいしてもいいですかね?」



 龍樹がコーヒーチケットを渡して詫びると、女性のふたり客は龍樹を手招きして声をひそめた。



「大丈夫、私たち、マスターとあなたのファンだから」



「ずっと仲良くしててくださいね。応援してますから」



 手をひらひらと振って、女性客はにこにこしながら帰っていった。



 龍樹は頭をかきながらふたりを見送って看板をしまい、扉の札を「CLOSE」にして鍵をかけた。時間は午後三時を回ったところだ。



「おまたせ、忍。お客さんに応援されてたぞ」



 手で顔を覆って待っていた忍を、龍樹がぎゅっと抱きしめた。



「忍の泣き顔、レアなー。かわいすぎて、理性飛びそうだから、泣き止んで?」



「…阿呆。店でカミングアウトしやがって。びっくりしただろ」



 スンと鼻を鳴らして、忍が龍樹の首筋にぐりぐりと顔をうずめた。



「もういざとなったら、LGBTQの店でもいいじゃん?趣味のカフェなんだから」



「なんでもいいよ。ここは、俺と龍樹のための場所なんだから」



「わかってる。忍が、俺のために用意してくれたんだから。ありがとな。愛してる、忍」



 やりたいことが特にない、でも、生業陰陽師にはなりたくない。反発して家を出た高校時代。転がり込んだ龍樹を受け入れてくれたのは忍だった。



 趣味でカフェやるから、そこで働けば?そんなことを言って、それもいいな、と笑い合った。



 でも着実に忍は計画を立てて、大学を卒業するとほぼ同時にカフェをオープンさせた。龍樹は年に数日は譲の手伝いに呼ばれるので、お互い生活費には困っていない。



 なので、モーニングなし、平日のみ営業、週末休みの「Cafe Be There」はのんびりした店となった。



 忍の淹れるサイフォン式コーヒーと、日替わりケーキ、クラブハウスサンドがメインメニューだ。



 ふたりきりで回すのを前提で仕切っているので、龍樹が手伝える程度の大きさの店だ。譲の手伝いに呼び出されば、臨時休業になる。



「いつか言おうと思ってたんだけどさ…」



 背中に回していた手を腰に落とし、龍樹が忍の頬の涙をぺろりと舐めた。



「日本で結婚てまだ無理だからさ。忍、俺とパートナーシップってやつ、出さね?」



「…え?」



「いや?」



「え、えええっ?パートナーシップ!?本気か!?」



 何を言われたのかはっきりと認識した忍が、がしっと龍樹の腕を掴んだ。



「本気だから言ってんだろ。俺と、これからも一緒にいてください。って、プロポーズになんの?これって」



「プロポーズだろ、阿呆っ!」



 忍が首を傾げた龍樹に口接けた。見えなかった未来。龍樹が作り上げてくれた未来。そこに、自分がいる。



「もう、龍樹、マジで超天然殺し文句製造機」



「うん。わかったから、これからもそばにいさせて?」



「当たり前だ、ずっとだ。ずっとだからな」



 ほんの少し目線が下になった忍がかわいくて、龍樹はもちろん、とつぶやいて抱きしめた。



「じゃ、今から役所に用紙取りに行こうか。店閉めちまったし」



「そうだな。今ならまだ開いてるし。帰りに、なんかお揃いのもの、買って帰ろうか」



 龍樹の首から下がった指輪をつまんで、忍が少し照れくさそうに言った。



「これ、大学の時に買ったやつだろ?パートナーになるんだったら、ちゃんとしたもの、買おうぜ」



「結婚指輪?」



「そう、結婚指輪」



「マジで?ちょー嬉しい」



 首に下げた指輪は、大学時代に買ったペアリング。それでも、人目が気になって指につけることはできなかった。だから、互いに首から皮ひもに通して下げていた。



「指輪が気になるんだったら、ピアスにでもするか?」



「あ、それもいいかもな」



 忍が作りかけのクラブハウスサンドを仕上げて、半分に切って龍樹に渡した。



「もったいないから食っちまおうぜ」



「らっき、おやつ欲しかったんだ」



 もぐもぐと食みながら、龍樹が残っていた水出しコーヒーを氷を入れたグラスに注いでアイスコーヒーを作る。



「ん、ちょうどふたりぶん」



「タイミングよかったな。そろそろ足そうか考えてたんだ」



 昔はミルクを入れていた龍樹も、いつのまにか忍と同じブラックを好むようになった。ごくりと喉を鳴らして飲み干した。



「うまいな、忍が淹れたのって。昔からそうだけど」



「趣味でカフェしようってくらいだからな」



「確かに」



 にっと笑みを浮かべて、嬉しそうに忍がグラスと包丁を洗い始めた。



「さっさと行こうぜ。帰りはどっかで飯食って帰ろう」



「やったね。すっげえ楽しみ」



 忍の洗った食器を拭きながら、龍樹は片手でスマホを操作して画面を忍に見せた。



「ピアスだったら、ヘリックスかトラガスがいいと思うんだけど。どう?」



 ヘリックスは耳上部、トラガスは耳の入り口内側の尖った部分だ。どちらも軟骨ピアスになる。



「ちょっとクセのある位置だな。いいんじゃないか?どうせなら、どっちも開けるか?」



「マジで?忍アクセサリーとか興味なさそうだから、痛いのイヤかと思った」



「別に、痛いからイヤとかそんなことはねえよ。普通の位置なら、ただ偶然みたいだろ?わかるようにしたいなら、それでいいんじゃないか?」



 濡れた手を拭いて、忍が龍樹の耳に触れた。



「龍樹のここなら、ブルーダイヤが似合いそうだな」



「トラガスに?高くね?」



「俺の財力なめんなよ。ありきたりなのじゃなんだしな。もうひとつは、指輪でもいいし、ヘリックスでもいいし、龍樹に任せるよ」



 忍の耳を見ながら、龍樹はうーんと首を傾げた。



「もうひとつは…見てからふたりで決めよっか。指輪でもいいし」



 触れられた耳がくすぐったくて、龍樹が忍の手を掴んでその指にそっと口接けた。



「じゃあ、行こうか」



「おう」



 エプロンを外しショルダーバッグを斜めにかけて、忍が店のカギを取り出した。龍樹がガスの元栓を確認して店内の電気を落とす。



「戸締りよろしく」



 カララン、とドアのカウベルが鳴る。忍が鍵を閉め、シャッターを下ろしてその鍵も閉めた。



「行くぞ忍」



「待てよ、龍樹」



 龍樹が並んだ忍の肩を抱く。忍は驚いたように一瞬目を細めたが、何も言わずに口元に笑みを浮かべて歩き始めた。







 今日からまた、新しくふたりは始まったばかり。



 



 ――だから、そばにいさせて。これからも、ずっと…。











    了

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