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第八章 耳飾り


 第八章  耳飾り





「明後日、戴冠式か…」



 寝台に寝転んだまま、シルヴェーラは水晶宮に差し込む光を眺めていた。



 ディアゴ・ヴァルシュとの戦いの後、シルヴェーラは延々一週間もの間昏睡状態に陥り、ようやく目覚めたのだ。



 つい先ほど様子を見にきたガルディエルが、王が王位をガルディエルに譲ると決めたことを告げた。 



 ディアゴ・ヴァルシュのせいで少しずつ狂わされていた歯車を、元に戻さなければならないからだ。新しい王政に、古い王はいらない。



 誰も知らなかった、戦いの裏に隠されていた真実。七年前ディアゴ・ヴァルシュによって、葬られたはずのヴァーゴの聖女セレフォーリア。



 養父によって生き延び、金の聖魔剣士シルヴェーラとして再びヴァーゴに戻り ディアゴ・ヴァルシュを討ち果たした。



 それは、かまわない。ガルディエルとの契約でもあったのだから。



 運命は、生まれた時から決まっていたのだろうか…?



「ガルディエル…どうすればいい…?」



 両目を手で覆って、シルヴェーラはかすれた声で呟いた。



「あたしが、セレフォーリアだったなんて…」



 その時、コンコンと扉が叩かれ、ガルディエルと長男アリアカルムに肩を支えられたフォンブルグ家の主人、ベリアルディが扉を開けて立っていた。



 ディアゴ・ヴァルシュの戦いに巻き込まれて大怪我を負った一人だ。



「叔父が、どうしても逢いたいと言うから連れてきた。身体は大丈夫か?」



 シルヴェーラは頷いて、枕を背中に敷いて身体を起した。



 自己回復の治癒魔導と深い眠りによってシルヴェーラはほぼ回復していたのだが、ガルディエルがまだ寝台から出ることを許さなかったのだ。



「私はただ、貴女と話がしたいだけなのです…」



 ベリアルディは微笑むと、ゆっくりと椅子に腰を降ろした。



 ベリアルディは金髪碧眼で、どちらかというとあまりシルヴェーラとは似ていなかった。



 それに比べて、長男のアリアカルムは淡い金髪に蒼い瞳、顔立ちもどこかシルヴェーラに似ていた。



 覚えてはいないが、亡くなった母親に似ているということだろうか。



「何か、御用ですか?」



 さり気なく言って、シルヴェーラは蒼真が銀糸の包みに入っているのを素早く確認した。



 ガルディエル曰く、駆け付けた自分が一番に蒼真を鞘に納めて銀糸の包みに収納し、シルヴェーラのそばに置いたのだと。



 おそらく血まみれなっていたシルヴェーラのおかげで蒼真の蒼水晶まで気が回らなかっただけで、ガルディエルもじっくり見せるともちろん気づくはずだ。



 蒼真の蒼水晶が見つかったりしたら、あたしはセレフォーリアに戻らなくちゃならない…。



「…貴女は、本当に私の娘によく似ている…」



 ベリアルディの台詞に、ずきん、と胸が痛んだ。



 この人は、まだセレフォーリアを忘れていない…!



「酒宴で初めて貴女を見た時、女剣士の姿をしていて驚きました…。セレフォーリアはおとなしい娘でした。ですが元々王家の騎士だった私の血を引く娘です。もしかしたら、内情は激しかったのかもしれません」



 ベリアルディとアリアカルムが目配せをし、シルヴェーラを見ていた。



 ガルディエルも、もう一度答えを待っている。



「君は妹の、セレフォーリアでは、ないのですか?」



 アリアカルムが、念を押すように尋ねた。



 追いつめないでくれ…。これ以上、あたしを追いつめないでくれ!今ここで立ち止まったら、もう二度と歩きだせなくなる!



 震えそうになる手を握りしめ、シルヴェーラはかすれる声を絞り出した。



「ガルディエル王子にも、同じ事を尋ねられました…。でも、あたしはマグノリア大陸の鍛冶屋カインリックの娘、シルヴェーラ。貴族でも何でもない、旅と共に生きる、聖魔剣士です…」



 アリアカルムに支えられていたベリアルディは残念そうに俯き、うっと低くうめいた。



「ほら、医師に止められてるくせに、歩いたりするからだ。部屋に帰ろう。邪魔して悪かったな」



 シルヴェーラは微かに首を振ると、ガルディエルとアリアカルムに抱えられる様にして出ていくベリアルディの背中を見ていた。



 …あたしはもう、セレフォーリアには戻らない。一度篭から放された鳥が、二度と篭には戻らないように。シルヴェーラにとってセレフォーリアという名は自分自身の檻にしかならないんだ…。



 扉が閉まるのを待ちきれないように、握り締めた拳の上に涙が落ちた。



「…ごめん…さよなら、父さん…兄さん…」





      *

 



 翌日の夕方、すっかり回復したシルヴェーラはガルディエルに再び旅に出ることを告げた。



 驚いた様子ではあったものの、報酬を用意するので取りに来いと言われていたので、シルヴェーラはガルディエルの部屋を訪れていた。



「約束の金貨だ。危険手当で五割増しにしてある」



 円卓に向かい合って、ガルディエルはジャラッと音をたてて、大き目の皮の袋を差し出した。



「…これで、雇用関係も終わりだな」



「ああ、そうだな…」



 ヴァーゴの王宮に転がり込んで約ひと月。持てる時間はすべてガルディエルに費やした。こんなことは、未だかつてなかったことだ。



 後ろ髪を引かれる。わかっている。そんなこと。



「依頼は果たしたし、これだけあればこれからは楽に旅ができるだろ…」



 ずっしりと重い金子袋を受け取って中を覗くと、まばゆいばかりの金貨が一杯に詰まっていた。



 楽な旅どころではない。豪遊しなければ大陸を回って釣りが来そうだ。



「…本当に、出ていくのか…?」



 縋るようなガルディエルの声に、シルヴェーラは少し苦笑して言った。



「…出ていく、とは言わないだろ。あたしはここの人間じゃない。元々目的だった、デュマを探す旅に戻るさ。師匠に修行をつけてもらって、特級魔導士に昇級したいしね…」



 これ以上話していたら、ガルディエルの眼差しに吸い込まれてしまいそうで、シルヴェーラはふっと俯いた。



「明日の戴冠式は、見てくれるだろう?」



「ああ、戴冠式の後、行くよ…」



 なんとなく手持ち無沙汰で金子袋をいじっていたシルヴェーラの手を、ガルディエルの手がそっと握った。



「本当だな?」 



 上目遣いで確認し、ガルディエルはシルヴェーラの左手をとって、その金の指輪に約束の口接けをした。



「約束、だからな」



 蜂蜜色の髪の奥で、不安げな朱金の双眸が揺れていた。



 シルヴェーラは気持ちを押し殺して薄く微笑み、ガルディエルの手をゆっくりとほどいた。



「わかったから。あたしは部屋へ戻る」



 気持ちのこもっていない約束は、心が痛かった。



 



 幸いなことに、ディアゴ・ヴァルシュとの戦いの間の会話は、衝撃で倒れて気を失っていたガルディエルたちには届いてはいなかった。



 シルヴェーラは自分の正体が知られていないことにほっとしたのも本当であり、また嘘でもあった。



 思ったより沈んだ気持ちで自分の部屋に戻り、アイシュナに用意してもらった男性用の旅装束に着替え、身支度を整えてずっしりと重い金子袋を腰に結わえ付けた。



 命からがら稼いだ金貨だ。大陸を渡って回るには十分すぎるほどにある。



 これからは面倒事に巻き込まれさえしなければ、ずいぶん楽な旅ができそうだ。



「行こうか、蒼真…」



 すらりと抜いた蒼真の刀身は、白銀。



 もう、蒼銀に輝く蒼真を見ることもないな…。王家のガルディエルの緋水晶が揃ってこそ、蒼真は唄の《蒼き聖剣》になるのだから…。



 蒼真の蒼水晶を返そうかとも考えたシルヴェーラだったが、返してしまえばせっかく否定した自身の出生を認めてしまうことになる。



 そうなればまたセレフォーリア問題が持ち上がりかねないうことで、散々悩んだ挙句、やめたのだった。



 もし、いつかあたしに娘が生まれたら…歌って聞かせよう。蜂蜜色の巻き毛の王子とのひと時と、ヴァーゴの聖女の物語を。



 蒼水晶を返す気にならなかったのは、そんな気持ちになったからだ。



 さよならは、言わない。さよならを言えば、もう一度逢わなくちゃならない気がするから…。 



 蒼真を鞘に収め、首から下げた麻ひもを引っ張りだした。ひもには指輪がひとつぶら下がっていた。



 ガルディエルから渡された酒宴の装身具の中にまちがって入っていた、本来ガルディエルのもののはずの銀と緋水晶の小さな指輪。



 子供の頃に使っていたのだろう。その小さな指輪は、シルヴェーラの指でさえ入らなかった。



 その指輪が、なぜだかとても愛おしくて…、返せずにいたのだ。そしてそのまま、シルヴェーラの麻ひもに通されている。



「これは、おまえの代わりにもらっていくよ…」



 シルヴェーラは指輪に口接けをして、右耳に残った耳飾りを外して指輪と一緒に括り付けた。



 出ていく自分に、耳飾りをつけ続ける資格はない。けれど、置いていくには辛すぎた。



「急ぐ必要もないし、あとは街で買えばいいか…」



 野営用品しか入っていない使い慣れた皮の荷袋を肩に担ぐと、入り口で部屋を振り返った。



 …見納めだ…。



 初めてガルディエルと出会った部屋を名残惜しそうに、瞳に焼き付けた。ひと月の間、シルヴェーラのために与えられた豪華な部屋。



 目覚めてすぐに抱き締められて、驚いたっけ…。



 扉を開けて部屋から出ると、そこにはついさっき別れたはずのガルディエルが壁にもたれて立っていた。



 シルヴェーラは立ち止まり、気まずさに目を逸らした。



「そんな気がしたんだ。きっと、俺には黙って出ていくって…」



「なら、話は早い。恨まれるのは覚悟の上だ。あたしは、今から旅に出る」



 顔を背けて前を通り過ぎようとしたシルヴェーラの腕を、ガルディエルは痛いくらい力強く掴んだ。



「なぜ、目を逸らせる!?俺を見ろ、いつものように不敵な光を宿した瞳で!雇用関係が終わったというのなら、俺がまた雇う!」



 むっとして、シルヴェーラはガルディエルの手を乱暴に振り払った。



「…何が雇うだ。ふざけるのも大概にしろ。金にものを言わせて、人を振り回すな。あたしは金の聖魔剣士だ。一ヶ所に留まっていたら、仕事にならない」



 手を払われて呆然としているガルディエルに向かってきつい口調で言うと、シルヴェーラは一番言いたくなかった、最後の台詞を口にした。



「なぜ、あたしがここに留まらなければならない?」



「なぜって!言ったじゃないか…あいして」



「おまえがそんなにまでして止める理由が、あたしに関係あるのか?」



 遮るように、言葉を割り込ませた。



 ここに留まって、父に会ってほしいとガルディエルが言ったのは、もう昔の話。



 あたしは最初から、承諾なんてしていなかった…。



 愛してる。そんな言葉を言ってくれる男、出会えるなんて思っていなかった。それだけで、幸せだったよ。



「耳飾り、外したんだな…」



 一瞬ガルディエルは目を見開いて、悔しそうに顔を逸らせた。



「…行けよ…。留まる理由なんて、どうせおまえには関係のないことなんだろ?」



 その声は、悲痛な叫びに聞こえた。



「そうだ、あたしには関係ない。じゃあ、元気で…ヴァーゴ国王…」



 カツン、とシルヴェーラは水晶宮の出口に足を向けた。



 今度は、止められなかった。



 目一杯、傷つけた。



 でも、もうかまわない。



 後戻りするつもりなんて、初めからないから…。    





 踏切をつけるため、シルヴェーラは一度も振り返らずに王宮地内を抜け出した――。



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