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出会い

たった数人の住む、活気のかの字も存在しない村。
青年ギリー・ティグケットとその父親レザフ。ティグケットはじりじりと照り付ける太陽の下、ただひたすらに植物の実を切り続けていた。
喉がカラカラだ。腹は鳴りやまない。
意識がもうろうとしかける。青年の視界が目の前が真っ暗に閉じていき、平衡感覚が消える。
バフンと音を立て、耕されたふかふかの土の上に倒れこむ。

立たなければ。

「おいおい、大丈夫かあ?」

眼前に兵士の真っ赤な隊服が映る。こちらに寄って来ている。だが、ギリーの平衡感覚はいまだ戻らず。立ち上がれない。

「大丈夫かって、聞いてんだよッ!」
「ぐっ…」

腹部に強い痛みが走る。まだ立ち上がれない。兵士が腕を振り上げた。

咄嗟に大きな影に覆われる。

「やめてくれ…ウッ」

うめき声を上げながら、父が頽れる。かばいに入ったため、顔に拳を喰らう。

「大丈夫か?ギリー」
「すまんオヤジ。もう大丈夫だ」

ギリーは伸びきった黒髪を揺らしながら、ゆっくりとふらつき立ち上がる。

「チッ」

舌打ちをしながら、兵士が遠ざかっていった。
二人が反抗することは出来ない。それは「約束」のため。やり過ごすことしかできないのだ。
薄汚れたボロ着を着たギリーとその父は再び植物たちと向き合い、枝を切り続けていた。


長い髪と同じ色、深い黒の瞳を閉じ、ギリーは思いを巡らす。
10年だ。10年間、ずっとこうして生きてきた。兵士に見張られ、ろくな食事も与えられない。この村跡に住まわされ、粗末な小屋と畑を往復し、ただ生きることだけを考えてきた。あの日、船が来てさえいなければ、この小さな島は平和であり続けたはずだったのに。
だがこんなクソみたいな日々ともあと少しでおさらばだ。きっと、きっと大丈夫。

日が沈んでゆく。もうじき今日の作業は終わりだ。
ガンガンと鍋が鳴らされる。

「ほら、飯だ」

二人の兵士が自身らの住処から食料を持ち出し、親子に渡す。
与えられたのはこぶし大のパンとコップ一杯の水。これだけだ。
ドアのない小屋に戻ってパンを小さくちぎり、1かけら1かけらを噛みしめる。空腹に唆され、流し込むように食べるなんてことはあってはならない。どれほど後悔することか。

明かりのない小屋は次第に暗さを増す。二人がやっと寝られるだけの小さなその住処は中に何もなく、夜になると圧迫感を感じさせる。手元にあった水とパンは既に消え、寝床につこうとする父、レザフ・ティグケットを傍目に外に出る。森に囲われたこの村跡には、今はたった2つしか小屋がない。兵士のものと親子のもの。畑と森だけの開けた土地には既に夜の帳が下りていた。ただ一方を除いて。

北東に巨大な石壁が見える。その向こうからは空に明かりが漏れていた。10年前には存在しなかったあの石壁。この島の者たちが作らされたものだ。あの中では今まさに「前夜祭」が行われている。
きっと変な服装をした人間や兵士たちが騒いでいるのだろう。明日はまた「建国記念日」として祭りが行われるはずだ。その日を超えればオレたちは解放される。そういう約束だ。村のみんなは無事だろうか?いや、ここで考えても仕方がない。無事だと信じよう。

小屋に戻り、土の上に倒れこむ。寝床というにはあまりにも粗末な場所。
ギリーは不安から逃れるように強く目を瞑った。
疲労困憊の体が眠りにつくのに、そう時間はかからなかった。


ふと、話し声が聞こえた。兵士どもの声だ。ここは?奴らの小屋か。

「おっ、目を覚ましたぞ」

体が動かない。どうやら座った状態で柱に縛られているようだ。自身らの小屋より一回り大きい兵士らの小屋には、いくつかの食料が積まれ、2本の銃が立てかけられている。双方には所々に傷みが見られる布の布団が置いてある。
見飽きた赤い軍服と軍帽を着た人間が2人。
入口は目の前だが、逃げることは叶いそうもない。

近くにいる太った兵士を睨みつけ、聞く。

「これはどういうことだ?」

ガッと鈍い音が響く。左頬に拳が入った。
黙って相手を見据える。

「いいじゃねえか。話してやれよ。冥土の土産になるかもしれねえ」

奥で入口にもたれる背の高い兵士が口を開く。やっと話ができる。
違う。今おかしなことが聞こえた。

「冥土の土産?どういうことだ?オレたちは明後日には船に乗せられて解放されるはずじゃ…」

太った兵士がへらへら笑いながら口を開いた。

「ああ、その話なんだがな。船は旅行客で一杯でなあ」

背高兵士も歪な笑みを浮かべる。

「そう、お前らの乗るとこがなくなっちまったんだ」
「冗談はよせ。何が言いたい?」
「ああ、冗談だ。だがお前らが船に乗れないことは真実だ」
「まさか!」
「ああ、約束なんてなかったんだよ」

!!
嘘だ。いや、そんな気はしていた。だけど縋るしかなかった。わずかな希望に。
顔から血の気が引き、押し黙ったギリーを見て、兵士たちが声を上げて笑い出す。

追い打ちをかけるように太った兵士は口を開いた。

「すでに屋敷は出来たんだ。お前らは用済みってな」

背高兵士は懐から紙を取り出し、読み上げながら言う。

「『祭りに参加できない代わりに、ここにいるお前らの処分は任せる』との通達だ。てことでだ。お前から血祭りにあげてやる。よかったなあ。天国行きの船に乗れるぞ」
「ふざけるな!」

再び拳が入る。今度はみぞおち。

「安心しな。あんたのオヤジもすぐにおんなじ目に合うからよ」

続いて顔。体は動かない。
クソだ。こいつら人の皮を被った悪魔だ。何が、なにが「約束を守れば彼らの安否は保証する」だ。約束も、オレ達の命も何一つ守る気なんてなかった!

血走った目で兵士を睨みつけたが、体は動かず何も出来はしない。何度も殴られ、心の中で激しい憎悪を膨らませながらも、揺らめく視界に振り回されていた。
抑えようとしたものがあふれてくる。憎悪を覆いつくすほどの絶望。長い年月を経て、積み重ねてきたものが一瞬で崩れ去るという虚無感。生きることを諦めてしまうほどの。
そんな時だった。奥にいた背高兵士の背後が光り、彼は突然泡を吹いて倒れた。振り返らぬ間に太った兵士の後ろでも同じ光が見え、苦悶の表情を浮かべながらその場に倒れ伏した。

「大丈夫?!」

明るみのある高い声が真っ暗で無骨な小屋の内を照らす。

そこには夜に溶け込むように深い黒のマントに身を包み、兵士よりも一回り背の低い少女が立っていた。

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