3-2
「着替え終わりました」
ラッキースケベ的なハプニングもなく、至極平穏に着替え終わってすぐ。
更衣室から顔を覗かせると、先ほどよりも人が増えていた。
「お、出てきた。メグちゃん! こいつら、パルクールクラブの会員共な!」
「こいつらとはご挨拶やな」
「うるせー。新規入会希望者は紅一点だぞ。崇め敬い奉れ」
「いや、別に崇めなくってもいいです」
着ていた服を丸めて入れているリュックを下ろし、私はパルクールクラブの会員たちだと紹介のあった人たちを眺める。
「わしはミコトって呼ばれてんで。こっちのノータリンはシシ。よろしゅうに」
「誰がノータリンだ、誰が」
「よろしくお願いします。メグです。あの、ミコトさんは関西の人……?」
「京都どっせ。大阪とは違いますわ」
ミコトさんから放たれる笑顔の圧にたじろぐ。
「メグちゃん、ミコトに関西方面の話は禁止ね。京都ならセーフなんだけど、大阪になるとどうも圧が強くなるから」
「肝に銘じます」
そんな圧から救ってくれたのは、シシさん。
私を案内してくれた会員さんで、ミコトさんにノータリンと言われていた人。
彼に耳打ちされた内容を、私は深く胸に刻んだ。
「なんや、失礼なこと言うとらん?」
「言ってない、言ってない」
笑顔の圧が強くなり、顔色を若干悪くしながら、シシさんと一緒に必死に首を振った。
「さ、さー! 全員揃ったか?!」
「まだクラブ長が来てません」
「なんだ、またか」
圧から逃れるように、無駄に声を張り上げたシシさん。
まだクラブ長が来ていないことに
「メグちゃん、もう五分くらい待ってもらえる? それで来なかったら始めちゃうから」
シシさんが申し訳なさそうに手を合わせる。
私が、分かった。と答える前に、スライド式のドアが開く。
「待たせた」
どこかで聞いたことのある声が響く。
シシさんの、フランクに軽く怒る声がそれに重なる。
「おせぇよ、ネア! メグちゃん、もう待ってんだぞ!」
ネア。
その聞いたことのある仇名に、勢いよく振り返る。
「メグ……?」
癖毛の前髪。その下の目が、驚きに見開かれていた。
無言の時間がただ過ぎる。
気まずいことなど何も無いはずなのに、私とネアさんの間には気まずい空気が流れている。
「え? なに? ふたり知り合い? じゃあネア! お前メグちゃんの指導よろしく!」
なんてことをシシさんが軽い調子で言うものだから、つい頷いてしまったのが発端。
この間の装備を教えてくれた時の饒舌さは何処へ、今はただ只管むっつりと黙り込んでいる。
「あ、あの、ネア、さん?」
「……ああ、すまない。少し考え事をしていた」
ネアは目を伏せ、申し訳なさそうに謝る。
睫毛長いな。
「あー、ひとまず、自己紹介をしようか」
「はい。今日からお世話になる予定のメグです」
「パルクールクラブ、クラブ長のネア。盗賊のスタイルは
「アサシン……」
「敵に気取られないように仕留めるスタイルだな。集団戦だと少々骨が折れる」
他にも、斥候タイプや
「このパルクールクラブでは主に、盗賊の特徴でもある身軽さを磨くためのメニューをこなしている。……が、まあ、それは建前で」
「建前?」
「ああ。本音は、盗賊の身軽さで普段なら跳べなかった障害物を乗り越えていく、それが楽しくなってメニューをこなしているやつらが大半だ。そら、見てみろ」
ネアが指した方向、跳び箱やらクッションやら、トランポリンや天井から吊り下げられた紐や、空中ブランコが、先ほどまで何もなかったはずの空間に散らばっている。
そこをクラブ会員の人たちが跳び越えたり、飛び込んだり。
海賊船アクションも真っ青な空間移動で、空中を駆けまわったりしている。
そのだれもが、みんな笑顔で、好戦的な表情を浮かべながらも、共通するのは楽しそうという感情。
「シシ、行っきまーす!」
「はよう行かんか」
シシさんが大声で宣言し、ミコトさんに背中を蹴られている。
随分いい音がした。
彼は前のめりになった勢いで、地面にダイブしそうになりながら、その勢いを殺さずに前方転回、ハンドスプリングと呼ばれている技を決める。
高く飛び上がった回転の着地点はトランポリン。
トランポリンのゴムが伸び、そして縮む。
それはシシさんの身体を押し上げ、遥か高い天井へ。
「やっふーい! メェちゃーん! 見てるー?!」
メェじゃなくてメグです。
シシさんは天井から釣り下がった紐を、ターザンのように掴んでは跳んで、跳んでは掴んでを繰り返す。
その動きはまるで―――。
「猿みたいだろ」
「あ、え?」
「さもなくばチンパンジー」
ネアさんに言われ、もう一度確認のために見上げる。
「たしかに」
あまりにも的確過ぎる動きの種類付けに、思わず吹き出してしまう。
ネアさんと視線が合う。
彼もまた、肩を小刻みに震わせながらふはっ、と笑っていた。
「ネアさん自分で言ってツボってるじゃないですか」
「しょうがないだろ。言っててぴったり過ぎたんだから」
「言われた時天才か? って思っちゃいましたよ」
ふたりして笑い合いながら、シシさんを見上げる。
彼は未だにチンパンジーをしていて、それにさらに笑ってしまう。
「はー、おっかし……。……ネアさんは」
「ネアでいい」
「……ネア?」
「ああ、オレはメグって呼ぶ」
ネア。
彼から言われた呼称をもう一度復唱しながら、もう一度シシさんに視線を向ける。
やっぱりチンパンジーだった。