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70章 賃金の推移

 所持金の一部を寄付するために、マツリの店を尋ねることにした。

「アカネさん、どうかしましたか」

「特別寄付金として、500億ゴールドを用意しました。住民の生活の足しにしてください」

 マツリは突然の事態に、目を大きく見開いていた。

「アカネさんのお金をいただいてもよろしいんですか?」

「いいですよ」

 マツリは深々と頭を下げる。一住民として、全員の気持ちを代弁しているかのようだった。

「アカネさん、本当にありがとうございます。このお金は、時給アップなどに使わせていただきます」

 100憶ゴールドで300ゴールドの昇給なら、500憶ゴールドで1500ゴールドとなる。前回分と合わせると、2000ゴールドの給料アップになる。元々の時給が500ゴールドだとしても、2500ゴールドを受け取れる。フルタイムで働くことができれば、生活にかなりの余裕を持たせられる。

「今回の昇給額は700ゴールドとなります」

 100億ゴールドで300ゴールドの昇給なのに、500億ゴールドで700ゴールドはおかしくないか。そのようなことを考えていると、マツリから説明があった。

「付与金による、1時間当たりの昇給額は1000ゴールドまでとなっています」

 昇給額に上限を設けているとは思わなかった。ここまで縛る必要はあるのだろうか。

「昇給額を増やすことはできないんですか?」

「『セカンドライフの街』の法律で決められているので、私にはどうすることもできません」

「法律はどうしたら変えられるんですか?」

「わかりません」

「法律を変える人たちはいないんですか?」

「現在の『セカンドライフの街』では、法律を作る人たちはいません」

 過去に作られたルールをそのまま適用しているのか。年代に応じた法律を作り直した方がいいのではなかろうか。

「アカネさん、ルールはなるべく変更しない方がいいと思います。簡単に変更できるようになると、訳が分からないルールが増えることになります」

 マツリのいうことは一理ある。どの国においても、数の暴力によって、理不尽な法律が作られていく。人間が人間の生活を窮屈にしているのである。

「『セカンドライフの街』においては、最低限のルールのみで生活しています。そこが街の誇りであり、楽しさといった要素になります。ただ、最低時給については、必要だったかなと思います。これを決めなかったために、住民の生活は苦しくなりました」

「給料が安いのはどうしてですか?」

「セカンドライフの街が大恐慌に陥ったとき、労働者が安い給料でいいので雇ってほしいと、押し寄せたことがあるんです。その影響もあり、給料の水準はどんどん下がることになりました」

 数少ない仕事を取るために、安売り競争をしたのか。自分の首を自分で占めてしまっている。

 マツリはパソコンに視線を送っていた。

「パソコンに残されたデータによると、100年前については、最低時給が3000ゴールドくらいで推移していました。不景気で安売り競争が起こるようになり、一時期は150ゴールドまで下がったみたいです。それからは持ち直して、最低時給は500ゴールドくらいで落ち着きました」

 昔から給料が低かったのではなく、時代の流れとともに変化していったのか。いつの時代においても、不景気というのは怖さを伴う。

 1ヵ月に必要なお金は20万ゴールド以上だ。時給500ゴールドでは、一ヵ月あたり400時間勤務をしなければ、生活することはできない。

「時給500ゴールドは満足な金額とはいえません。無理をしなければ、生きられない状態が続いています」

 ミライ、サクラの母などを見ていると、はっきりと伝わってくる。過労死前提で勤務しなければ、こちらの世界で生きるのは難しい。

「アカネさんの寄付金のおかげで、住民の生活レベルは改善しました。裕福な生活はできなくても、過労で倒れる人は減っていくでしょう」

 マツリはこくりと頷いた。小さいはずなのに、大きな意味を込められているようにかじられた。
「そうなるといいですね」
 アカネは店をあとにしたあと、空をゆっくりと眺める。右から左に動いている雲は、微笑んでいるように感じられた。 

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