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虚構の進軍

 鳳神社で深雪は玄武隊隊長と話している。見える景色はうすぼんやりしていて、現実なのか虚構なのか判断に迷う。夢としても活動できるというのなら、言うことは決まっている。

「何でもしますから、連れて行ってくださいませ!」
「それがしにそう言われてもなあ」

 隊長の苗字は近衛と言って五摂家(きぞく)のひとつだ。近衛はこの得体の知れない冷気使いを見る。確かに強い。隊員の小野田とは親しく味方であることも知っている。近くの隊員に兵站の不足を聞く。

「いえ。行軍を行うには問題ない数かと」

幕府軍は正統な部隊にあたる。西洋から怪しげな武器を入れた政府軍のように、異質なものを受け入れはしない。

「小野田から餞別(せんべつ)をもらっただろう。引き下がれ」
「受け取りませんでした」

近衛とのやりとりは1時間続いたが、引き下がらない深雪に折れた。

「不都合があったらその場で放逐(ほうちく)する。それでもよいな!」

 以前の記憶がフィードバックしてきて今の自分は偽者だと語りかける。近衛が疲れ、白昼夢を見ていると考えるのが正しいのかもしれない。それでも許婚と一緒に歩けるのは嬉しい。

「この夢、最後まで見させてくださいませ」

戦地は関東。そののち東北に向かう。

 慶応4年(明治元年)に始まった明治新政府と幕府軍の戦いを、戊辰戦争という。江戸城を無血開城したのち戦地は宇都宮や長岡や仙台になり、五稜郭で終戦する。戦いはもう始まっているというのに、玄武隊は戦闘場所にいない。

 深雪が見慣れない宿場で物色していると、許婚の小野田加梁(かりょう)(とが)める。

「何はしゃいでいるんだ、これから戦場に行くのに」

地場産業の商品である益子焼や岩槻人形は、雑貨店に好ましいが玄武隊には関係ない。そんなものを手に取ると士気の緩みと見られてしまう。

「すみません。商売で見る習慣がありました」
「……でも気持ちは分かる。正してしまって……すまない」

玄武隊の同僚は何をしているかと見れば、剣の稽古をしている。旧時代のものは役に立たないと言っても、受け入れられるはずはない。深雪は黙ってしまう。
 鳥羽伏見の戦いで幕府軍は薩長連合に負けた。それは力の差があるということだ。それなのになぜ戦うのだろうか。答えが知りたいのかと察したように、加梁(かりょう)がつぶやく。

「関が原から300年がすぎた。平和に暮らしてきたのは徳川様のお陰だ。英蘭西仏などに操られている薩長に任せられるはずがない」

これらは幕府軍が兵に対して教育している内容だ。周囲には洗脳だ、時代遅れだと非難される。

「……本当はそこはどうだっていいんだ。深雪が幸せならば」

自らは部隊に所属していてどうにもならない。深雪は望むまま動いてほしい。加梁(かりょう)の心が伝わってくる。この人だから許婚関係になった。

 幕府軍残党の環境はよくない。フランスのブルゴーニュのような田園暮らしができるかと思ったら、それは間違い。玄武隊は、中立を宣言した藩の民家に泊まれない。野営するのに汚れやすい着物を着続けるわけにはいかない。仕方なく袴に着替える。

「小袖姿もよいが武士姿も似合っているよ」

そう言われれば顔は綻ぶ。お返しに加梁(かりょう)も何か困っているのではないかと聞く。すると服が移動で破れて困っていることを伝えてくる。そこで民家を回って、替えを作れないか生地と糸のあてを探す。
 回ったうちのある一軒では機織をしていた。

「桐生織に絹生地と絹糸が使われていますが……」

安政6年に横浜が開港されてから、この群馬の織物は輸出されるようになる。作っただけ持っていってしまい、他に回すゆとりはなくなった。深雪に渡すものなどない。
 日が落ちて行軍できなくなると、野営に入る。幕府軍の現状を聞かされる。

「宇都宮城を新撰組の副長だった土方さんが攻めるんだ」
「鬼の副長……ですよね?」

明治の情報を持つ深雪の心象はよくない。新撰組は規律に厳しく、同期でも違反すれば表情を変えずに死罪にしたことが伝わっている。

「いや、それは局長を偉大に見せるためだったんだ。尊厳のないものには従わない。だが今は違う」

流山で局長を失うと、部下思いの優しい男になった。最前線に立ち、部下の士気は高いと聞く。

「あの人の部下だったら……いや、なんでもない」

玄武隊は幕府軍が戦いに臨むまで周りの警備をする。城戦より安全で生き残りやすいが、攻撃に加わることは無い。

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