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『オーバード細胞変異症候群』

普段であればその違和感を感じる事が出来たのだろう。しかしこの時の真那には分からなかったし、『普段の兄』の話を聞き逃すつもりもなかったのだ。
真也はそのまま続ける「原因は『オーバード細胞変異症候群』って言われてるんだけど、俺たちはその原因とか治す方法を探してて、まひるもその一人で、俺はその手伝いをしてたんだ。まひるは今そのキーカードの使い方が分かってるみたいだけど」そこでまひるが言葉を挟んだ。
「私だけじゃありません。みんな知っています。『異世界』に行く時に教えてもらいました」
その言葉に真也は驚くものの、確かに真也自身も『オーバード細胞』という特殊な組織の存在やその利用法などを教えてもらった。『世界災厄』に拉致され、修行を始めた直後は、そういった事を誰かに教わる前に連れ去られた事もあり、教えられた内容を疑わなかったが。
「そう、か。その……えっと、まひるが使ってた『魔法?』っていうやつは、どこで学んだのかなって思って」
真也はそう言いつつ先程まで自分がいた世界で見た、まひるが放つ不可思議な力を思い出していた。まひるの返答もまた早かった。
「私たちは、ずっと昔からこうやって『異能力』を使えるように訓練されてきたんですよ」
「昔から……? そんな話、全然知らなかったけど……」
真也はその話を信じられず、否定するように首を横に振った。しかし、対するまひるの顔は真剣なもので冗談を言う雰囲気ではなかった。
「そりゃそうですよ。だって私とお母さん以外、このことは知りませんから」
まひるは「だから私に隠しごとをしていた事は怒っていません」と言葉を付け加えた。「……わかった」と真也が小さくつぶやくと、今度は彼女がその話の核心に触れる。
「お兄ちゃんの言うとおり……私たちは『感染者』です」
まひるの言葉に真也は何も言えず、無音のまま数十秒の時が流れたが。まひるがゆっくりと続けた。
「……私、お兄ちゃんと離れ離れになってから気づいたんです。自分の体がどんどん変わっていくことに」
まひるの声は徐々にか細くなっていき、ついには消え入るほど小さい声となる。しかしその瞳からは一筋の涙が流れており、彼女が必死であることは真也にも分かった。しかしそれでも、真也は何も答えることが出来なかった。彼の頭の中はぐるぐると回り続け混乱しており、まひるが口を開いてようやくその意識を戻すことに成功した。
「私……私ね、男の人が怖くなったの。私の身体、こんなにエッチな感じになって……。でも、私が1番嫌いなのは自分だから……」
真也の脳は、未だかつて無い程のパニックに襲われていたが。目の前の少女が泣いているということだけは、なんとか認識する事ができた。
「私は!……私のことが好きでもなんでもないお兄ちゃんにこんなことしてっ……ごめんなさい……」
泣き崩れるように頭を下げるまひるの姿を見て真也の頭がさらに回ろうとする。しかしその瞬間、彼の頭に強烈な痛みが訪れた。「うっ!」
頭痛に耐えかねた真也が思わず額を押さえれば真也の目尻に涙が溜まる。
するとその時だった。突如真弥の手のひらが真也の目の前に現れ涙を押しとどめた。まるで『泣くんじゃない』と真也に訴えかけているかのように見えて、真也の混乱した頭が少しばかり落ち着きを取り戻す。
その手の向こうから真也に向けられたまひるの目線は怒りに染まっていた。
(この子は……誰だ?)
今まで、シンヤが見ていた妹は可愛らしい女の子だったが、今のこの少女はそんな印象とは正反対のものを持っていた。
真也はこの世界にくる前の自分をよく覚えてはいない。だからこそ『殻獣災害に巻き込まれたせい』だと理解してしまっていたが、実際のところは全て違うのだから当然と言えば当然なのだが、真也はその違いに気づくことは無かった。
それはつまり、『妹が突然別の存在のように変わった』事に対して恐怖を覚えてしまったということである。
(でも、どうして俺の頭を掴んでいるんだろう。もしかすれば俺はもう、この子を妹のまひるだと認めてしまっているのかもしれない)
真也が呆然としながらその光景を眺めていれば、彼は再び強いめまいに襲われた。それと同時に、まひるは口を開いた。その声色は先ほどのまひるのものとは打って変わり。どこか冷たく暗いものだった。
「お姉ちゃんもお兄ちゃんも、本当に最低ですね」
その言葉は真也の胸に刺さり、その目からついに涙を流した。しかし、その表情が驚きのものにかわるのは一瞬のことであった。その変化はまひるに気付かれることなく、その言葉の続きを待っていた。
「……」
その沈黙をどう取ったか、真也の目には変わらず冷たい目線をこちらに送る彼女の姿が映っていたが。
その実、彼女の瞳が涙に濡れていたことはしっかりと確認していた。しかし真也はそれを見て見ぬ振りをした。
(そうだよな……まひるも、辛いんだよな。ごめんな、まひる。俺、お兄ちゃんなのにな)
彼がそう思い謝罪を口にしようとした瞬間、まひるは真矢の腕を掴みベッドへ投げ飛ばした。真也はその行動に驚くものの、それよりも強く胸を高鳴らせてしまう。なぜならその動作は、夢の中の妹の姿と重なったからだ。
しかし、夢の中でまひるに組み敷かれた真也と違い、今ベッドに倒れた真也の体にのっているのはまひるではなく真矢である。
真也はその事実にまた胸を焦がしつつも、まひるの行動に驚いた。真矢も驚いているようであったが。
まひるは真也に向かって告げる「なんで、お兄ちゃんがそんな顔するの」
真也はその言葉にハッとする。自分は今、何を考えていたのか。真也は己を恥じ、まひるへと向き直った。まひるはその姿を見て続ける「それに、お兄ちゃんが悪いんでしょ? 全部自分の責任なんだから」
その言葉に真也が何も言えないでいると、「お邪魔しました」と真也の部屋から出ていった。残された真也は、自分の愚かさに絶望した。
(何がお兄ちゃんなんだ。俺の方が何倍も年下じゃないか。しかも俺はまひるのことを、守らないといけない立場にいるというのに。俺は一体なにを考えてるんだ)
真也は自身の浅はかさを悔いたが、その心にはひとつの疑問が残っていた。それはなぜ、まひるは自分の秘密を暴いたかというものだ。
真也が『殻獣』について話すことを決心したのもまた、彼女が『殻獣の変異病に感染させられていてそれが理由』であったからだ。それを『病気だから』という一言だけで済ませられるような話ではないし、そもそもそれだけならわざわざ言わずに、黙っていれば良かっただけのことだ。
しかし彼女は『殻獣』というキーワードを自ら口にした。それが意味するのは『病気』について『殻獣』の事を『知っている』と言うことではないだろうか。ではなぜ彼女がその知識を持っているのか。それは彼女が、その『殻獣』によって生み出された存在、人工空間にいたのだから当たり前の話であった。だが真也はそれを知らない。
真也がその答えを知ることになるのは、翌日のことだった。
まひるが部屋から去った後、入れ替わるようにして部屋に入ってくるものがあった。その人物はまひるよりも一回り以上小さく見えた。真也がそれに疑問を持った次の瞬間、その人物は大きな声をあげた。「わあ! これがお兄さんですか!」

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