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再調査

 裁判は深雪の心を変化させている。利益は減っても貧しい人向けの商品を用意するようになった。雑貨店の片隅には園芸コーナーがある。チューリップは10円という値段で、現代でいうと2000円以上の高級品になる。そのため今は朝顔や鬼灯(ほうずき)のポットしかない。

「綺麗な藍色」

買っていく人はそう言ってくれる。
 この園芸コーナーを搭季(とうき)が見ている。鬼灯(ほうずき)のポットを1つ選びカウンターに持ってくる。

「病気の従兄弟に買っていくので安くしてください」

鬼灯は煎じて病気が治ったという言い伝えのある観葉植物だ。根茎を煎じる生薬の効果は、咳や熱に効くという。病気の従兄弟がいるということは、搭季が危ない商売に手を染める理由としては十分だった。

「それより……妖しを狂わす香水(パフューム)。興味があります」

 塔季は深雪が陪審員をした裁判を垣間見て、雲龍入道の件を知っている。罪人の姑獲鳥《うぶめ》の家が気になる。妖怪をスカウトするのに小道具や話術で苦心しているのに、香水1瓶でしてしまう奴に対して腹がたつ。

「下らない理由で済みません」

現場である姑獲鳥(うぶめ)の家は異世界にある。彼ひとりでは行けないから深雪にも来て欲しい。

「私の取引相手に木村という商人がおります。彼はアロマ関係に詳しいので、一緒に」

木村は深雪の店にも商品を入れていて知らない者ではない。人間2人を連れて悪鬼の跋扈《ばっこ》する宵に向かう。深雪にとってはそれは罪であっても簡単なことだ。

 宵の異世界通りはアーク灯が石畳を照らす幻想的な風景になる。御影石の黒が深雪の和装を映して遠くまで存在を伝える。

「この時間に誰もいないのは惜しいですね」

この光景はパリのシャンゼリゼ通りにも引けを取らない。それなのに遅くなればなるほど強敵が出るために、まったくの無駄になっている。悪鬼といっても命が惜しい。有象無象のものはこの時間を避ける。

「その強敵も見当たらないのは何でなんでっしゃろ?」

木村の質問に深雪は答えない。塔季は感づく。この時間に動くものたちには、深雪が悪鬼に映る。

「こんなレディを悪鬼……いや、味方であることに感謝を」

石畳の道は途切れて木骨石造の家が現れる。主なき姑獲鳥(うぶめ)の家は、深雪が手を触れると扉をそっと開いた。
 塔季は不法侵入ともいえるこの状況を確認する。

「人間の家は捜索令状がないと調べられないのですがこの家は特別です」
「はい、妖しはそういうことはありません」

強者は弱者の家に無断で入っても構わない。野生の虎は草食動物の家に立ち入っても咎められない。
 部屋の奥に下向きの階段が見える。木村は強く吸わないように気づかいながら鋭い嗅覚センスを見せる。

「地下が気になります。建材の香り、トルエンやベンゼンではないですな。強いて言えばオピオイドに近い。入らない方が良いでしょう」

竜舌蘭の名香「プワゾン」は毒ではないが、地下から漂ってくるものは木村は毒だと判定する。地下に置いてある物の香りを嗅ぐということは、姑獲鳥(うぶめ)と同じ状態になるということだ。

「ふむ……」

塔季は腕を組む。白蝋王が妖しを薬物の香りで操る。そんな仕組みが見えてきた。だが足りない。捕縛できる証拠もなければオピオイドを調べる試薬もない。

 塔季が考え事をしていて道端の石を蹴飛ばす。池で水切り遊びしたように跳ねた後、草むらに消える。

()せない」

「どの組織が誰に繋がっているのか、全ては白蝋王()に繋がっているのか」

深雪は塔季の1つ目の疑問について、妖怪を虜にする香水の件は解決されたはずと思う。再び事件が起こってニュースになれば、構造は明らかになってくる。

「政府がする発表待ちではいけないのでしょうか?」
「ふむ……私はそれで構いませんが、あなたはそれでは遅いように思えますよ」

塔季は深雪が関わる事件だと見ている。考えてくれている。

「深雪さん。あなたに近い人物でも、裏では敵である可能性がある……」

深雪は塔季の忠告に対して問題ないと微笑む。雑貨店を開いている以上、そういった人はいくらでも出入りする。格の高い妖しだからこそ、対応できる自信もある。だいたい言い出した塔季も得体の知れない妖怪商人だ。

「お申し出はありがたいのですが、塔季様も怪しい方のひとりです」

塔季はそれは当然と思い、自虐的な台詞を口にする。

「そうですね……私含め、用心した方がいいと思いますよ」

そう言うと無言になり、時おり額に手を当てて立ち止まる仕草をする。謎を考えている時の塔季は魅力的に映る。金銭や恋愛の打算ではなく、純粋な思考を持ち合わせている。
 雑貨店のかつて玄関だった裏口に着く。出迎える外灯に群がる虫が当たる音がする。それは雑貨店の今を示しているのかもしれない。

 昨日が遅かったせいか、次の日は雑貨店の常連がなかなかこない。お客の相手だけが仕事ではない。こういう時間は棚の平織り(カーペット)を下に降ろす。

「カーペットはダニが発生しやすいです。蒸気蒸し(スチーマー)で手入れしましょう」

これはバッタン織機で織られたもので、J.ケイが発明した飛杼(とびひ)が使われている。糸を通した木片が木綿を織り込んでいく。木綿は綿花という植物なので、害虫が好んで食べてしまう。

「もふもふーっ☆」

手伝わなければいけないはずの玄助が飛び込んでくる。暖かくて柔らかい感触を感じて喜ぶ。売り物なんですからと怒られてさっと離れる。
 彼が次にとっついたのは金属板を弾くピンのついた円筒。シリンダーオルゴールというものだ。ネジを巻くと童謡のメロディを奏ではじめる。

「小野田さんから同じようなものもらわなかった?」
「竹で作った水笛ですが、受け取りませんでした」

玄武隊が出征した時に差し出されたが、代わりのものは受け取れなかった。帰ってきて欲しかった。けれど気持ちを受け取らなかったことに未練が残った。

「間違っていました。隊長の命令を無視して行くべきでした」
「駄目だよ……残される人のことも考えてよ……」

玄助は深雪が戦争に参加することは望んでいない。一緒になるということは危険(リスク)でしかない。

「ふわぁ~あっ」

一方の塔季は、妖怪取引(スカウト)ついでに寄ってくれたものの眠そうだった。

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