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エピローグ

次の瞬間。
私は真っ暗な空間にいた。

もしかしてあの牢屋のシーンに戻ったのだろうか? そもそも私はアリッサなのだろうか?

先ほどまで触れていたセシリオの気配もなくて、私は真実を知りたいと思った事を一瞬後悔する。

その時、向こうから柔らかい灯りが見えた。

「……誰、ですか?」
光は一人の人間のシルエットを映す。

刹那、シルエットがゆっくりと色彩を纏い、室内は明るさを増していく。すると……。

「ここ、どこですかっ」
明るくなったのに、そこには何もなかった。壁も床すらないただ明るいだけの何もない空間がひろがっていたのだ。

「ここは私が作り出した空間だから、どこでもないな」
私をじっと見つめる顔は、アリッサとしては直接知らない人間だ。ただ、マリアンヌを使ってゲーム攻略した私は知っている。

「……キャセルベルグ」
それはマリアンヌの攻略キャラの一人。隣国の大魔導士だ。

「さて、アリッサ、其方は真実の答えを求めている、のだな。それは私にとっても都合がいい」

見た目は30代前半ぐらいに見える落ち着いた風貌。
ゆったりしたローブを纏い、彼が指先を動かすと目の前に例のゲームの選択画面が出た。


=====================

全てを思い出しますか?

→YES

 NO

=====================

その画面を指先で押し出すと、それは私の目の前で止まる。私は唇を噛みしめて、そのままYESにカーソルを動かすと、エンターする。
瞬間、膨大な記憶が自らに流れ込むのを感じる。


***


「ねえ。私の友達になってくれる?」

たった一人で小さな塔に隠されるようにして育てられていたちっちゃなお姫様は、マリアンヌという名前だった。そして何回か会いに行ったあと、とても不安そうにそう私に尋ねてきたのだ。

日に当たった事のない様な白い肌をしたそのお姫様が気になって、私はその後も姉のところに来るたびに、人目を盗んで彼女に会いに行った。

そしてはっきり言わないものの、彼女がこの塔に閉じ込められているのは姉のせいであること。
私自身が姉に小さい頃から支配されていたことをお互いに知った。

そして私たちは虐げられた同士、密かに友情を育んだ。
けれど私たちの力は本当に弱くて。心を支配されて何も抗うことはできないまま、時は過ぎ……。


「ねえ、アリッサ、私、好きな人が出来たの……」
それから何年が経っただろう。

ある日、彼女の元を訪ねた時、そう突然告げられたのだ。
年頃になり美しく成長した彼女は、政略結婚のために城に戻されて、表面上は以前より自由な生活ができるようになっていた。
そんな中で春の兆しを感じるようなその言葉に私は笑みを浮かべる。
私は、自分の姉である王妃に、虐げられて密やかに生活を送っていた大事な友達が幸せになれることを心から祈った。

自分だって姉に虐げられていたけれど、私はまだ姉に逆らうことも、自分を助けてくれる人も傍にいる。だけどマリアンヌには私しかいないから。

地の女神にも、海の女神にも祈った。
マリアンヌが幸せになりますように、と。

けれど……。
運命は私たちが願うようになんて進んでくれなくて。

マリアンヌは好いていた人と引き裂かれ、アルドラドに連れて行かれ、神の名を騙る宗主に貞操を奪われ、貶められて、神の子を身ごもるまでその身を奪われ続け……。

望まない無理な生活が祟って、病に倒れ亡くなってしまう。

そして、私はその後、マリアンヌの代わりにアルドラドに連れて行かれ、大好きだった海から遠ざけられて、暗い神殿の中で、マリアンヌと同じような生活を送るようになる……。


***


「思い出したか?」

キャセルベルグは無表情で私にそう尋ねた。
私は恐ろしい真実に吐き気を堪えながら、なんとか頷く。

「マリアンヌは自分が亡くなる時に、多分次に狙われるのはアリッサだろうと。もしそうなってしまった場合、彼女を救ってほしい、とそう私に言葉を遺したのだ」

貴女を一度だけ助けることができる、と別れる前に渡した魔術具の手紙がキャセルベルグに届いたのは、彼女がこの世からいなくなった後だったそうだ。

そしてマリアンヌの代わりに、神殿に捕らわれた私の元に彼は現れた。
もう一度、全てをやり直すために。

「けれど……時空を歪めて何度やり直しても、結果は一緒だった。マリアンヌは私に助けを求めることなく、私はそれでも彼女を救いたかった。そして……アリッサ、貴女もマリアンヌを救いたいと、心から願っていた」

私は記憶の中で繰り返した、その絶望的なループを思い出す。私は、精神的に追い詰められていった。

けれどそんな努力を何度繰り返しても、毎回記憶がクリアになってしまうマリアンヌは、性格が優しすぎて、いつだって型にはまった選択以外選ぶことが出来なかった。私とマリアンヌの友情の記憶が、私たちの選択肢をいつだって狭めていた。

ああそうか。だからこの男が記憶を弄ってたんだ。それでも結果は変わらなかった。

「このままでは何も変わらない。根本的な改善方法が必要であると私は考え、世界の英知を集め、その対策方法がないか探したのだ」
その時、彼が見つけ出したのが、異世界の【ゲーム】というシステムだった。

「私はその世界と波長を合わせ、マリアンヌとアリッサの運命を流し込み、一つのゲームを作り上げた」
それが……干物OLだった【私】が手に取った「ラブ・クルーズは貴方と一緒に」という乙女ゲームだった……。

「ああ、思い出しましたわ……」
そして私は【私】の中に意識を飛ばされて、彼女と一緒にキャセルベルグの作り上げたそのゲームを始める。どうやっても自力で運命を回避できないマリアンヌの視点で。そもそも異世界に転移させられたのは、私の方だったのだ。そして私と【私】は意識の中で融合し、マリアンヌとしてゲームにチャレンジすることになった。

現代日本で、ごく普通に家族に愛されて育った【私】はマリアンヌの半生に怒りを覚え、悪役アリッサに反発し、マリアンヌを幸福にするために試行錯誤を始める。

「……この方法は今までよりかなり上手くいった。マリアンヌは大事な選択肢で、ゲームプレイヤーの意識が影響して、より自身の幸福になれる選択をすることが出来たのだが……」

そこで言葉を止めた魔導士は、私を見て緩く首を振った。

「あのゲームでのアリッサの【悪役令嬢】ぶりは、貴女らしくはないと思った事はないか? 貴女の中に、ゲームの中のアリッサの記憶はあっても、それが自分自身の記憶ではないこともわかっているだろう?」
その言葉に胸が嫌な軋みを立てる。

「なら、あのゲームの中のアリッサは……誰なんですか? そして今の私は……アリッサ本人なんですか?」
頭が混乱してくる。でも正直、今の私の中にはほとんど【私】は存在してない。けれど全く残ってないわけでもないのだ。

「貴女の中にはまだ、あの世界の協力者の意識が残っている。それを完全に分離するためにも、【ゲーム】の世界はその中で完結しなければならない。……今度は、貴女自身で【悪役令嬢アリッサ】としてゲームを進める必要がある……」
その言葉にゆっくりと瞳を瞬かせた。

「つまり……ゲームの世界の【悪役令嬢アリッサ】役は、これから私がやらないといけないんですね」
私の言葉に、キャセルベルグは頷く。

「さあ。どうする? マリアンヌを痛めつける役だが……やり通すことはできるか?」
その言葉に私は頷いた。マリアンヌが無事幸せな生活を手に入れるためなら。自分の望んでない行動を取ることになってもいい。
あんな悲しい運命を辿らせないためなら、マリアンヌに嫌われたってかまわない。

「……だって、私がその役割をやらなければ、【ゲーム】の真のハッピーエンドはありえない、ってことですよね?」
私は私の中の【私】に頼む。

「だったら、後少し、付き合ってください。【私】さん……」
私の中の何かが、『いいよ。やるなら完全攻略、トゥルーエンドを見なきゃね』と答えた。

私達が頷くと、キャセルベルグは何か詠唱のようなものを唱える。
ぱぁっと明るく輝くのは複雑な魔法陣。それが私の方に迫ってきて。私は光の渦に飲み込まれた。


***

=====================


アリッサ:「あはははははははっ。
マリアンヌ、貴女は本当に男を
だますしか能のない愚かな娘ねっ!」

私はそう言って腰に手を当てて、
悪役令嬢らしく
仁王立ちをして高笑いをした。


=====================


……ここまで来たら、マリアンヌのハッピーエンドは間近だ。
後ろ手を縛られ、膝立ちをし、伯爵令嬢である私を見上げる王女マリアンヌを見つめる。

ごめんなさい。マリアンヌ。本当に、本当にゴメンね。
今は辛いだろうけど、すぐアルフリードが迎えに来てくれるから。
もう少しだけ頑張って……。

そしていよいよエンディングになる。

その前に私はアルフリードの護衛によって、マリアンヌから遠ざけられて、国に送り返されることになる。
……そして姉の手で、牢獄に連れていかれる。


***


後少し待てば、ランバートが脱獄するために迎えに来てくれるだろう。
でも……その時私の意識はどうなるんだろう? そう思っていると、ふと心の中で声がした。

(どうやら私はここまでで終わりみたい。そろそろ自分の世界に帰るね。あ、でもこの後多分、ゲームを終えた直後の【私】の意識が飛んでくるんだよね。ややこしいね)
【私】はそう私に話しかけて、困惑したように小さく苦笑を漏らした。

(でもまあ、本編だけじゃなくて、アリッサの真実も知れて、より一層面白かったよ)
そういうと、【私】は私に手を差し伸べる。いや実体ないから、そんな気がするって感じなだけだけど。

「ありがとう。【私】」
私がそう呟くと、私の中から【私】は消えて、私の意識もゆっくり揺らいでいく。
次は……どこに飛ばされるんだろう、と思いながら私の意識はふっと途切れた。


***


「アリッサ、目が覚めたか?」
私の手をぎゅっと握りしめて、笑顔を見せるのはセシリオだ。

ゆるゆるとした揺れは、未だに海の上であることを伝えてくる。どうやら私は今、船室のベッドに横たわっているみたいだ。

「あの……私、どうしたんですか?」
「いや、疲れてたんだろう。キサリエル国王との会談の後、帰りの船の中でいきなり気を失って……」

ふっと目が覚めると、私の中から知識として引き出せていたはずの【私】の記憶が完全に消えていることに気づく。
代りに私自身が、アリッサとして悪役令嬢の役割を完全に演じきった記憶が追加されている。
そして、忘れていたはずの私とマリアンヌの記憶が復活していた。

「なんか……すごい面倒臭い事になっていますのね……」
とはいえ、無事ゲームの世界をクリアし、元の世界に戻って来れたらしい。ひとまずほっと安堵の息が漏れた。

「なにがだ? というか、お前大丈夫か?」
心配そうに見つめる彼の頬に手を伸ばし、いつもそうされる代りに私からそっとその頬を撫でた。

「おっ?」
私から触れられて目を瞬かせる彼の様子を見て、私は小さく笑う。

「どうやらずっと私は、アリッサだったみたいです」
くすくすと笑い声が零れると、彼は小さく肩を竦める。

「だから最初からそうだって言っただろう?」
【私】がいる間も、アリッサになってからは、私の意思で物事を進めていたことを思い出す。サポート役に徹してくれた【私】って本当にいい人だ。

そして……金色の瞳をじっと見つめて、私は彼との記憶もちゃんと戻っていることに気づく。そうかマリアンヌの記憶と絡むからそっちの記憶まで弄られちゃってたんだ。

まったく。ゲーム攻略を最優先にしたキャセルベルグのせいで、大事なことも一杯忘れてて、セシリオにも一杯、心配掛けちゃったけど。

「セシリオの事、全部思い出しましたよ」
私が彼の指先に自らの指を絡めて笑みを返すと、彼は一瞬瞳を見開いてから、悪戯っぽくウィンクを飛ばす。

「そうか、じゃあお前が俺に惚れてたことも思い出したか?」
「……それに関しては、全く記憶にないので、そういう事実はなかったみたいです」

指先を絡めた手をクイと引くと、私が身を起こしたいと気づいたのだろう、彼はゆっくりと私を引き起こしてくれる。
私はベッドの隣に座る彼の肩にそっと頬を乗せる。

「マジか。絶対アリッサは俺の事が好きだって思ってたんだが。まだ記憶がしっかり戻ってきてないだけじゃないか?」
つんつんと額をつつかれて、ちらっと彼の顔を見つめる。黒い髪に、いつだって遠い海の先を見ているみたいな自由闊達な金色の瞳。
私が不安に思っているときこそ笑顔で私を励ましてくれる。抱き寄せられるとする海の匂いは私をほっとさせてくれる。

それは多分好き。という感情にとても近いと思うけれど……。

「……私、マリー・エルドリアが好きみたいです」
ごまかすように言った私の言葉に彼は目を輝かせる。

「じゃあ……」
そっと頬を撫でて、腰に手を回して私を引き寄せる。ほんの少し躊躇うみたいに、私の唇を紅を塗るように緩やかになぞる。

「一生、マリー・エルドリアで暮らしたらいい。好きな時に船に乗って、行きたいところに出かけて、見たい景色をみて……」
セシリオは私を自由にしたうえで愛してくれている。捕らわれたくない私の気持ちがわかっている、というよりは彼自身が自由でいたいのかもしれない。

「……悪くないですわね」
そっと唇を合わせて私は笑う。

「じゃあ、今度こそハッピーエンドでいいか?」
彼の言葉に私は笑顔を返す。

「はい、今度こそハッピーエンドでいいと思います」
私はぎゅっと彼に抱き着いて、小さく笑う。

「でもゲームと違って私達のこれからはここで終わりじゃないですから」
私の言葉に彼は鼻先を触れ合わせてくすくすと笑った。

「ああ、まだまだここで終わってたまるか。まずは『既成事実』も作らないといけないし……」
と言い始めた彼の頬を指先で弾く。

「調子に乗りすぎですわ。さて、そろそろマリー島へたどり着く頃じゃないですか?」
私は彼の手を取って、船室を飛び出す。そのまま船首に向かって足を進める。
船はどんどん島へ近づいていき、船員たちは上陸準備に賑やかさを増していく。

「アリッサ~」
その時、聞き覚えのある声が、波間から聞こえた気がして私は目を眇めてそちらを見つめる。
そしてそこにいた人の姿に気付くと、目を丸くして、傍らに立つセシリオの腕にぎゅっと捕まった。

「……ああ、伝えるのを忘れてた。結婚準備のために、アルフリード皇太子と共に、キサリエル王国に向かっている。マリー島には補給に寄ったらしい」

きっと驚かせようと黙っていたのだろう。にやにや笑いを浮かべる彼を一瞬睨むと、次の瞬間、はっきりと見えてきた女性の姿に、その人であることを確信する。

燦々と光が降り注ぎ、海の色は緑が勝った綺麗な青色で、キラキラと光り輝く空の下にいるのは小柄で黒い髪に黒い瞳の可愛い女性。悪役令嬢だったときのアリッサに対する表情とは全く違う笑顔を見せている彼女も、きっとすべての記憶を取り戻している。
私は彼の腕に縋りついたまま、出来る限り岸に近寄りたい気持ちで、一歩踏み出すと大きく手を振った。

「マリアンヌ! 元気だった?」
「お、おい。あんまり前に出るな。また海に落ちるぞ!」

さすがにマリアンヌに会う前に、もう一度海に落ちたくはない。
一歩足を踏みとどまると、セシリオにぎゅっと抱き寄せられて、私は堪らないほどの幸福感を覚える。

「セシリオ、ありがとうございます。大好きです!」
その言葉に堂目する彼の腕に捕まったまま、船が着くのが今や遅しと、私はひたすらに接岸の時を待っていたのだった。


***


──ぴぴぴ。ぴぴぴ。

いつも通り鳴るのは6時半になるスマホのアラームだ。
私は眠たい目をこすり、ゆっくりと伸びをする。

「ふぁあ。今日から仕事かあ……」
目をこすり、昨日までどっぷりと嵌っていたゲームのパッケージを確認しようとする。

「……って、ない?」
確認しようと思ったパッケージがなくて、私は首を傾げる。昨日どうしたんだろう。とりあえずクリア後、寝ちゃってたらしい。なんだけど、夢中になりすぎて、夢の中でも、ずっとゲームの続きをしてたような気がする。

アリッサって意外と悪い奴じゃなかったとかそういう話だった気がするけれど。

「あー、残念。めっちゃ面白かった気がするけど、覚えてないわ~」
時計を見ると、私はいつも通り、コーヒーを淹れてトーストをかじる。


まあ、その後、出勤途中の電車でつり革につかまりながら、スマホでレビューサイトに『ラブ・クルーズは貴方と一緒に』に評価を入れようと思うけど、サイト上で該当作を見つけられず……。

なのに、そのゲームの攻略キャラの一人であるキャセルベルグ魔導士っぽいコスプレしたイケメンが、私の立ってる前の座席に座っていて。

「亜里沙、ありがとう。貴女のおかげで、マリアンヌもアリッサもハッピーエンドを迎えられたようだ」
などと、お礼を言われることになることを。

そしてそこから。
また新たな波乱と愛と、想像もできない冒険が始まることを、私はまだ知らない。


【 完 】

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