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第十話

姉が傍にいるだけで、冷静に物事を考えられなくなるような感覚があった。ちょっとした仕草と言葉で私の前向きになりたい気持ちを的確に彼女は奪って行くのだ。

それはもう小さい頃から姉と私の間で出来上がっている関係で、それから外れようとすること自体が苦痛で、ついあきらめたくなる。

セシリオは無事だろうか……。

無理やり引き離された人を想うと胸が苦しくなる。でも、姉たちが彼らを無事逃すつもりがあるのなら、海は彼らの本拠地だ。きっと大丈夫だろうと思いなおす。

豪商とはいえ、平民の叔父はともかく、一国の代表者を安易に害するような事があれば、それこそ国家レベルで問題が生じる。

海洋国家であるキサリエルにとっては、南への航路で重要な補給地でもあるマリー・エルドリアは、本気で敵に回してはいけない国なのだ。

もしかしたらセシリオは私を助けてくれようと思っているかもしれない。危ないからそんなこと諦めてくれたらいいのに。
そう思う気持ちの一方で、それでもまだ諦めてない、諦めたくない私もいる。

少なくとも、キサリエルへの切り札は、まだ彼の手の中にある。
それを、どこで、どう使うのか。
今玉璽を持っているのは、セシリオだ。
姉はどう脅しても、私から玉璽は取り戻せないのだ。

それに、姉はセシリオの想いを甘く見ていると思う。ちょっと気に入った、物珍しい存在ぐらいで、本気でキサリエルと先端を開くとは思ってないに違いない。

「このままではアリッサの命が危うい。さっさと解毒剤を使用して、五体満足な状態でアリッサ姫を引き渡して頂きたいのですが。当然のことながら、生きたアリッサ姫でなければ神の子を得ることはできず、我々にとって価値がなくなりますから」

クラウディオは姉を見てそう告げる。

きっと私を連れて帰ることしか考えていないクラウディオと、玉璽を取り戻したい姉とでは利が一致してない。そこも姉の隙をつくには有効だろうと思う。

キサリエルの船に移動してきた私たちは、豪華な船室で会話をしている。この船は一度キサリエルに戻り、私とクラウディオは再びアルドラドの船に乗り換えるのだろう。

「その前に、アレを返してもらうわよ」
姉が伸ばす手を見て、私は思わず失笑した。

「……何がおかしいの?」
「だって……お姉さま、私、お姉さまの欲しい物なんて持っていませんわよ? 自分で持ち歩くのは危険すぎますもの。現に今だってこんな状況になっているんですから……」

私のからかう様な言葉に姉はカッと顔を怒りで赤く染める。

「そう。なら貴女に解毒剤を使わないだけのことですもの。苦しんでのた打ち回って死ぬといいわ」

どうやら姉は本当に余裕がなくなっているらしい。脅せば私が従うと思い込んでいるのか。……こんな簡単なことがわからないなんて。

「お姉さま、そのまま私が死んだら、もう二度とキサリエルの玉璽はお姉さまの手元に戻りませんわよ? いいのかしら」
私の言葉に姉は忌々しそうに私を睨みつけた。

「全く平民の母親を持つだけあって性根まで厭らしいのね。でもいいわ。アリッサが犯人という事で、貴女が死んだあと、まとめきってみせますから」

どうやら妹を殺すことに対しては全く躊躇いはないらしい。平民で性根の厭らしい私より、姉の方がよっぽど性根が腐っていると思う。

「王妃、落ち着いてください。アルドラドは生きているアリッサを求めているのですよ。死なせれば、契約金の支払いは無くなりますが、それでよろしいのですか?」

「あら。確かにそうでしたわね。アリッサ、よかったわね。クラウディオがとりなしてくださったわよ。貴女もさすがに死ぬのは嫌でしょう? だったらアレの在り処をさっさと白状すること。どうせ運命など変えようがないのですから」

ニコリと笑う姉の顔を見て、私は彼女とはどうあっても分かりあえないのだ、と思う。

「……別にかまいません。このまま私、死んでも」
小さく笑みが零れた。

「だって生き残ったとしても、アルドラドに連れて行かれて神殿巫女という名で、子供を産むための道具にされるだけですわ。しかも正式な婚姻で母国に利をもたらすこともなく、ただ物と同じように売り飛ばされただけ……」

小さく肩を竦める。私を一人の女性として求めてくれたセシリオのあの言葉を思い出す。

「そんなみじめな一生を終えるくらいでしたら、構いません。このまま玉璽は貴女の元に戻らず、いつしかそれが発覚して、貴女と国王に一矢報いられる方が、よほど私としてはすっきりいたしますもの。散々、私とマリアンヌ姫を苦しめてきたアルドラドが、私を手に入れられないことで困るのも楽しいですわね」

感情が高ぶり、高らかにそう言い切ると、私は笑い声をあげる。死ぬ事を覚悟すれば、姉なんて何一つ怖くなんてない。

「……とにかく先に解毒剤をよこしなさい。どちらにせよ、アリッサが死を厭わない時点で、貴女のその脅迫は一つも意味を成しません」
一歩も引かない私に飽きれたような声をクラウディオが上げる。彼の言葉に姉はしぶしぶ、部屋のベッドサイドの引きだしから小瓶に入った液体を出してきた。

「……そうね。確かに生きている方がいろいろと苦しめて、私の思い通りにする方法もありますもの。在り処についても、ゆっくりと尋ねることにしましょう」

命が助かる薬を目の前に出されたものの、既に生き残る気のない私はその薬包をぼうっと見つめているだけだ。
「ですから別に欲しくなんてありません」

「まったく……。あなた達姉妹が一緒にいれば、興奮ばかりして一つも話が進まない。王妃、私がアリッサを説得しますから、他の場所でお待ちいただけませんか?」
私たち二人を見て、そう提案したクラウディオの言葉に、王妃は普段の自分ではありえないほど興奮している事実に気づき、小さく吐息を漏らす。

「ありがとうございます。私、疲れました。それではお任せいたしますわ」
わざとらしく姉はこめかみに手をやって、頭痛を堪えるようなしぐさをする。

私はこの状況で姉がいなくなることにホッとしながら、その一方でクラウディオが何を考えているのかわからなくて不安な気持ちになりつつ、立ち去る姉の背中を見送った。


***


「さあ、アリッサ姫、それをさっさとお飲みなさい」
姉が立ち去ると、クラウディオがそんな私を見て、眉を潜めて高圧的にそう告げる。

「……なんで飲まないといけないんですか?」
何より、姉に思い通りになることが嫌だ。ちらりとそちらに視線を向けると、クラウディオは小さく吐息をつく。

「……私がそれを望んでいるからです……」
「それは私がそちらの国に行って、神の子とやらを産まないと困るからですわよね」
彼の国にメリットがあることを強要して、私が動くと思うのだろうか? そう尋ねると、彼は一瞬手元にもった解毒剤に視線を落とし、ふぅっと嘆息をつく。

「正直に言えば、貴女がナサエル様に差し出される形になれば、色々と都合は良いのです。ですが、それはナサエル様にとってのメリットであって、私とセファーロとの間のメリットになるとは限りません」

話の行方が分からなくて、私は目を瞬かせる。それに、常についていたはずのセファーロ次期宗主に対する敬称が消えている。やはり彼とセファーロは特別な関係があるのだろうか。

「私とセファーロは同じ母親から生まれた双子です。神の子が双子で生まれた例はなく、故に私の存在は隠されて育ちました」

クラウディオは瞳を細めて遠くを見つめるような顔をする。

「ナサエル様はセファーロが双子であるという最大の弱点を知っています。故に私たちはナサエル様に逆らえません。マリアンヌ姫を求めたセファーロにとっても、自らの国に招き入れればナサエル様に差し出さざるを得ないことを理解していました。ですからマリアンヌ姫を手に入れれば、ナサエル様を排除する方向に向かったと思います」

うん、なんかわからないけど、アルドラド神国も大変だっていうことだけはわかった。けど、それが私とどう関係するのか。

「私は唯一の家族であるセファーロを守るために、どんな犠牲を払うことも厭いません。ですが……貴女のように自由に生きられれば、と思うことがないわけではないのです」
そう言って私に薬を手渡そうとする。

「私から、貴女を逃すつもりは全くありません。ですが、貴女の周りの人間は、そんな簡単に貴女を諦めるのですか?」
くっと挑戦的に口角を上げて笑う。

「私と共にアルドラドに来れば、ナサエル様に貴女を捧げるという形を取って、実際もう女性に子供を孕ませることの出来ないナサエル様の代わりに、セファーロか、私が貴女を孕ませることになります。次代の神の子を産んでいただくために。……多分、失恋直後のセファーロはその役割を私に強要するでしょうね」

ドS属性全開の笑みを浮かべて、彼は私の顔を覗き込む。

「というわけで、貴女には生き残っていただかなければ困ります。嫌がるなら、無理やり押し倒して、口移しで飲ませて差し上げますが……いかがいたしますか?」
眼鏡の奥の瞳が一瞬楽しそうにキラリと光る。いや、なんでこのシチュエーションでそんな楽しそうな顔をするかな。思わず私は冷や汗をかきつつ、距離と取る。

「あの、ちょっとそれは……」
思わず及び腰になる私を見て、彼は妖艶に唇の端を歪めた。

「……セファーロは貴女を望まないと言いましたが、私は貴女を望みますよ。……貴女は海そのもののように、生きる力に満ちていて美しいですから」

するりと、頬を撫でて、唇をなぞられた。
うわぉ。何だか知らないけど、ゾクっとしたよ?
私は目を大きく見開き、慌てて首を左右に振る。

「そうですか……残念です。ではご自身で飲まれますか?」
色気ダダモレな流し目をされて、私は思わずカクカクと頷いてしまう。

それに……確かにセシリオは私をそんな簡単にあきらめないと思う。だとしたら私だって生きることを諦めちゃだめだと思う。

姉から離れて少しだけ正常な感覚を取り戻した私は、改めてそう思う。

そっと手を伸ばすと、クラウディオは無表情のまま、私に小瓶を渡す。それを受け取って蓋を開け、一気に飲み干した。

「うええぇぇぇ。まずっ」
思わず声を上げてしまった私を見て、クラウディオは目の奥だけで面白そうに笑う。

「……口直しが必要ですか?」
キスを意識させるように、わざと自分の唇を撫でて笑うから、私は必死に彼から距離を取ってふるふると顔を横に振る。

次の瞬間、ドンと何かがぶつかり、船が大きく横揺れをした。

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