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決戦・前

 久しぶりに登校したアーニャがガラリと教室の扉を開ければ、クラスメイト達が一斉にこちらに視線を向ける。
 階段から落ち、頭を打って入院したというのに。それなのにアーニャに向けられる視線の中に、心配そうな眼差しはほとんどなくて。
 彼女に向けられているのは、ほとんどが軽蔑や戸惑いの眼差しであった。
(前世にもあったな、こういう事)
 前世を思い出し、アーニャは小さな溜め息を吐く。
 あれはリアが、アーニャに突き落とされたと泣いて騒いだ時の事。もちろんアーニャはそんな事はしていないと必死になって訴えたが、誰も信じてはくれず、ライアンを筆頭にみんなから非難された。
 そして現世でも、リアはアーニャに階段から突き落とされそうになったと騒いだそうだ。そしてそれに抵抗してしまったから、アーニャは階段から落ちてしまった、だから自分のせいだと、リアは泣いて自分を責めたらしい。そしてその話をクラスのほとんどの者が信じていると、昨日ノアから聞かされていたのだが……どうやら現世でも、前世のようにみんなから責められるイベントは避けられないようだ。
(でも、私は何も悪い事はしていない。何を言われても、前世のようにやってないと言い張るしかないわ)
 そう決意し、アーニャは教室に足を踏み入れる。すると冷たい視線の中、セレナが心配そうに声を掛けてくれた。
「おはよう、アーニャ。具合はどう?」
「おはよう、セレナ。もう何ともないから大丈夫。心配してくれてありがとう」
「うん……」
 一番の友達であるセレナは、アーニャはそんな事はしていないと信じたいのだろう。しかしリアがアーニャにやられたと主張しているため、完全には彼女を信じられないでいる。
 前世ではセレナも自分の事を信じてくれなかったのになあ、と思うと、現世での彼女の気持ちは、少しだけ温かかった。
「おはよう、アーニャ。まずは無事で良かったわね。でもあんた、まずは自分が心配される前に、リアに言う事があるんじゃないの?」
 スッとレイカが立ち上がり、アーニャに鋭い視線を向けて来る。
 するとそれに苛立ったらしいセレナが、ムッとした目をレイカへと向けた。
「ちょっとレイカ! それよりもまずはアーニャの話を聞くべきだわ!」
「ふん、聞くだけ無駄よ。だって目撃者がいないんだもの。口では何とでも言えるわ」
「ねえ、アーニャ、あんたどうして階段から落ちたの? リアを突き落とそうとしたわけじゃないわよね?」
 アーニャが悪いと決め付けるレイカの声など無視をして。セレナが縋るような目でアーニャに真実を問い掛ける。
 リアの言う事なんか嘘だよね、と懇願の目を向けて来るセレナに返す言葉なんて一つしかない。当たり前だと、アーニャは首を縦に振った。
「私、リアを突き落とそうとなんかしてないわ。私が階段から落ちたのは、リアと口論になって揉み合いになったからよ。だから私が、リアを突き落とそうとしたわけじゃないわ」
「そ、そうよね、うん、アーニャがそんな事するわけないもんね!」
「ふん、思った通りの回答ね。まあ、リアに突き落とされたって言わないだけマシかしら」
 ホッと胸を撫で下ろすセレナとは対称的に、レイカはバカにしたようにして鼻を鳴らす。
 そうしてから、彼女は非難するようにしてギロリとアーニャを睨み付けた。
「リアがあんたに突き落とされそうになって、どれだけ怖い思いしたか分かってんの? それなのにそんな事はしていないですって? 嘘言ってんじゃないわよ。あんた、悪い事しておいて、謝る事も出来ないの?」
「リア、リア、リア、リアってさっきから煩いわね。あんた、リアの手下か何かなの?」
「何ですって?」
 一方的に責められ、アーニャは苛立ったように溜め息を吐く。
 そうしてから、彼女はギロリとレイカを睨み付けた。
「よくもまあ、証拠もないのにリアをそこまで盲信出来るものね。何? あんた弱味でも握られてんの?」
「はあ? そんなわけないでしょ! リアは泣いてたのよ! そして結果的にあんたを落としてしまった事を後悔していた! それなのにあんたはリアに謝らないどころか、自分は悪くないと主張してばかり! どっちが悪いかなんて一目瞭然だわ!」
「ふうん、つまりレイカは、泣いた方が正しいと思ってるんだ。やっすい女ね。将来は変な男に引っ掛からないように、今から気を付ける事ね」
「なっ、何ですってッ!」
 ハッと、鼻を鳴らして笑うアーニャに、レイカは「男は関係ないでしょ!」と顔を真っ赤にして憤る。
 するとそんなレイカに代わって、ライアンがスッと立ち上がった。
「なら、お前はリアが嘘を吐いていると言うのか?」
「ライアン……」
「ライアン、お前は関係な……」
「いいよ、ノア」
 すかさずライアンを止めようとしたノアを制して、アーニャはライアンへと向き直る。
 やはり現世でも、ライアンとの直接対決は避けられないらしい。いつの間にか怯えるリアを背後に庇っているライアンは、前世ぶりに見せる冷酷な目をアーニャへと向けている。ここでアーニャが肯定しようが否定しようが、ライアンはアーニャの話を聞こうとはしないのだろう。何を言っても無駄なのは前世と同じだろうが、このまま無実の罪を受け入れてやるつもりもサラサラにない。やる事は前世と同じ、無駄だとは分かっていても、真っ向から否定するだけだ。
「そうよ、リアは嘘を吐いている。私はリアを突き落とそうとなんてしていない」
「お前の事だ。どうせカッとなってやったんだろう?」
「いくら私でも、他人に怪我を負わせるような事はしないわよ」
「どうだろうな。お前はリアの事を良く思っていないからな。感情に身を任せてリアを突き落としたとしても、何もおかしくはない」
「そうやって、何が何でも私を悪人に仕立て上げたいわけ?」
「仕立て上げるも何も、それが事実だろう。お前こそ、いい加減素直に謝ったらどうなんだ? 感情的になる事は誰にでもある事だ。大事なのはそれを素直に認めて、きちんと謝る事なんじゃないのか?」
 やはり前世と同じく、聞く耳も持たないライアンに苛立ちが募る。そしてそれとともに覚えるこの虚しさ。前世と違って現世では好意を向けられていたから忘れていたが、やはりライアンはライアンなんだな。
「リア、お前もアーニャが謝りさえすれば、アーニャを許すつもりなんだろう?」
「ち、違うよ、ライアン。私、アーニャが悪いとなんて思ってないよ。だって正当防衛とはいえ、私がアーニャを落としてしまった事に代わりはないんだから。だからごめんね、アーニャ。それから無事に戻って来てくれてありがとう」
「……」
 よくもまあ、こんなに口が回るモノだなと、呆れを通り越して感心してしまう。ごめんねもありがとうも、少しも思っていないクセに。
「やっぱりリアは優しいな。自分を怖い目に遭わせた相手に対しても、こんなに優しい言葉を掛けてやれるなんて。誰かさんにも見倣わせたいくらいだ」
 リアに向かってフワリと優しく微笑んでから。ライアンは軽蔑の眼差しをアーニャへと向け直した。
「何の非もないリアは謝ったぞ。それなのにお前は謝らないのか?」
「謝らないわよ。だって私、悪くないもの」
 酷い、嫌な女、とクラスメイト達がコソコソと上げる非難の声が聞こえて来る。けれどもそんな外野の声なんて無視する事にすると、アーニャは冷たい目でライアンを睨み付けた。
「あんたこそ、一言くらい大丈夫かとか、気遣いの言葉くらい掛けられないわけ? レイカでさえ言えたわよ」
「お前の怪我は自業自得だろ。そんなヤツに気遣いの言葉など必要ない。それよりも落ちたのがリアじゃなくて良かったよ」
「はっ、相変わらず自分の信じたいモノしか信じられないのね。ホント、何も変わってないわ」
「それはお互い様だろう」
「そうね。私達、きっと何度やり直しても相容れないんでしょうね」
「ああ、お前と分かり合える人生など、永遠と来ないさ」
「でしょうね。そんな人生お断りだわ」
「お互いにな」
 分かり合いたくない。そう言い出したのは自分なのに。その返事を求めていたハズなのに。
 それなのにそう頷くライアンに心が痛んだのは、どうしてだろうか。
「何だ、どうした? 今度は何の騒ぎだ?」
 その時、ガラリと扉を開けて、担任の教師が入って来る。
 ホントに問題の多いクラスだな、と頭を抱えた担任教師であったが、騒ぎの中心となっている人物を見て状況を理解したのだろう。彼は「ああ」と納得したように頷いた。
「そうか、アーニャは今日から復帰だったな。アーニャ、放課後教務室に来てくれ。確認したい事がある」
「……分かりました」
 確認も何も、アーニャがリアを突き落とそうとしたと決め付けて、厳重注意でもするつもりなのだろう。これも前世と同じだ。どうせ自分が何を言おうが、彼はリアの肩を持ち、自分の言う事なんか聞きもしない。まあ、現世ではリアが落ちなかっただけ、幾分マシになっているのかもしれないが。
(でも気が重いな)
 何故、自分は悪くないのに怒られなければならないのか。
 世の中の理不尽に溜め息を吐きながら、アーニャは大人しく自分の席に着いた。

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