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そもそものお話

アーニャが病院に運ばれてから、三日が過ぎた。彼女の意識はまだ戻らない。
「なあ、童話であったよな? ちゅーで目覚めるお姫様の話」
 アーニャの眠る病室で、眠ったままの彼女の顔を覗き込みながらルーカスがそう口にする。
 何で今その話をするんだと疑問に思いながらも、ルーカスと一緒にアーニャのお見舞いに来ていたライアンは、律儀にもその疑問に答えてやった。
「白雪姫の事か?」
「そっか、いばら姫じゃなかったか」
「何の話だ、突然?」
「ああ、ほら、アーニャの意識がなくなってから、もう三日も経つだろう? だからさ、王子様のちゅーで目が覚めるんじゃないかと思ったんだ」
「王子? それは、その……オ、オレがその、アーニャにキスをすればいいという話か?」
「え? お前、自分で自分の事、王子だと思ってんの? はははは、ウケる」
「……」
 じゃあ何故その話を振ったんだ。自分で言ってて自分で恥ずかしいじゃないか。
「そうじゃなくってさ、学校のヤツみんなでちゅーするんだ。一人くらい王子いるだろ」
「……」
 何だ、その数撃ちゃ当たる方式。そんな力づくな王子様のキス、初めて聞いたわ。
「あ、でもオレはそれパスな。アーニャは友達としては好きだけど、女としては好みじゃない」
「……」
 じゃあ、何で提案したんだろう。ちょっと意味が分からない。
「なあ、ルーカス。お前はどう思う?」
「何がだ?」
「ずっと、聞こうとは思っていたんだが……」
 そう前置きをしてから。ライアンは、リアの語る『アーニャが階段から落ちた原因』を、ルーカスへと話した。
「ふうん。で、お前はオレに何が聞きたいんだ?」
「その話、本当だと思うか?」
「……」
「ノアは何か知っているようだったんだが……ルーカス、何か聞いてないか?」
「……」
 そう尋ねるライアンに、ルーカスは少し考える素振りを見せてから、彼にしては珍しく険しい表情を見せた。
「お前さ、もうちょっとアーニャと向き合ってみてもいいんじゃねぇか?」
「え?」
 意外なその返事に、ライアンはキョトンと目を丸くする。ルーカスにはその真相がどうなのかと意見を聞いただけなのだが……突然、何の話だろうか?
「どうって聞かれても、オレは現場を見てねぇから分からないとしか言いようがねぇよ。ノアも何か思い詰めたような顔してるだけで、聞いても何も言わないしさ。その話が本当かどうかは、アーニャの話を聞くしかないんじゃねぇのか?」
「アーニャか……。アーニャの目が覚めてから話を聞けと? だが、彼女が本当の事を話すだろうか? オレが聞くよりも、お前やノアが聞いてくれた方が……」
「だから、それがダメなんだろ?」
「え?」
 ダメ、とは……?
「確かにオレやノアの方が、アーニャとは仲が良いよ。けど、お前はアーニャが好きなんだろ? コイツの力になりてぇんだろ? だったら、今がその力になってやるべき時なんじゃねぇの? アーニャと話をして、真実を見付けろよ。それでリアが嘘を吐いているんなら、コイツの事を守ってやれ。でもリアが本当の事を言っているんなら、一緒に罪を償ってやるんだ。いつまでもオレやノアに頼ってちゃダメだぞ」
「オレが、アーニャを……」
 守る、ともに罪を償う。
 それが出来たらどんなにいいだろう。前世で犯してしまった自身の過ち。彼女が死んでから、それをどれだけ後悔した事か。生まれ変わってから、その罪を償えるチャンスを与えられた事にどれだけ歓喜した事か。そして彼女が自分に向けるその真逆の感情に、どれだけ落胆し、そして悲痛だった事か。
 だから今、彼女が辛い思いをしているのなら、彼女の側にいてやりたい、彼女の事を守ってやりたい。
 でも、どうしたらいいのだろうか?
「やり方が分からないんだ。オレは、アーニャに嫌われているから。だから、どうしたらコイツの力になってやれるのかが分からないんだ」
「……」
 悲痛な表情でそう口にするライアンを、ルーカスは静かに眺める。
 そうしてから、彼は「あのさ」とずっと思っていた事を口にした。
「オレ、ずっと変だなーと思っていた事があるんだけど」
「何だ?」
「そもそもお前、何でアーニャに嫌われているんだ?」
「え……?」
 そもそもな質問に、ライアンはキョトンと目を丸くする。何でって、それは……。
「だっておかしいだろ? お前は悪いヤツじゃなくって、良いヤツだ。それに何より、お前の好意は分かりやすい程にアーニャに向いている。普通、自分に好意を向けてくれる人に対して、こんなに冷たい態度なんか取れるか? もう少し優しくしてやれるモンなんじゃねぇの? それに、アーニャがこんなにあからさまな態度を取っているのも、お前だけじゃねぇか。何でだ?」
「それは……」
「お前もしかして、アーニャが嫌がるような事、前にやった事あるんじゃないのか?」
「……」
 意外と鋭いなあ、とライアンは感心する。まあ、その『前』というのが『前世』である事は、さすがのルーカスとて分かるわけはないのだけれど。
「ああ、そうだな」
 少しの沈黙の後、ライアンがそれを認めるようにして頷く。
 そして自身を自嘲しながら、彼は言葉を続けた。
「ずっと前の話だ。オレは、アーニャにとても酷い事をした。今更謝ったところで許してもらえないような酷い事だ。だから彼女がオレを嫌うのは当然なんだよ。本当はこうして彼女に好意を向ける事自体が、俺には許されない事なんだ」
「え……? ちょっと待て、ライアン。って事は、お前、アーニャにまだ謝ってないのか?」
「え? あ、ああ、まあ、そうなるな」
 正直にそう頷けば、ルーカスは信じられないと言わんばかりに驚愕に目を見開いた。
「はあ? そうなるな、じゃねぇよ! お前、バカじゃねぇの? 何でそんな酷い事したって自覚があんのに、まだ謝ってねぇんだよ? まずそこがおかしくねぇ?」
「……」
「そりゃアーニャに嫌われて当然だろ。自分に酔ってる場合じゃねぇよ、さっさと謝れよ」
「……」
 的確なルーカスの指摘に、ライアンは言葉を失う。でも、自分に酔っている、は酷くないか?
「で、でも謝って許してもらえる自信がないんだ。オレは、謝っても許してもらえないような事をしてしまったのだから」
「お前さあ……」
 自信がないと泣きそうな表情を浮かべるライアンに、ルーカスは呆れたように溜め息を吐く。
 そうしてから、ルーカスは改めてライアンへと真剣な目を向けた。
「許してもらえないって、何でそう決め付けるんだよ? それを決めるのはお前じゃなくてアーニャだろうが。それに自信って何だ? 悪い事をしたと思ってんだろ? だったらそんな自信とか何とか関係なく、本気で謝るべきだ。その謝罪がないのに、その酷い事とやらをなかった事にして、アーニャが好きだなんておかしいし、そんなヤツ、アーニャが受け入れないのは当然だろ。オレだってそんなヤツ嫌だわ」
「う、た、確かに……」
「まあ、性格が捻くれているアーニャの事だ。お前が心配する通り、謝っても許してもらえねぇ可能性は十分にあるけどな」
「うぐ……っ」
「とにかく、アーニャの目が覚めたら、まず最初に謝れ。話はそれからだ」
「あ、ああ……」
 応援しているんだかいないんだか。ポンとライアンの肩を叩くと、ルーカスは自身の鞄を手に取った。
「じゃ、今日はもう帰ろうぜ。……おい、アーニャ。お前、今日も起きねぇみたいだから、オレらは帰るよ。また明日なー」
 眠ったままのアーニャにそう言い残すと、ルーカスはスタスタと病室を後にする。
 そんなルーカスに倣って鞄を手に取ると、ライアンはルーカスの後を追う前に、アーニャの前で一度立ち止まった。
「アーニャ……お前は、謝ればオレの事を許してくれるのか?」
「……」
 返事のないアーニャにそれだけを言い残して。ライアンもまた、その場から立ち去って行った。
「……」
 シンと静まり返った病室。そこで静かにアーニャは目を開く。
 アーニャは女としては好みじゃない、というルーカスの失礼な言葉から意識のあったアーニャ。その後、起きるに起きれなくて狸寝入りを続けていた彼女は、ベッドの中でゆっくりとその体を起こした。
「……」
 ぼんやりと考えるのは、ライアンが言い残したその一言。それについて、アーニャはこれまたぼんやりと考えていた。
(ライアンが私に謝りたい事。それがもしも前世の事だとしたら、私は何て答えるんだろう……?)
 ライアンの事は嫌いだった。その理由は、前世の自分に対する彼の態度が、それは酷いモノだったから。確かに彼に好意を持ったのは自分の勝手だ。だから彼は悪くない、勝手に好意を抱いてしまった自分が悪いと言われればそれまでだ。でもその好意を彼は軽んじ、そして踏みにじった。自分の勝手な好意が原因だとしても、それが悲しくて辛かったのは事実。そんな前世の辛い経験があるからこそ、現世のアーニャはライアンの事が嫌いで、出来るだけ関わりたくないと思っている。
 では、その事についてライアンが謝って来たとしたら? 前世のアーニャの好意を踏みにじった事を、ライアンが誠心誠意謝って来たとしたら?
 そしたら自分は彼を許し、彼と良好な関係を築けるようになるのだろうか。
(分からない。だけど……)
 もしも許す事が出来たなら、前世では見る事の出来なかった未来が、現世では見る事が出来るのだろうか。
 そんな事を考えながら、アーニャは窓の外に見える夕日を眺める。
 その沈んだ太陽が何度も昇り、何度も沈んだ先にある、いつかの未来。
 窓ガラスの向こうに映った自分の顔は、とても不安そうに見えた。

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