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作戦2・言い掛かりを付けて叩きましょう

 アーニャがリアに突っかかっていたのは、消しゴムの件だけではなかった。
 授業で先生に褒められたとリアが喜べば、「何それ、自慢? 頭が良いヤツって、平気で成績が悪い人の事バカにするよね。嫌な女」とか言って泣かせていたし、掃除の時はわざと箒でゴミをリアに掃き掛けていた。更にはやっぱり二人は喧嘩をしていたらしく、リアがアーニャと仲直りしようと「昨日はごめんなさい」と謝っていたのに対して、「私、人間的に自分より下のヤツにバカにされるの、ホント許せないから。だからしばらくは許したくない」と言って、ショックを受けるリアを残してさっさと教室を出て行ってしまった。前世でもそこまで酷い事を言っていたアーニャは見た事がない。だからそれを見せられているこっちとしてもショックだった。
(一体どうしたんだ? 前世ならともかく、現世のアーニャはリアにそんな事言うヤツじゃないだろう?)
 ルーカスに相談しようにも、昨日は「オレ、明日のトーマス先輩の祝賀会の打ち合わせがあるから、今日は無理!」と断られてしまった。おかげでモヤモヤしたまま朝を迎えなければならなかった。
(何があったのか、聞いてみた方がいいのか? いや、でもアーニャが正直に教えてくれるとは思えないし……。やっぱりルーカスに頼んで聞いてもらうしかないか?)
 そう考えながらロッカーを閉め、ライアンは男子更衣室を後にする。
 今終わったのは、一年生が合同で行う剣術の模擬戦闘試合。そこでいつも通りトップの成績を収めたライアンであったが、その授業でも腑に落ちない事があった。
 この試合は一対一で行うトーナメント方式の試合だったのだが、いつもは最後の方まで勝ち残っているアーニャが、早々に敗退してしまった事だった。それも前世でも現世でも、一度も負けた事のないリアに負けて。やはり調子でも悪いのだろうか。
(久しぶりにアーニャと一戦交えたかったんだけどな)
 残念そうに、ライアンは溜め息を吐く。
 と、その時だった。男子更衣室から少し離れたところで、ルーカスとノアが話をしている姿が目に入ったのは。
「いや、オレはノアが甘いと思うぞ。幼馴染だからって、贔屓はよくねぇよ」
「えー、そうかなあ? どう見てもあれはわざとだと思うんだけど……」
 さっきの授業で行った、剣術の試合の話でもしているのだろうか。うーんと考え込んでいるノアを、ライアンはじっと見つめる。
 昨日、ノアは「喧嘩だ」と言って二人に関与しようとはしなかった。そのままどちらの味方をするわけでもなく話は終わったのだが、彼はその事件が起きた時、その現場にいたハズだ。それならもしかしたら、アーニャが消しゴムを踏み付けたその様子を見ていたかもしれない。
アーニャの幼馴染でもあり、仲も良いノアの目には、昨日の出来事はどのように映っていたのだろう。彼に話を聞けば、もしかしたら別のモノが見えて来るかもしれない。
「ノア、ちょっといいか?」
「ライアン……? 何?」
 返事はしてくれるものの、若干面倒臭そうな目を向けられる。前世での彼の笑顔が眩しく感じるのは気のせいだろうか。
「昨日の事なんだが……アーニャがリアの消しゴムをうっかり踏んでしまったというのは本当なのか?」
「……」
「あれはやっぱり、アーニャがわざとやったんじゃないのか?」
「何の話だ?」
「……」
 状況を何も知らないルーカスが、自分にも教えろと深く追求して来る。
 しかしノアはルーカスの質問には答えずに、ライアンに向かって呆れた溜め息を吐いた。
「それ、昨日の話だよね? それなのにまだ掘り返そうとしているの? ちょっとしつこいんじゃない?」
「そうか……」
 その答えで、ライアンは察する。昨日のアーニャの行為がわざとなのか、そうじゃないのかを。
「やっぱりわざと踏み付けていたんだな」
「……」
「本当にうっかり踏んでしまっただけだったとしたら、お前はすぐにそう答え、アーニャを庇うハズだからな」
「……」
「わざとじゃないと言わない時点で、そういう事なんだろう?」
「はっ、嫌なヤツ」
 しかしそれが事実である事は認めるのだろう。それが知られてしまった以上誤魔化す気のないらしいノアは、昨日の出来事を正直に教えてくれた。
「オレも全部見ていたわけじゃないから何とも言えなかったんだけど。でもあの時のアーニャの行動が納得いかなくて、一緒にいたセレナに確認したんだ。あの時、アーニャはセレナ達仲の良い友達と談笑を楽しんでいたらしい。そしたらリアの消しゴムが転がって来たみたいなんだ。うっかり落としちゃったんだろうな。セレナはそれに気が付いたけど、アーニャの方が近かったから、アーニャが拾うと思って放っておいたんだそうだ。そしたら突然、アーニャがそれを思いっ切り踏み付けた。そしてグリグリとそれを踏み潰してから、リアに蹴り返したらしい。あれはどう見てもわざとだったって、セレナも言っていたよ」
「えっ、アーニャのヤツそんな事してるのか? アイツがリアを虐めてるって噂はオレも知っていたけど……でもそんなの根も葉もない噂だと思っていたぞ」
 話を聞いて驚くルーカスは無視をして。ノアは更に話を続けた。
「アーニャがリアを好いていないのは、オレもセレナも何となく分かっている。でもだからといって、アーニャは気に入らない相手をわざわざ攻撃するようなタイプじゃない。どちらかといえば、視界にも入れないように避けるタイプだ。それなのに突然表立った嫌がらせをした事に、セレナ達も驚いたらしい。だからあの後、セレナ達はアーニャに事情を聞こうとしたらしいんだけど、アーニャは「喧嘩中なの、放っておいて」の一点張りだったんだって。だからセレナ達も、ちょっと二人の様子を見守る事にしたみたいだよ」
 アーニャがそんな事をするなんてオレも驚いたよ、と付け加えてから。ノアは「でも」と厳しい目をライアンへと向けた。
「確かに喧嘩をしているっていうのは嘘だと思う。でも、そうじゃなくてもこれは当人達の問題だ。何も知らない外野のオレ達が口出しすべき事じゃない。お前が昨日の事を蒸し返して徹底的に調べ上げようとするのは自由だけど、その調べ上げた事実を持って二人の間に介入しようとするのは、ちょっと違うと思うよ」
 やはりアーニャに非があった昨日の出来事。それを教えてくれたノアは、それでもこの話には介入するなと、ライアンに強く言い聞かせる。
 しかしそれには納得が出来ないらしいルーカスが、怒ったようにして声を上げた。
「何言ってんだ、ノア。そんなん、どう考えたってアーニャが悪いじゃねぇか。いくら幼馴染だからってな、それを喧嘩だ何だのと言い訳して、アーニャの悪事を放っておくのはどうかと思うぞ。友達ならはっきりと、いくら喧嘩でもやっていい事と悪い事があるって、ちゃんと注意するべきだ。じゃないとリアはもちろん、アーニャも可哀想だろ」
「ふうん、可哀想、ね」
 先程まで何を言っても無視だったルーカスを、ノアはゆっくりと振り返る。
 そうしてから、ノアはその冷ややかな微笑をルーカスへと向けた。
「じゃあルーカスは、どうやってアーニャに注意するの? 泣いているリアを背後に庇いながら、みんなが見ている前でアーニャを怒鳴り付けるの? アーニャの悪事をわざわざみんなの前で暴露して、アーニャに弁解の余地も与えずに、一方的に非難するの?」
「っ?」
 ルーカスを咎めるノアの言葉に、ライアンは息を飲む。
 咎められているのはルーカスのハズなのに。それなのに自分が咎められている気がするのはどうしてだろうか。
(身に、覚えがあるからだ)
 それは、前世でライアンがやってしまった事。悪を裁く正義のヒーローにでもなったつもりだったのか、気の弱い愛らしいヒロインを守るため、ヒロインに害を成す悪の女を徹底的に痛めつけた。その悪の女が正義のヒーローに好意を抱いているため、ヒーローには大した反論も抵抗もしない。それを分かっている上での行いでもあった。
「ルーカスはさ、アーニャの気持ち考えた事ある? そんな事をされた時のアーニャの気持ち。一方的に悪く言われたせいで、周りの人間がみんな敵になるんだ。クラスのみんながアーニャを悪だと思い込み、その敵意を一斉に向けられるんだよ。それを受けるアーニャは、一体どんな気持ちになるんだろうね?」
 辛かっただろう、悲しかっただろう、そして悔しかっただろう。
 でも彼女に同情する資格すら自分にはない。だってそれは全て、前世の自分がやった事なのだから。
「ノア、お前何言ってんだ?」
 やはりその行動は、傍から見れば異常な行動だったのだろう。ノアに咎められたルーカスは、彼が何を言っているのか分からないと言わんばかりに、不思議そうに首を傾げた。
「何でわざわざリアを連れて、みんなの前で注意しなきゃならねぇんだよ? アーニャに注意するのに、リアもみんなも必要ねぇだろ。次会った時に、お前、いくら何でもあれはダメだろって、注意してやればいいだけじゃねぇか」
 ああ、そうか。そうすれば良かったのか。そうしてやれば現世において、アーニャは自分の事を、こんなにも嫌わなかったのかもしれないのか。
「さすがルーカス。キミにならアーニャを任せられそうだ」
「え、オレ、任せられる気はないんだけど……」
 何言ってんだノア、と訝しげに表情を歪めるルーカスに、ノアはニッコリと満足そうに笑う。
 それにしても今のノアの言葉。まるでルーカスを通して、前世の自分を責められているようだった。
(もしかしてノアも……)
 前世の記憶があるのではないだろうか。
「ノア、お前……」
 しかし、ライアンがそれを問おうとした時だった。
「何よ、気まぐれで勝ったくらいで調子に乗ってんじゃないわよ!」
 近くから、アーニャの怒鳴り声が聞こえて来たのは。
(何だ? また何かあったのか?)
 それが気になり、ライアンは声のする方へと向かう。
 他の生徒達はもう教室に戻ったのだろう。そこには怯えているリアと、彼女を睨み付けているアーニャの姿があった。
「一回勝ったくらいで偉そうにしてんじゃないわよ! ムカつく!」
「え、偉そうになんかしてないよ……ただ、アーニャに勝てたのが初めてだったから、それで……」
「だからって、何よ! あんなにわざとらしくぴょんぴょん飛び跳ねて、みんなに自慢して回りやがって! 人の事バカにしてんの?」
「してないよ! 私はただ嬉しくて喜んでいただけだもん。ねぇ、それってやっちゃダメな事?」
「はあ? 口答えする気? 他人に頼って生きるしか脳がないくせに! 生意気だわ!」
「酷い、そんな言い方……っ、確かに他の人の力を借りる事はあるけれど……。でも私だって、ちゃんと自分で頑張ってる。人に頼り切っているだけじゃないもの」
「はっ、どうかしら? そういえば今日の試合、あんたわざわざ先生に褒められに行っていたわよね? もしかして先生に取り入って、私の剣のクセや弱点を聞いていたんじゃないの? でもそういうのって、自分で研究して見付けるモノよね? それを先生から聞き出すなんて、やっぱあんたって卑怯だわ」
「そんなの言い掛かりだよ! だって、私、今日は本当に頑張って……っ」
 そこで言葉を詰まらせると、リアはしくしくと泣き出してしまう。
 話を聞く限り、二人はさっきの授業で行った、剣術の模擬戦闘試合の話をしているようだ。前世と同様に、現世でも剣の成績はトップクラスであるアーニャが、剣術を苦手とするリアに負けてしまった事が、どうしても納得出来ないのだろう。だからアーニャは、こうしてリアに言い掛かりを付けて責めているようだ。
「アー……」
「おい、アーニャ!」
 しかしそれはどう考えてもアーニャが悪い。いかなる理由があろうとも、その結果は受け入れるべきだ。こうやって自分が負けた事に言い訳を付けて、勝者を非難するべきではない。
 けれどもそう思ったライアンが動くより早く、ルーカスが怒りの声を上げ、アーニャにツカツカと歩み寄って行く。
 アーニャにとって、ライアンではなくルーカスが止めに入る事は予想外だったのだろう。彼女はその驚愕の目を、ルーカスへと向けていた。
「お前、そういうやり方は良くねぇぞ! さっきの試合でお前はリアに負けたんだ! それをちゃんと受け入れろ! 勝者に向けるのはリスペクトであって、こうやって四の五の言って八つ当たりする事じゃない! 悔しいんだったら、次は負けないように努力すればいいだけだろうが!」
「な、何よ、ルーカスには関係ないでしょ! それに今のはリアが卑怯なやり方で……」
「言い訳すんな! どう考えても、そんな卑怯者に負けてるお前が一番悪いだろうが! 卑怯な手を使われたから負けましただあ? ふざけんな! 卑怯な手を使われても、それを上回る実力のなかったお前が悪い! 卑怯な手を使われた事に対して怒るなんて言語道断! そんな事よりも、卑怯者が何をしようとも勝てる実力を身に着ける! それが、今のお前が取るべき行動だろうが!」
「え、えーと……」
 はっきりとそう言い切るルーカスに、アーニャは口角を引き攣らせる。
 アーニャを鼓舞するというよりは、リアをディスっているだけのような気がするが……。ルーカスはそれに気が付いているのだろうか。
「大丈夫だ、お前が日々鍛錬に励んでいる事はオレもよく知っている。だから次は勝てる! 頑張れ!」
「あ、はい……」
「分かったらリアに謝れ!」
「あ、えっと……何か、色々言ってごめんなさい」
 ルーカスに促され、アーニャは素直に頭を下げる。この際、謝るのはアーニャじゃなくってお前じゃないか、という言葉は飲み込む事にした。
「よし、じゃあ今度一緒に剣の特訓しようぜー! あ、それから昼休みの祝賀会の事なんだけどさー……」
 満足そうに笑いながら。ルーカスはアーニャを連れて、さっさとその場から立ち去って行った。
「あの、ライアン……。私って、そんなに卑怯者に見えるのかな……?」
「え? あ、いや、違う、そんな事はない! ルーカスはアーニャに反省をさせるためにそう言っただけで、本当にそう思っているわけじゃないと思うぞ!」
 さすがにショックを受けたらしいリアに、ライアンは首をブンブンと横に振って、必死にそれを否定する。何故、自分がルーカスの尻拭いなどしなければならないのだろうか。後で絶対に文句を言ってやる。
「ルーカスの事は非難しないんだね」
「え……?」
 ふと、そこに冷たい声が聞こえ、ライアンは視線をノアへと向ける。
 そこにいたノアは、声の通りに冷たい目を、鋭くライアンへと向けていた。
「アーニャが同じ事をしたら、これ見よがしに怒鳴り付けるクセに」
 それだけを言い残すと、ノアもまた静かにその場から立ち去って行った。
「……」
 ノアにそう指摘され、ライアンは少しだけ考える。
 もし、ルーカスの立場がアーニャであったら、前世の自分はどうしていただろう。例えばセレナが剣の試合でリアに負け、それをリアに八つ当たりしていたとする。そしてそこにアーニャがやって来て、今のルーカスと同じようにセレナを励ましていたとしたら、前世の自分はどうしていただろう。「アーニャはセレナに反省させるために言っただけで、本当にそう思っているわけじゃないぞ」と、そう言ってやれただろうか。
(いや、言わない。ノアの言う通り、前世のオレはきっとアーニャをその場で激しく非難したハズだ)
 言い掛かりを付けていたセレナには何も言わないクセに、きっとアーニャの事は激しく責めていた。リアを卑怯者呼ばわりするとは何事だと、ショックを受けているリアを背後に庇い、その場でアーニャを怒鳴り付けただろう。今のルーカスのように、見逃したりはしない。
(おかしいのは、オレの方だったんだな)
 アーニャに向けていた『嫌い』というフィルターが、全てをおかしくさせていた。
自分が彼女に向けていた本当の感情は、『嫌い』ではなくて『羨望』。それを『尊敬』に変換出来ていたらこんな事にはならなかったのに。それなのに『羨望』を『妬み』にしか変換出来なかったから、前世の自分は間違った行動にしか出られなかったのだ。
 そしてそれに気が付いた時は、既に遅かった。だってその時にはもう、彼女はこの世にはいなかったのだから。
(だから現世ではアーニャを大切にしてやりたいのに。でも前世でオレが犯してしまった過ちは、やはり現世では修正出来ないのだろうか)
 だからアーニャはライアンに嫌悪の感情を抱いたままで、ノアも味方をしてくれないのだろうか。
「ねぇ、ライアン」
「あ、な、何だ?」
 物思いに更けていたその時、ふとリアに声を掛けられる。
 それにハッとして我に返ると、リアが申し訳なさそうな目で自分を見上げていた。
「あの、見苦しいところを見せちゃってごめんなさい。アーニャに言い掛かりを付けられて、ちょっと頭に来てつい言い返しちゃっていたの」
「え? いや、別に見苦しいだなんて思ってはいないよ」
「ありがとう。でも、ライアンにはいつも助けられてばかりだね。いつも迷惑ばかり掛けちゃって、本当にごめんなさい」
「いや、オレは何もしていない。それに、今お前を助けてくれたのは、オレじゃなくってルーカスになるんじゃないか? お礼なら、オレじゃなくてルーカスに言ってやった方がいいと思うぞ」
「うん、でもライアンには今日だけじゃなくって、いつも助けてもらっているから。だからねぇライアン、もし良かったら、今日のお昼一緒に食べない?」
「昼?」
 突然のお誘いに、ライアンはパチパチと目を瞬かせる。
 するとリアは、恥ずかしそうに微笑みながら更に言葉を続けた。
「実は、今日は少し多めにお弁当を作って来たの。ライアンにいつものお礼がしたいなって思って。ダメ、かな?」
 そっと上目遣いで恐る恐る聞いて来るリアに、ドクンと胸が脈打つ。リアとは前世で婚約をした仲だ。もちろん現世では彼女に恋愛感情は抱いていないが、それでも自分のために弁当を作ったから食べてくれと、上目遣いで頼んで来たら嫌とは言えない。アーニャには悪いが、この好意は受け取ろうと思う。
(それに、リアの手料理は美味かったしな)
 前世では恋仲となり、婚約者でもあったリア。彼女の手料理は何度か食べさせてもらったが、どれも普通に美味しかった。おそらく現世でもその腕は健在だろう。何だか懐かしい。少し楽しみだ。
「ありがとう、嬉しいよ」
 リアの誘いを喜んで受けてから。ライアンはリアとともに教室に戻る事にした。

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