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取引成立

 勉強する気も、自主鍛錬する気も、ましてや部室に顔を出す気も失せた。全部ライアンのせいだ。何をやっても集中出来そうもない今日は仕方がない。寮に帰ってちょっと横になろう。
 ライアンのせいで苛立った気を静めながら、アーニャは教室を後にし、学生寮に戻ろうとする。
 しかし、その教室を後にしたその直後であった。
「あ、アーニャ」
「……」
 前方から現れたリアが、珍しく話し掛けて来たのは。
「何?」
「先生が呼んでたよ。ちょっと教務室に来て欲しいって」
「分かった、ありがとう」
 リアから話し掛けて来るなんて珍しいな、一体何を企んでいるんだ、と怪しんだが、どうやら彼女は、担任教師からの呼び出しを伝えに来てくれただけらしい。昼休みに進路希望調査書を提出したが……もしかしてその件だろうか。
(やっぱり漠然とした内容すぎたかな?)
 呼びに来てくれた礼と、疑ってしまった詫びを兼ねて「ありがとう」とリアに伝え、アーニャは教務室へと向かう。
(……)
 しかしやっぱり変だ。何故、リアはこんなにもニコニコしながら、自分の後を付いて来るのだろうか。
(行き先が同じなんだろうか?)
 そう不審に思いながらも、アーニャは教務室へ向かうため、三階から一階へと階段を下りる。
 そして一階に着いた時だった。
「嘘だよ」
「はあああっ?」
 あははは、と笑うようにして口にされたリアの一言に、アーニャは勢いよく振り返る。嘘って何だ? そんな嘘を吐いて、一体リアに何の得があるのか。
「だって教室にはライアンがいたんだもん。ライアンには聞かれたくなかったから、一緒に一階まで来てもらったの」
「は?」
 クスクスと笑うリアに、アーニャは表情を歪める。
 教室にライアンがいた事を知っている? という事は、教室でしていたライアンとのやり取りを見ていた、という事か?
「まさか盗み聞きでもしていたの?」
「してないよ。ライアンの怒鳴り声が聞こえて来たから何だろうと思って見に行ったら、アーニャがライアンを突き飛ばしているのが見えたの。ライアン可哀想、あんなに泣きそうなライアン、初めて見たよ」
 平気であんな酷い事言えるなんて人間性疑っちゃうな、と苦笑を浮かべるリアに、アーニャは苛立ちを覚える。平気であんな酷い事言えるような男と婚約していたの、どこのどいつだよ。
「用件は何?」
 嘘を吐いてまで自分をここに呼び出したリアに、アーニャは用件を伺う。何の用かは知らないが、さっさと聞いて、さっさとここから離れよう。
「アーニャ、シュラリア国が滅亡した原因について調べているんだって?」
「何でそんな事知ってんのよ?」
 そう確認して来るリアに、アーニャは不審な眼差しを向ける。リアに話した覚えなんてないのに、何故彼女がそれを知っているのか。もしかしてライアンが喋ったか、お喋りルーカスの仕業か。
「何でって、今日階段のところで話してたじゃない。隣のクラスのルーカスと、三年生のトーマス先輩と」
「つまり盗み聞きしていたわけね。感じ悪い」
「あんな誰にでも聞けるような場所で、あんなに大きい声で喋っている方が悪いと思うな」
 不機嫌そうに溜め息を吐くアーニャに、リアは「人のせいにしないでよ」と笑う。
 そうしてから、リアは更に話を続けた。
「放課後、ファルシー先生のところに話を聞きに行ったんでしょ? シュラリア国の王家が滅亡した原因分かった?」
「分からなかったわよ。ファルシー先生も知らないっておっしゃっていたから」
「ふうん。だったら私が教えてあげようか?」
「はあ?」
 その申し出に、アーニャは更に訝しげに眉を顰める。
 リアがシュラリア国の王家滅亡の原因を教えてくれる? ファルシーですら知らなかったのに?
「適当な事言わないでよ。あんたが知っているとは思えないわ」
「知ってるよ。だって私、アーニャが言う『インフェルノ』が何なのか分かるもん」
「え……?」
 その言葉に、アーニャはハッとして目を見張る。
 まさかの言葉にリアを凝視すれば、彼女はニコニコと微笑みながら、その『インフェルノ』についてを口にした。
「五百年前、ピートヴァール国がシュラリア国に攻め入るために開発した兵器、インフェルノ。だけどそれは、シュラリア国の王国騎士団、その中でも特に優秀なメンバーで構成された精鋭部隊によって研究施設ごと破壊された。……アーニャが言っている『インフェルノ』って、これの事だよね?」
「な、何でそれを……?」
 何で? そんな事、聞かなくても分かっている。
 インフェルノの事は、後世には伝わってはいない。それは書物にも載っていない事や、専門の教師でも知らない事から確認済みだ。それなのに何故リアは、インフェルノの事や、それを破壊した精鋭部隊の事まで細やかに知っているのだろう。
 今を生きる人間が知るハズもない史実。それを知っているのは、当時それに関わっていた者だけ。つまり……、
「あんた、前世の記憶があるの?」
「あるよ」
 アーニャの出した仮定を、リアはあっさりと肯定する。
 まさか自分以外にも前世の記憶を持つ者がいる事に、アーニャが驚愕に目を見開けば、リアはクスリと笑いながら更に続けた。
「五百年前、私はシュラリア国の王国騎士団だった。あなたと違って精鋭部隊に所属していたわけじゃないけれど。でも私は前世で通っていた騎士養成学校を卒業後、王国騎士団に入隊し、国王陛下と国に忠誠を誓った」
「……」
「ピートヴァール国がインフェルノという兵器を開発し、その強大な力を使ってシュラリア国に攻め込もうとしていた事は、精鋭部隊がその命と引き換えにインフェルノを破壊してから知らされた。だからあなた達の死を無駄にしないためにも、私達はピートヴァール国を追い返すだけでなく、そのままピートヴァール国に攻め込み、その国王を討ち取る事でピートヴァール国を侵略、そしてその戦いに終止符を打った」
「……」
 スラスラと語られる前世の話に、アーニャはリアが嘘を言っているわけではないと確信する。自分が死んだ後の事は分からないが、生きていた頃の話はアーニャの記憶と一致する。そしてその記憶は、前世の記憶がなければ分からない事だ。だからリアに前世の記憶があるという事は、本当の事だと見てまず間違いないだろう。
「よく私にも前世の記憶があるって分かったわね」
「そりゃ分かるよ。シュラリア国の王家滅亡の原因を調べている、だけじゃ分からないけれど。でも昼休みの階段で、あなたは『インフェルノ』と口にした。シュラリア国とインフェルノって言ったら、あなた達が破壊してくれたあの兵器の事しかないもんね。そしてそれは、前世の記憶がある者にしか分からない話。だからその時ピーンと来ちゃったの。アーニャにも前世の記憶があるんだなって」
「そう……。で、私をライアンから引き離してまでしたい話って何?」
 アーニャとリアの仲は良くない。むしろどちらかといえば悪い方だ。だから例え相手に前世の記憶があると分かっても、こんな風にわざわざ話し掛けて来るようなマネはしない。だって相手は嫌いな人間なのだから。「ふーん、そうなんだ」くらいには思うかもしれないが、「じゃあ、ちょっと話してみよう」などとは絶対に思わない。もしアーニャがリアの立場だったとしたら、そうするだろう。
 そう、その記憶を利用して、何か良からぬ事を思い付かない限りは。
「ねぇ、アーニャ。あなた、シュラリア国の王家滅亡の原因を調べているんでしょ? でもその謎はまだ解けていない。だったら私が教えてあげようか? 一人で調べるの大変でしょ?」
「……」
「私、王家が滅びたところを目撃しているの。だから今すぐここでその原因を教えてあげられるよ」
「そうね。是非お願いしたいわ……って言ったら、あなたは素直に教えてくれるわけ?」
「もちろん、タダじゃないよ」
 やっぱり何か良からぬ事を企んでいたか。
 じゃあその対価は何なのか、とその目的を問えば、リアははっきりとその目的を口にした。
「私ね、今度こそライアンと幸せになりたいの」
「あの後十年あったんでしょ? その間幸せだったんじゃないの?」
「たった十年だよ? そのくらいで幸せになれると思う? 結婚して、家族が出来て、その幸せの途中で国が滅んだの。むしろ最悪だよ」
「……」
 最悪って……。その十年すらなかった相手の前で、よく言えたモノだな。
「じゃああんたが今度こそ幸せになるために、私はあんたがライアンと恋仲になれるように協力すればいいって事?」
 その目的に、アーニャは大きく溜め息を吐く。協力も何も、付き合いたければ勝手に付き合えばいいじゃないか。
「ライアンの中で、あんたの印象って悪くないんでしょ? この前だって、一緒にテスト勉強していたみたいだし。このままライアンにアピールし続ければ、前世と同じように結婚出来るんじゃないの? 私は前世のようにあんた達の邪魔するつもりはないから、どうぞご心配なく」
「うーん、それがそれだけじゃダメみたいなんだよねえ」
「は?」
 わざとらしく溜め息を吐くリアに、アーニャは眉を顰める。それがダメって、何がダメなんだ?
「私ね、物心付いた頃から前世の記憶があったの。だから驚いたよ、ここがあれから五百年後の世界で、家族や友達、周りにいる人達もみんな前世で知っている顔だって気が付いた時は。そしてこの時代は、あの頃よりも戦争が少なくて、ずっと平和な世界になっていた。だから私は、この世界では今度こそライアンと幸せになれるんだって思って、騎士養成学校に似ている学校、傭兵育成専門学校に同じように転入したの」
「……」
「でもこの世界は私にとって、あの頃とは大きな違いがあった。それはライアンが興味を持っているのが、私じゃなくってあなただったって事。図書室で勉強を教えてもらおうと思ってもあなたを優先するし、あなたをクラスのみんなの前で非難させようとしても、上手くいかなかった。前世ではいつも私の味方だったのに。それなのに現世では何もかもが思い通りにならないから嫌になっちゃう」
 はあ、とリアは困ったようにして溜め息を吐く。二人っきりで掃除をさせられたり、クラスのみんなの前で辱められたりしたこっちとしては、本当にいい迷惑だ。
「テストの結果発表の時、アーニャは私の悪口なんか言ってなかったんだってね。確かにあの時、私にはあなたが何を言っているのかまでは聞こえなかった。でも、前世では私の悪口を言っていたでしょ? だから現世でも同じ事をしているんだと思ってライアンに泣きついたのに。失敗したわ」
 そうか。コイツは自分を陥れるために、みんなの前でライアンに非難させようとしていたのか。聞き間違えじゃなくって、わざとやっていただなんて。相変わらず嫌なヤツだな。
「アーニャの評判を落としたくって、アーニャが私の悪口を言ったり、私を虐めているって噂も流してみたけど。でもそれも上手くいかなかった。だって実際、あなたはそんな事していないんだもの。さすがに目撃者がいなきゃ、そりゃ根も葉もない噂として流れて行っても仕方がないよね」
 なるほど。トーマスが言っていたその噂の正体は、コイツが自分で流していたモノだったのか。本当に根性の腐った嫌なヤツだな。
「じゃあ何? 私にどうしろっての?」
「私をね、虐めて欲しいの」
「はあ?」
 ニッコリと微笑みながら口にされたその目的に、アーニャはポカンと目を丸くする。
 リアを虐める? 何で? それで誰かが得をするのだろうか?
「前世では本当にアーニャが私の事を悪く言ったり、ライアンの気を引こうとして、私達の邪魔をしてくれた。だからライアンはあなたを悪と決めつけ、少し泣いただけで私の味方をしてくれていた。他のみんなだって、あなたの日頃の行いを見ていたから、少し泣いただけでみんな私を信じてあなたを非難してくれた」
「つまり、私に悪人を演じろと言うの?」
「そう。あなたが実際に私を虐めてくれれば、みんな私の味方になってくれるでしょ? ライアンだって、他人を虐めるような人間なんか好きになるわけないもの。嫌われ者のあなたを、ライアンはすぐに嫌いになる。そうすれば彼はまた私を好いてくれる。そして今度こそ、ライアンと幸せになるの。それが私の望みだから」
「そう。他人を陥れる事でしか幸せを掴めないのね。可哀想な人」
「何とでもどうぞ。それでどうする? 私に協力してくれる? 協力してくれるのなら、アーニャが知りたい事教えてあげてもいいよ」
「……」
 その交換条件に、アーニャは少しだけ考える仕草を見せる。
 自分達精鋭部隊が命と引き換えにインフェルノを破壊し、守った国、シュラリア国。しかしその国は、その戦いから僅か十年後に王家の滅亡が原因で滅んでいる。幸せな未来が国に訪れると思って死んだのに。それなのにどうしてシュラリア国は滅びの道を辿らなければならなかったのか。その謎をどうしても解き明かしたい。
(リアの条件を飲めば、その理由を知る事が出来る)
 前世の記憶を持つリア。このまま手当たり次第に調べるよりは、彼女に聞いた方が早く且つ確実に、その真実を手に入れる事が出来るだろう。真実を優先したいのであれば、その条件を飲んだ方がいいのかもしれない。
「あんたに協力すれば、シュラリア国の王家が滅亡した理由を教えてくれるの?」
「もちろんだよ。でもそれは、アーニャがライアンに嫌われるか、私がライアンと付き合ってからね。今その理由を話して、やっぱり協力しないなんて言われたら私が困るもの」
「分かった、それでいいわ」
 求める真実を手に入れるべく、アーニャはリアの条件に首を縦に振る。
 ライアンに嫌われる。それに抵抗なんてない。だって現世の自分はライアンの事が嫌いなのだから。だから前世のようにライアンに冷たくされる事も、リアとライアンが目の前で仲睦まじくなる事にだって何とも思わない。だってそれは、既に前世で経験している事なのだから。だからまた同じ事が現世で繰り返されたとしても、それに対して何かを思うわけがない。悲しい、辛いなんて、思うわけがない。
(今の私にとって大切なのは、私達が命と引き換えに守った国が、あっけなく滅んでしまった理由を知る事よ。そのためなら、またライアンに嫌われる事になったって、別に何て事はないわ)
 そう、何て事はないハズなのに。
 それなのに少しだけ心が痛むのは、記憶の中にまだ『アーニャ』が残っているからなのだろうか。
(私が前世に生まれて、『アーニャ』が現世を生きられたら良かったのにね)
 それなら『彼女』も苦しまずに済んだだろうに。
 記憶の中で泣いているだろう『彼女』に、アーニャは「ごめんなさい」と心の中で呟いた。

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