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再会

 国のために自ら命を絶ち、海の藻屑となって消え失せる。
 そんな恐ろしい夢に驚いて、アーニャは勢いよく飛び起きた。
 とんでもない悪夢に冷や汗が止まらず、夢だと分かっていても心臓がドキドキする。
 ……いや、夢?
(違う、今のは……)
 夢ではない、これは記憶。他でもない自分の……いや、私だった者の記憶?
「い……っ!」
 自分の身に起こったそれに理解が追い付かず、混乱する頭を抱えたところで、アーニャは右手に走った痛みに顔を顰めた。
「これは……?」
 見れば、右手にあるのはグルグルと巻かれた包帯。まさかあの爆風に巻き込まれたというのに、この程度の怪我で済んだのだろうか?
「あら、おはよう。丁度目が覚めたのね、良かったわ」
「せ、んせい……?」
 シャッとベッドを仕切るカーテンが捲られ、一人の女性が声を掛けて来る。
 ふわふわと、長い紫色の髪をした白衣の女性。彼女には見覚えがある。そうだ、確か彼女は、保健室の先生だ。
「手持ち花火が爆発して、それに驚いて気絶しちゃったんですって? 花火って偶に不良品が入っているみたいよ。運がなかったわね」
「あ、えっと……」
 ああ、そうだ。確か夏休みの最後に花火をしようって事になって、みんなで集まって校庭で花火をして遊んでいたんだ。そしたら手持ち花火が突然爆発して、驚いてひっくり返って、それから……。
「でも軽い火傷で済んで良かったわね。下手に頭を打っていたら大変だったもの。これなら、今日の始業式も出られるかしら?」
「始業式……?」
「ええ、夏休みは昨日で終わりでしょ? 今日はこれから始業式よ。どう? 出られそう?」
「先生、あの、鏡っ、鏡ってありますか?」
「鏡?」
 突然鏡を求めだしたアーニャに、保険医は不思議そうに首を傾げる。
 それでも「手鏡ならあるわよ」と手渡してくれた彼女に礼を述べると、アーニャはそこに映る自分の顔をじっと覗き込んだ。
(これは……)
 そこに映っているのは、当然自分。肩にまで伸びた炎のような赤い髪に、凛と吊り上がった気の強そうな黒い瞳。着ているのは黒い隊員服ではないが、騎士や傭兵を目指す学生が着る紺色の学生服。
 うん、やはりまごう事なく自分である。
「若くて可愛くなっているけど……、やっぱり私だわ」
「あなた、やっぱり頭大丈夫?」
 鏡を覗き込みながら髪や頬を触って確認するアーニャに、保険医は表情を引き攣らせる。この子、まさか頭の変なところをぶつけたんじゃないだろうか。
「今日の始業式どうする? 無理に出なくてもいいと思うけど……このままここで休む?」
「あ、いえ、参加します」
「そう? なら、一度学生寮に戻って身なりを整えて来なさい。式までまだ時間があるから、ゆっくりで大丈夫よ」
「えっと……はい、そうします」
「それじゃあ、私は用事があるから席を外すわね。また戻ってくるから、鍵は開けたまま出て行って大丈夫よ」
「分かりました。ありがとうございました」
 一晩中付き添ってくれたのだろう保険医に礼を述べると、保険医はカーテンを閉じてから立ち去って行く。
パタンと保健室の扉が静かに閉められた音が聞こえてから、アーニャは再びゴロンとベッドに横になった。
「……」
 花火が爆発したショックで思い出したのだろう。さっきの夢はただの夢ではない。あれは自分の前世だ。
 前世である『アーニャ』は、シュラリア国の王国騎士団、そしてその中でもトップクラスの者だけが入れる精鋭部隊の一員であった。当時は今よりも国同士の争いがずっと多く、彼女は常に前線に身を置いて、幾度となく国を守って来た。
しかしある時、シュラリア国は破滅の危機に落とされた。国を守るためには、自分の命を犠牲にするしか方法がなくなってしまったのだ。
だから彼女は自国を守るべく、国王であるサミュエル・バッターリア王の命令によって、敵の陰謀を打ち砕いて死んだのである。
 そして、ここは……。
(ここはアヴニール国。シュラリア国とは国も時代も違うけど、同じ世界……つまり、あれから未来の世界。そしてここは、アヴニール国にある傭兵育成専門学校。私はその学校の一年生、アーニャ・クラウン……。そうだ、私はこの未来の世界でまた『アーニャ』として生を受けて、王国騎士団を目指して勉強しているんだ……)
 違う国、違う時代、違う自分。同じ世界、同じ目標、同じ自分。
 何の因果か、また『アーニャ』としてこうして生を受けるなんて。よっぽど前世に未練でもあったのかと、アーニャは苦笑を浮かべた。
(おかしいわ、だってここはシュラリア国じゃないのに、この国を治めているのはサミュエル・バッターリア国王陛下なんだもの。保険の先生も、前世では騎士養成学校の医務室の先生をしていたし。家族も周りの人達もみんな前世で知っている顔。なんだか違う世界で、前世をやり直しているみたい)
 その不思議な感覚に、アーニャはもう一度苦笑を浮かべる。
 前世の時代は国同士の仲があまり良くなく、どの国も隙あらば攻め込こみ、領土を拡大しようとしているような国ばかりであった。シュラリア国も国内は平和であったが、それは王国騎士団が他国に落とされぬよう、必死に守っていたからだった。
 しかし、今の時代は違う。このアヴニール国もシュラリア国のように豊かで広い国であるが、前世のように戦の多い時代ではない。そのため近年、アヴニール国を含めた世界では、目立った争いは起きていない。騎士団なんかいらないんじゃないかってくらい、国同士の仲が良いのだ。その平和の証として、先日は各国代表の選手が集まり、国対抗のスポーツ大会をやっていた。時差があるため夜中に部室に集まり、部員のみんなで陸上競技に白熱していた事は、前世にはなかった現世だけのまだ新しい記憶である。
(でもその平和のせいで、現世では王国騎士団への就職は難しいんだっけ)
 前世では戦が多かったから、騎士の募集も多かった。しかし、現世ではその戦が少ない。だからその募集枠も少なく、王国騎士団への就職は、騎士や傭兵を目指す者の中で最難関の就職先とされている。
 前世と似ていて非なる現世。王国騎士団に入隊したくてこの学校に入学したけれど。でもせっかくだから、現世では違う職業を目指すのもいいかもしれない。
(そういえば、前世でも夏休みの最後に花火大会をして、花火が爆発したんだっけ。その時は驚いてひっくり返って、頭を打って病院に運ばれたっけなあ……)
 ふと、アーニャはその時の事を思い出す。
 あの時も確かみんなで校庭に集まって花火をしていた。そして遊んでいた手持ち花火が爆発し、アーニャは驚いてひっくり返ってしまい、運悪く頭を打って病院に運ばれてしまった。
 今回は頭を打たなかったみたいだけれど、前世とほとんど同じ事をしてしまったようだ。
(あの時は確か、ルーカスが介抱してくれたり、病院に運んだりしてくれたんだっけ? でもその後、散々バカにされて笑われたような気が……。よし、今回はバカにされる前に滅茶苦茶お礼を言っておこう)
 ああ、そうだ。現世にもルーカスはいるのだ。クラスは違うが、同じ学年で、同じ部活に所属し、同じ就職先を目指している。
 前世では、王国騎士団を目指す者を専門に育成する学校、騎士養成学校でともに学び、ともに王国騎士団の精鋭部隊に所属し、そしてともに死んだ戦友。記憶が戻る前は何度も会っている事からこう言うのも変だが、でも早く会いたい。
(学年やクラスはバラバラだけど、精鋭部隊のみんなは同じ部活に所属しているし、ノアはまた幼馴染で、セレナやみんなも同じクラス。ここの学生はみんな学生寮で生活しているから休み中でも会える人には会えてたんだけど……でも今日からまた学校が始まるから、またみんなに会える。ふふっ、楽しみだなあ!)
 前世では「さよなら」も言えずに別れなければならなかった友人達、そしてともに散った精鋭部隊の仲間達。
そんな彼らに早く会いたいと、アーニャが心を躍らせている時だった。
ガラリと扉が開き、誰かが保健室に入って来る音が聞こえたのは。
(ルーカス?)
 前世の記憶から、入って来たのはルーカスだと予想する。
前世と同じなら、保健室に運んでくれたのはルーカスだ。おそらく現世でもそれはルーカスで、気を失ってしまったアーニャを心配して様子を見に来てくれたのだろう。口は悪いが、相変わらず良いヤツだ。
(入って来たら、とにかくお礼は言わなくっちゃ)
 それでも「お前、ドジだなー」くらいは言われるのだろう。でもそれすらも嬉しく思えるのは何故だろうか。
 とにかく早く顔が見たい、そう思いながら体を起こした時、ついにカーテンが開かれる。
 そしてその向こうから現れた人物に、アーニャは嬉しそうな笑顔を向けた。
「ルーカ……」
 しかしその瞬間、アーニャは思わず表情を引き攣らせた。
 そこに現われたのはルーカスではない。現れたのは整った顔立ちをした黒髪の少年。スラリと伸びた長身を包むのは、自分と同じ紺色の制服。
 その切れ長の青い瞳に捉えられた瞬間、アーニャは驚愕のあまり、悲鳴に似た叫び声を上げた。
「ラッ、ライアンッ?」
 それは前世で自分が恋心を抱いていた人物。しかしその恋は実る事はなく、彼からは冷酷の眼差しや、非情な言葉ばかりを浴びせられていた。
 そんな前世では冷たかった彼、ライアンが何故こんなところにいるのだろう。一体今度は何をしようというのだろうか。
「いた……っ!」
 ライアンの姿に、前世での嫌な記憶が甦る。そのせいで頭に走った痛みに、アーニャは呻き声上げ、思わず頭を押さえた。
「おい」
「きゃ……っ!」
 スッと、ライアンの手が伸ばされるのが見える。
 前世の記憶から、また叩かれると感じたアーニャは、体を強張らせたままギュッと目を閉じた。
「大丈夫か? まだ寝ていろ」
「……は?」
 そっとベッドに押し戻され、アーニャの頭が真っ白になる。
 大丈夫か、だって? え、それ、誰が誰に言ったの?
「顔色も良くない。やっぱり倒れた時にどこか打ったんじゃないか?」
「???」
 心配そうに見下ろして来る少年を、アーニャはポカンと見つめる。
 どうやらライアンだと思われるその少年が、自分に向かって言っているらしい……のだが、でもあのライアンだぞ? 告白した時は物凄い剣幕とともに自分を罵り、死に行く時は頬をぶん殴って来たあのライアンだぞ? そんな彼が「大丈夫か?」なんて言うわけがない。もしかしてこの少年、ライアンではないのではないだろうか。
(あれ? でもライアンに兄弟なんかいたっけな?)
 前世と交ざり、混乱している頭から現世の記憶を引っ張り出す。
 前世ではライアンに兄弟はいなかった。でも現世では彼に兄弟がいて、自分と同じ学年で、そして仲良くしていた……んだろうか?
「すまない、倒れた時にもっと早く駆け付けられれば良かったんだが……。やっぱり頭を打ったのか?」
「え?」
 心配そうに表情を歪めた彼の手が、そっとアーニャの頬に触れる。
 その瞬間だった。アーニャがライアンに抱く、現世での感情を思い出したのは。
「っ、止めてよッ!」
「ッ!」
 ビシッと。アーニャはライアンの手を思いっきり叩き落す。
(そうだ、私はこの人が嫌いなんだった……っ!)
 ライアンに兄弟がいるわけでも、ましてや彼自身と仲が良いわけでもない。前世では確かに好意を寄せていた相手、ライアン。しかし現世では違う。現世でのアーニャは、ライアンの事を酷く嫌っていたのだった。
「嫌だっていつも言っているじゃない! それなのに何でそうやって軽々しく触れてくるの? 過剰なスキンシップは止めて! 迷惑よ!」
「す、すまない……」
 前世の自分が見たら卒倒するような剣幕で、アーニャはライアンを怒鳴り付ける。
 前世では、話し掛けるだけで迷惑そうにしていたライアン。それなのに現世では、こうやって自らアーニャに話し掛けて来たり、優しく触れて来たりしていた。容姿端麗で成績も優秀、その上性格も悪くないライアンに、こうして優しく構ってもらえるアーニャを周りの女子達は羨ましがっていたのだが、アーニャはそんなライアンが嫌いで仕方がなかった。
何故、特に非のないライアンをこんなにも嫌っているのかが自分でもずっと不思議だったのだが、その理由が今やっと分かった。前世で彼にされた酷い仕打ちのせいだ。自分の好意に対して彼が返して来た数々の非情な態度が影響し、現世でのアーニャはライアンの事が、こんなにも嫌いになってしまったのだ。
(そりゃそうよ、だって私が告白した時だって「オレが好きだと? 気持ち悪い、迷惑だ」とか言いやがったのよ。そんな告白の断り方も知らない男なんて、こっちから願い下げよ!)
 まあ、それ以上に問題があったのは、「それでもやっぱり彼が好き!」とか言って、ドンドン彼にのめり込んで行った自分なのだけれど。
 そんな前世の自分に呆れながらもライアンを睨み付けてやれば、彼は悲しそうにしゅんと項垂れてしまった。
「その、花火が爆発したくらいで、気を失ってしまったお前が心配だっただけなんだ。だからお前を怒らせるつもりなんてなかったんだよ。ごめん……」
「……」
 まるでご主人様に叱られた子犬の様に項垂れるライアンに、アーニャの良心がズキリと痛む。
 そんな顔をされると自分の方が悪いように思えて来るが、そんな事はない。だっていくら前世で自分がこんな顔をしても、「ちょっと強く言われたくらいで泣くのか? ウザい女だな」とか言って、溜め息まで吐いてバカにしていたじゃないか!
(何よ、自分だってウザい男じゃない!)
 ライアンと違って、自分はそんな酷い事、思っても口にはしないけど!
「悪かったわね、花火が爆発したくらいで気絶して。とにかく退いて。学生寮に帰るんだから」
 項垂れているライアンを押し退けて、アーニャはベッドから下りようとする。
 しかしそんなアーニャに、ライアンは驚いたように声を上げた。
「寮に戻るって……まさか、始業式に出るつもりなのか?」
「何よ、文句ある?」
「腕を怪我しているんだぞ? それに何より体調も悪そうだ。式なんか出ないで休んでいた方がいい」
「式なんて、ボーッとしながら立ったり座ったり、口パクで校歌斉唱していればいいだけでしょ。激しい運動をするわけでもないんだから、怪我していても出られるわよ」
「でも……」
「もうっ、とにかく退いてよ。私が式に出ようが出まいが、ライアンには関係ないんだから!」
 前世では風邪をひこうが、火傷を負おうが、敵に囚われようが無関心だったクセに。それなのに今更何だと言うのだろうか。
 しかし、アーニャが苛立ちながらベッドから下りた時だった。
 前世の事を思い出したばかりで、まだ脳が混乱している影響だろう。思ったよりも足に力が入らず、アーニャはグラリとその場に倒れ込んでしまった。
「きゃっ?」
「アーニャ!」
 しかしアーニャが床にぶつかる前に、ライアンが彼女の体を抱き止める。
 ライアンの厚い胸板に受け止められた自身の体。
 そのおかげで硬い床に体をぶつけ、更に怪我をするハメにはならなかった。
「大丈夫か?」
「……」
 心配そうに自分を見つめて来るライアンの行動に、アーニャは信じられないと目を白黒させる。
 あのライアンが自分を助けた? 敵に囲まれて劣勢を強いられている時も、足を挫いて動けなくなっている時も、暴漢に襲われている時でさえ見て見ぬふりをして絶対に助けてくれなかったライアンが、ただ転びそうになっただけで自分を助けただなんて。
 嘘だろ? 信じられない!
「やっぱりフラフラじゃないか。式に出るのは諦めて、もう少しここで休ませてもらったらどうだ」
「ちょっとフラッとしただけよ。大丈夫、もう動けるから」
「そう言って途中で転んだらどうするんだ?」
「転ばないわよ。それに、いつまでも保健室にいるわけにもいかないわ。休むにしたって、自分の部屋で休むわよ」
「学生寮までは距離があるだろう。また倒れたら大変だ。ここにいた方がいい」
「煩いな、そんなの私の勝手でしょ。それよりいい加減離れて。もう自分で立てるから!」
「分かった。どうしても戻ると言うのなら、オレが送って行く」
「は?」
 そう言うや否や、ふわりとライアンに体を抱き上げられる。
 所謂お姫様抱っこというヤツである。
「ちょっ、な、なななな、なにしてるのっ? 下ろして! 下ろしてよっ!」
 前世では考えられないライアンの行動に、アーニャはジタバタと暴れるが、ライアンの腕はビクリとも動かない。おかしい。前世では思いっきり突飛ばせばよろけるくらいはしたのに。現世のライアンは前世よりも強いのだろうか。
「放せっ!」
「部屋に着いたら放してやる。このまま大人しくしていろ」
「女子寮まで来るつもり? 痴漢! 変態! 色男!」
「それ相応の理由があれば、男子でも通してもらう事は出来る。あと、色男は悪口じゃない」
「分かったわよ! 休む! 休めばいいんでしょ? 式には出ないでここで休ませてもらうから! だから下ろしてッ!」
「……分かった」
 そう観念して叫べば、ライアンはようやくアーニャをベッドの上へと下ろしてくれた。
(く、悔しいっ! ライアンに力で捻じ伏せられるなんて……ッ!)
 前世では剣術、体術、その他の模擬戦闘において、一度もライアンに負けた事なんてなかったのに。男女で力の差があるのは仕方のない事だが、それでもここまで何も出来ないなんて……。やっぱり現世でのライアンは、前世のライアンよりも優秀なようだ。
(くっ、ライアンが出て行ったら、こっそり寮に戻って、堂々と式に出てやる!)
 悔し涙を浮かべながら、ギロリとライアンを睨み付けてやる。口に出したら今度こそお姫様抱っこで連れて帰られそうなので、絶対に言わないけれど!
「どうした、涙なんか流して? やっぱり傷が痛むのか?」
「違うわよッ!」
 謎の勘違いをしているライアンに恨みがましく叫んでから。アーニャは仕方なくベッドに潜り込んだ。
「このままここで寝る。おやすみ!」
「付き添おうか?」
「いらない! 始業式に行きなさいよ!」
「わかった。式が終わったらまた来る。お大事にな」
 このままここで休むと言ったアーニャを信じてくれたのだろう。そう言い残すと、ライアンは大人しく保健室から立ち去って行った。
「……」
 ライアンが出て行った後、アーニャはベッドの中から顔を出し、保健室の白い天井をそっと見上げる。
 思い出すのは昨夜の出来事。昨日は夏休みの最終日という事もあり、実家から戻って来ている生徒も多く、せっかくだから一年生で花火大会をしようと、集まったみんなで遊んでいた。その最中でアーニャは手持ち花火が爆発して、驚いて気を失ってしまったのだが、似たような出来事は前世にもあった。
 前世でも、騎士を目指す養成学校の一年生で花火大会をしていたのだが、その最中、アーニャの手持ち花火が昨日と同じように爆発した。それに驚いてひっくり返ったアーニャは、運悪く地面に頭をぶつけて気を失ってしまい、医務室ではなく病院に運ばれたのだ。
 結局は気を失ってしまったのだが、その理由が少しだけ違う。前世と同じ出来事が起こったとしても、その内容が全く同じになるというわけではないようだ。
(そういえばライアンは、前世では花火大会に参加していなかったっけ?)
 昨日は花火大会にいたライアン。しかし前世では、彼はその場にいなかった。その理由は前世のアーニャが、花火大会の三日前にライアンに告白した事にあった。もちろん手酷くフラれたわけだが、その後の幼馴染であるノアの話では、「あの女もいるんだろ? そんなところ誰が行くか」と嫌悪感丸出しで言っていたらしい。他に言い方はなかったのか、今思い出しても腹立たしい話である。
(でも、現世では告白なんかしていないから、ライアンは普通に参加していた。もちろん私はライアンが嫌いだから、彼が線香花火を持って来ても無視して他の友達と遊んでいたけれど。でも出来事は同じでも内容が違うのであれば、もしかして私がライアンの好意を受け取れば、現世ではライアンと結ばれる未来があるかもしれないって事になるのかな?)
 前世ではどんなに求めても手に入れられなかったモノ。実る事のなかった淡い恋心。しかし現世では前世とは違い、ライアンは自分に優しくしてくれている。ならば現世でもう一度ライアンへと手を伸ばせば、前世では手に入れられなかったモノが手に入るのではないだろうか。
(……)
 敵に囲まれて劣勢を強いられている時、「お前が消えてくれれば、精鋭部隊の席が一つ空くからな」と言って手を貸してくれなかった。
 足を挫いて動けなかった時は、「肩を貸せだと? 調子に乗るな、お前に貸す肩など一つもない」と言って立ち去って行った。
 暴漢に襲われている時は、「窮地に陥ればオレが助けるとでも思っているのか? 浅はかな女だな」と言って鼻で笑っていた。
(だ、誰があんなヤツ二度と好きになるもんか!)
 というか、何故前世の自分はライアンが好きだったのか。鋼鉄の心臓を持っている上に、かなりの面食いだったとしか思えない。
(ライアンのヤツ、何で現世ではこんなに私に構って来るんだろう? 現世では私がライアンに告白してないから? えー、でもそれだけでこんなに差って出て来るもん? そもそも前世では、告白する前から割と睨み付けられていたような気もするし……)
 うーんと、アーニャは頭を悩ませる。
 前世と現世の違いといえば、現世でライアンに抱いている感情が、好意ではなくて嫌悪というところだ。彼に対して嫌悪感を抱いているからこそ、アーニャは自分から進んでライアンに話し掛けたりはしないし、向こうから話しかけられても冷たくあしらっている。
 しかし、もし前世のアーニャが抱いていた感情が現世と同じモノだとしても、前世のライアンが現世のライアンのようにアーニャに優しくしていたとは考えにくい。何故なら前世のライアンは、アーニャが告白する前から彼女の事を好いてはいないようだったからだ。だから例え前世のアーニャがライアンを同じように好いていなくとも、ライアンの方からアーニャに興味を持ち、優しく接して来るとは考えにくい。ライアンがアーニャに暴言を吐く事はなかったかもしれないが、それでも互いに嫌い合っている者同士が惹かれ合うとは考えにくい。お互いがお互いに関わらないようにと、避けて行動するハズだ。
(いや、でもそれも今日で終わりか)
 もしかしてライアンは、冷たくされる程に燃え上がるタイプなのかと考えていたところで、アーニャはそれを考える事自体を停止する。
 何故、現世のライアンが自分に優しいのかは知らない。でも彼がこうして自分に優しく関わろうとするのもこれで終わりだろう。だって今日は始業式。前世と同じ出来事が起こるのならば、今日は『彼女』がクラスに転入して来る日なのだから。
(リア・スタンブール。ライアンの婚約者)
 それは前世でライアンと恋仲となり、そして結婚したであろう女生徒の名であった。
 前世の今日、騎士養成学校に転入して来た彼女、リアはライアンと惹かれ合い、すぐに付き合う事となった。
 表向きはおっとりとした性格で、愛らしい容姿であったリアは、ライアンだけではなく他の生徒にも人気のある少女であった。しかし、正直アーニャは彼女の事が好きではなかった。リアがライアンと付き合っているから、という理由ももちろんあるのだが、その裏で、アーニャはリアによる様々な嫌がらせを受けていた。まあその嫌がらせというのも、アーニャがリアの事を悪く言っていたせいでもあるから、一概にリアだけが悪いとは言えないのだが。
(私がライアンを好きだった事を利用して、ある事ない事ライアンに言いつけて、私がみんなの前でライアンに非難されるのを見て楽しむような女だったのよ。自分の手を汚さないのが上手なのよね。まあ、リアに嫉妬して彼女の悪口を言ったり、恋人が出来ても諦められず、ライアンにアピールし続けていた私も悪いんだけど)
 前世の事を思い出して小さな溜め息を吐く。でも現世ではライアンに恋などしていないから、アーニャがリアの悪口を言う事はない。それ故に彼女がライアンを使って自分に嫌がらせをしてくる事も、必要以上に関わって来る事もないだろう。現世では平和に過ごせそうだ。
(リアが現れれば、ライアンも彼女に夢中になるハズ。そうすれば、ライアンも私に構っている暇なんてなくなるハズだわ。だからこうして付き纏って来るものもう少しの辛抱ね)
 そう思うと少し寂し……いや、寂しくなんかない。だって現世の自分はライアンなんか大嫌いなのだから。逆に視界から消えてくれた方が清々するわ。
(そういえば、あの二人はあの後どうなったんだろう?)
 それは前世での話。卒業後、揃って王国騎士団に入隊した二人は、その後も交際を続け、遂には婚約もしていた。
 アーニャの死後、平和になったシュラリア国で、二人はどんな人生を送ったのだろう。やっぱり予定通り結婚し、幸せな家庭を築いたのだろうか。
(私達がインフェルノを破壊した事により、シュラリア国とピートヴァール国の形成は逆転。シュラリア国はピートヴァール国に攻め込み、見事勝利したハズ。それによりピートヴァール国を支配下に置いたシュラリア国には再び平和が訪れているハズだから……くっ、やっぱり自分達ばっかり幸せになったに違いないわ!)
 ライアンの事だ。例えアーニャの死を知ったとしても、「好きで精鋭部隊に入ったんだろ? 良かったじゃないか、少しは国の役に立つ事が出来て。オレも嬉しいよ、目障りなお前が視界から消えてくれてな」くらいは言いそうだ。
(くそっ、ライアンのヤツ! 嫌なヤツ同士お似合いの夫婦じゃない! 現世でも嫌なヤツ同士さっさとくっ付いて、幸せな家庭でも築いればいいんだわ!)
 ライアンの人をバカにしたような笑みを思い浮かべ、勝手に悪態吐いてから。アーニャは「そういえば」と思い付いた。
(シュラリア国は、今どうなっているんだろう?)
 ここは、あれから何百年後の未来の世界。シュラリア国とは違うアヴニール国に生まれてしまったアーニャには、シュラリア国が今どうなっているのかは分からない。しかしその国が現存していれば更なる発展を遂げているハズだ。もしかしたら国を守った英雄として、精鋭部隊の銅像が建てられているかもしれない。どんな国になっているのか、精鋭部隊の銅像は建っているのか、後でちょっと調べてみようと思う。
(さてと。邪魔なライアンもいなくなった事だし、私もそろそろ寮に戻って始業式に出る準備をしなくっちゃ)
 しかしそう思ったアーニャが体を起こし、ベッドから出ようとした時であった。
 カツカツと靴音を建てながら、誰かが保健室に入って来たのは。
「あ」
 まさかまたライアンが来たのかと一瞬思ったが、それは杞憂で終わった。
 そこに姿を現したのは、バサバサの黒い髪をした赤目の少年。その懐かしい彼は、前世でともに精鋭部隊に所属し、そしてともに死んでいった同級生のルーカスではないか。
「ルーカス!」
「アーニャ、おはよう。ちゃんと起きられて良かったな」
 懐かしいその姿に、アーニャの胸に熱い感情が込み上げて来る。
 前世では騎士養成学校で知り合い、ともに卒業し、王国騎士団に入隊、そして昇級試験で精鋭部隊となり、最期はシュラリア国を守るためにともに死んだ友人が、今目の前にいる。
 二度と会う事は出来ないと思っていたその姿を前にして、アーニャの瞳にジワリと涙が浮かんだ。
「ルーカス、ひさ……」
「花火に驚いてひっくり返るとか間抜けだよなー。何か潰れた蛙みたいになってたぞ」
「……」
 前言撤回。涙なんか浮かんでいない。
「そんくらいで気ぃなんか失ってたら、立派な騎士にはなれねぇぞ。もっと頑張れ」
「……」
 その上で叱咤激励された。相変わらず自由人だな。
「でも生きてて良かったよなー。お前が気ぃ失った時、一瞬死んだかと思ったわ」
「……お互いにね」
「?」
 その返事に、ルーカスは不思議そうに首を傾げる。どうやら、彼に前世の記憶はないようだ。
「今日の始業式休むんだって? 起きてねぇでちゃんと寝てろよ」
「え? ちゃんと出るよ? これから寮に戻って、支度して会場に行くわ」
「え? お前、始業式出るの? でも休むって、ライアンが言ってたぞ」
「……。ライアンには内緒で出るよ」
「いや、無理だろ」
 クラスが同じなのだ。会場に行った瞬間にバレるだろう。
「ライアンに会ったの?」
「そこの廊下で鉢遭った」
 そう答えてから。ルーカスは咎めるような眼差しをアーニャへと向けた。
「ライアンのヤツ、しょんぼり落ち込んでたぞ。お前、今度は何言ったんだよ?」
「な、何ってそれは、その……」
「嫌だとか、迷惑だとか、痴漢だとか、校歌は口パクで歌うとか言ったんだってな」
「ぐ……っ」
 ライアンめ、またルーカスに言いつけやがったな!
「お前、心配して来てくれた相手に対して、それはないんじゃねぇのか?」
「う……」
 アーニャの言動に、ルーカスは怒ったように眉を吊り上げる。そりゃそうだ。前世を知らない者から見れば、悪いのはどう考えてもアーニャの方なのだから。
「何でお前、ライアンにはそんなに冷たいんだよ? アイツは悪いヤツじゃないだろ? 昨日だって、お前が倒れた瞬間、ライアンが慌てて抱き止めてくれたんだぞ。アイツがああしてくれなきゃ、お前、頭を打ってたかもしれねぇんだからな」
「えっ、ライアンが?」
 ライアンが自分を助けただって? それじゃあ前世のように頭を打たなかったのは、ライアンのおかげって事……?
「その後、保健室に運んでくれたのもライアンだ。今日だってお前の事が心配で、朝イチで様子を見に来てくれたんだろ? それなのにその態度はないんじゃないのか?」
「ええっ? ライアンが運んでくれたの? そんな、うそっ?」
 その上、保健室に運んでくれたのはルーカスじゃなくって、ライアンだって? 前世では身の危険に曝されようが何しようが、無視していたライアンが、たかが気を失ったくらいで保健室に連れて来てくれただって? 一体、現世のライアンはどうなっているんだ?
「何で嘘なんだよ? ライアンのヤツ、常日頃からお前に好意向けまくってんじゃねぇか。心配して駆け付けたとしてもおかしくねぇだろ」
「いや、だって……」
「だってじゃねぇよ。お前、ありがとうくらいは言ったんだろうな?」
「それは、その……」
「ありがとうも言えないヤツ、オレは人としてどうかと思う」
「うぐっ!」
 グサグサと言葉が突き刺さる。でも反論は出来ない。だって前世を知らない限り、非があるのはどう考えてもアーニャの方なのだから。
「お前、マジでライアンの何が気にいらねぇんだよ? 性格だって悪くねぇし、男のオレから見てもイケメンだし。成績も優秀で、剣術も体術もアイツに敵うヤツ、一年じゃ誰もいねぇじゃねか」
「え?」
 ルーカスのその言葉に、アーニャはキョトンと目を丸くする。
 体術や剣術でライアンに敵うヤツが一人もいない? あれ? そうだったっけ?
「え? 実技で一番成績良いのってルーカスじゃなかったっけ? 私だって組手でライアンに負けた事、一度もなかったと思うんだけど……?」
「何言ってんだ? 期末にあった模擬戦闘のテストで、オレもお前もアイツに軽く捻り潰されていたじゃねぇか」
「えっと、そうだったっけ?」
 うーんとアーニャは必死に現世を思い出す。
 確かに前世では、アーニャの成績は常にライアンを上回っていた。模擬戦闘のテストにおいて、ライアンに負けた事なんかなかったし、卒業試験や王国騎士団入隊試験の時も、ライアンより好成績を収め、卒業、入隊した。そして精鋭部隊昇級試験の時もライアンと一対一の模擬戦闘を行い、彼に勝ったからこそ、アーニャが精鋭部隊に入る事が出来たのだ。
 それなのに現世ではライアンの方が上だって? でも確かにそう言われてみれば、現世でのライアンはかなり強くて、まだ一度も勝った事がないような気がする。
「お前、「ライアンなんかに負けたー」って言ってめちゃくちゃ悔しがっていたじゃねぇか。もう忘れたのかよ? 鳥と同じ脳みそだな」
「煩いよ」
 誰が鳥頭か、とルーカスをギロリと睨み付けてやる。
 でもそうか。だからさっきあんなに暴れたのに、ライアンの腕はビクリとも動かなかったのか。前世だったら絶対に抜け出せていたのに。くそっ、やっぱり悔しい!
「とにかくお前、始業式に出るんだったら、その後ちゃんとライアンにお礼言っておけよ」
「…………。分かった」
「お前、マジでいい加減にしろよ」
 その長い間で、アーニャにその気がない事を覚ったのだろう。ルーカスにも前世の記憶があればこの気持ちを理解してもらえたのに。記憶がないって不便だな。何とか記憶を思い出してもらえる方法はないだろうか。
「ねぇ、ルーカス。シュラリア国って聞き覚えない?」
「スラリア国?」
 花火が爆発し、気を失った事で、何故か前世の記憶が戻ったのだ。ならば何らかの切っ掛けで、ルーカスにも記憶が戻るかもしれない。
 そう思い、自国の名を口にしてみたアーニャであったが、どうやらそれは無駄な行為だったらしい。ルーカスは不思議そうに首を傾げた。
「ずっと前にピートヴァール国と戦って勝った国なんだけど。覚えてない?」
「ピート……? え、そんな事習ったっけ? ごめん、オレ世界史苦手だから分かんねぇや」
「そっか……」
 ピートヴァール国の名を上げてもみたが、やっぱりダメらしい。やっぱりそう簡単に前世の記憶なんか思い出さないか。
「二人とも何言ってるの? シュラリア国の一部はここ、アヴニール国。初等科の自国史で習う内容くらい覚えておかないと、王国騎士団には入れないよ」
 ふとその時、懐かしい第三者の声が聞こえ、アーニャとルーカスは揃って顔を上げる。
 前世よりも大分若々しくなっているが、自分達に向けられる優しい青の瞳は変わらない。長い青の髪を後ろで一つに束ねているのは、紛れもなく精鋭部隊の隊長、トーマスであった。
「隊長っ! お、お久しぶりです!」
「何言ってるの? 部長でしょ」
「あ、そ、そうでした」
 クスクスとおかしそうに笑うトーマスに、アーニャは恥ずかしそうに下を向く。
 前世では精鋭部隊の隊長として、隊員を率いてともに海底に散ったトーマス。そんな彼も今は隊長ではなく、部長としてアーニャやルーカスと同じ部活動に所属する、二つ年上の三年生である。
「来世で会えて嬉しいです」
「何言ってるの?」
 やはりトーマスにも前世の記憶はないらしい。懐かしさに涙ぐむアーニャに、トーマスは心配そうに眉を顰めた。
「キミが花火の爆発如きで気を失ったって、ルーカスから聞いて様子を見に来たんだけど。思ったよりも頭の調子が良くないみたいだね。今日は式には出ないで休んでいた方が良いよ」
「いいえ、大丈夫です。式には出ます」
「ええ、そうなの? キミがそう言うなら止めはしないけど……うーん、でも心配だなあ」
「お気遣いありがとうございます。でももう大丈夫ですから。ご心配お掛けし、申し訳ありませんでした」
「うーん、でも……」
「大丈夫だって、先輩。アーニャがおかしいのはいつもの事ですから」
「おい」
 数々の失礼な言動に、アーニャはギロリとルーカスを睨み付ける。
 しかしそれについては無視を決め込むと、ルーカスは「ところで」と話を切り替えた。
「トーマス先輩、アーニャの言うスラリア国って何なんですか?」
「シュラリア国ね」
 呆れたように溜め息を吐いてから。トーマスは更に言葉を続けた。
「初等科で習っただろ? この国、アヴニール国の歴史にも関わって来る事だから、今の内にきちんと覚えておいた方がいいよ」
「そっか、トーマス先輩は世界史を専攻してましたもんね。だから知ってるんですね」
「初等科で習ったって言っただろ」
 納得したようにポンと手を打つルーカスを、トーマスは更に呆れた目で眺める。専攻云々は関係ない。これは初等科の時に国民全員が習う事じゃないか。
「でもそういえばさっき、シュラリア国はここだって……え、じゃあ国名が変わったって事ですか?」
「アーニャ、キミまで一体何を言っているんだい?」
 そうだったっけ、と首を傾げるアーニャに、トーマスは頭を抱える。
 後輩二人の成績を危惧したトーマスは、この場でしっかりと、その歴史を二人に教えてやる事にした。
「約五百年くらい前まで、ここにあった国がシュラリア国。このアヴニール国は、シュラリア国領土分配戦争にて、領土拡大に成功した国の一つ。だからシュラリア国は、五百年くらい前に滅んでいるよ」
「シュラリア国何とか戦争? 何ですか、それ?」
「ああ、そこまで詳しい事は習わないんだっけ? テストには出て来ないと思うけど、それは……」
「う、うそーッ!」
「ッ?」
 首を傾げるルーカスに更に詳しい説明をしようとしたところで、アーニャが驚愕の悲鳴を上げる。
 突然上がったアーニャの叫び声に、二人は驚いたような目を向けるが、そんな目に構っている場合ではない。だって命を懸けて守ったと思っていたシュラリア国が滅んでいたんだぞ? 何故? どうして? まさかあの後、ピートヴァール国に負けてしまったのだろうか。
「な、何で? 何で滅んじゃったんですか? まさかピートヴァール国に負けちゃったんですか?」
「よ、よくそんな小さい国の名前知っているね。でもその国のせいじゃないよ。ピートヴァール国は第六回ピートヴァール戦でシュラリア国に敗戦して滅ぼされちゃってるから。シュラリア国が滅んだのは、その十年後にあった領土分配戦争でだよ」
「えっ、十年? 十年しか持たなかったんですかっ?」
「あ、う、うん、そうみたいだね……?」
 何でこの子、こんなにショックを受けているんだろう?
 しかしそんなトーマスの心の声など知る由もなく、アーニャは更にトーマスに詰め寄った。
「何でシュラリア国は滅んでしまったんですか!」
「いや、だから領土分配戦争で……」
「何ですか、その戦争っ?」
 トーマスの話では、どうやらその後に起こったピートヴァール戦とは違う戦争にて、シュラリア国は滅んでしまったらしい。では、その領土分配戦争とは一体どんなモノだったのだろう。我がシュラリア国王国騎士団が敗戦してしまったその戦い。一体何が原因で負けてしまったのだろうか。
「詳しい歴史はまだ解明されていないんだけど。その第六回ピートヴァール国戦の十年後、シュラリア国の王家が滅んでしまったんだ」
「王家が滅んだ?」
「そう、国の政治や経済を回していた中枢機関も一緒にね。そうなれば、国はもう機能しない。勢力拡大を狙い、あちこちで戦が起きていたその時代、国を守る機関がなくなってしまったシュラリア国は、他国の格好の餌食だった。その機会を逃さず、周辺諸国は一気にシュラリア国に攻め込み、領土を奪い合ったんだ。それがシュラリア国領土分配戦争。そしてこのアヴニール国はその戦で勝利し、勢力を拡大出来た国の一つなんだよ」
「そ、そんな……」
 トーマスが教えてくれたその歴史に、アーニャはガックリと肩を落とす。
 アーニャが気を落とすのも無理はない。だって彼女らが命を賭して守った国が、たった十年しか持たなかったのだから。国が大きく発展し、大切な人達が幸せに暮らせる事を信じて死んだのに。それなのにそんな短時間で国は滅んでいたなんて。酷い話ではないか。
「王家が滅んだって……クーデターでもあったんですか?」
「そう言われているけど……でも詳しい事はまだ解明されていないんだ。この先は学者になって自ら解き明かすしかないね」
「そうなんですね。すみません、先輩。教えて下さりありがとうございました」
「それは構わないけど……。どうしたの、アーニャ? 大丈夫?」
「はい、大丈夫です。式にはちゃんと出ます。すみません」
「いや、やっぱお前、休んだ方が良くないか?」
「うん、オレもそう思うよ」
「いえ、大丈夫です。すみません、準備がありますので失礼します」
 ペコリと頭を下げてから。アーニャは心配そうな二人を保健室に残し、一足先にその場を後にする。
 学生寮にある自分の部屋。そこへ向かいながら考えるのは、当然シュラリア国の事。あの後、一体国で何があったのか。国よりも先に王家が滅んでしまったようだが、何故王家が滅ばなければならなかったのか。サミュエル国王が何かやらかしたのか。そしてそのクーデターを起こしたのは誰なのか。
(とにかく調べよう、シュラリア国が滅亡する原因となった、王家滅亡の原因を。それが明らかにされなきゃ、前世の『アーニャ』が死んでも死にきれないわ)
 前世の記憶が甦った意味。それがシュラリア国滅亡の原因を明かすためなのかどうかは分からないけれど。
 でもシュラリア国を守るために死んだ身としては、その原因を知る必要がある。問題は、どこをどう調べれば、それを知る事が出来るのかなのだが。
 とにかくその真相を解明する事を心に誓うと、アーニャはとりあえず始業式に出席するべく、自室への道のりを急いだ。

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