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最悪な別れ

 隣国であるピートヴァール国に不穏な動きがある。
 その情報を受けたシュラリア国の王国騎士団は、多忙な日々を送っていた。当然だ。だってピートヴァール国の不穏な動きとは、このシュラリア国を乗っ取るべく、我が国に攻め入ろうとしている事なのだから。
「またかよ」
「これで一体何度目なんだろうねぇ?」
「どうせ我が国に返り討ちにされるってのに」
「暇だよな、あの国」
 幾度となく攻め込もうとするピートヴァール国に、シュラリア国の国民からは呆れた声が上がる。
 しかし、王国騎士団はそうはいかない。どうせいつも通り敵国を返り討ちにするだろうとはいえ、やるのは自分達なのだから。彼らの愚行に溜め息は出るものの、気を抜くわけにはいかない。万が一の事があっては困るのだ。そのためシュラリア国の王国騎士団では、来たるピートヴァール戦に向けて、念入りに準備をしているのである。
 そんな中、王国騎士団の中でも特に優秀な騎士で構成されている精鋭部隊の一人、アーニャ・クラウンは、この小忙しい日に有休を取っていた。
 そしてその有休を使って、アーニャは人気のない一角に、一人の男性を呼び出していた。
 それがアーニャの想いを寄せる相手、ライアン・トランジールである。
「何の用だ、アーニャ?」
 不機嫌そうにそう尋ねるライアンは、アーニャの着る黒い隊員服とは違う、白い隊員服を身に纏っている。
 スラリと伸びた長身に、整った顔立ちをした黒髪の青年。彼の持つ切れ長の青い瞳が冷たくアーニャを捉えるが、その冷たい瞳にももう慣れた。だって騎士養成学校にいた頃から彼が彼女に向けるのは、この冷たい眼差しだったのだから。
「まさかこの後に及んで、まだオレの事が好きとか言うつもりじゃないだろうな? お前の好意は迷惑だし、オレには婚約者もいる。何度断られたら気が済むんだ? いい加減に理解しろ」
「……」
 まだ何も言っていない相手に対して、どうやったらこんなにポロポロと辛辣な言葉が出て来るのだろうか。まあ、自分の想いは彼にとって迷惑なのだし。冷たくされるのは仕方がないか。
「あ、あのね、ライアン。一生のお願いがあるんだけど……」
「は? 一生のお願い、だと?」
 一生のお願い。そのフレーズに嫌な予感を覚えたのだろう。その気持ちを隠そうともせず、ライアンがあからさまに表情を歪めれば、アーニャは期待通りの迷惑な願いを口にした。
「一度でいいからハグして下さい!」
「……」
 迷惑である上に、この大変忙しい最中に何を寝ぼけた事を言っているのだろうか。本来なら精鋭部隊である彼女らが先頭に立って戦の準備をしなければならないというのに、何故か有休を取っているみたいだし……本当に寝ぼけているんじゃないだろうか。
「お前、ふざけているのか?」
「ふざけてない! 至って真剣よ!」
「だったら、尚更悪いわ」
 何故、こんなヤツが精鋭部隊に入れて、自分が普通の部隊に所属されなければならないのか。確かに実力的にはアーニャの方が少し上だから仕方がないのだけれど。
(だから余計に腹が立つ)
 その苛立ちは彼女に対してなのか、自分に対してなのか。
 とにかくその苛立ちを溜め息にして吐き出すと、ライアンはその冷たい青い目を、改めてアーニャへと向け直した。
「お前は戦争を舐めているのか?」
「い、いや、舐めていないけど……」
「いいや、舐めている。確かに相手はピートヴァール国だ。あの国は我がシュラリア国よりも全てにおいて劣っている。その領土も小さければ、武力も技術も、我が国よりも断然格下だ。それなのにもう五回も我が国に攻め込もうと、無駄な努力を続けているアホの国だ。今回もまた国境付近で我が騎士団に返り討ちにされ、追い返される事になるだろう。だからお前のように、相手を見下し、油断する気持ちも分からなくはない」
「いや、見下してはいないんだけど……」
「いや、見下している。何故なら……」
 そこで一度言葉を切ってから。ライアンはワナワナと怒りに身を震わせながら、ギロリとアーニャを睨み付けた。
「進軍を予定しているその前日に有休を取るなんて、生粋のアホか、過信しているアホのどちらかしかいないからだ!」
 まったく、彼女が何を考えているのか分からない。明日は国境付近へと移動をし、到着次第、攻め込んで来た敵を迎え撃たねばならない日だというのに。しかも明日の先遣部隊に配属された自分は、他の隊員よりも早くそこへ向かい、敵と戦わねばならない。
 それなのに何故、自分が入れなかった精鋭部隊に所属している彼女がその前日に有休を取り、呑気にハグしてくれと迷惑な願いをしているのか。ふざけるのも大概にして欲しい。
「い、いいじゃない、私だって休みくらい欲しいもの!」
「全部終わってからにしろ!」
 何が、休みが欲しいだ。というか、国王陛下もよく許可を出したな。
「だいたい、何でオレ達普通の部隊から、先遣部隊を構成しなければならないんだ? 一番危険な部隊じゃないか。何のための優秀な精鋭部隊なんだよ、先陣切って行くのは、オレ達じゃなくてお前達が行くべきじゃないか」
「で、でもそれは陛下直属のご命令だし……」
「ふん、精鋭部隊は陛下のお気に入りだからな。万が一にも死なせたくないんだろ。それで城に籠って陛下の護衛任務か。はっ、護衛任務とは名ばかりの、安全地帯に籠っているだけの仕事じゃないか。いいな、お気に入りは仕事が楽で。羨ましいよ」
「わ、私は、そんなつもりじゃ……」
「はっ、どっちにしろ、これ以上お前の戯言を聞く気はない。せいぜい明日は国王陛下のお膝下で、呑気にシュラリア国の勝利でも祈ってろよ。じゃあな」
「ま、待って!」
 バカにしたように鼻で笑ってから、ライアンはさっさとその場から立ち去ろうとする。
 しかしそんな彼の腕を掴む事で引き止めると、アーニャはもう一度懇願の目を向けた。
「お願い、一度でいいから抱き締めて欲しいの! そしたら明日は命を懸けて戦うし、二度とライアンと関わる事もないから! だからお願い!」
「っ、いい加減にしろッ!」
「うっ!」
 パアンッと、乾いた音がその場に響き渡る。
 ビリビリと痺れる頬。
 ライアンに頬を殴られたのだと理解するのに、そう時間は掛からなかった。
「くそっ、何でお前が精鋭部隊なんだよ! お前さえいなければ、オレが精鋭部隊に入れたのに!」
 昇級試験の時、彼女に一歩及ばなかった。あんなに鍛錬を積んだのに、剣術の試合で彼女に打ち負かされてしまったのだ。そのせいで自分は王国騎士団の中でも特に優秀な騎士だけが入れる精鋭部隊には入れなかった。選ばれし者だけが着る事が出来る黒の隊員服。それに袖を通した彼女を、妬ましい目で眺める事しか出来なかったのだ。
「お前なんか、いなければ良かったのに!」
 そうすれば、精鋭部隊に入れたのは自分だったのに。
 頬を押さえたまま俯くアーニャに、ライアンは冷たくそう言い放つ。
 と、その時だった。
「ライアン? 何してるの?」
「リア……」
 ふと名前を呼ばれ、ライアンは振り返る。
 そこにいたのは、サラリと流れる金色の髪と、青色の丸い瞳を持った可愛らしい女性。ライアンと同じく、白い隊員服に身を包んでいた。
「仕事中にすまない、リア。アーニャに呼ばれて少し話をしていたんだ」
「アーニャ?」
 リアと呼ばれたその女性は、その青い瞳をアーニャへと向ける。
 するとリアは、アーニャの様子に心配そうに眉を顰めた。
「アーニャどうしたの? 大丈夫?」
「心配するな、懲りずにオレに言い寄って来たアーニャを叱咤していただけだ」
 そう説明をすると、ライアンはアーニャには向けない優しい眼差しをリアに向けながら、その細い腰をそっと抱き寄せた。
「行こう、リア。こんな大事な時に有休を取るヤツなんか放っておこう。オレ達は国を守るべく仕事をしなければいけないからな」
「え、アーニャ今日休みなの?」
「ああ、信じられないだろ?」
「う、うん……」
 そんな会話をしながら。ライアンはアーニャを振り返る事なく、リアとともにその場から立ち去って行った。
「いったー……。口ん中切れた」
 ライアンの姿が完全に見えなくなってから。アーニャは小さな溜め息を吐く。冷たい目を向けられるのも、酷い言葉を浴びせられるのもいつもの事だけれど。でもさすがに殴られたのは初めてだったな。
「でも好きな人に殴られるって経験は、そう出来たもんじゃないわよね。これは冥途の土産になりそうだわ」
 あはは、とアーニャは自嘲する。一生のお願いというのも、命を懸けて戦うのも、二度とライアンと関わらないのも全部本当だったのだけれど。でも彼には何一つ、真剣には伝わらなかった。
「今日お休みだったのは、本当は有休じゃなくって、国王陛下のお気遣いだったんだけれど……。まあ、そんなの知らなくて当然か」
 だって自分達に下された任務は極秘任務。精鋭部隊である自分達と、上層部の中でも一握りの者しか知らない超極秘任務。だから普通の騎士である彼や彼女が知らなくとも無理はない。
「リアはいいな、あんなに大事にされていて。私も少しくらい、優しくして欲しかったな」
 彼が彼女に向けていた目を思い出す。
 自分には見せた事のない、優しい眼差し。愛しい者へと向けられる、柔らかい微笑み。それとは打って変わって、自分には冷酷な目しか向けない彼。最後は振り返りもしなかった。
「私も、一回くらいは優しく微笑まれて、そっと抱き寄せて欲しかったな」
 でもそれはもう叶わない。だって明日のこの時間、自分はもうこの世にはいないのだから。
「騎士なんか、目指さなければ良かった」
 そうすれば彼に会う事も、こんなに早く死ぬ事もなかったのに。
 零れそうになる涙を堪えるべく、アーニャはそっと空を見上げる。
 二度と見る事の出来ない、高く昇った太陽。
 眩しいそれに目を眇めながら、アーニャは先日下された精鋭部隊への命令を思い出していた。

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