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第一話

―― ……ッサ、起きて。早く……ここからは貴女が一人で、がんばるよりないのだから……。


***


「……あれ?」
次の瞬間、私はどこか底冷えのする場所に立っていた。今何か聞こえた気がするんだけど。と耳を澄ました瞬間。

ぴちょん。
と、どこから水の滴る音がする。

「……ここ、どこ?」
咄嗟に辺りを見渡そうとするが、突然暗い所に来てしまったせいで、目が慣れてなくて辺りの様子が確認できない。

「ちょ、誰か電気消した?」
確かゲームを終えたのは真夜中だったから、突然暗くなったのなら停電かもしれない。

そう思いながらもさっきまで座っていたはずなのに、突然立っている自分にも、気温の明らかな差も、それどころか微かにかび臭いような、湿気を帯びた空気すら、自室のそれと違うことに、違和感が半端ない。

「電気……どこだろう?」
不安でバクバクする心臓をなだめながら、一歩足を踏み出そうとした瞬間に、足首に鈍い痛みを感じる。

「な、なに?」

誰かに掴まれたようなというよりは、もっと明確な何かに足を止められた。

ジャラリ。
同時に聞こえたのは金属の音だ。ちょうど撓んでいた鎖がピンと伸ばされた時のような音と感触だと無意識で思う。

「……鎖?」
まさか……ね? てかなんで?
 
そう思いながらも、ゆっくりとしゃがみ込む。どうやら自分は飾り気のないストンとしたワンピースのようなものを着ているらしい。さっきまではタンクトップに短パンだったはずなのに。

疑問と不安の中、手を伸ばすと容易に触れて確認することが出来た。

足首には何かベルトのようなものがつけられており、その先には……小指ぐらいの太さがありそうな重たい鎖がつながっている。そしてその先は、黒い冷たい金属の塊、ようなものがついていた。

「おもり? なんでこんなものがついているの?」
これじゃ普通に歩くことも出来ない。

一体何が起きているの? ぞわりと怯えのようなものが背筋を走っていく。

──その時だった。


「……アリッサ?」
「誰?」
暗闇の向こうから誰かの声が聞こえる。

そういやアリッサって……どっかで聞いたことのある名前だな、などとぼんやりと考えながらも、初めて聞こえた人の声にほっとする。

「あの、誰かいるの?」
その声と共に、はるか向こうからぼんやりと黄色い灯りが見えてきた。

「アリッサ、やっぱりここにいたのか。よかった……大丈夫か?」
光は徐々に近づいてきて、それが一人の男性であることに気付く。

「……ランバート?」
思わず声を上げてしまった。それは先ほどまでやっていた乙女ゲーの攻略対象者の一人、マリアンヌに憧れるワンコ属性の後宮騎士団隊長、ランバート・バロッサだ。

可愛いけど~、いまいち好みじゃないっていうか食指が動かなかったなあ(←まあまあひどい)


「ああアリッサ、無事でよかった……」
って、ちょっと待って?

──私、夢でも見ているんだろうか。
なんでゲームキャラのランバートがここにいるの?
それにそもそも、アリッサって……。

「しかしびっくりしたよ。君があんな罪を犯すなんて……。きっと何か仔細があるんだよな?」
彼が私のぴったり50センチ手前で足を止める。

それ以上は鉄格子があって近づけないのだ。

(って、私、牢屋にいたのかああああああ)
心の中で叫んでみるが、状況が不明なことには変わりはない。

彼はそんな私を見て、心配そうに格子越しに手を伸ばし、労わるように頬を撫でた。

「僕は信じてるよ。アリッサが自ら望んで、マリアンヌ様を陥れたとは思ってない」

私が全然理解してないのに、何故かどんどん話は進む。
鉄格子、足には鎖。そして……私はアリッサ?
マリアンヌを陥れた? それって……どういう事?

「門番を眠らせてある。今ならここから逃げ出せる。さあ今のうちに逃げるんだ! このままだと君はっ……」

そう言うとランバートは小さなナイフを私に手渡し、小さな金属音を立てながら牢屋の鍵を開けてくれた。

私は足首のベルトの間に指を差し込むと、自分の足を傷つけないようにナイフでベルトを切ると同時に、ランバートが抑えてくれている牢屋の扉から抜け出す。

そのままランバートの後を追って走って階段を登っていく。

うわあ、なんだろう、ここ。

地下に作られた石造りの奥座牢みたいな感じ?
こんなところに閉じ込められたら、手引きしてくれる人がいなければ絶対に逃げられない感じがする。

何かをやらかして私は牢屋に収監されていた。
それを逃そうとしているランバートは多分危険な橋を渡っている。

「……ランバートは大丈夫なの?」

自分から紡ぎだされるのはキリっとした意志の強そうな澄んだ声だ。自分の声にしては雰囲気は悪くない。
まあまあ嫌いじゃないと思う。
こういうしゃべり方する人。

そんなことを漫然と考えていた私を振り向いて、彼は小さく笑う。

「アリッサは、僕のマリアンヌへの気持ちを知って、彼女との橋渡しをしてくれようと努力してくれた。結果は残念だったけどさ……」

しんみりと話す彼の言葉の意味が、なんとなく分かるような分からないような。なので曖昧に頷いておく。

ちょっと、どうでもいいから、誰か状況を説明してっ。

「大丈夫。僕も他の奴らに仕込んだのと同じ睡眠薬を自分で飲んでおくよ。このまま見張り所で、他の見張りの奴らと一緒に眠らされたように振舞う」

まあまあ空気読めない系男子のランバートはそんな私の精神状態など一切気にせず、にっこりと笑う。

「もともとマリアンヌ様に身分違いにも懸想していたことは同僚にもばれているし。マリアンヌ様を嵌めたって悪評高い君の悪口を、全力で言っておくから僕は大丈夫!」

ま……まあいいけど。一応アリッサらしき私にそれを言い切るってうのは、正直どうかな~。
てか、やっぱり私がアリッサなの? よくわからないけど。それっぽい空気よね?

まあとりあえず。
どうやら彼を含めて、牢屋の警備をしていた人たちが、薬を盛られて寝込んでいる間に、外部の人間がアリッサを逃がした、という設定にする予定らしい。

牢屋の入口まで上がると、既にふたりの門番たちがぐっすりと眠りこんでいた。

「悪いけど、僕がしてあげられるのはここまでだ。さあ、何とか後宮を出て、君の伯父さんを頼って国外に逃げるんだ!」

彼は手に持っていたマントを私に渡してくれる。
それを羽織って、眠り込んでいる兵士たちから靴を奪った私は、意味が分からないまま、ランバートにお礼を言ってそのまま外に出ていく。

(よく分からないけど……早くここから逃げないと駄目っぽいもんね)

自分が迂闊に捕まれば、ランバートまで巻き込んでしまうかもしれない。空気読めない系男子だけど、性格はめっちゃいい奴なのだ。彼を巻き込みたくはない。

焦りの感情を胸に秘めたまま、辺りをうかがい、ゆっくりと外に出た。

「ここは……」
外に出ると雲で隠れていた月がゆっくりと顔を出す。
その月光を浴びた瞬間、私のものではない記憶が流れ込んで来て、無意識で悲鳴を上げそうになった。

単なるゲームのキャラ設定ではありえないほどの濃密な記憶。
それはまるで実際に生きている人の20年弱の分量があるように思えて……。

──正直、気持ち悪い。吐き出したいけど吐き出せない。脳みそをぐるぐるに掻き回されるような感じ。

数秒の記憶の奔流が止まり、全ての記憶が統合された瞬間、私は吐き気に口を押えながら、ぽつりと呟いていた。

「……私がアリッサなの?」
そんなことあるわけない。と理性は叫んでいるけれど、そうつぶやいた瞬間に自分の胸にすとんとすべてが落ちていく。

経緯は全くわからないけれど。

私は。

先ほどエンディングを迎えた乙女ゲーム「ラブクルーズは貴方と一緒に」のヒロイン、マリアンヌ……ではなく。
ヒロインを陥れるライバルの悪役令嬢、アリッサになっていた。


***


アリッサの記憶をたどって思い出したのは、牢屋に投獄される数日前の出来事である。

マリアンヌを陥れるはずが、突如現れた皇太子に奪われて、そのままマリアンヌは彼の国ローラシア皇国に連れ去られた。
つまり、悪役令嬢アリッサの完全敗北である。

そんなアリッサの義理の兄である国王の元に届いたのは、

『面倒なことに目を瞑って欲しければ、さっさとこの婚姻承諾書にサインをしろ』という一切隠れてないオブラートに包まれた強国からの脅迫交じりの書状だ。

国王は慌てて行き違いのあったこと詫び、マリアンヌの婚姻承諾書にサインをして返送した。

表向きはそれで収まることになったのだが……。

***

「まったく……本当に貴女は頼りにならないのね」
後宮にある正妃の為に整えられた私室で、アリッサの美しい姉は、扇に口元を隠しながらも辛辣な台詞を吐き捨てた。

「ご、ごめんなさい。お姉さま」
その冷たい視線にゾクリと身がすくむ。姉に見捨てられてしまう、そう思うと恐怖が心の芯からこみあげてくる。
私は床に跪いたまま、思わず頭を下げて謝っていた。

(ってこんなに私、謝る必要性なんてあるの?)
自分の記憶に対して疑問を持つ。これっていわゆる土下座ってやつだよね。
なんでアリッサが自分の姉にここまで平身低頭で謝っているのか理解できない。

ゲームの内容によれば、アリッサは伯爵令嬢である。そしてアリッサの腹違いの姉は、この国の国王に嫁ぎ、正妃となっている。
そしてゲーム内ではアリッサとこの姉が、ヒロインの恋の成就を邪魔し続けていたのだ。

ちなみにヒロインのマリアンヌは国王の愛妾を母に持ち、虐げられた王女で、まだ子供のいない正妻であるアリッサの姉は彼女を嫌って苛めまくっていたのだ。

挙句の果てに政治取引の材料として、宗教国に実質高級娼婦待遇で、マリアンヌを売り飛ばす予定だったのだらしい。

「なのに何? あの娘が皇太子の正妃になるですって?」
正直今まで散々苛めていた義理の娘が、自分よりずっと大きな国の未来の正妃となるのだ。

それは姉にとってプライドをズタズタに傷つけられる出来事であっただけでなく、今まで散々苛めていた自分にマリアンヌが制裁を加えられる可能性があるという、明らかな身分の差が生じたことを意味する。

「あのお気楽そうな自称『小国の公爵』が、帝国の皇太子だったなんて……あんな男が支配する予定の国は早々に滅びてしまえばいい」
姉は怒り狂っていた。

(わっかりやすく悪役って感じだよな)
アリッサも姉に組して、あれこれしでかした悪役だと思ってはいた。しかし……このアリッサの姉への怯え方は尋常じゃない。まだ見えてない過去の記憶があるんだろうか?

「まあマリアンヌのことはもういいわ」
もういいっていうか、もうどんなにギギギしても、手が出せない存在になっちゃったってことだよね。

「でもね、アルドラドの宗主ナサエル様との間には、聖女を出荷すると言う契約は既に成立しているの。あと数日後には船に荷物を積んで出港しなければならないわ」

姉はにぃっと真っ赤な唇の口角を上げて微笑んだ。
ぞくりと背筋が震える。
アリッサは知っている。
それは……よくないことが起きる前触れなのだ。

「だってぇ。アリッサだって仕方ないと思うでしょう? ナサエル様には聖女として処女で身分の高く美しい娘を、お渡しする、とお約束してしまったのよ。マリアンヌを送り込めなくなってしまっても、約束は守らないといけないのよね」

くすくすと笑う王妃である姉は、昔から都合のいいところだけアリッサを利用するズルい女だった。分かっていたけれど、それでも家の為に年の離れた国王に嫁いだ姉を思って、アリッサは一生懸命尽くしていたのに……。

「だから失敗した貴女が、マリアンヌの代わりにアルドラド神国に行ってちょうだい」
「……え? なんで……私が?」

唇は綺麗に笑顔の形を刻んでいるのに、瞳は全く笑っていない。ぞわっと恐怖に身が震える。

「この間マリアンヌを渡そうとした時、ナサエル様にお会いしたでしょう? もしマリアンヌが無理なら、アリッサ、貴女でもよいとおっしゃってくださったのよ」

ふふふと、機嫌良さそうに笑う赤い唇が脳裏に刻まれていく。

ふとアリッサの頭の中で、小さな頃の記憶が一気によみがえってきた。


姉は赤い唇を笑みのように歪ませて、アリッサを壁際まで追いつめていく。

それから傷をつけないように羽枕をアリッサの口元に押し当てて、姉は夜な夜なアリッサの呼吸を奪うのだ。

『ねえ、私のおねがいを聞いてくれるわよね?』

苦しくて苦しくて、必死に枕をどかせようとしても、姉は容赦なくぐいぐいと枕を押し当ててくる。涙がこぼれ、抗う為の力を失いぐったりするまでそれは続けられる。

『はっ……』
一瞬枕をどけられて、私は必死に酸素を求めて、喉を鳴らす。けれど一つ呼吸を吸ったところでまた枕が押し当てられる。

苦しくて。くるしくて。

鼻水もよだれもみっともない程溢れて、枕を叩いていた手が動かなくなり、呼吸する気力も失って、生きることをあきらめかけた時に、再び彼女はその苦痛からアリッサを逃すのだ。

『ね、アリッサ。お姉さまのいう事をちゃんと聞けますわよね』

片手には枕をしっかりと抱いたまま、甘く優しくそう尋ねるのだ。そしてそれは、アリッサが了承するまで延々と続く……。


思い出した記憶にひゅっと喉がなった。咄嗟に口元を手で覆って涙目になった私に、彼女は困った子ね、というようにかすかに首を振る。

「だって、貴女が失敗したんじゃない。自分のやったミスは自分の身で贖うべきではないかしら」

姉は楽しそうにくすくすと笑う。
それでもここに来るまでは、少しくらいは姉としての情があったと思っていた。けれど最初から最後まで、搾取するものと、されるものの関係に過ぎなかったのだ。

どうやら……ゲームの中の人、アリッサは恐怖でそれが理解できてなかったみたいだけど……。

(うっわあ、思ったよりガチで姉が一番サイテーなキャラだったわ~。でもこの話って、アリッサはザマア展開あったけど、姉に対する最大級のザマァ展開はないの? 胸糞悪いわ~)
心の中でアリッサである自分が毒づく。

こうしてアリッサ視点でストーリーを追うと、アリッサ自身も姉に騙され、利用された挙句、あっさりと見捨てられた可哀そうな人物であることが見えてきた。

当然、アリッサの記憶をたどれば、マリアンヌに関する情報も、姉によって悪意だらけに捻じ曲げられていた。
姉の情報だけを元に判断すれば、彼女がマリアンヌを排除しようと動くのも当然というほどのねつ造度合いである。

「……ねえ、アリッサ。いい子でアルドラドへ行ってくれるわよね?」
姉が楽しそうに説明してくれたのだ。アルドラドではどんなことが待ち構えているのか、を。

南端にあるアルドラドは海の神を信奉する宗教国家であり、近隣の海洋国家にとっては聖地でもある。
だがその中身は相当に腐っていた。
でっぷりと太ったじいさんが宗主で、宗主は神殿内に、『聖女』をあつめた巨大な後宮を持っている。

そして自分の権力の為に役立つ者を神殿に招いては、後宮の女たちに接待させ、好きに抱かせるのだ。当然宗主も気に入った女性を幾人も囲っているという。

アルドラドの神殿の実態は、体の良い高級娼婦宿と言っても過言ではない。そして近隣の海洋国家の男性達からは、『美しく高貴な聖女達が祝福をあたえてくれるこの世の天国』としてあこがれの場所になっているのだ。
そして姉は、そこにマリアンヌを送り込むのだ、とそう言っていた。

マリアンヌは母が貴族でもない愛妾なのだから、ふさわしい場所に行ってもらうのに何も問題がない、とそう姉に言われ、悪行の限りを尽くし、母国に大きな損失をもたらした、というマリアンヌのねつ造された過去を聞いたアリッサは、娼婦堕ちエンドがマリアンヌにはふさわしいと納得していたのだけれど……。

私、マリアンヌ視点やってたから知っているけど、それ全部真っ赤なウソですからっ。大概にしろってレベルだからっ。
でもまあ、あちこちの男に粉を掛けまくっていた、っていうのはあながち間違いでもないのかもな~。
……まあ乙女ゲームってそういうものですから。かっこ笑い、かっこ綴じ。


とにかくアリッサというキャラは、姉である王妃に忠実な悪役キャラっぽく描かれていたけれど、実は裏で姉に逆らえないように小さな頃からマインドコントロールされていた結構ふびんなキャラだったらしい。

負けず嫌いで、自尊心の高いイヤなキャラだってマリアンヌ(を操作していた私)は思ってたんだけど。


「絶対に嫌です!」
姉の悪魔のような申し出を、彼女は震える声で必死に拒否した。

そんな姉のことを聞く必要なんてない、やりたい放題の姉なんているかっ、と心の中で私もアリッサを応援する。
だがアリッサ史上、初めて全力で姉に反抗した所。

「まあ。アリッサってば……」
すぅっとヘビのような瞳を細めて仕方のない我儘を言う子をなだめるような表情を浮かべると、彼女の姉である王妃は後ろを振り向き、そこに控えていた護衛に向かって笑顔で命令する。

「じゃあ、仕方ないわね。船に乗せるまではこの娘を牢屋に閉じ込めておいて」

しおり