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初めてのバレンタイン ①

 ――二年前の二月十四日。それは生れてはじめて恋をしたわたし・篠沢(しのざわ)絢乃(あやの)にとって、正真正銘、本当に初めてのバレンタインデーだった。

 学校は初等部からずっと女子校だったし、親友の中川(なかがわ)里歩(りほ)とは毎年友チョコの交換をしていた。その友チョコだって、わたしからは手作りチョコを贈っていた。
 あとは父にあげるくらいで、男性への本命チョコなんて一度も贈ったことがなかったけれど、この年のバレンタインデーは違った。

 その前年の十月、わたしには好きな人ができた。桐島(きりしま)(みつぐ)。八歳年上の、大財閥〈篠沢グループ〉会長であるわたしの秘書だ。

 一ヶ月前に末期ガンで亡くなった父は、十月の誕生パーティーの夜に倒れた。その場にたまたま居合わせた彼は、わたしのことをずっと気遣ってくれて、帰りには自分の車で家まで送り届けてくれた。
 わたしはそんな優しい彼に惹かれ、別れ際に彼と連絡先を交換した。

 父が亡くなってすぐ、わたしは父の遺言もあって会長だった父の後継者となり、高校生活と会長職との〝二足のワラジ〟生活を送ることになったわたしの秘書に就任したのが彼だった。

 彼は惜しみなく献身的にわたしを支えてくれて、(はち)(おう)()の学校から(まる)(うち)にあるオフィスへ、オフィスから自由(じゆう)(おか)の自宅への送迎もしてくれていた。そんなのは多分、秘書の仕事じゃないのに……。彼は文句を言うどころか、嬉々としてやってくれていたのだ。

 そして彼は、実はスイーツ男子だった。当然、チョコレートも大好きなはず。会社内でも「彼氏にしたい男性社員ランキング」の一位らしく、バレンタインには女性社員たちからチョコをドッサリもらうのだろう。

 そんな彼が本命であるわたしは、初めてのバレンタインデーを前に悩んでいた。彼に贈る本命チョコは、どんなものがいいのかと。

「……やっぱり手作りかなぁ。毎年そうしてるし。でも今年は忙しいし、あんまり時間かけられないのよね……」

 学校のお昼休み、スマホで手作りチョコのレシピを検索しながら、ひとり唸った。ヒットしたレシピはドッサリあったけれど、手間暇かかるものが多かったのだ。

 かといって、高級ブランドのチョコレートを贈ると、彼が()(しゅく)してしまいそうだ。わたしも、お金に物を言わせて高いものを贈ることをよしとしていない。好きな人に贈るものだから、お金をかけるより愛情の込もったものがいい。
 それに、「手作りチョコをあげる」とすでに約束してしまっていたし……。
 
 時間をかけずに、真心を込めて美味しいチョコレートを手作りする方法はないものか? ――わたしはますます悩んだ。

「――絢乃、さっきから何唸ってんの?」

 長身のショートボブの女の子が、ちょっとハスキーな声でわたしに声をかけてきた。
 彼女がわたしの初等部時代からの親友・里歩。バレーボール部のキャプテンをしていたので、声が少しハスキーなのだ。

「ああ、里歩。――あのね、バレンタインのチョコのことで、ちょっと」

「バレンタイン? そういや、もうすぐだね。……んで?」

「わたし、好きな人できたでしょ? で、初めて本命の人にあげるチョコって、どんなのがいいかなぁって悩んでたの」

 彼女には、わたしが彼に恋をしているということはすでに話してあった。というか、彼女の方が先に気づいたというべきか。
 
「なるほどねえ。でも、レシピ検索してるってことは、〝買う〟っていう選択肢はアンタの中にはないワケね。じゃあさ、具体的にどんなの作りたいとか、そういうイメージってないの?」

「……ない、ことはないけど」

「ん? どんなの?」

「こないだね、会社で食べさせてもらったガトーショコラがすごく美味しくて。こんなの作って彼に食べてもらえたらなぁって思ったんだけど、初めてのバレンタインで手作りのガトーショコラって……ちょっと重いかしら?」

 この当時、わたしと彼はまだ付き合い始める前だった。恋人でもない女性から、バレンタインに手作りケーキをもらったら、男性側はどう思うのだろうか……と考えてみたり。

「ちょっと重い……かなぁ。あたしが桐島さんだったら、ちょっと引くかも。クッキーもちょっとね。いくらスイーツ男子でもさぁ」

「……だよねぇ。となると、無難に普通のチョコの方がいいか」

「しかも、アンタ最近忙しいから時間ないじゃん。『時短で作れる美味しい手作りチョコ』で検索し直してみたら?」

「うん、そうするわ。ありがとね、里歩」

「あたしの彼氏は甘いの苦手なんだって。だから余計に大変なんだよねー。チョコはビターじゃないとダメだし、他のプレゼント考えなきゃいけないし」

 里歩にも彼氏がいて、わたしも面識があった。スポーツマンタイプで、確かに甘いもの好きには見えなかった気がする。

「ビターって……、ハイカカオとか?」

「うん、まぁ。でも、あれってけっこう値が張るじゃん? 一般的なチョコに比べたら。バレンタイン前って、女の子はみんな苦労するよね」

「そうね……。桐島さんがスイーツ好きで助かったけど」

 ちょうどお昼休み終了のチャイムが鳴ったので、レシピ検索は退社後、家に帰ってからに持ち越すことにした。


****

 ――いつもより遅く帰宅し、夕食を終えた後、わたしは自分の部屋のパソコンで手作りチョコのレシピ検索を再開した。

 スマホだと画面が小さくて画像が分かりにくいけれど、パソコンの大画面なら画像も鮮明で、チョコの表面に施された装飾も分かりやすい。
 見映え重視で作るわけではないにしても、できることならキレイな見映えのものを作って彼に食べてもらいたかった。

「時短で簡単にできて、美味しいチョコ……と。――わぁ、こんなにあるの……?」

 里歩のアドバイスどおりに条件を絞って検索しても、投稿されたレシピはかなりの数あった。わたしは頭を抱えて呻いた。

「ママの意見も聞きたいけど、パパは甘いもの苦手だったしなぁ……」

 いや、父でなくても、結婚前にお付き合いしていた人や、想いを寄せていた人はいたはず。彼らがみんな甘いものがダメだったとは限らない。

「……でも、できれば自分の力だけで決めたいな。ママからうっかり、彼の耳に入っちゃうこともあるかもしれないし。それじゃサプライズにならないもん」

 母はわたしの初恋に、極めて協力的だった。よかれと思って余計なことをされて、ややこしいことになっても困る。

 わたしはパソコンのディスプレイに表示された、数々のチョコレートのレシピをスクロールしていった。形はやっぱりハート形が多い。大きさは一口大から、大きなハート形のプレート状のものまで幅広く表示されていた。

「やっぱりベタだけど、形はハートにするかな。大きさは……、小さめの方が食べやすそうね。じゃあ……この辺りを参考にして、と」

 参考として選んだレシピを、わたしはカラーでプリントアウトしてみた。
 三層構造になっているチョコのようで、芯は柔らかいガナッシュ、それをビターチョコでコーティングし、表面はミルクチョコでもう一度コーティングされているらしい。その上から、さらにジグザグの装飾用のビターチョコがかけられていた。

 こんなに手の込んだチョコが時短でできることが、わたしには驚きだったけれど。見映えもいいし、何より美味しそうだし、わたしはこのレシピのチョコに一目惚れしてしまった。
「自分で作ってみたい!」と、強く思ったのだ。

「よしっ! コレでいこう!」

 まずは、明日から練習だ。……わたしは決めた。
 幸い、翌日は土曜日で学校はお休みだった。材料を買いに行って、できることなら里歩にも家に来てもらって、ママや史子さんにも手伝ってもらって……。 

 ――こうして、わたしの初バレンタイン手作りチョコ作戦は決行されることとなったのだった。

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