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110 夢じゃない

 カーヴィアル帝国より北に位置するルフトヴェーク公国の日の出は、やや早い。

 いつ眠りに落ちたのか全く分からなくても、条件反射的に、夜が白みかけた頃に目が覚めるのは、職業病だろう。近衛なら、夜勤との交代時間が近いからだ。

 とは言え、視界にある天井は、キャロルの知らない天井だ。

「……早いね。習慣?」
「⁉」

 突然、耳元で聞こえた声に、ギョッとして視線を傾けると、すぐ真横にエーレがいて、柔らかい微笑を浮かべていた。

「おはよう」
「…お…はよう…?」
「うん、何で疑問形?」

 徐々に目が覚めてくると、一切服を着ていない自分が、エーレに腕枕をされた状態で、同じ寝台(ベッド)で寝ていると言う事実に、ようやく思い至る。

「――っ⁉」

 声にならない悲鳴をあげて、羽毛(デュべ)カバーから両腕を出したキャロルは、せめて身体を隠そうとカバーを掴んだが、エーレにくすくすと笑われて、背中から抱き寄せられた。

「あまり、可愛い事をしないでくれるかな。――また、抱きたくなるから」
「⁉」

 耳元で囁かれた声に真っ赤になっていると、それがエーレの理性をまた、揺さぶったらしかった。

「キャロル……昨夜(ゆうべ)の事が夢じゃないと、俺に確かめさせて……」
「あ…っ」

 キャロルは起きぬけに再び抱かれる羽目になり、しかも、キスの嵐で呼吸もままならずに、呆然となっていた昨晩(ゆうべ)と違い「大人の階段」の何たるかを、否が応にも()()()理解してしまった。

「や…んっ…」

 ――自分のものとは思えない、甘い嬌声と共に。

 そしてまた、何度も何度も()かされた後で、腰が抜けたように自分が立ち上がれないと言う事実に、衝撃を受ける事になった。

 昨晩、キャロルが本当に「初めて」だと、後宮入りは表向きの事だけで、真実、アデリシアとは()()なかったと、気付いてからのエーレが、所有印を散らすかの如く、全く手加減が出来なくなってしまった時点で、キャロルの意識は途中から、ほぼ飛んでしまっていた。

 皮肉にも、朝、立てないと言う現実が、アデリシアとは()()だったと、キャロル自身にも知らしめていたのは、墓場まで持って行くべき秘密だった。

「紹介がてら、侍女(がしら)にお湯と身体を拭く布を持って来させるよ。俺が拭いてもいいけど――」

 羽毛(デュべ)カバーを自分の身体に巻き付けて、寝台(ベッド)の上で膝を抱えながら、激しく首を横に振るキャロルに、エーレは微笑(わら)った。

「君なら、着替えまで自分で出来るのは分かっているんだけど、彼女達も、給金を貰って、仕事として引き受けている事だから、そこは役目の違いと割り切って、受け入れて貰えるかな。俺は着替えたら、残していた仕事を片付ける。多分、開門時間早々に、大叔父上と、レアール侯が乗り込んで来そうだからね。ドレスの調整は、その後になるかな?ああ、でも朝食は、一緒に食べよう」

「……手伝えそうな書類、ある?」

 寝間着(ナイトガウン)を羽織って、侍女頭を呼びに行こうとするエーレに声をかければ、扉を開けかけたエーレの手が、止まった。

「……ああ、そうか。そうだね。君になら、大抵の事は頼めるのか……」
「読んで問題ある書類だけ、今、避けておいてくれれば……」

「いや。5年前はともかく、今はもう、そんな書類はないよ。じゃあ、数値の検算なんかを中心に、お願いしようか」

「うん。そうやって…色んな事を分け合っていければ良い、かな……」
「キャロル……」

 エーレは僅かに目を見開いた後、片手で額を覆った。

「……君はどこまで俺を溺れさせれば気が済むんだ……」
「…え?」

「何でもない。侍女頭を呼んでくるよ……」

 実はしっかり聞こえていたキャロルが、(デュ)()カバーに(くる)まったまま、顔を赤くしていたのは、出て行くエーレには見えなかった。

 そして、戻って来たエーレが連れていたのは、やはり昨日、私室の方に水を運んで来た年配女性だった。

「キャロル、侍女頭のリーアム・メイフェスだ。いずれ皇妃付の女官は決めなくてはならないが、それまでは、彼女に兼務して貰うつもりだから」

「初めまして、キャロル様。エーレ様付の侍女頭、リーアム・メイフェスにございます」

「キャロル…レアールです。……こんな格好ですみません」

 羽毛(デュべ)カバーに(くる)まったまま、視線を()らすキャロルに、貴族階級の女性にありがちな、居丈高さはない。侍女頭(リーアム)はむしろ、好意的な微笑を浮かべた。

「とんでもないことでございます、キャロル様。(わたくし)などに、そのような丁寧な言葉遣いは不要でございます。どうぞリーアムと、お呼び下さい。急なご登殿で、お着替えをお持ちでないと伺いましたので、亡くなられたセレナ様の室内着ですが、お持ちしました。その前に、まずはお身体をお拭き致しますね」

「ああ……はい……オネガイシマス」

 侍女の仕事として受け入れろと、エーレは言うが、身体のあちらこちらに付いた赤い痣(キスマーク)を人目に(さら)しながら、世話をして貰うのは、精神的な拷問だ。

 そんなキャロルの心の内が分かっていながら、リーアムの後ろで笑いを堪えているエーレに、キャロルは手元の枕を思い切り投げ付けた。

「誰のせい⁉馬鹿っ!そもそも、立てないとか、どうなの⁉」

「はははっ!いいじゃないか、君の隣の席は、俺のものなんだろう?その(あかし)だよ。ちなみに、首元のは、わざとだよ。せいぜい、レアール侯や大叔父上にアピールしないといけないからね」

「⁉」

 思わずキャロルが首元に手を当てたが、自分で分かる訳がない。

 その隙に、エーレは部屋を出てしまい、後にはキャロルとリーアムが残された。

「エーレ様が、あのように気軽に……」

「あの…もちろん、次期皇帝陛下への態度として、褒められたものじゃない事は分かっていて…でも…私にだけは、皆と同じように、一歩引いたところで(ひざまず)かないで欲しい、って……」

「さようで…ございますか……」

(おおやけ)の場での振舞いは…ちゃんと心得ているつもりなので…」

 この格好じゃ説得力がない…と、頭を抱えるキャロルに、一瞬の驚きからすぐさま立ち直ったリーアムが、好意的な微笑を浮かべた。

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