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100 父と娘の挑戦状(前)

「グレイブ」
「は」

 扉を開けるや否や、部屋の(あるじ)が背中越しに鋭い声を発する。

「……これは、どう言う事だ?」

 リヒャルト・ブルーノ・エイダル。
 それが、エーレの大叔父、エイダル公爵の正式名だった。

 知性が滲む目元に、陰影が色濃く出るような、彫りの深い顔立ちに加えて、髪は黒髪に、やや白髪が混じる、所謂ロマンスグレー。

 濃い黒髪のエーレは、ここから血の影響を受けたのではないかと、思わせる程だ。

 偏屈独身公爵、などとデューイが揶揄しているのは言い過ぎかも知れないが、親しみやすい雰囲気を持っていない事は確かだった。

 その公爵は、1週間近く宮殿に泊まり込んでいた間に、部屋じゅうに散らばっていた筈の書類が、見る影もなくなっている事に、執務机の席に座る以前の所で、立ったまま周囲を見回していた。

「確かに掃除の許可は出してあるが、勝手に処分して良いとは、言っていないぞ」

「いえ、リヒャルト様。この部屋を片付けたのは、私どもではなく、レアール侯爵のお嬢様が――」

「何だと?掃除のアピールで、気を利かせたつもりなのか?この部屋は令嬢が、ままごとをする場所では――」

 舌打ちして毒付くエイダルに、グレイブが、そうではないと口を開きかけたのだが、それよりも前に、エイダル自身が、この部屋の違和感に気付いた。

「……何も捨てられていない、のか……?」

 執務室が片付いているのは、全て整頓されたからであって、捨てられたからではない事に。

 書棚は、各国語別に棚を分けた上に、言葉の言い回しを把握するための大衆小説や、ビジネス書が作家順に並んでいて、納税書類などはこれも国別に引き出しを分けて、執務机の左右に収められていた。

 しかも机の上には、この為にエイダルが戻って来たと言っても良い――宝石の盗難品リストが置かれている。まるで、目的を予想していると言わんばかりに。

「この部屋を使いたい、とおっしゃった、お嬢様の第一声が『机から()けた書類は、元通りに積み上げるべきか、それとも、2年前のターシェの納税書類の下に、カーヴィアル語の大衆小説が紛れているのは、片付けるべきか』と言う事でしたので……恐らく、お嬢様は大陸の主要五言語を、全て把握しておいでです。…リヒャルト様と同じく」

「……っ」

 それだけではない、と、エイダルの内心が告げていた。
 そう口にするからには、納税書類の内容(なかみ)も、読めているのだ。

「……何の為にこの部屋を使いたい、と?」

「ご到着早々、侯爵家の護衛をお集めになられて、この邸宅の見取り図の解析と、説明を。自分とリヒャルト様が揃ったら、襲撃を受ける可能性が高いので、図面を覚えるように、と。その後、襲撃を受けにくい部屋…と言うのをご検討されて、侯爵夫人とご令息をそこに――と私どもは指示を受けました。ご自身と侯爵に関しては、まるで逆の事を指示されています」

 広さや備え付け家具を、公都(ザーフィア)の有名デザイナーが手がけている点などを考えて、予め支度させておいた部屋は、全く無視されたらしい。

 部屋が気に入らない、と言う我儘もあるだろうとは思ったが、まるで意味が違ったのだ。
 まさか襲撃の可能性に気付いていたとは――あるいは、父親の指示か。

「デザイナーと宝石商は、どうした」

「間に合ってます、の一言で終わりました。特にお嬢様は、ご自身のドレスも宝石も、今回一切お持ちになっていらっしゃいませんので、そもそもご興味がおありではないのだと。ただ、宝石商に関しては、お帰り間際に呼び止められて、盗品が混じっている可能性があると、周りに配慮されて、小声でお伝えになられたのは耳にしました。この部屋にあった書類に書かれているのと、類似する石がある、と――」

「マルメラーデ語、だったんだがな」

「リヒャルト様?」

 いや、とエイダルは片手を上げた。

 昨日の午後、公都担当の監察官の一人から謁見申請を受け、ベスビオレ鉱山での盗掘品の石のリストに関して話があると言われた時、即位式典を控えていながら、謁見を許可したのには、理由があった。

 鉱山で捕まった、採掘労働者が、マルメラーデ側に流したリストであるため、全てがマルメラーデ語。まだ、誰も読めていないと、エイダルの所に届いたのが、先週だ。

 使用人では、誰も読めない事が分かっていたため、一度は目を通したものの、邸宅で、改めて詳細を検討すべく、置いておいたのだ。

 内容は頭にあったため、監察官にも説明は出来たのだが、その際に「良かったです。侯爵令嬢から『勝手に書類を渡す訳にはいかないが、公爵なら頭に入っておいでの筈』と聞いていましたので…。流通ルートが分かりましたら、またご連絡します」と言われ、まさか書類を読んだのかと、確認をしに戻って来たのだ。

「それで、その()()()は、今はどうしている。庭の温室でお茶でも飲んでいるのか?」

 エイダルが知る貴族令嬢は、宝石やドレスの流行に目の色を変え、頻繁にお茶会を開いて、マウンティングを繰り返している、そんな令嬢ばかりだ。

 まるでそれを疑っていないらしい(あるじ)に、庭は庭なんですが…と、グレイブはため息をついて、窓を開けた。
 冬の寒気が混じる空気と合わせて、聞こえてくるのは――剣と剣がぶつかる音。

()()()()()()()です」
「何だと?」

 庭には、剣の稽古をしているらしい一団はあれど、どこにもドレス姿の令嬢はいない。

「キャロル!」

 エイダルとグレイブが庭を眺めていると、どうやら宮殿から戻って来たらしいデューイが、真っ先に庭へと駆けつけているところだった。

「剣が(なま)る心配をするのも分かるが、無茶をするな。肝心な時に役に立たなくなるぞ」

「ありがとうございます、お父様。ようやく宮殿からは開放されたんですか?」

公爵邸(ここ)(あるじ)が、勝手に帰ったものだからな。だったら、私が縛り付けられる理由もない。ヒューバート将軍も『これ以上、公爵邸がご息女に乗っ取られない内に、一度お帰りになった方が良いです』などと、笑っていたしな」

「ヒュー……」

「将軍から聞いたぞ。さすが、私の娘だ」

 ククク、とお世辞にも上品とは言えない笑い声を漏らしながら、デューイが庭から邸宅の二階を見上げた。いや、挑戦的な視線で()め上げたと言った方が正しかった。

「ああ…さっき、こちらには目もくれずに、邸宅(やしき)内に入って行かれたのは、やっぱりエイダル公爵だったんですね」

「まあ、一般的な貴族のご令嬢なら、こんなところで護衛と剣の稽古はしないからな」

 ――二階の執務室のある部屋の窓から、唖然と自分達を見下ろしている、エイダルを。

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