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総務課最後の仕事 ①

 ――クリスマスパーティーの日、僕が帰宅した後に源一会長は絢乃さんにも遺言を遺されたらしい。
 翌日からは容態が悪化し、ついには出社もままならなくなったのだと、僕は村上社長から聞いた。仕事納めを三日後に控えた年の暮れのことだった。社長には加奈子さんから連絡があったそうだ。

『――もう、主人は助からないと思う。会社として、覚悟はしておいてほしい』

 加奈子さんは電話で、憔悴(しょうすい)しきったような口ぶりでそうおっしゃったらしい。
「会社として覚悟をしておいてほしい」というのはつまり、「来るべき日に備えて会社としての準備をしておけ」ということだ。簡単に言えば、社葬の準備ということになる。

 グループの会長が亡くなると、必然的に葬儀・告別式は社葬という形になる。絢乃さんの祖父にあたる、源一会長の先代もそうだったと聞いたことがある。
 それ相応の準備が必要となるので、会長の死期がいよいよ迫ったとなった時に段取りを整えなくてはならない。何だか会長の死を待っているような感じがして僕個人はイヤだったのだが、会社やグループの方針なので従うほかなかった。

 源一会長の社葬は、僕が当時所属していた総務課が仕切ることになった。
 僕はまだ籍こそ総務課に残っていたが、実質的には秘書室業務の研修も始まっていたので、会長の葬儀・告別式が総務課最後の仕事となった。

「――課長、お話があります」

 仕事納めの前日、僕はそれまで転属のことを隠してきた事実を島谷課長に打ち明けることにした。
 いくら嫌がらせを受けていた相手とはいっても、上司であったことに変わりはない。いずれ分かることだったとしても、この人に黙ったまま転属するのは筋が通らないと思ったのだ。

「課長もお気づきかもしれませんが、僕は会長の葬儀の後、新会長が決まり次第異動することに決まりました」

「異動……? そうか……」

 小会議室でデスク越しに僕と向かい合った彼がショックを受けていたのかいなかったのか、僕は記憶にない。もしもショックを受けていたとしたら、都合のいいオモチャが一人いなくなることに対してだったのではないかと思う。

「はい。人事部の秘書室へ。実はもう研修も始まってまして、新会長が就任したら、籍もそちらに移されることになってます。ですから、会長の葬儀での奥さまとお嬢さんの送迎担当が僕のこの部署での最後の業務となります」

 実は、葬儀の日に加奈子さんと絢乃さんが乗られる社用車の運転業務は、僕自ら志願した。
 当事者として最後の最後まで源一会長と、残されるお二人に関わりたいという考えのもとにそう決めたのだった。

 クリスマスイヴに「また連絡する」と約束したので、ご自宅で療養中だったお父さまのご様子を絢乃さんに訊ねてみると、彼女もまた力なくこう答えた。

「パパ、もうだいぶ弱っちゃってる。主治医の先生のお話だと、新しい年を迎えられるかどうか……って。だからもう、わたしもママも覚悟は決めたの」

 彼女はもう冬休みに入られていたが、ゆっくり休めてはいないようだった。

「そうですか……。せめて無事に年が越せたらいいですけどね……」

「うん、そうね。……桐島さん、慰めてくれてありがと。貴方と知り合いになれててよかった」

 こんな月並みの言葉でも、彼女が元気を取り戻してくれたなら僕はそれで十分満足だった。

 そして、会社では小川先輩から、こんな情報を仕入れていた。

「――桐島くん。私ね、来月から村上社長に付くことになったの。退職される前任者に代わって」

「そうなんですか、社長に。……で、先輩の後任は誰が?」

「実はね、源一会長からの直々のご指名で、あなたに決まったらしいのよ」

「…………へ? 僕が? マぁジっすか!」

 僕はあまりにもビックリして、声を上ずらせた。
 まだ秘書としては新米でペーペーのはずの僕が、一番下っ端のはずの僕が、新会長の秘書!? しかも、源一会長直々のご指名とは……!

「桐島くん、うるさいよ! ……それがね、会長はもう遺言状もお作りになってて、誰が新会長なのかもほぼ決まってるらしいの」

「その話なら、ご本人から伺いました。絢乃さんだそうですね」

 絢乃さんが源一会長の後継者だということは、僕もすでに知っていた。ということは、僕が会長付秘書に指名されたのは彼女のため、ということになる。

「あれ、知ってたの? でもよかったじゃない、絢乃さんが次の会長で。誰だか分かんないジイさんが会長だったら、桐島くんも付きたくないでしょ?」

「ジイさんって……。そりゃあまあ、ハッキリ言ってイヤですけど。っていうか、〝ほぼ〟ってことは、まだ決定じゃないんですね?」

 僕は先輩の毒舌に閉口しつつも、それは否定のしようがない事実だった。絢乃さんのためだったら、僕は何だってできる。でも、それが他のよく知らない他人のためにできるかと訊かれたら、自信がなかった。

「うん。会長が他界されてから招集される臨時の理事会で、他の候補者がいなきゃ決定でしょうけどね。私も奥さまから伺ったことがあるんだけど、篠沢一族の中には、絢乃さんが後継者だってことを苦々しく思ってる人たちもいるんだって。だから、その派閥で他の候補を立ててこられたらどうなるか……」

「対抗馬、ってことですか」

「そう。なんかねぇ、先代の弟さんだかを推すらしいっていうのは私も聞いた」

 先代の弟さんということは、絢乃さんのお祖父さまの弟さん、つまり大叔父ということか。
 次男だから後継者からは脱落し、分家になったわけだ。それなのに、またも会長が代替わりすることとなり、彼が急きょ絢乃さんの対抗馬として祭り上げられたようだった。

「まぁでも、後継者争いでいちばん優先されるべきは遺言者本人の遺志のはずだから。間違いなく絢乃さんで決まりね」

「はい」

 僕が安心して頷くと、先輩はそのにやけ顔から目敏く見抜いてしまった。

「桐島くんさぁ、もしかして絢乃さんのこと好きなの?」

「…………ええっ!?」

 不覚にもズバッと指摘され、僕は不覚にもうろたえてしまった。
 先輩にはウソがつけない。もちろん僕自身がウソが下手だということもあるが、彼女は鋭いのですぐにバレてしまうからだ。

「なななな……っ、なんで分かっちゃったんですか!?」

「動揺しすぎよ、桐島くん。だって、あなたって昔っからすっごく分かりやすいんだもん。もう顔に出すぎてバレバレ」

「…………」

 俺ってそんなに分かりやすかったのか……。――僕はこの時初めて知った事実に愕然となった。
 となると、絢乃さんにもバレバレだったのだろうか? それとも、僕に対してが初めての恋だった彼女は気づかなかったのか?

「……っていうのは冗談だけどさ。私、気づかなかったフリしててあげるよ。誰にも言わないでおいてあげるから。もちろん、絢乃さん(かのじょ)にもね♪」

「……はぁ」

 冗談だったんかい、というツッコミを僕はグッと飲み込んだ。それよりも、先輩が彼女に僕の気持ちを黙っていてくれるなら、そこはヨシとすべきだと思ったのだ。

 それはさておき、僕には小川先輩が精一杯気を張っているように見え、それが気になって仕方がなかった。

「先輩は……、悲しくないんですか? 会長、もうすぐいなくなっちゃうんですよ? 先輩にとって源一会長はきっと――」

「悲しくないわけないじゃない。私だって悲しいよ。きっと絢乃さんより、加奈子さんよりずっと。……でも、悲しんでたところでどうしようもないでしょ? 奇跡でも起こらない限り、もう会長は……あの人は……」

 特別な人、と言いかけた僕を遮り、彼女は興奮ぎみに本音を一気にまくし立てた。どうして本音だと分かったかというと、普段は「奥さま」と呼んでいた加奈子さんのことを名前で、源一会長のことを「あの人」と呼んでいたから。
 でも、それは先輩がいちばん触れてほしくないことだったはずなので、僕はそのことには触れずにいた。

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