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4話

 下着を含めた数日分の着替え。いくばくかのお金と、筆記用具。ああ、下着類は少し多めに用意したほうがいいのだろうか。洗面用品と……そうだ、心のためにお気に入りの本も持っていきたい。やっぱり、衣類品が多い気がする。抜いたほうがいいかもしれない。それから、それから……。
 大きなカバンに荷物を出しては入れて、入れたものを出して、また別のものを入れては首をかしげ……。そうして、ミラは諦めたようにため息をついた。

「だめ。旅行もしたことないのに、遠出になにが必要かなんて分かるわけない」

 テトが持ち込んだ、両親の形見である“クエレブレの盾”を見つけ出すという依頼。それを引き受けた途端、彼は前金を押し付けたうえで「それじゃあすぐに現地に移動しよう」と笑顔で言い放った。
 目がくらむような金額が前金だということに驚き。「形見を見つけられたらその倍を払うつもりだよ」の言葉に驚き。まだ払う気なのかと驚き……そうして(ほう)けているうちに、出立の用意をすることになっていた。
 周囲に散らかる雑貨や洋服のたぐいに、ミラの口からはまたため息がこぼれる。

「まーた派手にやってんな」
「ノノン……」

 転がるビンを軽々避けて、ブルーの猫が悠々(ゆうゆう)と歩く。カバンの中身を見たノノンは「本は置いていけよ、重いぞ」などとバカにしたように言い、ミラの隣にやってきた。ゆらり、ゆらりと彼のしっぽが揺れている。随分と機嫌が悪いようだ。お得意の憎まれ口も欠品のようで、むすっとしたまま香箱(こうばこ)座りをした。
 ノノンに言われたとおり、数冊本を抜く。出来上がった隙間になにを詰めるべきなのかと考えていたときだ。コンコンコン、とノックの音が響く。不思議に思いつつ応えると、「失礼します」と遠慮がちにレナが顔を覗かせた。

「先程から随分悩んでいるようですが、大丈夫ですか?」
「ご、ごめんなさいっ。慣れなくて」

 首をかしげて不思議そうにするレナに、旅慣れないがゆえになにを持ち出せばよいか悩んでいることを素直に伝える。

「それならお手伝いしましょうか?」
「えっ!? そんな、だめですよ! お客様の手をわずらわせるなんてっ」
「それなら、友人になりましょう。困ってる友人の手伝いをするのは、当たり前でしょう?」
「ゆ、友人。……私と、レナが?」
「ええ。お(いや)ですか?」
「嫌じゃない、嫌なわけないわ! その逆よ、とっても嬉しいの、だって」
 妖精以外(にんげん)の友人なんて、初めてだから。

 勢いのままに飛び出しそうになった言葉を飲み込む。レナは不思議そうに見つめるが、続きがないことを悟ると「失礼しますね」と部屋に入ってミラの隣に腰を下ろす。それと入れ替わるように、ノノンが扉の隙間からするりと出ていく。変わらずに揺れるしっぽが、彼が未だに不機嫌であることを伝えていた。

「そういえば、お聞きしたいことがあるのですけど」

 持ち出すカバンと中身を確認したレナは、必要か否かを手早く選り分けていく。慣れているんだとすぐに分かるほど、迷いがない。

「ミス・カーティス……友人に対する呼称じゃありませんね、これは。えーと、……ミラから見た二人はどういった印象でしょう」
「二人っていうと……」
「主人のテトと、その従者であるカイについて、です」

 瞬間的にミラの表情がゆがんだ。レナの視線に気がついて慌てて戻そうとするが「無理しないでいいですよ」と苦笑されたので、(つくろ)うことをやめる。

「控えめに言うなら、あまりいい印象はないわ」
「……正直に言うと?」
(さい)(あく)!」

 抑えるようにくすくすとレナが笑う。
 それがなんだか許しのように思えて、初めての友人に舞い上がって。ミラの口はすらすらと言葉を紡ぐ。
 カイはとても意地悪だ。どうして相談所の店主を相手に、妖精をひどく否定するのだろう。妖精(かれら)がいると信じているから依頼を持ち込んだのではないのか。
 それを笑って見ているテトもテトだ。使用人が無礼を働いたのなら、主人がすぐにたしなめるものだろう。どうしてああも好きにさせるのか。家名を告げていないから、なにをしても傷にならないとでも思っているのだろうか。

「ご立腹のようで」
「当たり前じゃない! とっても頭にくるもの。と……友達の同僚と主人とはいえ、嫌なものは嫌なのよ」

 慣れない言葉が唇に引っかかって、ちょっと気恥ずかしい。それと同じくらい嬉しくて、レナのことをちらと盗み見る。──少なくとも、気分を害している様子はなさそうだ。

「あの二人は、笑ってしまうくらいひねくれていますから」

 ある程度の仕分けを終えたレナは、姿勢を正した。

「テトの家は今、その形見がなくなったことで内輪(うちわ)がとても荒れていて。それで気が立っているのかもしれません」

 両親が残した“妖精が隠した”という文言など、誰も信じていない。なぜなら彼らは、御伽(おとぎ)の存在でこの世のどこにもいないから。誰もが妄言だと言い、まともに取り合わず、血縁内で誰が隠し持っているのかと疑心暗鬼の状況なのだという。

「その中で、テトだけは違った。残された手がかり信じ、妖精をいるものだと信じ、ここの店主であれば力になってくれるだろうと信じた」

 レナの声に耳をかたむけつつ、仕分けられた荷物をカバンに入れる。当初、ミラが四苦八苦していたときよりもいくぶんか荷物が減った気がした。

「けどカイは……いいえ、私も、妖精が実在しているとは思えないんです」
「レナも、否定するの?」
「いいえ、」首を振って、曖昧に笑い「否定する土俵にもなかったんですよ」

 ガツンと頭を殴られたような衝撃。
 お伽噺を史実かどうか確かめないのと同じで、神がいるかどうか確かめないのと同じだ。
 それは、いるわけがないとバカにされるよりもずっと、つらい。胸がキリリと締め上げられる。
 呆然としカバンを抱えたまま、ミラは動きを止める。レナはそれに知らないフリをして、あたりに転がっている小物をまとめ始めた。

「主人が信じることを決めたから、カイは余計にあたりがきついのかもしれません」

 そもそもカイは妖精に対して好意的ではなかった。敵対していると言っていいほど苛烈に否定し、あるわけがないと排斥(はいせき)し続けた。懐疑(かいぎ)の目にミラをさらし、詐欺師だと糾弾するのも、カイにとっては当たり前なのかもしれない。
 そして、そんなカイを好きにさせているテトもまた、妖精に対して懐疑的なのだろう。相談所の店主を通して、その真偽を確かめるつもりなのだ。

「どうして?」ミラは首をかしげる。「妖精のことを信じているから、それを頼りにここまできてくれたのでしょう?」
「信じているから、ではないでしょうか。信じたいから、どこまでも疑うのでしょう」

 その意味を理解しようと言葉を噛んで噛んで、──けれど結局、ミラは飲み込むことができなかった。
 信じたいのなら、信じればいいのだ。そのまま、あるままを受け入れるだけでいい。それだけのはずなのに、どうしてわざわざ難しいことをするのだろう。

「レナも、まだ妖精(かれら)のことを疑ってる……?」
「そうですね……」

 不安そうに見つめるミラと視線を合わせて、レナは柔らかく笑む。

「友人であるあなたにとって大切な方々だというのなら、ぜひ一度挨拶をしてみたいものです」

 遠出のための荷物はまとめ終えた。
 散らかしてしまった部屋も、レナとの会話の合間に整理を終えた。
 もやもやしていた気持ちも、彼女の言葉で吹き飛んでいく。
 ──うん、なにも(うれ)うことなどない。
 ミラは思い切り破顔して、レナの手を両手で包むようにぎゅっと握る。

「視えないとしても、絶対にみんなのこと紹介するわ。約束する!」

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