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 拡張現実で生活をサポートする、コンタクトレンズ型デバイスが発売され、約十年が経過した。
 当初は、視界の邪魔になるので危険ではないか、との懸念もあったが、製造と販売を手懸ける米国のビッグフット社は、たび重なる実証実験を公開し、その安全性と利便性が徐々に認められていった。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「やっと新型|ARC《拡張現実コンタクトレンズ》が届いた……」

 俺のARCは、中学校の頃から使っている旧式。
 六年間も同じものを使っていたのは、父さんが厳しかったせいだ。
 友達は新しいARCで専用のゲームを楽しんでいたのに、俺は旧式で参加できなかった。

 そんな悔しい思いをバネにして、部活と勉強に打ち込み、それなりの成績を出して交渉に挑んだ。いわゆる家族会議だ。
 そこで父さんから「目標の大学に合格すれば新型を買ってやる」という言質を取り、それを達成した。

「では、開封の儀を……ん?」

 小さな段ボールを開け、中身を取り出すと、プロトタイプと表記されている。
 つまり、これは製品版では無い、と言うことだけど、ビッグフットがそんなミスをするだろうか。

(う~ん、返品しようかな……。いや、一回くらい新型の|AR《拡張現実》を見てみたいし……)

 そんな葛藤をするも、俺の心は決まっていた。そそくさと旧式ARCを外し、プロトタイプARCに付け替えた。

 きれいだ……。
 全身の毛穴が泡立つ。

 新型ARCが映し出す拡張現実は、六年間使ったARCとは比べ物にならず、まるで本物のような質感を感じた。
 部屋の中を見渡すと、ポスターを剥がした壁も、長年使い込んだ勉強机も、部屋の中全てが、拡張現実のおかげで新品のようになっている。

「うん?」

 そんな感動に浸っていると、突如デジタルノイズが走り、視界にARCが映し出す文字が浮かび上がった。

【備えてください、適合者】

 ――何だそりゃ?
(まだ何もインストールしてないのに、おかしいな……)
 その文字は数秒で消えてしまい、視覚操作で設定を見ても、自己診断プログラムを走らせても、特に異常は見つからない。

【周囲の環境確認】
【安全】
「ちょ……」

 そして、俺は強い眠気に襲われた。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

【ダウンロード完了。インストールを開始します】
【インストール完了。デバッグモードを開始します】
【異常なし】
【視神経の接続を完了。ブレインネットワークを構築します】
【エラー】
【デバッグモードを開始します】

【おや? ……破損していますね】

【バグを発見。修正します】
【エラー】
【ルート化を試行します】
【成功】
【ルート権限でデバッグモードを開始します】
【バグの修正完了】
【ルート権限で脳神経へバイパス接続をします】
【成功】
【デバッグモードを開始します】
【異常なし】
【ブレインネットワークの構築、完了しました】
【ブレインネットワークへ接続します】
【エラー】
【ルート権限でブレインネットワークへ接続します】
【エラー】


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「んごっ!」

(頭が痛い……。つか床で寝てた?)

 時計を見ると朝の七時。
 十二時間くらい寝ていたみたいだけど、ちょうどいい時間に起きたようだ。

 朝の歯みがきルーティンをこなし、ふらつきながらリビングへ行くと、妹が慌ただしく朝ご飯を食べていた。

「お兄ちゃん、もう春休みなんてずるいっ!」
「いやいや、|小春《こはる》はまだ高校一年生だろ? 俺はもう卒業なの」
「ほらっ小春、もう出ないと間に合わないわよ?」

 母さんはそう言って小春を急かしている。

「|夏哉《なつや》? あんた具合悪そうだけど、どうしたの?」
「ああ、いや、ちょっと頭が痛くてさ」
「んじゃ、そこの痛み止め飲んどきなさい、あと小春、さっさと学校へ行く!」
「わかったわかった、いってきまーっす!」

 小春は母さんと同じ茶色い髪をなびかせながら、リビングを出て行った。

「そうそう|夏哉《なつや》、頭痛が酷くなるなら、病院へ行くのよ?」
「たぶん平気。そんなことより母さんも早く行かないと遅刻じゃ?」
「わっ!? ほんとだ、いってきまーす!」

 ちゃきちゃき動く母さんも、妹を送り出したら仕事に出かける。
 父さんはこの時間だと、もう会社へ出勤している。

(……今日は俺一人だ。てことで、今日丸々使って、新しいARCを使いこなせるようにしよう)

 バタバタと出ていく母さんを見送り、視覚操作でARCをオンにする。

「ん?」

(拡張現実に変わらない? リビングがきれいになるはずなのに……)
 そう言えばと、昨日の睡魔で、ARCを切り忘れていたと気づく。
 ということは、起きてからずっと拡張現実を見ていたのか、俺は。
 しかし、いま見ているリビングは昨日までと変わっていないし、拡張現実なのか現実なのか解らない。

「これプロトタイプだったな……初期不良かな? マジで返品しよう……いてててててっ!!!」

 目からARCを外そうとすると、引っ付いて離れない。
 まあ、今のところ普通に見えているし、大丈夫だと思うけど、時期を見て眼科へ行こう。
 そんな事を思いつつ、俺はソファーに座りテレビをつけた。

『米国プリンストン大学から生中継です。先ほど公式発表があり、世界各地に設置された乱数生成器に異常な偏りが生じている事で、大きな天変地異が起きる可能性がある、という事ですが、いったいなにが起こるというのでしょうか? 報道陣からは、不確定な情報で混乱させるのはいかがなものか、という批判の声も上がっており――』

 なんかよく解らんニュースだ。
 そう思って俺はチャンネルを変える。

『速報です! イギリス南部のポーツマス海軍基地周辺が消滅したとの一報があり、現在確認中とのことです。ロンドンより生中継でした!』

 ――消滅? って言ったのか?
 ただ事ではない単語に驚いていると、次々と世界各国の軍事関連都市が消滅した、という速報が報じられはじめた。

 しばらくすると海外の話しだけではなく、国内の自衛隊基地、在日米軍基地などの街が、まるごと消滅したというニュースも速報で報じられはじめた。

「うわぁ……」

 テレビには大きなクレーターのような映像が映され、現地レポーターが「ここは横須賀があった場所です」と金切り声を上げている。
 これは小説でもアニメでも映画でもなく、ましてや拡張現実でもない現実に起こっている事象……なのか。

 と、比較的冷静に考えているのは、消滅している場所が軍事関連の都市ばかりで、うちには関係が無いと思っているからだろう。

「対岸の火事。我ながら利己主義だな……」

 そんな自虐をしつつスマホを見ると、同じようなニュースが溢れかえっていた。
 ただ、非常に読み込みが遅いので、Wi-Fiの調子が悪いのかもしれない。

 俺の関心は外れなくなったARCへ向き、視覚操作で細かな設定を見ていく。
(文字化け? この項目が操作できない……。う~ん、初期不良だと思うけど、先に眼科に行って外してもらわなきゃ)

「――――!!」

 悲鳴? ……窓の外から聞こえたような。
 ここはマンションの十四階なので、まあまあな声で叫ばないと聞こえないはずだ。
 すかさずベランダに出て階下を見ると、女性が襲われていた……真っ黒で巨大なアリに。

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