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第七話

 主役がいない劇を、クラスのみんなはどうやって乗り切っているんだろう。
 わたしが目覚めるまで、他のクラスと順番を変更してもらう? 他クラスの女子が台本片手に代役?
 ──それとも、棄権?
 みんなに迷惑をかけたくない一心でしていた努力が、みんなに迷惑をかける結果になってしまった。最悪の失態だ。
 もう一人ずつぶん殴ってもらうしか、クラスメイトたちの腹の虫をおさめる方法はないかもしれない。
 頬がパンパンに腫れ上がった未来の自分を想像して寒気がしたが、それくらいは覚悟しておこう。それだけのことをやらかしたんだから。
 わたしはホールの裏側へ周り、舞台袖に足を踏み入れた。
「あ!」
 クラスの一人がわたしに気づき、すぐに口を押さえた。周りも「静かに!」と怒りながらも、みんなわたしを見て驚いている。
「監督! アンさん来ました!」
 誰かが小声で、監督係を勤めてくれている生徒を呼んできてくれた。監督はわたしの元へ近寄ると、
「もう体調は大丈夫?」
「うん、ごめんなさい」
「いや。それより、舞台見てよ」
 促されて、舞台袖から舞台を覗き込む。

「わあぁ! 綺麗な林檎ぉ!」

 林檎姫の衣装を着て、赤い髪のウィッグを被ったコリンが、わたしの代役を務めていた──とんでもない棒読みで。
「コリンくんが立候補してくれたんだ。自分は林檎姫のセリフを全部覚えてるって。衣装は先生に頼んで、コリンくんが着られそうな別のドレスを引っ張り出してもらった」
 元男子校だから、男子サイズのドレスも過去のものがあったんだろう。
「あぁ、林檎姫。その林檎は猛毒を持っています。食べてはいけません」
 木が喋った──デリックだ。相変わらず下手くそな演技だ。木のセリフは下手くそでも気にならないから、いいんだけどね。
「……アンさん、主役だから、練習を頑張ってくれてたんだってね」
「え」
 演劇祭準備以外の練習は誰にも言っていないはず──あ、コリンか。そうだ、林檎姫のセリフを覚えているということは、わたしの練習に付き合っていたことと同義だもんな。
「確かに、マークくんの演技は上手かったけど、アンさんは下手じゃなかったよ。練習の度に演技力が上がっていて、みんな毎回びっくりしてた──クラスのために頑張ってくれて、ありがとう」
 監督が、ペコリと頭を下げた。
「いや、そんな、わたしは……」
 目頭が熱くなる──怒られる未来を想像していたのに、努力を認められて。十六歳の少年たちに迷惑をかけたのに、逆にお礼を言われて、大人として情けないはずなのに──。
 この込み上げてくる熱い気持ちは、なんなんだろう。
「もし、元気があるなら、今からでもコリンくんと交代してもらえないかな? 見た通り、セリフは完璧だけど、演技は酷いからさ」
 クライマックスだけでも、と監督は苦笑する。それは嫌そうなものじゃなかった。代役を引き受けてくれたコリンに感謝しつつも、わたしが交代しやすいように向けられた笑いだった。
 わたしは目尻に溢れた涙をぐい、と拳で拭う。
「……任せて」
 舞台上では、毒林檎を食べたコリンが倒れ、暗転していた。
「なんと言うことでしょう。林檎姫は、毒林檎を食べ、永遠の眠りについてしまったのです」
 ナレーションが入り、コリンが舞台袖にやってくる。
「え、え、アンさん!? もう体は大丈夫なんですか!?」
「大丈夫よ。だからコリン──脱ぎなさい」
「え、え、うぇぇ!?」
 コリンの身ぐるみを剥がし、ドレスを持って舞台袖の奥の方、人目のつかないところで着替える──正直周りにいるのはどうせ十六歳だけなので、見られても問題ないんだけど。
「え、あ、アンちゃん!? 戻ったの? ってか、服!」
「あ、ノア! コリンに何か着るもの持っていってあげて! わたし、着ていた衣装全部奪っちゃったから!」
 制服を思いっきり脱いでいる場面に、裏方のノアと鉢合わせた。ノアは目を両手で覆いながら「分かった!」と答えてどこかへ向かっていった。コリンの制服を取りに行ってくれたのかもしれない。
 ドレスに袖を通し、赤髪のウィッグを被り、完成。
 わたしは暗転中の真っ暗な舞台へと足を踏み入れた。
 林檎姫が毒林檎を食べて倒れているシーンからだ。暗闇の舞台の真ん中に寝そべる。準備が整うと、一気に瞼に光を感じた。
「……おや、あれは……」
 王子様が通りかかる。倒れている林檎姫を見つけ、立ち止まる。
「一度お会いした、赤髪の美しい方……。また会えるなんて……!」
 倒れている林檎姫の髪を手に取り、キスを落とす──それを合図に、わたしは目を覚ますのだ。
「……あれ、わたし……」
 上半身を起こす。王子のマークが片膝をついた姿勢で、わたしを見つめていた。
「お目覚めになりましたか? 前に一度会った者です──覚えてはいませんか?」
「あ、あなたは……、王子様……?」
「はい。もう一度出会えて、嬉しいです」
 マークの笑顔──彼がわたしを保健室まで運んでくれたのよね……。
 一生懸命、裏方作業をしてくれたノア。
 木の役でもちゃんと演じていたデリック。
 そして──わたしの代役を務めてくれたコリン。
 ──たくさん迷惑も心配もかけてきたみんなと、また馬鹿なことでも言い合いながら、学校生活を送りたい。

「わたしも……、わたしも、もう一度お会いしたかったです──王子様」

 マークの手を両手で握り、微笑みかける。
 マークは目を見開いた──壊れものを扱うかのように、ゆっくり力強くわたしを抱きしめる。
 エンディングの音楽が流れ、幕が閉じていった。
 観客席からは大きな拍手が上がった。

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