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第二話

 準備期間が始まって、改めて、運が悪かったと思い知った。
 林檎姫、覚えなきゃいけない台詞が多すぎる。加えて、絡む相手も多すぎる。ほぼ全員の役者と会話があるのだ──さすがに、自然との会話はないけれど。
「あなたみたいな薄汚い娘は、この家に似つかわしくないわ!」
 継母役のクラスメイトの男子が、裏声でわたしを叱りつける。わたしは床に座り込んで泣き真似。
「そんな、お母様……!」
「この家から、出ていきなさい!」
「…………っ!」
 継母の台詞を受けて、わたしは立ち上がり、教室の端へと走って行く。
「……はい、オッケーです」
 スケジュール管理及び監督役の男子生徒が、シーンを区切る。
 配役が決まった翌日の放課後。役者になってしまった生徒たちは、各々台本を読み込んできて、早速対面での練習となった。裏方のみんなは教室の隅で作業をしている。
「じゃあ次、家から追い出された林檎姫が王子と出会うシーン」
 ずっと教室の隅っこで膝を抱えていたマークが、台本片手に立ち上がった。わたしもその向かい側に移動する。
「はい、スタート!」
 監督役の生徒の掛け声を合図に、わたしたちは教室の真ん中に移動して──ぶつかる。
「きゃっ」
「あ、大丈夫ですか」
 お忍びで城から出かけていた王子様と、家から追い出された林檎姫がぶつかり、運命的な出会いを果たす。
 そこで、林檎姫はハンカチを落とすのだ。
「だ、大丈夫です、すみません、失礼しました」
 林檎姫がその場から立ち去った後、王子様はハンカチが落ちていることに気づく──それを拾い上げ、林檎姫が去った方向を見つめ、
「あの人は……いったい……」
 林檎姫に一目惚れをしたような、そんな色っぽいため息を漏らすのだ。
「……はい、オッケーです。じゃあ、次、森の場面に移って、鳥たちの会話」
 これでわたしの出番はしばらく来ない。ふぅ、と胸を撫で下ろした。
「マーク、演技上手いのね。最後のセリフ、本当に恋をしているみたいだったわ」
「……別に」
 主役同士、仲良くなろうと話しかけてみたが──依然、マークは素っ気ない。
 ……まぁ、いっか。無理に会話しなくても。ちゃんと演技してくれるんだから。
 わたしはマークに背を向け、背景を担当しているコリンの元へ駆け寄った。
「コリンー、どう? 順調?」
「あ、アンさん!」
 コリンは床に座り込み、大きな板の上半分に空の絵を描いていた。下書きの線をはみ出さないように、水色の染料をひたすら塗っている。
 ……なんだか、地味な作業だ。
「まぁ、順調と言えば順調です。特にアクシデントもありませんし」
「何か手伝えることある?」
「え、そんな! アンさんのお手を煩わせるわけには……!」
「そういうのいいから。今出番じゃなくて、暇なのよ。何か手伝わせて。クラスメイトでしょ?」
「うぇ……うーん……」
 両手を胸の前でブンブンと振って拒絶するコリンに圧をかける。
 コリンはしばらく目を瞑って悩んでから、
「じゃ、じゃあ、あの棚にある染料を取ってきてもらってもいいですか……」
「分かったわ!」
 任務をもらえて、にぱっと笑い、るんるんで教室の隅にある棚を目指す。
 棚の上から二段目が、染料が置かれている段だが──全く手が届かない。わたしは近くの椅子を引っ張ってきて、その上に乗る。それでも届くかギリギリだ。
 椅子の上で背伸びをして、腕を最大限まで伸ばす──あとちょっとで手が届きそう……!
「おい!!」
「ぇうわっ!?」
 後ろから大声を浴びせられ、びっくりしてバランスを崩した。
「アンさん!?」
 コリンの悲鳴が聞こえた。
 頭から落ち──る、すんでのところで、誰かの腕の中に収まった。
「わ、悪い……。驚かすつもりはなかったんだ」
 至近距離に、バツの悪そうな顔をしたマークがいた。
 大声の犯人で、受け止めてくれた恩人の両面を持つマークにわたしは尋ねる。
「びっくりしたわよ……。一体何なの?」
 キャッチしてくれたマークの腕から脱出する。
 意図を掴めないわたしに、
「何っていうか……、お前さぁ……、はぁ……」
 マークは呆れを隠さずに、大きく息を吐いた。
 ……は?
 わたしはその態度にカチンときた──十個も年下のガキンチョに呆れられる筋合いはないんだが?
 しかし、わたしの怒りがマークに伝わることはなく、なぜか手首を掴まれる。
「ちょっと来い」
「えっ、あっ、なに? なに?」
 ずるずると引きずられるわたし。コリンが割って入ろうとしたが、マークは「ちょっと話すだけだ」と一蹴。教室の外に連れ出されてしまった。

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