バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

「……グレイス」
 呆然としたような声がした。
 グレイスはそこでやっと、はっとした。一気に恐ろしさが襲ってくる。
 その恐ろしさはどこから来ていたのか。
 ダージルにされようとしていたことか。
 もしくは、手を振り払ってしまったことか。
 それとも、それを無礼だと怒らせてしまうことか。
 おそらく、そのすべてが混ざり合ったものだったのだろう。
 グレイスは体がぶるりと震えるのを感じた。一歩後ずさる。
「グレイス、」
 ダージルの口が動くのが見えた。けれどその顔が見られるものか。
 グレイスはもう一歩、後ずさり、そして。
 気が付いたときにはダッと地面を蹴っていたのだった。ふわっと、頭からストールがはためいて宙に浮いた。そのまま地面に落っこちるだろうが、今は気にしている余裕などない。
「グレイス!」
 三度目、ダージルの声がグレイスの名前を呼ぶのが聞こえた。それが余計に胸に突き刺さる。
 どこへ行こうともなかった。とにかく、この場から離れたい。その一心でひたすら走る。
 男性の足だ、捕まえようと思えばすぐに捕まえられてしまうかもしれない。それがまた恐ろしく、グレイスは息が上がるほど全力で走ることになる。
 今は捕まりたくなかった。
 向き合いたくなかった、から。
 あの青の瞳と向き合いたくない。
 思い知ってしまったのだ。
 自分が触れたいのはあの青ではない、と。
 ここまで来ておいてやっと実感するなんて馬鹿のようだと思う。
 グレイスは知らぬ間に口元を覆っていた。なにかが溢れそうで。
 そのなにかはぽろ、ぽろっと目から零れてきていた。

しおり