バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

「そ、そう、なのですね……よ、よろしくお願いします……リモーネさん……」
 でもなんとか言った。おそるおそるになったが。
 リモーネが名前を呼ばれたことにか、吠えた。きゃんっと大きな声で。これには隠すことはできなかった。グレイスは、ひっと、口にこそ出さなかったものの体を数ミリ引いてしまう。
「……グレイス?」
 この様子を流石におかしいとダージルは思ったらしい。怪訝な声を出した。
「犬は……苦手、なのかい……」
 言われてしまった。グレイスの心臓がひやっとする。婚約者の愛犬が苦手など。失礼に決まっていただろう。別にリモーネが嫌いなのではなく、犬が嫌い、なのだが。
「す、すみま、せん……子供の頃、ちょっと……」
 しかしこんな様子で「いえ、平気です」なんて嘘がつけるものか。グレイスは観念して本当のことを言うしかなかった。
 グレイスの返事にダージルは明らかに『気落ちした』という顔をした。それはそうだろう、あれだけ嬉しそうに愛玩していたのだ。グレイスにも気に入ってほしかっただろうから。
 けれど幸い、ダージルは優しかった。
「そうなのか。いや、気にしなくていいよ。誰しも苦手なもののひとつやふたつあるだろう」
 完全にフォローであったが、今はそれに甘えるしかない。
「すみません……」
 グレイスはしゅんとしてしまう。これでは嫌われてしまうかもしれない。そんな不安が胸に膨れたのだ。
「いやいや、私こそ知らなかったとはいえ、すまなかったね。……リモーネ、小屋にお帰り」
 ダージルはちょっと惜しそうな声をしていたが、リモーネにそう言った。リモーネは言葉と言われた内容がわかったらしく、きゃん! とまた鳴いて、そしてたったっと駆けていってしまった。
 残ったのは気まずい空気。仕方がないこととはいえ。
 そのあとも散歩は続いたのであるが、最初の空気は消えてしまっていた。グレイスの胸の中があまり快くなかったのは、言うまでもないだろう。

しおり