②
フレンは男にナイフを突き刺すことはなかった。
が、先程飛んできたナイフはフレンが投げたものであること、そして男の反応によっては、今、手にしているナイフを振るうことも辞さない姿勢であること。よく思い知ったのだろう。
男は、ひっ……とだけ声を洩らして、情けなくどさりと座り込んだ。
フレンはしばらくそれを見降ろしていたけれど、男が降参の態度になったことで一連のことを終えたらしい。ポケットからなにかを取り出した。口に咥え、どうするかと思えば。
ピーッ!
鋭い音があたりをつんざいた。耳に刺さるかと思うほど鋭く、大きな音。
あれはどうやら笛だったらしい。思ったことで、グレイスは、はっとした。
やっとなにかが頭に浮かんだ、と思う。
それはグレイスの凍り付いた心が、笛の音の刺激で一気に溶けたことを示していた。
遅すぎることだが、ぶるっと体が震えた。それは悪寒のようにグレイスの体を冒していき、体から力を奪った。脚ががくがく震えて倒れ込みそうになってしまったグレイス。
しかし倒れ込むことはなかった。グレイスの体は力強い腕に支えられていたのだから。
グレイスの体を抱いてくれたのは、フレン。いつのまにか目の前にやってきていたのだ。
そのままグレイスの体はゆっくりと地面に下ろされる。地面に叩きつけられなかったことにほっとし、そこでやっとグレイスはこの状況を把握した。
グレイスの上半身をしっかり支えてくれている、フレン。先程の冷たい目が嘘だったように、普段通りの目をしていた。心配がたっぷり滲んでいたけれど。
「お嬢様」
フレンの口が動く。グレイスはまだぼんやりとそれを見るしかなかったのだけど、とりあえず、理解した。
これはフレンだ。まぎれもない、自分の傍にいてくれる、と誓ってくれたフレンだ。
なにか言おうと思った。くちびるを動かしかけたそのとき。
ピーッ!
さっきと同じような笛の音があたりに響いた。グレイスはびくりとしてしまう。
ばっとそちらを見た。そちらからは、ばたばたと複数の人間の走る音がする。そのひとたちは、どうやらこちらへやってきているようで。すぐに姿が見えた。
そして勢いよくなにかを突き倒した。またドサッと鈍い音がする。
それは、じりじり後ずさって逃げようとしていた、肩にナイフを刺された男だったようだ。
二人の男により抑え込まれて、男は「く、くそ……!」と声を上げた。けれど手負いの身、しかもこれほど多くの人数に囲まれて逃げ出せるはずもない。観念するつもりのようだ。
「アフレイド家のお嬢様への暴行容疑で、貴様を捕縛する」
黒い服の男が告げる。動きやすそうな服ではあるが、上着はかっちりしていてなんらかの身分があるように見えた。
グレイスはぼんやりとした中で、なにかきらりと黒い服の男の胸元で光るものを見た。きらりと光ったのはアフレイド領、自警組織のバッジだった。