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 グレイスは胸の中でごくりと息を呑んでしまった。ホールは静まり返っている。固唾をのんで見守っている、という空気だ。今、そちらを見るわけにはいかなかったけれど。
「わたくしでよろしいのでしたら、謹んでお受けいたします」
 グレイスはしっかりと返答した。決めていたとおりの言葉を言う。ダージルも、グレイスの返事などわかっていただろうが、満足したように目を細めた。
 婚約の成立に、おお、とホールに再びどよめきが広がった。一拍遅れて、パチパチと拍手の音が聞こえる。すぐにホールに響くほどの音量になった。
 会場の皆から祝福されて、グレイスは笑みを浮かべた。ほかに表情などないではないか。
 グレイスのこれを作り笑顔だと思ったか、どうか。ダージルも笑みを浮かべたのだった。
「後日、改めて婚約の儀を執り行います。改めまして、皆様にもご挨拶のお便りを……」
 そのあとは父の話に戻った。父もほっとしただろう。そんな空気がグレイスに伝わってくる。
 ダージルの横に並び、それを静かに聞きながら、グレイスは右手が気になっていた。
 ダージルにされた、求婚のくちづけ。やわらかく感じたくちびるの感触。
 嫌悪はなかった。そういうものだと思った。
 けれど、喜びはない。ときめいたり、どきどきしたりする気持ちもない。
 フレンにされたときとはまったく違っていた、とグレイスは思ったのだった。

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