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 わたし、リーゼロッテ・ベルヘウムは今まさに婚約者であるヴァイオレンツ・フォルガ・ディン・シュタインハルツから婚約破棄を言い渡されていた。

「リーゼロッテ・ディーナ・ファン・ベルヘウム! 今ここで宣言する。貴様との婚約を破棄すると! そして私は、フローレンス・アイリーンを生涯の伴侶にするために、改めて婚約をすることを」

 シュリーゼム魔法学園の卒業式での一幕。
 大広間に集まった学園関係者たちは一様にどよめいた。

 これはピンチです。
 わたしは大勢の人の前で婚約破棄されました。
 さあ、どうする? なんて他人めいた実況を頭の中で繰り広げちゃうくらいに当事者であるわたしは冷静だった。

 だってこの先の台詞もわかっているもん。

「そして、私の元には、私の愛するフローラに貴様がしでかした数々の嫌がらせも届いている。フローラの持ち物に毒を仕込んだり、階段から突き落とそうとしたり、他にも色々と画策をしていたな。恥知らずめ」

 金髪に青い眼をした、美しい造作の王子様はわたしに冷徹な目を向ける。
 汚らわしいものを見るような、一片の同情の余地もないというくらいに凍てついた眼差し。さすがにちょっと、切ない。
 誰だって、自分に明確な悪意を向けられればいい気分はしない。

「なにか、言ったらどうだ?」

 そのうえでヴァイオレンツは、この国の王太子様はわたしに追い打ちをかけてきた。
 何を言ってもわたしの罪状は変わらないというのに。
 それでも、わたしは一応反論を試みる。

「それは、誤解です。わたくしは今まで一度だってフローレンスに害をなしたことはありませんわ」
「見え透いた嘘を」

 あんたが何か言えって言うから言ったのに。
 って言えたらいいんだけどね。さすがにそこまで開き直れない。

「そんな。リーゼロッテ様……わたし、わたし……怖かった」

 瞳をうるうるさせて、ヴァイオレンツの隣で小さく震えているのはヒロインのフローレンス・アイリーン。
 小柄な彼女はヴァイオレンツの横にぴたりと寄り添い、彼に寄り掛かるように立つその姿はぷるぷる震えた小鹿そのもの。薄い茶色の髪に森の木々のような緑色の瞳。顔立ちは普通よりもちょっとかわいいくらい。

 平凡を絵にかいたような少女は、今まさにシュリーゼム魔法学園の卒業式の主役として王太子の隣でその存在を主張している。

「フローラ。怖がることはない。この私が付いている」
 ヴァイオレンツが少し身をかがめてフローレンスの頬を撫でる。
「ヴァイオレンツ様ぁ」

 ああもう。この茶番、いつまで続くかな。
 いちゃラブなら二人きりの部屋でやれ。

 か細く震えるヒロインを慰めた王子様は再びわたしを睨み、こう告げた。

「私の愛するフローラを害しようとした罪は重い。リーゼロッテ、貴様には白亜の塔行きを命じる!」

 彼の声は大広間によく響いた。
 全員が彼の声を聴いたようで、どよめきが生まれた。
 人々が顔を見合わせ、驚き、ささやきは大きな渦となって広間に漂う。

 まさか。そんな。白亜の塔だなんて。あの、魔法使いの牢獄へ? 一番罪の重い刑ではないか。しかし、本当にフローレンスを害しようとしたのなら……。

 聞こえてきたのは誰のものとも分からない感想たち。
 わたしは、動揺はしていなかった。
 だってこれは既定路線だから。

 リーゼロッテ・ベルヘウムがいずれ歩むことになるルートだったから。今日この日を迎えたことでわたしは、今日ここでヴァイオレンツから言われる言葉も知っていたし、自分が白亜の塔送りになることも分かっていた。
 だから取り乱すことは無かった。

「連れていけ」

 ヴァイオレンツは背後の従者に冷たく言い放つ。
 卒業式の余興は終わった。
 わたしの周りに彼の従者が、魔法学園の教師が集まってくる。

「リーゼロッテ様。大人しくしてください。むやみに傷つけるのは本意ではありません」

 従者の一人が遠慮がちに申し出る。
 わたしはシュタインハルツ王国の中でも由緒ある公爵家の娘。ベルヘウム家の人間は代々、この国の要職に就く名門で魔術の才能にあふれた人材を多く輩出していることでも有名。正真正銘血統書付きの令嬢なわけで、だから王太子の婚約者にも選ばれた。

「ええ。連れて行きなさい。ただし、すぐに白亜の塔へ、というわけではないのでしょう? こんなこと、ヴァイオレンツ殿下の独断で決められることではありませんわ」

 わたしはヴァイオレンツではなく、彼らに交渉をすることに決めていた。
 公爵家というバックがあれば、多少の融通はきくと踏んでいたから。

「ええ、ひとまずは公爵家へお送りします。もちろん、付添人はつけさせていただきますが」
 よっし。やっぱり。
 いきなり直送ではなかった。よかった。

 エンディングのあとのことはさすがのわたしも予測不可能で、内心ビビっていたけれど。この世界に生まれ変わって、公爵令嬢として生きてきて身につけた感覚がある。

 さすがの王太子殿下も、天下のベルヘウム家の人間にいきなり刃を向けることはできない。婚約破棄の根回しはしっかりと済ませてはあるんだろうけれど、白亜の塔送りとするからにはそれなりの手続きも必要だと思うし、体裁を整える必要がある。

 まずは自宅謹慎(見張り付き)になるかな、と踏んでいたけれど、よかった。

「わかりましたわ」

 向かうことにしましょう、とわたしは素直に従うことにした。
 男たちに囲まれてわたしは大広間から去っていく。
 ヴァイオレンツは本当にリーゼロッテに興味ないようで、会場は卒業式後のダンスセレモニーのための準備に入るらしく、彼らも別の出口へと案内されている最中だった。

「リーゼロッテ嬢。さあ」

 少し気を取られて、足の歩みが遅くなったわたしのことを彼の従者そのいくつだかが促した。
 わたしは、覚悟を決める。
 絶対に白亜の塔になんて行ってやらないんだから。



 その日の夜。
 わたしはこっそりドレスのポケットに忍ばせていた小瓶を取りだした。

 小瓶の中には毒薬。いや、厳密に言うと毒ではない。
 人を仮死状態にさせる薬。

 そして。小瓶の中身をぐいっと飲み干したわたしは。
 一瞬体が熱くなったように感じて、そのまま意識を手放した。

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