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「十六時頃にメイドが参ります。お支度が終わりましたら私がお迎えに参りますので」
「わかったわ」
 そのような段取りもすんなり呑み込めてしまった。十六時まではまだ二時間ほどあった。
 なにをしようか、と思ったけれど、なんでも良いだろう。好きなことなら。今日、お勉強やお作法の時間があるはずもないし。
「フレンはそれまでお支度はあるの?」
 グレイスの言葉には、はいともいいえともつかぬ返事が返ってきた。
「ええ、そうですね……私の服はもう用意が終わっておりますし、打ち合わせも……一時間前にでも向かえばじゅうぶんですね」
 つまり、あと一時間ほどは時間があるということだ。グレイスはある望みを口に出した。ちょっと甘えるような気持ちで。そして今なら聞き入れてもらえると思っていた。
「一時間でいいわ。刺繍に付き合ってほしいの。ちょっと難しいところにきているから」
 グレイスの趣味のひとつ。刺繍。裁縫が得意なフレンに最初に手ほどきされたのだけど、今では一人でも楽しむようになっている。グレイスの部屋には、自分で作った刺繍のクロスやクッションなどがいくつかあった。
 グレイスがそんなふうにねだった意味はわかってくれたのだろう。フレンは微笑を浮かべた。
「ええ。一時間でよろしいのでしたら」
 それからの一時間。グレイスにとってはなにより楽しく、また心安らぐような時間だった。
 普段、仕える立場のフレンはグレイスの横に腰かけることなど滅多にないのだけど、なにしろ近くで覗き込んで教えてくれるためなのだ。「失礼して」と隣に座ってくれる。
 その近い距離で、一緒に楽しいことをする。それが一番の幸せだと、フレンに見守られながら布に綺麗な糸をくぐらせていくグレイスは噛みしめていた。

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